マイスターです。
アメリカなど海外の大学では、授業の数に合わせて授業料を徴収する従量課金制が少なくないと聞きますが、日本の大学では一般的に、学費は年額。
1単位足りずに留年した場合も、それまでと同じ年額の授業料を求められるケースが結構あります。
(最近は半年で卒業できる大学も増えていると思いますが)
学費を気にせず好きなだけ学べるという点は、意欲のある学生にとっては大きなメリット。
しかし経営という面で考えると、かなりの「どんぶり勘定」ではないか、という指摘もよく聞かれます。
「大学冬の時代」ということで、受験生を増やすために努力をする大学の話はよく耳にしますが、「受講生ひとりあたりに対してかかっているコストを、授業ごとに算出してみた」といった類の話はあまり聞きません。考えてみると、ちょっと不思議な状況であるようにも感じます。
では、コストを算出すればいいかというと、そこからまた悩むところです。
例えコストがかかっても、必要な教育はあります。コストが高い授業をなくせばいいというわけではないでしょう。
経営的なバランスをとりつつ、必要だと考える学習環境には投資をする。
そんな判断が、これからの大学には求められることになるのだと思います。
さて、今日はこんな話題をご紹介したいと思います。
【今日の大学関連ニュース】
■「琉球大学 講義半減に学生反発/09年度 見直し要請へ」(沖縄タイムス)
琉球大学が二〇〇九年度入学者対象のカリキュラム編成で、英語など語学科目の講義数が半減することに学生らが「授業料は変わらないのに、講義数が減らされるのはおかしい」と反発。カリキュラム編成の見直しなどを求めることが十二日、分かった。来週初めにも大学側に要請するほか、十七日には学内で学生へのアンケートや署名活動などを展開する予定。
〇九年度入学の新カリキュラムでは、英語など外国語の単位数は変わらず、講義数が約半数に減らされる。同大三年の持木良太さんは講義数の減少について「今の講義数でも足りないのにこれ以上減られると、語学学習が難しくなる」と切実だ。
(略)非常勤講師の男性は年収約二百万円程度から講義数減で五十万円以上収入が減ると訴え。「家庭を持って年収百五十万円で生活するには厳しすぎる。大学側はコマ数は半減でもレベルは現状を維持するために工夫してと言われても、無責任な精神主義で限界がある」としわ寄せは学生に来ることを語った。
語学科目の講義数削減で、同大は年間約二千五百万円の削減を見込んでいる。
(上記記事より)
琉球大学についての報道です。
語学科目の講義数が半減するとのこと。
それに対し、学生や非常勤講師から反発の声が上がっているそうです。
琉球大学に限らず、語学系の科目は、非常勤講師が担当しているケースが少なくありません。
経営側から見れば、講義を開設するごとにひとコマいくらかかる、という計算です。
したがって講義のコマ数を減らせば、それだけコストがカットできるというわけで、今回の半減も当然そんな判断からでしょう。
ちなみに大学で講義を持っている非常勤講師に支払われる授業料というのは、あまり多くはありません。
大学にもよると思いますが、一般に、語学科目を担当する場合、それだけで生活していくのは楽ではないと思います。
そんな講師達にとって、コマ数半減というのは死活問題です。
(なお大学では、今くらいの時期から次年度に向けて時間割を確定させていきますが、2~3月頃になると、授業を担当することになっていた非常勤講師から次々に辞退の電話がかかってきます。非常勤ではなく、常勤の職を他で得たためです)
学生側からも、「授業料が同じなのに、講義数が減るのはおかしい」との意見が出ているようです。
この報道を見て、ちょっと考えてしまいました。
この場合、講義数が減るというのは、学生にとってどういった意味を持っているのでしょうか。
■当たり前ですが、大学設置基準の規定に従えば、ひとコマ15回という講義回数は変わりません。
ということはこの場合、「開設されている講義の数が半減し、選べる授業が減った」ということでしょう。
■語学系科目だとのことですが、例えば「学べる語学の種類が減った」のだとしたら、それは大問題です。受けられる教育の幅が狭くなったということで、学生にとってはデメリットです。
■あるいは、同じ語学であっても、「ひとクラスの受講生数が著しく増えた」ということでしょうか。
一般的に言えば、これも学生側のデメリットに繋がります。
語学の場合、ひとクラス15名の授業と、ひとクラス60名の授業とでは、受けられる教育の質が全然違ってくるでしょうから。
ただこちらの場合、現在の受講者状況がどうなっていたかによっても話が違ってくるとは思います。
極端な話、数名しか受講者がいない講義が山ほど林立していたのであれば、整理した方がいいと大学側が考えるのも無理はありません。
■また、同じ語学であっても、授業が開設されている曜日・時限の種類が減れば、学生にとっては時間割上の制約がでてきます。
「本当は受講したいのに、他の授業を受ける関係上、物理的に受講できない」というケースが増えれば増えるほど、学生はやはり不満に感じるでしょう。
ただこちらは、時間割を構成する際の工夫によって、少しでも問題を軽減できる可能性はあります。
すべての学部学科が連携して、授業の設置時間を調整し、学生が最大限、自由に科目を選べるようにすれば、無駄は減ります。
ちなみに琉球大学がどうであるかはわかりませんが、一般に、大学の時間割を組む際は、各学科が基本案をつくり、それを教務課などが調整する場合が少なくないと思います。
その際、教務課の方で全体の整合性を見て、既存のコマの設置時間をずらそうとすると、「私は何年もずっとこの時間で授業をしているんだ、勝手にずらすな」として、既得権益を主張する教員が出てきたりします。
……と、以上のような状況の違いによって、「講義が半減した」という事実の意味も、大きく変わってくるのではないかと思うのです。
「今の講義数でも足りないのにこれ以上減られると、語学学習が難しくなる」……という学生の声が冒頭の記事では紹介されていますが、この「足りない」というのはどういう意味なのか、気になるところです。
講義の数が増えれば、学生の選択肢は拡がりますし、非常勤講師の働き口も増えます。それは当たり前です。
ただ、だからといって教員側の意見だけを採り入れていては、これから大学が置かれる状況下において、経営は成り立ちません。
それに、授業が多ければ多いほど教育の質が上がっていくかというと、そういう単純な話でもないように思います。ひとクラスあたりの受講生数が多すぎてはいけませんが、少なすぎても、ディスカッションなどはできません。
授業ひとつひとつの目的や、求める成果にあわせて、適切な人数というものがあるように思います。要はその状態にどれだけ近づけられるか、ということではないでしょうか。
そのあたり、琉球大学の現状が知りたいところです。
またせっかく開講されていても、受講できない学生が多かったり、カリキュラム全体におけるその授業の位置づけが適切でなかったりすれば、やはり良い状況とは言えないでしょう。
受講人数が少ないのであれば、学生側に受講を促したり、あるいは他の授業と組み合わせてより効果的な教育効果を狙えるケースもあるかもしれません。
このようなことを判断しながら、バランスを見て時間割を最適な状態に近づけていくことが、大学側が考えなければいけないことだと思います。
講義が半減した、ということだけでは、良いか悪いかは断定できないように思うのですが、いかがでしょうか。
以上、記事を読んで、そんなことを考えたマイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。