「リベラルアーツ教育」を、高校生にどう説明するか

マイスターです。

近年、大学業界で流行している言葉のひとつが、リベラルアーツです。
リベラルアーツを標榜する学部の新設がここ数年で急増。中には学部名にこの言葉を入れ込んだ例もあります。

ただ……この言葉の持つ意味があまりに広いためか、大学によって指し示す意味が少しずつ違っているような感じも、正直あります。

「リベラルアーツ=教養」と説明している大学もあれば、「色々な学問が勉強できるのが、リベラルアーツだ」としている大学も。
リベラルアーツを学ぶための学部・学科を設けている大学もあれば、「本学はリベラルアーツを学ぶための大学です」といって、特に学部学科を分けていない例もあります。

リベラルアーツって、結局、何なのですか?
……と、リベラルアーツ系の学部を持つ大学の方に聞いてみても、これが、いまひとつハッキリとした説明が返ってこなかったりする(実際、そんな例がありました……)。

大学案内には「教養」と書かれていたりするのですが、高校生はおそらく「教養って、何の役に立つの?」と思うでしょう。 で、「広い視野を持つのに役立つよ」と言うと、今度は「じゃあ、他の学部では広い視野は身につかないの?」となります。
マイスターが思うに、おそらく、高校生達にもあんまり、リベラルアーツの定義は伝わっていないんじゃないでしょうか。

というわけで、マイスターがリベラルアーツについて高校生に説明するときに使う話を、今日はご紹介したいと思います。

さて、ここに2つの年号があります。

【1620年】 ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに上陸
【1636年】 ハーバード・カレッジ(ハーバード大学)設立

信仰の自由を求め、イギリスから長い船旅を乗り越えて新大陸にやってきたピューリタン(清教徒)達。そう、アメリカ史の始まりです。

何もない土地にゼロから町を作り、宗教の拠点を立ち上げ、自分たちの生活基盤を構築していったピューリタン。彼らにとって喫緊の課題だったのは、リーダーの養成でした。

まず第一に、宗教上のリーダー。つまり牧師です。
そして第二に、政治・行政のリーダーです。これは市長や政治家などですね。

そこで、まず自分たちを先導するリーダーとしての牧師養成機関として彼らピューリタン達が設立したのが、ハーバード・カレッジです。

上陸からわずか16年後。まだ生活も決して楽ではない中で、人々が知恵と資金を出し合い、後に世界最高学府と呼ばれることになるハーバード大学を創設したのです。いかに彼らが、リーダーの養成を急務と考えていたか、想像できましょう。

ハーバード・カレッジのミッションは牧師の養成でしたが、しかしピューリタン達は、ヨーロッパにあるような神学研究機関とは異なるタイプの学校を志向しました。
何しろ必要なのは、「自分たちのリーダー」です。聖書に詳しいだけの神学研究家を量産しても、仕方がありません。

では、リーダーにふさわしい人間を養成するためには、どのような学校を設立すればいいでしょうか?
そこでは、どのような教育を行えばいいでしょうか?

そうして出た答えが「リベラル・アーツ」でした。

その要点は、

・あらゆる問題を総合的に判断できる
・狭い視点にとらわれず、幅広い視野で議論し、決断できる
・説得力があり、多様な人々とコミュニケーションできる
・人格的に優れている
・体力的に優れている

……など、バランスがとれた人物の養成にあります。

ピューリタン達が、自分たちのリーダーとして考えた理想の姿が、この教育方針に表れています。みなさんも、自分たちのリーダーを選ぶなら、おそらくこういった人物を望みますよね。
(ちなみにアメリカの伝統ある大学がスポーツを推奨するのは、最後の「リーダーは体力的にも優れているべきだ」という考えに関わっています)

そこで彼らは、古代ギリシア・ローマの学術機関で教えられていた「自由七科」(文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽)の発想をもとに、ハーバード・カレッジのリベラル・アーツ教育のカリキュラムを作っていきました。
特定分野の知識・技術を狭く極めるのではなく、広い視野に立ったものの見方や考え方を身につけることに重きを置くリベラルアーツのカリキュラムは、このようにしてできあがってきたのです。

その後、ハーバード・カレッジは牧師にとどまらず、前述したような政治・行政の分野を始め、様々な場所で活躍できるリーダーを育てる機関に発展していきましたが、この基本コンセプトは、現代まで変わっておりません。
今日、アメリカの他の多くの大学で行われているリベラル・アーツ教育も、基本的には上記のような思想のもとに行われているようです。

リベラル・アーツというのは、単なる雑学的な教養とは一線を画す存在です。物知りを育てるためのものではありません。役に立たない余暇的なお勉強でもありません。
実は「リーダー養成」という、かなり具体的・現実的なミッションにもとづく、体系だった教育なのです。

アメリカ創世記のリーダーは、主に宗教と政治・行政のリーダーを意味していたと思いますが、昨今では経済や学問などのあらゆる分野、大小あらゆる規模の組織でリーダーシップが必要とされています。
現代のリベラルアーツ教育には、そういった人材を育成することが期待されているのかなと思います。

日本ではしばしば「教養課程」と「専門課程」という風に学問を区別をしますが、マイスターが思うにリベラル・アーツというのは、「教養」というよりも、「社会で活躍するリーダー養成のための基礎教育」と表現する方が、意図を明確に捉えているのではないかと思います。

リベラルアーツって何ですか?
……と聞かれたら、マイスターは上記のような話をしています。
(「自由七科」とか、細かいところはその時々の状況によって適当に端折りますが)
アメリカのリベラルアーツに偏った説明かもしれませんが、おおむね、間違ってはいないと思います。

もともと我が国にも、建学時から「リベラルアーツ・カレッジ」を志向している大学はいくつか存在しました。

もっともよく知られているのは、国際基督教大学(ICU)でしょうか。
建学時からアメリカのリベラルアーツ・カレッジと変わらない環境のもと、徹底したリベラルアーツ教育を実践。最近では学部学科を廃止し、入学後に学びながら専攻を選択していくスタイルを導入するなど、その徹底ぶりが注目を集めています。

建学の祖が、著名なリベラルアーツ・カレッジの卒業生だという大学もあります。
例えば同志社大学創立者の新島襄は、名門アマースト・カレッジの出身。津田塾大学創立者の津田梅子は、ブリンマー・カレッジの出身です。
桜美林大学の創設者・清水安三が若き日に留学したのは、名門リベラルアーツカレッジであるオベリン・カレッジ。「桜美林」の校名は、オベリン・カレッジに因んでいるものです。
こうした大学には、リベラルアーツ・カレッジの思想・発想が受け継がれているようです。

ここ最近は、このように昔からリベラルアーツ教育を意識してきた大学ではなく、本当に様々な出自の大学が「リベラルアーツ」を打ち出しています。

個人的には、狭義の専門に捕らわれず、広い視野を持った人材を育てるリベラルアーツ教育が日本の大学に拡がるのは、非常に良いことだと思います。

そもそも、昔の旧制高校などでは、リベラルアーツの発想に基づく教育が成されていたのです。日本が工業化を進め経済成長を遂げていく中で、ややおざなりにされていたというだけで。
今後の社会はむしろ、今こそ本当のリベラルアーツを必要としているように思います。

ただ、だからこそ最近思うのですが、「最初から学科を選ばなくていい」とか、「色々勉強できる」といったディテールだけでなく、「なぜ、そういう学びが必要なのか」という、リベラルアーツ教育の目的、ミッションのようなことを、大学の方々や私達はもうちょっと高校生にわかりやすく語った方がいいのかもしれません。

大学によっては、「最初から学科を選ぶ必要はない!」みたいな具体的な施策についての説明が前面に出されていて、「なんだかよくわからないけど、進路を決められないひとにピッタリらしい」みたいな、あいまいな印象で高校生に捉えられている感じもあります。

また、リベラルアーツに「国際」という冠をかぶせ、「語学に強い」というイメージを打ち出している大学もありますが、別に「リベラルアーツ=語学」ではないので、進路指導の場で誤解されているケースもあるんじゃないかと思ったりも。

上記で挙げた「社会で活躍するリーダー養成のための基礎教育」という定義は、マイスターなりの、リベラルアーツ教育の説明です。大学によっては、違う定義をあてはめるところもあるでしょう。一口にリベラルアーツと言っても、内容には少しずつ違いがあったって良いと思います。

ただ、何がリベラルアーツ教育の目的であり、自分達はどんな人材を何のために育てているのか、という強いメッセージがディテールの前にあると、よりその魅力が高校生に伝わるのではないかと思うのです。

以上、そんなことを考えた、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

3 件のコメント

  • はじめまして。大学4回生です。
     「リベラルアーツ教育の目的…高校生にわかりやすく語ったほうがいい」、ここに共感しています。私の大学でも教養教育をよりよくしていこうという取り組みはありますが、なぜ教養教育が大事なのかが議論はあまり聞きません。私が知らないだけかもしれませんが。
     4年間勉強したくらいではなんとも言えませんが、私自身は教養はものの見方を養ったり学び方を学んだりするためのもののように感じています。教養科目一つ一つの内容よりも、それらを通して得た視点や学ぶ姿勢、人間関係のほうが私にとっては貴重でした。
     アメリカの大学では学部では教養・大学院で専門という流れがあるように思います。アメリカにすべての基準をあわせる必要もないのですが、学部では汎用性のある教養(学び方・視点)を強化していくことが求められているのかもしれません。
     現在在籍している大学で「教養科目向上プロジェクト」というものをやっています。学生数名から始まったものなので何をするにも試行錯誤です。他の大学の教養科目に関わる取り組み等も調べています。こちらのHPの情報はとても参考になりました。ありがとうございました。また訪問させていただきます。

  • 大卒17年目の社会人です。
    私の学生時代は「一般教養」とよばれる科目群に興味をもてず、最近になって重要性を痛感して復習しておる次第です。
    マイスターの解説は、とても筋道が明快で分かりやすく、なおかつオリジナリティ豊かな語彙を用いられて新鮮な感動をいただきました。
    「リベラルアーツとは何か?」
    「社会で活躍するリーダー養成のための基礎教育である」
    なるほど、リベラルアーツといえば古代ギリシャ、中世ヨーロッパという先入観が、私にはありました。
    しかし、最近の日本では原発ニュースで政界、官界、財界、学術界の腐敗が次々に暴露される始末。
    リーダーなき時代。
    指導者なき国家。
    これからも日本に求められているリーダー像・・・
    そこに要請されている理想・・・
    なるほど新大陸のピューリタンかもしれませんね。
    できれば、文献の参照元も教えていただけませんか?

  • 倉部 史記 先生
    高校生へのリベラルアーツの説明について、大変勉強をさせていただきました。特に、リーダーの養成における要点5項目は、とても分かり易く、納得の行く項目で構成されておりました。
    もし、出典がございましたら参考までに教えていただければ幸いです。
    私は、ピルグリム・ファーザースがアメリカに渡る前に滞在していたオランダのライデンに留学しておりましたので、とても興味深く拝読いたしました。
    突然の書き込みで失礼いたしました。