学校への寄付、教員への謝礼金

とある大学の付属高校を卒業しているマイスターです。

大学の付属校でしたから、内部推薦という仕組みがありました。というか、その高校の生徒(とその保護者)は、程度の差はあれ、内部推薦の仕組みに魅力を感じたからこそ、進学して来ているわけです。

一口に付属校といっても、「原則として希望者は全員入れる」という学校から、「実はあんまり内部推薦の枠がない」という学校まで様々ですよね。
また内部進学者の選抜方法も、大学の系列によって仕組みが違うと思います。推薦者用の試験を実施して決めたり、あるいは普段の成績だけで実質決まっていたり。
マイスターが在籍していた学校では、<普段の成績+推薦者用試験の結果>で選抜されていたようです。マイスターは内部推薦を受けなかったので、詳細は知りませんが。

そうそう、もう一つ、内部推薦を受ける条件がありました。
学校に対し、最低25万円以上の寄付をすることです。

学校のパンフレットなどではまったく触れられていないこの条件。
2年生への進級を前にし、そろそろ文系・理系を決めるかというくらいのタイミングで突然、保護者に告げられるのです。
形式上、強制ではないのですが、「系列大学に進学される方は最低5口以上の寄付をお願いします」(※1口=5万円)と言われれば、そりゃ、保護者は寄付しますよね。

マイスターはその話を知った時、「寄付って、そういうものなのかなあ?」と、腑に落ちない思いを抱きました。

ついでにもう一つ、聞いた話を。

とある、日本の名門大学付属小学校があります。
その学校は「親族に大学のOBがいる児童を優先的に合格させる」というポリシーを持っていると言われており、事実、従来から在学生にはそういう家庭の子が多いのです。そんな「純血主義」が、長く守られておりました。

そんなある年、系列大学から、新しい校長としてある教授が赴任してきました。その校長は、親族の縁故を判定に使う従来の学校運営を批判し、入学時に縁故を一切考慮しないスタイルに切り替えました。
世間からの評判は上々でしたが、数年後、その教授は校長の任をおろされることになります。一体なぜか。

「寄付金が激減したから」です。

聞いた話ですから事実かどうかはわかりませんが、十分あり得る話だとマイスターは思いました。

大学の経営を論ずる時には必ずと言っていいほど、「寄付金収入を増やすべし!」という意見が出ます。マイスターもそれに異論はないのですが、ただ、非営利組織への寄付金っていうのは、その組織に対して、

「あなた方の活動は社会の中で不可欠であるから、ぜひ今後も継続していって欲しいです」

という支持を表明するためのものだろう、という思いが個人的にはあるものですから、先述したような、「自分の便宜を図るために行う寄付」「その学校の仕組みとして、最初から組み込まれている寄付」というのには、なんだか抵抗を感じるのです。

世の中で必要と思われている企業はマーケットの論理に従って自然にお金を集められるから生き残るし、人々から必要でないと判断された企業は淘汰される。市場主義、資本主義の良い点は、ほっといてもある程度、資源が最適に分配されるということでしょう。

でも非営利組織にはそういうメカニズムが働きにくい。だから、「寄付」という行為で、支持、不支持を表明することが大切なんじゃないのかなぁ、と個人的には思うのです。もちろん、実際には寄付の役割はこれだけじゃないのだろうけど、こういう機能も大事だと思うのです。

「内部推薦を受けたい人は、寄付をしなさい(半強制)」なんていうことをやってしまったら、仮に在学生達がその高校の教育に満足していなかったとしても、寄付が集まっちゃうじゃないですか。ねぇ。
そうやって集めた万単位、億単位のお金を、「本学は、こんなに寄付を集めました」という形で喧伝しているのは、なんだかおかしいなと感じます。

アメリカの場合、税制の関係もあって、企業や個人が納税という形で国を通さず、直接非営利組織などに寄付をするということが比較的活発に行われているとよく聞きます。そういう場合にはまだ、

「税金で持って行かれるくらいなら、自分で、寄付する団体を選ぼう。さて、ではどこに寄付しようか? なるべくなら、社会に貢献してくれるところがいいだろうな」

…という考えでの行動を選択しやすいのではないかな、なんて思います。
(日米の税制の違いと、非営利組織の活動の活発さの関係を説明する文章は様々な所で目にしますが、マイスターもざっくりとしか理解していませんから、詳しくお知りになりたい方は、もっと詳しい専門家の本を読んでいただいただければと思います)

寄付について、そんなことを普段から考えているのですが、なかなか、これが理想という寄付の在り方、寄付の集め方までは思い至りません。寄付ってなんだろう、何のために行うんだろう、と考え続けています。

学校に対する正統な寄付行為ですら、このようにわかりにくいものですのに、

「教授個人への謝礼金」

なんてのになると、もう、マイスターの理解の範疇を超えてきます。

【教育関連ニュース】—————————————-

■「『謝礼』渡したのに卒業できず 埼玉医大に返還請求」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0411
/TKY200604110334.html?ref=rss

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この報道、何から何まで、マイスターの理解できる常識の範囲を超えています。
記事を読んで、

「なんだか、やたらお金が動いているなぁ」

という印象をマイスターは持ちましたが、みなさんはいかがでしょうか?

専門課程の在籍上限年数を過ぎた96年夏の追試にも合格せず、自主退学扱いとなった。
(上記記事より)

といったら、そりゃあ退学処分になるよなと思うのですが、

同年12月に退学を知った母親が、未納だった学費計約2360万円を全額納めたと抗議したところ、翌97年2月に処分がいったん撤回された。
(上記記事より)

…と、撤回されるのがまず理解できません。
いくら学費をちゃんと納めていても、この場合、ダメでしょ…。

同月末、教授らから「卒業でよかったね」などと声を掛けられた母親は、男性の卒業が決まったと思い込み、理事長と教授ら3人に「卒業を認めてくれたことへの謝礼」などとして現金100万~200万円を渡した。
しかし3月、大学側から「卒業は翌年に延ばし、形だけの復学試験を受けてほしい」と言われ、男性は99年まで試験を受けたが合格せず、04年になって、97年当時に除籍処分になっていたことを知ったという。
(上記記事より)

「卒業を認めてくれたことへの謝礼」という名目で100万円単位のお金が登場するのもなんだかヘンですが、その後に出てくる「形だけの復学試験」というシロモノもまた、マイスターにとっては、理解不能なシステムです。

最高裁まで審理が行われたようですから、その過程を詳細に見ていけば、どういう論理で決着がついたのかわかるのでしょうが、

学費を支払うと、退学処分が撤回されるとか、
謝礼金を支払うと復学試験が受けられるとか、

なんだか、「大学におけるお金の役割って何?」と、考えさせられる報道です。
私立大学の医学部では、こういうのって、当たり前の風習なんでしょうか?

同大学広報室は「すでに最高裁まで争って大学側の勝訴で決着しており、改めてコメントすることはない」との談話を出した。(上記記事より)

と記事にはあります。法的に問題はないと言われているのだから、大学としてコメントすることはない、ということですね。ということは上記のような(マイスターには理解できない)お金に関するシステムの数々は、埼玉医大の中では別に異常なことではないと普段から認識されているということでしょうか…?

なお、この最高裁まで行われた裁判というのは、「退学処分の無効」を求めたものだったわけですから、謝礼金の返還とはまた違う問題である気がしますけれど…。
法律に疎いマイスターだってそりゃ、「お金を受け取った以上、在籍年限をオーバーした学生も卒業させなければならない」なんていうウルトラCが法的に不可能だろうってことは、なんとなくわかります。

で、今回の謝礼金返還うんぬんなのですが、大学は

「あくまで教員個人への寄付という認識であり、卒業させることへの見返りとして受け取ったわけではない」

という論理をつらぬくのかなぁと、法律の素人なりに想像します。

こんな報道を目にしたので、

寄付って何のためのもの?
謝礼金って何のためのもの?

…と、改めて考えてしまったというわけでした。

マイスター、これまで多くの先生のお世話になってきています。
それぞれの先生に感謝しているのですが、一度も「謝礼金」は支払ってません。
感謝を表す方法については、もっと良い方法が他にいくらでもあると思うからです。

やっぱり、学校に(学費以外の)お金を渡すには、その大学の社会的な貢献度に対する支持として、渡したいよなぁと思った、マイスターでした。

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(2006.0412追記)

↓こんな記事も見つけました。
■「埼玉医大理事長ら提訴 元医大生の母親 『卒業御礼』返還求め」
http://www.chunichi.co.jp/00/stm/20060412/lcl_____stm_____003.shtml

1 個のコメント

  • いつも貴重な情報をありがとうございます。
    寄付に関しては、私の在籍している仏教系大学では同窓会(寺院の方が中心)からの寄付がかなりの多額のようです。同窓会が資金源になっている大学は多いんじゃないでしょうか。額については一般と違う感覚もあるかもしれませんが、純粋に大学の将来を思っての寄付といっていいと思います。息子が入学できなかったら不満の種にはなるかもしれませんが、寄付をしたから入学させろ、とまで言われることはありません。まあ常識的な倫理観の中での話しです。記事にあったような状況はちょっと常識はずれのように思います。医学部関係だと違う感覚があるんでしょうか?