マイスターです。
政権が変わって、様々なな制度の見直しが進められています。
その中でも、特に大きな振れ幅で揺れ動いているのが、「教員養成」のシステム。
制度の善し悪しはさておき、「政権が変われば、世の中の仕組みがけっこう大胆に変わる」ということを実感する例にはなっているようです。
(「どーせ自分が選挙に行かなくても、世の中、変わらないしー」……なんて考えて選挙に行っていない方々、選挙に行きましょう)
さて、学校教育の中心となる教員を、誰が、どこで、どのように養成し、どのようにその質を保持していくのか?
多くの教育関係者の方々が、注目しているようです。
【今日の大学関連ニュース】
■「教員免許の更新制、10年度限り 文科省方針」(asahi.com)
教員を続けるために10年に1度大学などで講習を受け修了することを義務づけている教員免許更新制をめぐり、文部科学省の政務三役は13日、10年度限りで廃止する方針を固めた。制度は今春始まったばかりだが、現場にはかねて「教員としての技量向上に効果があるかどうかは不透明」「ただでさえ忙しい教員がさらに疲弊する」という批判がある。文科省が同日開いた有識者との会合でも批判的な意見が強く、制度を続ける必要性がないという判断を固めた。
文科省は、現在の制度下で講習を受講しなくても免許が失効することがないよう、11年1月の通常国会で関係法令を調整する考えだ。
(上記記事より)
……というわけで、スタートして間もない「教員免許更新制」は、導入からわずか2年で廃止される見通しです。
この制度については、以前から賛否両論ありました。
多忙な教員にとっては、講習への参加でかかる負担は大きく、またその効果も定かでない、というのが否定的な意見。
講習の目的も、優秀な教員の養成なのか、指導力の低い層の底上げなのかが不明確。仮に後者だとした場合、果たして10年に1度の受講に意味があるのか……等々。
いずれも、一理あります。
一方、そうはいっても、大学での講習で学べたものは大きい、という肯定的な意見もあります。
多忙な教員だからこそ、まとまった内容を学ぶ時間は普段なかなかとれないわけで、学ぶ機会を得られるのは良かった、等の意見もメディアの報道などには散見されます。
大学側も、自校のPRを兼ね、様々なプログラムなどを用意していました。
地域の特色を行かし、フィールドワークなどを組み込む大学もあり、人によっては、有意義な学びを得られたのではと思われます。
(参考)
■「教員免許更新、大学講習に目立つユニークな内容」(読売オンライン)
■「教育ルネサンス 免許更新(10)講習通じ大学PR」(読売オンライン)
■「根大学と宇宙航空研究開発機構との宇宙教育に関する連携協力協定の締結について」(JAXA)
ただ問題は、需要と供給をうまく合わせるのが大変なこと。遠方まで移動しないと講習を受けられない地域がある一方で、参加者不足に悩む講習も出る事態になりました。
(参考)
■「教員免許更新、大学講習ガラガラ 228講座中止に」(asahi.com)
必ずしも無駄な取り組みとは言えないものの、講習を用意する方も受ける方も、負担は決して小さくなかった教員免許更新制。
結局、負担の大きさや、効果が不明確である点などから、撤廃の運びとなりました。
もっとも「効果」については、まだスタートしてほとんど経っていないこともあり、検証が十分に行われたとは言えないようにも思われます。
また更新制そのものを撤廃しなくても、講習の方法や内容を見直す方法もあったのではという気もしますが、現政権の出した結論は「廃止」です。
で、その代わりに検討されているのが、教員養成課程の6年制化です。
■「教員養成課程6年制へ 文科省が調査費要求」(47NEWS)
文部科学省は13日、現在は四年制大学卒業で教員免許を与える養成課程を、大学院2年も加えた6年に延長する方針を固めた。2010年度予算の概算要求で制度構築に向け調査費を盛り込む。政務三役が担当部局に指示した。
志望者には学部卒業後、大学院での修士号取得を義務化し、現行2~4週間の教育実習も1年に延ばす。新たなカリキュラム作成や、高度な指導のための教授陣選考など具体策を検討する。
(略)受け皿には24校ある「教職大学院」を活用する。ただ、現在の修了者数は毎年800人強しかおらず、公立小中高校で年間約2万人に上る採用者数には程遠いため、文科省は都道府県ごとの教職大学院設置も検討。教育現場と直結した実習体制の強化など実務を重視したカリキュラムの充実を図り、新制度に移行させる考え。
教育学部以外の学部・学科を卒業した学生も、2年間で教職大学院を修了すれば免許を取得できるようにする。
一方、教員の質の向上策として教職大学院で学び「教科指導」「生活・進路指導」「学校経営」などの分野で高い能力を持つ教員に「専門免許状」を与える制度も新設。免許取得後8年以上の実務を経験した教員を対象にする。
(上記記事より)
教員に修士号の取得を義務づけよという主張は、しばしば耳にします。
よく引き合いに出されるのは、アメリカ。小学校から高校まで、多くの教員が修士号を取得していることで知られています。
ただしアメリカの場合、教員として学校で働きながら修士を取得するケースが非常に多いのも特徴。
州によって制度に違いはありますが、多くの州で教員免許更新制が導入されています。
教員は数年おきに大学院で講習を受けるので、その際の単位を蓄積して、数年がかりで修士号を取得してしまうというわけです。
別に、教員免許を取得するために、修士号が必須というわけではありません。
またアメリカの場合、修士号を持っている教員と、そうでない教員とで、給与や昇進に差が付くというのも大きなポイントでしょう。
修士号を持っていないと管理職になれない、なんてケースも少なくないようです。
研究者ではなく高度専門職を育てる、専門職大学院(プロフェッショナル・スクール)が発達したアメリカらしい発想です。
ほか、しばしば教育改革で参考にされるフィンランドでは、大学の教員養成課程は5~6年となっており、修士号が教員免許に相当するシステムになっています。
日本で教員に修士号の取得を義務づけるという議論も、こうした諸外国の仕組みを参考にしたものでしょう。
これも賛否両論、ありそうです。
大学院で学ぶよりも、実地で学ぶことの方が大事だし役に立つ、という意見はやはり根強いのではないでしょうか。確かに、いたずらに延長するだけでは、抜本的な問題の解決法にはならないと思われます。
また教員養成が6年間に延長されることで、教職の志望者が減少する可能生は非常に高く、これを心配される方も多いでしょう。お金と時間が余計にかかるわけですからね。
教育学部の志望者も減りそうです(実際、6年制化された薬学部で、そのような動きもありましたし)。
そもそも、この構想の実現を不可能と見る向きもあるでしょう。
記事にあるように、受け皿として期待されている「教職大学院」の定員数は、求められる教員の人数に対し、著しく足りていません。とはいえ、「都道府県ごとの教職大学院設置も検討」というのも、むしろ乱立され、法科大学院の二の舞になりそうな気配が漂います。
教職大学院が乱立する中で、「1年間の教育実習」の実習先を確保するのも大変でしょう。かえって、教育の現場をいっそう疲弊させることになるかもしれません。
もちろん、実現によって得られるメリットもあると思われます。
多くの場合、教員としてのキャリアは、大学を卒業してすぐに学級を受け持ち、「先生」と呼ばれるようになるところから始まります。しかし学校を取り巻く環境が変わる昨今、それまでの知識だけでは対応できないようなケースにいきなり出会うことも少なくないでしょう。結果、疲弊してしまう教員もいらっしゃるのではと思います。
教育実習を含む修士の2年間が、大学と現場とをつなぐ研修の場になり、教員本人やそれを支える周りの方々の負担を和らげるものになるのなら、歓迎されるかもしれません。
また修士課程への進学は、ただ教員免許を取得するだけでなく、「本当に教員を目指すのか」を自分に問いかけるきっかけにもなるでしょう。
もっとも個人的には、どうせ6年制にするのなら、学級を受け持つ教員だけではなく、学校運営の面で教員をサポートできる、学校アドミニストレーター的なスペシャリストも養成する大学院にしてはどうかと思ったりもします。
日本の学校現場の問題点は、授業の準備から、学校行事の準備、その他様々な雑務まで、何もかもを教諭が行わなければならない管理運営のシステムであるように、マイスターはいつも思っています。
OECDの調査レポート「Education at a Glance」によれば、日本の教員の労働時間はOECD加盟国で最も長い水準にあります。しかし一方、授業などに使っている時間は最低水準。
これをどうにかした上でなければ、大学院や免許更新制度といった改革も、現場を疲弊させるだけではないでしょうか。
例えば、教育学部で4年間学んだ学生が、大学院で非営利組織のマネジメントや情報技術、行政との連携などを学び、専門のアドミニストレーター職として学校の中で活躍できるようにしたらいかがでしょうか。
(実際、マイスターは大学院の学生のときに研究のためにアメリカの小・中・高校の現場をいくつか訪れたのですが、教員以外の専門スタッフが要所要所で前面に出て、教員を支える様々な業務を担っているのが印象的でした。日本の学校事務職とは明らかに異なる位置づけでした。
ほか、進路指導を一手に担う「カウンセラー」なんて専門職も確立されていますね)
修士進学の時点で学生がこうした専攻も選べるようになるなら、大学院を作る意味は大きくなると思います。
加えて、法科大学院のように教育学既習者コースと、未習者コースとを分けてみるというのも手です。
既習者の場合は教育の高度専門職に、未習者の場合は「もう一つの専門」を活かした教員やアドミニストレーターになれるようプログラムを設定されたら、学校現場が活性化されるような気がします。
「6年制化」というと専門を狭く極めたスペシャリストの養成を連想しがちですが、日本の教育現場に必要なのはむしろ人材の多様性ではないかと、個人的には思ったりします。
医療の世界には、多様な専門家がチームで医療を行う「コ・メディカル」という言葉がありますが、閉塞感が漂う教育現場にも、この発想は有効なのではないかと思います。
そんな環境を作る仕掛けになるのなら、教職大学院の強化には個人的に賛成です。
教員免許更新制も修士号の義務化も、単体として海外から「移植」するだけでは、あまり意味を成さず、現場を疲弊させるだけの改革で終わってしまうかもしれません。
例えばアメリカでは、教育現場のスタッフの多様性なども含め、これらすべてを組み合わせて「学校教育」という仕組みをデザインしています(それでも問題は山積みですが)。
日本の学校現場の何が問題で、どのように解決したいのかを考えた上でなければ、いかなる制度も思うようには機能しないのではないでしょうか。
以上、最近の教員養成のニュースを見ながら、そんなことを考えたマイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。
教育マネジメント系の大学院を働きながら終了したものです。
民主党案に内在するのは、
・新規教員の育成
・現職教員の再教育
の二つが絡み合った状態であるという問題でしょう。同じものとして扱うのは問題教員を何とかするという上では30年以上かかることになり非常にマズイ。
本当におっしゃるとおり日本の教育に修士が必要かどうかを考えないといけません。(学位に対するリスペクトは必要)日本独自の養護教諭は短大でさえも実行力のある人を今でも育成しているわけですし。
大学を出てから自主的に学ばない教員がいることを考えると更新制はなくても公的な研修制度はもっとあってもいいと思います。
#今のままの更新制ではダメですけれどね。
教員免許更新制を批判する際に大学で研修を受けたってどうにもならないと批判していたのであれば、そういう「無駄」なことをしている大学での教員養成を六年にするとコミットすることは、論理矛盾を起こしていますよね。
個人的には、教員養成を六年にするといった際に、修士卒という「学歴」がでてきたことに強い違和感を覚えます。問題は学歴ではなく、何を学んだかであり、学んだことで何ができるかです。
各国の教員養成制度の比較を見てみても、年限は当然比較されていますが、いわゆる座学なのか、それとも実習なのかで違いはありますし、また年限のうち何年間教育学を修めているかにも違いがあります。
政治の事情からそういう考えがでてきているのでしょうが、教員を志す学生にとっては、収入が得られるのが先になってしまうわけですから(また一般就職の機会もなくなりますしね)、非常に冷たい姿勢なんだろうと見ております。
大学院といってもその内容はピンからキリまでありますし、この社会情勢からいって大学院までいって教員になるという人たちがどこまでいるか疑問です(特に理数系…)。まずは何でもかんでも教員に持っていく体制自体を変えなければどうにもなりません。
それならば現行で一年間となっている初任者研修の期間を三年間とし、二年間を大学院での研修にあてるとした方が健全のように思います(つまり長期研修の枠組みに入れてしまうわけです)。公教育を支える人材の養成に、大学院までの費用を出せというのがそもそもピントがずれてます。どうしてもやるなら、大学の費用を大幅に減額することですね。話はそれからです。
教員免許更新制度についてはよくやったといわざるを得ません。あれは天下の悪法です。