マイスターです。
先週、見かけた中で、ちょっと興味深いニュースがありましたので、ご紹介します。
【今日の大学関連ニュース】
■「東大の校歌 なぜない? 運動会歌と応援歌のみ」(東京新聞)
「東京大学にはなぜ校歌がないのか」-。創設百三十年の歴史の中で一度も校歌を制定したことのない東大の謎を問う展示会が東京・本郷の画廊で十五日から開かれる。東大は四年前に校歌づくりに向け歌詞を募集したが決められず、現在も検討中。展示会には、制定への関心を高める狙いも込められている。
(略)東大は戦前の一九三二年、白秋に作詞を、山田耕筰に作曲を依頼し、校歌づくりを進めたことがある。しかし歌の完成後、大学側の事情で、校歌ではなく運動会歌「大空と」と位置付けられた。調氏は、白秋研究を続ける中で、東大がなぜ白秋らの歌を校歌として採用しなかったかに着眼。その後も、何度か校歌制定を検討したものの、決められなかった歴史を研究してきた。
(略)東大は二〇〇四年、校歌検討委員会を設置し、歌詞を募集。七十四作品が応募したが、選出できなかった。このため、運動会歌「大空と」と応援歌「ただ一つ」を校歌でなく、「大学の歌」と位置付け、式典などでは併用している。今後は、いずれかの曲を校歌にするのか、あるいは新たな曲をつくるのかも含め、制定に向け学内の意見を集約していく方針だという。(上記記事より)
東大には校歌がない、ということはよく知られています。
校歌だけではなく、「校章」もありません。
長い大学の歴史の中で、銀杏のマークが東大のシンボルとして使われるようになってきたという経緯があったものの、別に正式な校章というわけではありませんでした。
(だから、場合によって銀杏のデザインに違いがあったそうです)
そこで法人化に伴い、東大は正式に、統一された銀杏のマークを定めた……のですが、なぜか「校章」ではなく、「東大マーク」と呼んでいます。
そのため、まだ「校章」はありません。
「東大マーク」と同様、校歌についても、2004年に制定をはかったものの、ひとつに決めることができず、結局、複数の曲を「東京大学の歌」とするに留まりました。
↑こちらのページに、これまでの経緯も掲載されています。
結局、東大に校章・校歌は未だなく、「大学マーク」、「大学の歌」が決められただけ。
内部的には「あらゆる意見を尊重して、慎重に議論を尽くしている」ということになっているのかもしれませんが、外部からは、「面倒くさい決断は先送りする」体質だと思われてしまうかも知れません。
東大っぽいというか、日本っぽい(?)雰囲気が漂っています。
冒頭の記事で取り上げられている、北原白秋作詞の「大空と」に至っては、一度「暫定的に校歌とする」と決められたにも関わらず、撤回されたという経緯があるようです。
■「校歌の制定について」(東京大学)
↑「暫定的に校歌」とした直後の告知が、web上に残されています。
「 『運動会歌』(「大空と」)は下記のホームページにて試聴することが可能です。」
とあるのですが、リンク先は既に存在しておらず、何か寂しいことになっています。
作詞者、作曲者も、こんな扱いをされていることを知ったら怒ることでしょう。
マイスターは、冒頭の記事にある展示を見に行くことができなかったのですが、Asahi.comに、その内容がちょっとだけ紹介されていました。
■「北原白秋あぜん 東大校歌作ったら『運動会歌』にされた」(Asahi.com)
詩人、北原白秋(1885~1942)が、東京大学の校歌として作詞した歌が「運動会歌」に格下げされたことについて、東大に怒っていたらしいことが白秋研究家の調(しらべ)海明(かい・めい)さん(60)の研究でわかった。15日から東京都内で始まった「北原白秋と東大校歌」展で発表された。
白秋は1932年、東大からの依頼で「東京帝国大学の歌」(「大空と」)を作ったが、東大の学内手続きが不十分だったとして「帝大の歌」から運動会(他大学の体育会に相当)の歌に格下げされた。
これに対する白秋の思いは知られていなかったが、調さんはその3年後に雑誌に載った白秋の文章に注目。校歌作りについて「校歌の重要性を自覚していない学校もあって、耐えられないほど驚いた」「あぜんとしたこともあった」といった趣旨の記述があり、状況などから東大のことを言っていると結論づけた。
東大の校歌はその後も定められないまま。東大の検討会は格下げから70年以上たった04年、「大空と」を「暫定的に校歌とする」としたものの異論が出て撤回された。
調さんは「白秋は一度ならず二度も恥をかかされた。東大の体質は70年たっても変わっていない」と話す。
(上記記事より)
この通り、実際、北原白秋も怒っていたようです。
しかも、校歌にならなかった理由として、
「東大の学内手続きが不十分だったとして『帝大の歌』から運動会(他大学の体育会に相当)の歌に格下げされた」
とあります。
ことの始まりは、とんでもない理由だったのですね。
にもかかわらず、なかなか「復権」されないあたりが、東大らしさなのかもしれません。
関係者によって歌い継がれているのであれば、別に正式な校歌でなくてもいいじゃないか、という意見もあるでしょう。
実際、他の大学にも、「校歌じゃないけどよく歌われている曲」というのはあります。
例えば、慶應義塾大学の「若き血」は校歌ではありませんが、校歌よりも有名です。
でも慶應の場合、「若き血」の他に正式な「慶應義塾塾歌」というのがあります。
校歌がない学校というのは、やはりなんだか落ち着きません。
最終的には東大の関係者が決めることですが、部外者ながら、やはり正式な「校歌」をどこかで定めても良いのでは、という気がちょっとします。
以上、この展示会についてのニュースを見ながら、そんなことを思ったマイスターでした。
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(おまけ)
本来なら東京大学校歌の作詞者、作曲になるはずであった北原白秋、山田耕筰の巨匠お二人は、「からたちの花」や「この道」「待ちぼうけ」など、有名な曲を手がけた名コンビとして知られていますが、実は数多くの大学校歌も作られています。
・駒澤大学校歌・駒澤大学第二応援歌
・大正大学校歌
・関西学院大学歌『空の翼』
・同志社大学歌
・芝浦工業大学校歌
・岐阜薬科大学校歌
・京城女子師範学校校歌
これらはみな北原白秋、山田耕筰コンビによるものだそうです。
さらに小・中・高校の校歌も挙げれば、キリがありません。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。