マイスターです。
最近、気になっている話題の一つが、子どものインターネット利用規制。
自民党、民主党の他、教育再生懇談会、大手ネット関連企業各社、日本新聞協会、PTAなどなど、様々な団体から意見が出されています。
大学に関する話題ではないのですが、日本の教育全般に関わることですし、考えさせられる部分も多いので、ちょっとご紹介したいと思います。
【今日の大学関連ニュース】
■「子供の有害サイト接続規制、今国会成立へ 自・民合意」(読売オンライン)
自民、民主両党は28日、インターネットの有害情報から子供を守るための規制法案を今国会で成立させる方針で基本合意した。18歳未満の子供が携帯電話で出会い系などの有害サイトに接続できなくする「フィルタリング(選別)サービス」の導入を携帯電話会社に義務づけることが柱だ。週内にも衆院青少年問題特別委員会(玄葉光一郎委員長)で法案を取りまとめ、来週中の衆院通過、今国会中の成立を図る方針だ。
未成年が有害サイトを通じて犯罪に巻き込まれるケースが多発していることから、携帯電話会社は今年1~2月、総務省の要請で、18歳未満の契約者には選別サービスの原則加入に踏み切った。この仕組みを法制化するもので、業界に選別技術の向上を促す狙いもある。現在の同サービスについては、ネット上で会員同士が交流するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やブログなど健全なサイトも閲覧できないという批判が出ているためだ。
ただ、両党間には、なお相違点も残っており、詰めの作業を急ぐ。特に、サイトの有害性の判断基準を作る第三者機関について、自民党は「政府が審査・登録した機関」としているのに対し、民主党は「国が関与することは、憲法が保障する『表現の自由』を侵害する恐れがある」と難色を示しており、調整に時間がかかる可能性もある。
(上記記事より)
先に状況からお伝えしますと、上記のニュースにあるように、子どものインターネット利用に関する何らかの法案が、成立に向けて既に動き出しています。
現在、内容の中心になっているのは、特定のページを閲覧できなくする「フィルタリング」サービスの導入。
子ども達の持つ携帯電話を、「問題のないページは見られるが、問題のあるページは見られない」という状態に、強制的に設定するということです。
ただし実際には自民党、民主党の法案には違いも多く、最終的にどんな法案になるのか、そもそも本当に成立するのかという疑問もあるようです。
↓両党の法案の違いについては、こちらの記事が詳しいです。
■「青少年ネット規制法、今国会で成立しちゃうの?」(OhmyNews)
この問題に対し、ネット関連企業は、法による規制を牽制するようなアピールを展開。
インターネットの有害サイトが社会問題化しているのを受け、子どもたちが安心してネットを利用できる環境整備の取り組みが、業界内で相次いでいる。
業界の自助努力をアピールするとともに、自民党内に出ている法規制の動きをけん制する狙いがあるようだ。
ヤフー、楽天、マイクロソフト、ディー・エヌ・エー、ネットスターのネット関連5社は、ネットの危険性を教える教材の作成や保護者向け勉強会の開催に共同で乗り出す。こうした啓発活動は、これまで各社が個別に取り組んできたが、出会い系サイトや「学校裏サイト」が犯罪やいじめの温床となっている実態が十分に周知されていないと見て、互いに協力することにした。
(「有害サイト、業界一丸で対応…法規制へのけん制も」(読売オンライン)記事より)
ヤフーは5月30日、子どものインターネット利用に関して、子どもを持つ保護者に意識調査した結果を発表した。「政府が取り締まるべき」とする答えは2割程度と少なく、「保護者が判断したほうが良い」「教育を充実させた方が良い」という答えが多かった。
(略)望ましい政府の対応としては、「政府が、学校などでのインターネット教育の充実をさせた方がよい」(46.8%)、「政府ではなく、子どもの育成にあったサービスは保護者が判断した方がよい」(43.3%)といった答えが多く、「政府によって、一律で規制すべきである」(23.8%)を大きく上回った。
(「『子どものネット利用、取り締まりより教育の充実を』――ヤフーが保護者に調査」(ITmedia NEWS)記事より)
また、日本新聞協会は、表現の自由を守るという観点から、法による「有害」「無害」の指定に対して危惧を表明しています。
日本新聞協会のメディア開発委員会は5月29日、与野党が国会提出を目指して準備している、青少年に有害な内容のサイトの閲覧を規制する、いわゆる「青少年ネット規制法案」について、「表現の自由に関わる問題で、ネット以外にも規制が及ぶことも懸念する」という内容の文書を、法案に関わる議員宛てに提出した。
文書では「情報が有害かどうかは主観的な要素も多く、時代や文化、社会環境によっても異なる」と指摘。「情報の内容を規制する法律は公権力の介入を招きかねず、表現の自由に反する恐れがある。直接・間接を問わず、国がコンテンツに関わる問題に関与すべきではない」とする。
その上で「規制が必要だとしても、法規制が適切な手段なのか疑問」とし、「いったん有害情報が定義されれば表現内容の規制に拡大しかねず、ネット以外のメディアにも同様な規制が広がる」と危ぐ。民間の自主規制にゆだねるべきだとしている。
(「新聞協会「青少年ネット規制法、表現の自由に悪影響」と懸念表明」(ITmedia NEWS)記事より)
政府の教育再生懇談会は、フィルタリング以前の問題として、「そもそも小中学生が携帯電話でネットを閲覧できることが問題なのでは?」という意見を打ち出しています。
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)は17日、都内で会合を開き、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者らに求める提言を、今月末にまとめる1次報告に盛り込むことで一致した。小中学生が使う携帯電話の機能を、通話と居場所確認に限定するほか、インターネットなどの有害情報を閲覧できないよう遮断するフィルタリング機能を法的に義務付けることも盛り込む。
(「小中生は携帯所持禁止を=通話機能限定も提言へ-教育再生懇」(時事ドットコム)記事より)
サイト内容の善し悪しにかかわらず、携帯電話でのネット閲覧自体を「禁止する」という案ですから、これが一番、内容的には強いかも知れません。
……と、このように、意見は様々です。
個人的には、やはり何らかの形でのフィルタリングは必要なのだろうと考えます。
本来、インターネットというのはオープンに意見を出し合う空間で、世界を拡げていくためのツールであるとマイスターは思うのです。
しかし現在は学校裏サイトなど、自分達が子どもの時には考えられなかった環境が生まれています。
そのおかげで、子ども達の間にむしろ閉鎖的な人間関係が作り出されたり、互いを監視し合い、陰口をこっそりたたき合うような、「狭い世間」を意識しないと生きていけなくなるような状況が生まれたりしているようです。そのおかげで子ども達が大きなストレスを感じているのも確か。
逆の作用に働くくらいなら、フィルタリングをかけるなどして、ストレスから解放する方法を考えてあげた方がいいのではないか、と思うのです。
また、インターネットというのは色々な意味で今後必要なメディアになってくるわけで、それを取り上げてしまうくらいなら、フィルタリングをかけて使わせてあげる方がまだましだ、とも思います。
ただ、こうした法規制については、やはり思うところもあります。
有害、無害の指定を誰が行うのか、という疑問もありますし、技術的な限界もあるでしょう。
マイスターは以前、自分のブログで、カンボジアの児童買春を、社会問題として真面目に取り上げたのですが、そのページが、公立学校や自治体のネットからアクセス制限されたことがありました。
ページに、「買春」「売春」という文字があったため、自動的に有害と見なされたのです。
知り合いの行政関係者から、「この回だけ閲覧できなかった」という連絡をいただいて、微妙な気分になりました。
これは、技術的な限界です。
国や、どこかの指定機関が指定を行うというのも、現実的には無理があると思います。
「有害なサイト」を指定し、アクセスできなくするというのは、極めて困難です。世の中には無限と言っていいほどのページがありますから、すべての内容をチェックするのは事実上、不可能でしょう。かといって、自動的に内容を解析しようとすると、上述したマイスターの体験の通りになります。
じゃあ、逆に「無害なサイト」を指定すればいいかというと、それも難しいです。無害なサイトだって世の中にはごまんと存在します。大手の企業が作成したポータルサイトや、行政関係など、限られたサイトしか見られなくなるかも知れません。
そして個人的に一番恐れるのは、「フィルタリングをかければ大丈夫」という認識が広まることで、逆にメディアリテラシーの教育が後退してしまうことです。
「インターネット」というメディアが、世界を読み解くための主要メディアとして、今後も成長していくことはほぼ確実です。インターネットとのつきあい方を身につけさせることは、学校でも家庭でも、もっとも大事な教育の一つになるでしょう。
そこで最も重要になるのは、「情報には、信頼できるものとできないものがある」という事実について、考えさせることでしょう。
安易にフィルタリングを導入することで、その部分を教えることがおろそかにならないでしょうか。
その良い例が、日本人の、マスメディアとのつきあい方です。
日本には、新聞やテレビで流されるニュースや情報は、「客観的な事実」だと考えている人が少なくないように思います。しかし実際にはもちろん、テレビも、そして新聞でさえも、客観的な存在などでは決してありません。多かれ少なかれ、どこかに偏った報道姿勢を持っています。
報道に使われる写真や映像だって、(捏造ではないものの)番組のストーリーにあわせて構図を考え、かなり意図的に撮影し、選んだものです。客観的な事実ではなく、番組の作り手が演出するストーリーに沿った素材に過ぎません。
これは別にメディアが悪いのではありません。完璧に客観的な報道など行いようがないのです。
しかし実際には、分別のある大人でも、新聞やテレビのニュースを、けっこう鵜呑みにします。
意識のある人は、複数の新聞を購読し比較しながら読みますが、それでも実は、記者クラブ向けに発表された、お役所的な記者会見の域を出ていないのです。
そういった事実が、思いのほか、日本の社会ではあまり意識されていないように思われます。
新聞の情報がすべてではない、ということを、日本では、学校でも家庭でも、教わることがありません。
(新聞を読みなさい、とは教えられますが)
マスメディアで報じられるあらゆる情報は、何かしらの視点に立って、意図的に編集されたものであるという前提を、学ぶ機会がないのです。
それが、私達日本人の、マスメディアと付き合う姿勢を、かなり幼いものにしてしまっているのではないかとマイスターはいつも思っています。
インターネットという「どう考えても嘘が混じっているメディア」が広まったことで、結果として情報を読み解き、選び、判断する姿勢とスキルを教育することの意義が、社会に広く認知されてきました。
マスメディアの客観性を信じて疑わない層も、ネットに関しては危機感を抱いたのでしょう。
なのに、「公的に認定された情報しか見せないから大丈夫」という理屈で、メディアリテラシーに関する危機感が薄れさせられ、議論がまた後退してしまうのではないかと、マイスターは心配に思うのです。
というわけで、最終的な意見としては、フィルタリングの必要性は認めるものの、せめて同時に、メディアリテラシーについての教育も行うべきではないかと思うのです。
単に、フィルタリング済みの携帯を渡せば済むというのではなく、
「あなた達の携帯はフィルタリングされている。
だから、あなた達がアクセスできない情報というものが、世の中には存在している。
それはどのような意図によるものだろうか?
その技術は、どういうものだろうか?
アクセスが許可されない情報とは、どのようなものだろうか?
そうした情報は、どう扱えばいいのだろうか?」
「例えば、○○という情報があるが、これは○○歳の子ども達に対して閲覧を許可した方がいいか?
それはなぜか?」
……などと子ども達に教え、考えさせる行為とセットであることが大事だと、マイスターは思うのです。
(ついでに、マスメディアの読み解き方についても考えさせる良い機会です)
そういった視点を全く欠いたままでの政策では、メディアリテラシーを持っていない大人を量産するだけではないかと、個人的には考えるのです。
(政治家やメディア関係者にとっては、その方が都合が良いのかもしれませんが……)
以上、一連の報道を見ながら、そんなことを考えるマイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。