マイスターです。
興味深い記事を見つけました。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「定員超過の国立大、補助金削減など罰則 独法化で顕著に」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200703080260.html
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文部科学省は8日、学生数が定員を大幅に上回る国立大への補助金を08年度からカットする方針を決めた。大学は学生を増やすほど収入が増えるため、私立大では定員超過がしばしば問題になってきたが、国立大でも04年の法人化後に目立っている。国立大全体の定員超過ぶりが私大を初めて上回ったため、私大に続いて補助金カットの仕組みを導入する。
同省によると、06年春の国立大全体の入学定員の充足率は108%で、私大の107%を逆転。06年5月時点の在籍学生全体でみても、国立大87校365学部のうち、定員の130%を上回る学部が8、120%以上は36に達した。宇都宮大国際学部で定員の1.4倍が在籍するなどの例も出ている。
学生数が定員を大幅に上回ると、学生が十分な授業を受けられなくなるなど問題が生じやすい。このため文科省も対策に乗り出し、同日東京都内であった国立大学協会(会長・相沢益男東京工業大学長)総会で、人件費などをまかなう「運営費交付金」を定員超過ぶりに応じてカットする方針を伝えた。
国立大では、04年の法人化で財政が厳しさを増した一方、入学金や授業料が各校の直接収入になったため、合格者を増やすところが増えてきたという。ある国立大の学部長は「以前は教育の質を考えて自主規制していたが、法人化に伴い、自主財源がほしくて一人でも多く学生を入れようと考えが変わった」と話している。
(上記記事より。強調部分はマイスターによる)
経営の独立性を高め、自ら競争力をつけるようにと行われた独立行政法人化ですが、それが上記のような現象を引き起こしているらしいです。恥ずかしながらマイスターはこの記事で初めて知りました。
歩留まりを読み間違えて入れすぎた……っていうのとは……違うんですよねぇ、きっと。(あ、そもそも国立の場合、「合格したけど入学しない」って人がほとんどいないのか)
「国立も経営努力をするようになった!いいことだ!」
という好意的な見方から、
「やはり過度な競争主義を導入すると教育の質は保てないのだ!それみたことか!」
という批判的な見方まで、このニュースはいろいろなとらえ方がそうです。
マイスターは良いか悪いかという前にとりあえず
「独立行政法人になったというだけで、こんなに如実に組織の方針が変わったんだなぁ」
という点にちょっと驚きました。
こういう方針の転換って、誰がどんな風に決めたんでしょうか。やはり経営陣や大学幹部の方々でしょうかね。そういう方の意識が変わったのか、変えざるを得ない状況になったということなのか。
いずれにしても、マイスターにはちょっと意外でした。
私大では入学定員の超過に伴う補助金カットの仕組みが既にあり、医歯学部が定員の104%、理工系学部などが107%、それ以外の学部は109%を超えると、学生数などによって金額が決まる「一般補助」がカットされる。07年度からはさらにカット率が拡大されるため、私大側は「国立大の定員超過も改善すべきだ」と訴えていた。
(上記記事より)
確かに、これには批判があるのも分かります。まして今や、冒頭の記事にもあるように、国立大の定員超過ぶりが私大を上回ろうとしているのですから。
急に定員を引き締められた結果、困る大学とかが出てきたりするのでしょうか。
国立大学の関係者の方で、そのあたりにお詳しい方がいたら、教えてください。
以上、マイスターでした。
このニュースは、教育の質の水準という、いわば大学の根幹部分を簡単に妥協してしまう日本の大学経営陣の現状を如実にあらわしているように思います。質の確保・向上のためには、新たな財源確保ということは前々からわかっていたはずなのに、それを今まで怠って、その場をなんとかしのぐための定員超過という安易な方向に流れている大学経営に喝をいれるという意味では、文部科学省の判断は正しいと思います。ただ、上から言われなければ修正できないというのも悲しいことですが。。。
また、定員超過それ自体も問題かもしれませんが、そもそも定員数の決め方にも問題があるような気がします。収支バランスを達成するということが主体のフォーミュラだとこういった定員超過といった本末転倒的なことが起こるんですよね・・・。収入だけでなく、質の維持という観点をもっと考慮したフォーミュラを各大学が確立すべきだと思います。
yanatake様へ
国立大学法人事務職員の立場から少々反論させていただきます。
前半部分についてですが、国立大学の法人化はいろいろなところで言われているように、国の行財政改革の一環としての側面が大きい。東大をはじめとする一部総合大学以外はそれほど積極的とは言いがたかった。
財源確保については、国立大学法人法からはなかなか読み取れませんが、あからさまな金儲けは税金が投入されているがゆえに、文部科学省や会計検査院からストップをかけられます。
また、授業料も上限が設定されています。
よく「財源確保」と言われますが、実際にはブレーキとアクセルを同時に踏んでいるとか、手足を括られたままプールに投げ込まれて泳ぐように言われているとか、そんな喩えがされることが多いのもまた事実。
「大学に喝」などとおっしゃいますが、国立大学からすれば、屋根に上ったら梯子を外されたような感じでもあります。
ただし、「定員数の決め方にも問題がある」という点には同意いたします。
さらに個人的な意見を言わせてもらえば、ムチよりもアメですね。
事前に明確な合格基準を示した場合は、設定した、つまり要求した基準以下の方は全部落としても構わない、言い換えれば定員割れしても構わないと文部科学省が明言すれば良いんです。
定員割れでも運営費交付金を減額しないと…
合格判定会議に立ち会ったこともありますが、先生たちだって、特に後期試験で追加合格するなんて嫌なんですよ。合格者のレベルが低いから…
定員を切ってもダメ、超過してもダメじゃ…相対評価じゃ合格者のレベルが保てませんよ。
別に大学が新しい商売をはじめるべきだといっているわけではないのですが、資産の運用や、寄付金など(税制による制限もありますが)、法律の枠内で営利をその目的としない団体としてできることは様々あり、要するに税金と学費に頼る体質から脱却しなければならない、ということが自分の主張であり、文部科学省の意思のように自分は思います。
残念ながら政府の支出が今後増えることは考えにくく、仰るとおり学費もそこまで増やせない(増やすべきではない)のが現実だと思います。そのなかで質を保つにはどうすればいいのか、そのジレンマは日本だけでなく、アメリカでも一緒です。ただそれが現実である以上、なんとか乗り越えるしかないのではないでしょうか(他人事みたいで申し訳ありませんが・・・)。
また学生数にリンクした支出で自分は構わないと思うし、定員を超えたらストップというのは国策としては当然だと思います。国の財政にそこまで大判振る舞いする余裕はないし、まず予算として認められるかどうかが疑わしいです。結局最初のポイントに戻るわけですが、税金と学費、これ以外の収入の道を大学が模索しなければいけないというのは不可避なことであり、税金が少ないから学費収入を増やす、というのは安易である、というのが自分のそもそもの主張です。
もっとも大学がその新たな道を模索する上での法整備は(税制度や非営利団体法等)必要だと思いますが・・・。
yanatake様へ
書いた文章を拝読させていただいて当方が感じたことは…大学職員(少なくとも国立大学法人職員)ではありませんね?
「政府の支出」や「国の財政」など…極めて財務省や(独立行政法人の二次評価をする)総務省の立場に立った意見と受けとめました。
国立大学法人などと称し、そのために独立行政法人通則法とは別に国立大学法人法などという個別法を制定したところで、条文の準用箇所の多さからしても、「実質的には」独立行政法人です。
国立大学の法人化が、国家公務員の数、そして割合を減らすための方便であったのは、「ある意味で」明らかです。
30年以上前から「国立大学に法人格を付与する」議論があったことを差し引いても…です。
財務省の立場に立てば、国家全体での支出を減らす目的で法人化したんですから、国立大学法人向けの支出を絞るのは当然です。
今回の問題は、それで良いのか、ということ。
現実に大学(正確には法人)に回されるお金は年々減らされています。
その対応も各大学が考えているはずです。うちの大学もそうですから…
病院の収支がどうだ、外部資金はいくら獲得した、附属農場の売り上げはどうだ…
現時点で大学によって対応の早い遅いはあるでしょうが、この場合良い意味に前例主義が働けば、ある大学の成功例を他の大学が真似するでしょうし…
が、それもここ数年で出尽くすでしょう。
経費削減の取り組みも多くの大学でやっているはずですが、研究をする以上一定以下の金額にはできません。
国立大学は法人化後の今でも何も手を打っていない甘ちゃんだとでも思っているのですか?
そもそも、貴方は、財務省の味方なんですか?立場をはっきりさせていただきたい。
支出予算を減らす必要がある。それは、まあ、良いとしましょう、収入総額に合わせて支出総額を設定するは当然ですから…
問題は、支出予算の配分はこれで良いのかということです。
他の支出予算を減らして国立大学法人の回すことには反対なんですか?昨年度でも今年度で来年度でも構いませんが、財務省が作成し、国会で承認されたあの予算が100%正しいという意見なんですか?
現実に財務省が予算を減らしている。財務省の決めたことは100%正しい。だから、国立大学法人は減らされた予算の範囲内でどうにかしろ。
でも、学費は上げるな、学生は歩留まりを計算して定員ピッタリにしろ、営利活動は禁止。
予算削減分は経費削減と営利目的でない純粋な外部資金だけで何とかしろ…
これが机上の空論だとは思わないんですか?
あげくに…、
マイスターさんの18日付けのエントリーにもありましたが
■「地方国立大『存続ムリ』競争型の交付金案牽制」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0317/TKY200703170284.html
ですよ。
これが財務当局の思惑です。
国立大学は法人化に際して、土地、建物、人員、予算配分についての変更をまったく…一応トーンを下げて「ほとんど」しないかったんですよ。
旧帝国大学、特に東京大学圧倒的優位のままに法人化されました。
そういったことはご存知なんですか?
天野郁夫先生の著書をお読みになったことがあるんですか?
法人化以前のアドバンテージをそのままにしえ法人化されたのは東京大学他いくつかの大学は良いかもしれません。でもmそれ以外の大学にとっては研究面で不当な競争をさせられてまともな勝負にならないんです。
そのうえ、教育を研究とリンクさせるなんて…Asahi.comの記事について言えば「冗談も休み休みにしてほしい」って感じですが…
少なくとも教育面では国立大学間でできうる限り均等になるように努力するべきです。
財務省から文部科学省へは国立大学法人の運営費交付金だということで一括で渡されています。それは文部科学省が再配分しているんですから…
(まあ、各国立大学法人の積算を文部科学省が取りまとめて財務省に予算要求しているとおっしゃるかもしれませんが…)
日本国の同じ財布から出ているお金で運営されている国立大学で教育面にまで大きな差が出ても構わないというお考えですか?
それは受験生の自己責任とでも?
当方は…研究面で大学間に差が出るのは…百歩譲ってある程度は許容します。
が、国立大学間で教育面で大きな差が出るのは納得いきません。
学部によって教育内容に違いがあります。
立地も違います。
入ってきた受験生のレベルも違うでしょう。
それでも、施設面、蔵書、勉学についてのアフターケアなどの目に余る差は問題だと考えます。
また、定員充足の圧力に屈して、本来大学で学ぶ資格もないような学力の方が入学してくる。そのため、ただでさえ余裕の無くなった教員の方々の負担が増える。結果、他の学生への教育に支障が出る。それは本末転倒だと思っております。
当方は、大学というものの原点は「教える・学ぶ」という人的交流にあるという観点に立ち、大学は常にそこに立ち戻って考えるべきだと思っております。
教育を充実させるために先生方には一生懸命研究してもらいたい。
また、劣悪な環境で「教える・学ぶ」などできません。
ですから、「大学」職員は、教員と学生を第一に考え、教育、研究、学生生活などで何かあったらすぐにフォローできるようにしている必要があります。
だから、職員が職員のために行う仕事など「法人」に集約して、外注化も含めて効率化するべきです。
で、だからだから、「大学」職員の「本来業務でない」ルーティンワークをしているだけなのに大層な仕事をしていると勘違いしてふんぞり返っている事務職員がダイッキライなんです。(別のエントリーにコメントしましたが…)
国立大学でかつての積算校費をそのまま復活させろ、とは申しません。
が、一定の学力の学生をきちんと教育指導して、一定の学力を身に付けて社会に送り出すにはそれ相応のお金を要るんです。
もう一度申し上げます。
公的支出を減らさせて自己努力で何とかするように言いながら、営利活動が実質的に禁止された状況で国立大学はこれからどうしろというんですか?
>大学がその新たな道を模索する上での法整備は
>(税制度や非営利団体法等)必要だと思いますが・・・。
喧嘩腰と取られるかもしれませんが、敢えてキツイ書き方をします。
したり顔でもっともらしいことをおっしゃっていますが、国立大学法人に対して何をどうしろ、っと、また、貴方は何をどうする、っとおっしゃっているんですか?
貴方のご意見は表層的にはもっともらしく聞こえますが、財務省サイドに立ち、現状を単に追認しただけの単なる机上の空論です。
キツイことを書きましたが…
最後に。
本当に国立大学法人を心から心配されているのならば、具体案をお示しください。