転職前は、ボーナスも、残業代もない企業で働いていました。「ベースアップ」なんてものもありませんでした。
そのため、新聞の「ベア要求」の意味が最初、理解できませんでした。
というより、それ以前にあの会社、労組がなかったしなぁ。
管理職2人、社員3人だったもんなぁ、そりゃ、労働争議もしようがないよなぁ…(遠い目)。
昨日の記事
・「校長先生の年金は次官並み・財制審が教員給与見直し提起」
http://app.blog.livedoor.jp/shiki01/tb.cgi/50077468
で、「教員の給与は高い?」というテーマを扱いました。
で、ちょうどいい機会なので、普段これについて考えていることを、もう少し書き加えてみたいと思います。
「教員の給与は高くない!むしろ、不当に安く、割に合わない」
という意見も、耳にすることがあると思います。
実際、昨日の記事でも、そうしたコメントやトラックバックをいただきましたし、雑誌や新聞の記事でも、こうしたトピックは、たまに取り上げられます。
「割に合わない」と言う意見の根拠は、ずばり、以下です。
○教員には、残業手当が付かない。しかし、残業をしなければならないのが業務の現状であるから、割に合わない
そうです。
教員には、残業手当がないのです。
イマドキの言い方で言えば、年俸制(?)に近いのかも知れません。
時代の先端、走ってますね、センセイ方。
で、教員には残業手当がありませんから、残業をさせてはならないということになっています。
正確には「職員会議」、「災害時」、「修学旅行などの学校行事」、「実習」以外の理由での超過勤務を禁じるというもので、これを業界では「歯止め4項目」なんて言ったりしてます。
世間にあまり知られていない事実です。
(「歯止め」という言葉で検索すると、教育関連のニュースばっかり出てくるのが、なんだかなぁって感じです)
一般行政職に残業代があって、教員にない理由は全く不明です。
マイスターには、そのへんの違いが全く理解できません。
形骸化した日本的馴れ合い経営の結果なのか、建て前と本音が離れ過ぎちゃった結果なのか。
まぁとにかく、公立学校の教員に、残業代は出ません。
マイスターも、一般企業にもかかわらず超過勤務ゼロの企業で働いていましたから、気持ちはようくわかります。
すると当然、
「じゃあ、本来定時にあがれるはずの勤務体系になっているはずじゃないか。なんで残業なんかしてるの?」
という疑問がわきますね。
その理由は、こうです。
○教員は、授業以外の様々な校務を行っているし、行わざるを得ない状況にある。その分、長く働かざるを得ない
校務ってのは、
たとえば学級日誌を発行したり、プリントを採点したりといった授業に関することだけでなくて、
本当に、本来の学級活動に関係のない業務です。
部活動や生徒会の顧問、
生徒の指導、
学校内に貼り出すポスターの作成、
その他、学校内で行われるあらゆる業務です。
地域に関する活動、なんてーのも、含まれているかも知れませんね。
で、
「俺たちゃ、こんな仕事もいっぱいやってんだ。苦労してんだ。
だから、給与が低い!なんて言われるのは、心外だ!」
となるわけです。
これが、教員の現状です。
ここまで読まれて、おう、なんだ、教員も大変だ。
じゃあ、現状維持で。
と思われる方もいるかも知れませんね。
でも、マイスターは、なんだか余計にアタマをひねってしまうんです。
ちょっと考えただけで、以下のような疑問がわいてきます。
○なんで校務を全部、教員がやっているの?
○校務のせいで残業できないくらい忙しいのなら、教育力、指導力を上げるための努力は、いつしているの?
○校務の合理化はしているの?
○残業代が出ないなら、成果を出した人に対して、どういう形で報いているの?
○「自分たちにそれを決める権限がない」んだとしたら、決められるようになりたいと思う?
マイスターは学校のガバナンスに関する修士論文を書いたこともあって、こうした「現場は苦労してんだよ!」という声は、スンナリ受け入れられません。
ゼロから地域の方と一緒に学校を作り上げて、すばらしい教育をしている異国の教員達を知っています。同じように日本の公立学校で日々の業務をこなしながら、現状を変えるべくNPOを立ち上げたり、新しい学校を作ろうとされたりしている教員達も知っています。
マイスターの感覚からすれば、現状の忙しさにかまけているだけの教員が特殊で、具体的な解決策を実行しようとするのが、普通なんです。
そんなわけで、上記であげた疑問です。
まず、なんで校務を教員が全部やっているのか?
事務員に頼むか、そうでなければ、地域のボランティアはいないのでしょうか?
いなければ、学校が主体となって、NPOを組織すればいいと思うのですが、そうした試みはしているのでしょうか?
「NPOなんてつくれない」
「ボランティアを呼んでも、来やしない」
という声が聞こえてきそうですが、それは、やり方がまったくわかっていないだけです。
校門の前に手書きのポスターを貼っただけで、募集している気になっていませんか?
欧米では、「Social Marketing」という非営利組織のためのマーケティング理論が発達しています。
たとえばアメリカの教員達は、学部の教養課程在籍時や、就職後に社会人として通う大学院で、そうした理論を学び、そうした知識を使って受験生を集めたり、学校の広報活動、PR活動を行ったりしています。
社会への貢献度をアピールし、ボランティアを集めるなんてのも、お手の物です。
そうした取り組みのために、ことあるごとにパーティーを主催したりもしますよ。
また、学校を支援するNPOなんてのも、あっさりと作ります。
アメリカでは、その手のNPOがあふれています。
単独で作るのに抵抗があるなら、地域の数校が主催して、ひとつの共同NPO組織を作ってみてはいかがでしょうか?
最初は、かえって業務が増えると思いますが、やり方次第で、すぐに手を離れます。
で、NPOと学校で、お互いに対話をして協力しあい、ときには厳しい批判もしあって、地域の教育をよくしていけばいいのではないでしょうか。
これは、保護者にとっても、生徒にとってもメリットがある話だと思います。
日本の学校関係者がそうしたことをしないのは、残念ながら、職員室にそうした気概を持っている人が一人もいない非常に少ないからです。
ポスターを数枚貼って、「ボランティア、来ませんなぁ」とつぶやきあうだけの人、それが日本の公立学校教員の姿です。厳しいことですが、本当にそうです。
残業代が出ないのは気の毒ですが(っていうか、そんな企業は日本にいくらでもありますが)、出ないなら、残業を減らす工夫をしてみることをオススメします。
なお欧米の教員達は、授業に関する業務だけをしていて、日本のように余計な雑務はしていないんだと言われますが、マイスターがアメリカで見てきた限り、必ずしも、そうではありませんよ。
自分たちで学校を作り上げてしまった教員達なんて、日本の教員とは比較にならないくらい、校務だらけです。
何しろ損益計算やAnnual Reportの作成など、経営に関わることまで自分たちでやっているわけですから、その忙しさは驚異的です。
でも、上記のようにNPOを設立して地域の協力を引き出す努力、ITソリューションや、アウトソーシングを利用するなどの工夫によって、うまく時間を作っています。
で、その時間を使って、大学で行われる研修に参加して修士号を取得したり、
学会で発表したりしているのです。
日本の教員達は、校務におぼれて、本来の担当業務である「教育力」を伸ばす自己研鑽を怠っているのですから、なんだかもったいないと思います。
校務をちゃんと合理化しているの?という疑問も、以前から持っていました。
学校内で行われる校務、とってもムダが多いような気がします。
学校教員のITスキルがいまひとつ低いこともあって、特に情報の公開や配信などにムダが多く見られます。
まずはブラインドタッチでパソコンを使えるようになって、
それから、手始めに様々なプリントをテンプレート化してみてはいかがでしょうか?
たとえばかのリクルート社では、社内のコンテンツ共有が積極的に進められていて、企画書の類に貼り付けられる絵やグラフなどは、全社共通のデータベースに入っています。
ビジュアルが多く、説得力に富む企画書も、そうしたコンテンツ共有のおかげで、わりと短時間で作成できるそうです。
(もちろん、企画の内容は自分で考えないといけませんが…)
学校の教員は、すべてにおいて、「自分の学級に関することは全部自分でやる!」という独立心、悪く言えば個別にタコツボ化した社会に住んでおられるようです。
そのため、隣の教員がどんな授業をやっているか、一度も見たことがないという異常な事態も生まれており、社会問題化一歩手前くらいの状態になっています。
プリントなどの制作物に関しても、たぶん同じなんじゃないかと推測しています。
隣のセンセイと、学級日誌の素材を共有化するなんて、おそらく考えたこともないのではないでしょうか。
こうした工夫にちょっとアタマを使うことで、かなり、授業以外の部分は楽になりますよ。しかも、年を追うごとに、こうした工夫は効果を発揮していきます。試してみる価値はあると思います。
もしかして現状、日々かなり無駄な業務に時間を費やされているのではないかと、いささか心配です。
残業代がないのなら、どうやって教員の成果に報いているの?というのも、不思議です。
しかも年功序列で終身雇用だなんて、そんなガバナンス、あり得ません。それでは、誰も努力しなくなります。
給与で差がつかないなら、より大きな権限や裁量権を与えるのが、普通の発想です。
がんばった若手社員を委員会の長に据えたり、
会社改善企画のプロジェクトリーダーを任せてみたり、
そんな、モチベーション向上のための工夫を、普通はします。
でも、マイスターが伝聞で知る限り、学校の職員室は年功序列で閉鎖的な村社会ですから、こんな「若手を重用する」なんて発想は皆無でしょう。
「その歳で意見するなんて、10年早い。もっと苦労してみたまえ」
「下積みをして、みんな教師になったんだ。生意気はいかん。職員室の調和を乱すつもりか」
「○○センセイも、△△センセイも、みんなおなじようにがんばっておられるのだから、キミも甘えたことを言ってちゃイカン」
なんて感じで、同質でいることを強要されそうです。
上述した、「NPO設立」なんてアイディアを若手が出しても、
「そんなバカなことを言っているヒマがあったら、教育に専念せんか!」
なんて怒られそうです。
…自分で書いてて、嫌になってきました。だって、本当に、日本中の学校でこんな会話が行われていそうなんですもん。
こうしたところの改善は、現状の学校組織の中で実現できることです。
給与とは関係ないところでモチベーションを上げられます。
給与が上がらないなら、モチベーションの高さで勝負!
若手にかかわらず、やる気のある人にはどんどん責任ある仕事をまわすことで、評価してあげてください。
でも、給与に関係なく、はなっから責任ある業務をやりたくない、プロジェクトリーダーなんかに興味がない人には、残念ながら効果がないのがつらいところです。
学校のセンセイは、「こつこつ真面目にやっていればいつかいいことがありそう」タイプが多そうですから、こうした野心や起業家マインドを満たす試みには、興味をもたれないかも知れませんね。
で、疑問の最後、「自分たちにそれを決める権限がないんだとしたら、決められるようになりたいと思うか?」です。
マイスター、これまで好き勝手に「もっと工夫しろ、努力しろ」ということを書きましたが、おそらく教員達からは、
「そうはいっても、俺たちにそれを決める権限はないんだ!」
という声が返ってきそうです。
ここで、ようやく昨日の本題に戻るのです。
だからこそ、教育に関する予算を、地方で握らなきゃいけないんじゃないか!
ってことでしょ?
予算と、あらゆる人事の決定権を地方に、ひいては学校それぞれに引きずりおろすことで、教育支援職員を雇用したり、ボランティアを組織したり、NPOを作ったりということは、より容易になると思うんです。
それが、普通の論理展開だと思います。
(10/24追記:
正確に言うと、「起業家マインドを持っている人にとっては普通の論理展開」です。
流行の言葉で言えば、「問題発見・解決型」の人という言い方もあるかも)
そうマイスターは思うんですが、昨日ご紹介した毎日新聞のメルマガにあるような
- 中教審の答申を待つまでもなく、文科省をはじめ各教育団体、現場教師、PTA団体からも「制度維持」を求める声が上がっていた。その理由は、義務教育費国庫負担制度が無くなれば、財政事情の良くない自治体の教育が貧弱になり、憲法に定められた「教育の機会均等」や「義務教育の無償制」「義務教育の水準の維持」が損なわれるというものだ。-(矢倉久泰氏「<視点>国は義務教育費をどうするのか」より)
なーんて記事を、何故か見かけてしまうのです。
この記事の内容が本当なら、現場教師やPTAは、文科省におカネを握っていて欲しいのですねー。
理由は、「不公平だから」ですか。
マイスターには、現場教員とPTAのみなさんにこそ、メリットがあるような気がするんですが…。
裁量権と予算が自分たちのところに来れば、
「この資金で、誰よりも素晴らしい教育を実現してみせる!」
と思って切磋琢磨できるだろうと思うのが、起業家マインドなんですが、教員のみなさんはそうでもないみたいです。
結局、学校のセンセイ方がどうして欲しいのか、
どうすればもっと理想の教育を実現できると思っているのか、よくわかりません。
学校の合理化をしない、オープンな組織にしない背景にはたぶん、
「忙しいけど、学校のことは、自分たち以外にできないんだ!」
という教員達の思いがあるのではないかと思います。
それはかっこよく言えば使命感ですが、悪く言うと、
「自分たちの仲間(同僚)以外は信用してないし、ソトと交流とか交渉とかしたくない」
というちょっとねじれたプライドと、閉鎖的なムラ意識です。
その結果、自分の指導力アップのために大学院の授業を受けたり、
外部で授業を見学したりする機会を失っているのですから、
私達一般生活者にとっても、笑えない話です。
こうしたものを無くして、合理化のための工夫、
指導力をアップさせる努力をしてないのだとしたら、
給与をどうこうというのは、ちょっと社会の反感を買いそうですよ、センセイ方。
以前から書いているとおり、
一般企業は、合理化と、生産力アップ、サービスの向上をいっぺんに成し遂げ、
バブル崩壊後の不況を乗り切ったのです。
「忙しいから、そんなことを考えている余裕はないよ!」
なんていっている会社は、消費者の支持を失い、軒並みつぶれたということをお忘れなく。
以上、長くなりましたが、普段、特に公立小中学校の教員について思っていることを書いてみました。
ちなみに、ワタミグループの創立者にして、郁文館学園の理事長でもある渡辺美樹氏は、こうした教員のていたらくについて
「教師とは聖職だ!
こうした苦労を自ら進んで、喜んでできなくてどうする!」
といったことを書いておられます。
さすがお客様第一主義で大企業を作り上げた起業家らしい一言。
マイスター以上に無茶なお言葉です。
・『さあ、学校をはじめよう―子どもを幸福にする青年社長の教育改革600日』
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/25081586.html
マイスターはそこまでいいませんが、もうちょっと、能率を上げる工夫をしてみてはいかがでしょうか。
能率を上げる努力をしない人たちに、税金で残業代をあげるなんていったら、そりゃ国民も恐怖しますって。
もちろん、教員のみなさんからすれば、
「もっと楽で、ムダで、高給をもらっている公務員がいる!」
という思いがあるかも知れません。
マイスターの感覚は、あくまで「民間企業と比べて」です。
公務員同士の複雑な関係はよく知りません。
教員が、社会から直接的に期待されている職業だから、こうして社会的に議論になっているんだろうと思います。
天下って退職金をがっぽりもらうような他の公務員の方のことは、忘れてがんばってください、教員の皆様。
ちなみに今回書いたことのうちいくつかはは、大学教員についてもあてはまります。
事務職員の業務を高度化し、権限を拡大させれば、普段
「無駄な雑務が多くて困っちゃうよ」
なんてこぼし合ってる大学教員のみなさまは確実に楽になり、より教育と研究に専念できるはずなのですが、事務職員への権限移譲に強靱に反対するのが、他ならぬ教員達です。
学校の校務は自分たちにしかできない業務であって、事務職員は信用できない、ジム屋になんか任せられないと考えているのでしょう。
なんだかなぁ。
教育は単なる商品ではないから、生産効率やコストパフォーマンスだけで考えるのはよくないけど、
でも、
能率についての議論をせず、思考停止してしまうのも、
それはそれで大きな罪なんじゃないかと思うマイスターでした。
またまたお邪魔しました。やはりマイスターさんのおっしゃることは、世間一般の認識から見るともっともだと思います。
私も長い間、学校や教員を相手にした仕事をしているので、物事の見方が教員よりになっています。やはり、自分の立ち位置を常に見つめなおさないと。
しかし、世間の常識が通じない部分が公立学校という仕組みにはあることも事実です。例えば、「成果にどうやって報いるのだ」という常識的な疑問も公立学校では、「教育に対する能力や成果をどう判定するのだ」「つまらん管理職や行政の偏った評価など受けたくない」という声のほうが多いのです。社会の常識が通じない学校が悪いのか、それともその特殊なシステムを維持した方が公立学校教育のためによいのか、、、、じっくりと考えてみたいと思います。
はじめまして。トラックバックありがとうございます。おっしゃるように学校にはまだ業務などについて改善すべき点があると思います。浜之郷小学校などはそれを行っている良い例だと思います。
実は、私は知り合いの大学の教授と教師を支援する組織を立ち上げたいという話をしています。教師を支援してくださる人材を大学や行政も巻き込んで育成するとか、総合的な学習について支援するなどを考えています。
そういう取り組みなどを通して親も積極的に関わっていくことが必要だと思います。教師や学校と対立したり、学校や教師の下請けのようなものではなく一人の成員として関わるという形で。
学校や教育への関わり方をどうするか。これを機会にそういうことを問うのも良いかもしれない。そう思います。
カラさん、マイスターです。
昨日、今日と、コメントありがとうございました。
カラさんからの昨日のコメントをいただいて、これは自分も、もう少しよく考えてみなければ、と思い、今日の記事を書いてみた次第です。
けど私も、結局のところは、どういった状態が公立学校にとって望ましいのか、まだわからないでいます。
私は直接、公立学校の内部で働いたことはありませんが、日本の公立学校の教員で、アメリカなど諸外国のことに詳しい方々の知り合いがいますので、色々と教えていただき、そのたびに、考えさせられています。
学校のみなさんも、試行錯誤され、悩まれているのだと思います。
私個人としては、そうしたみなさんに権限を引き下ろしてくることが、教員のみなさんの力を最大限に活かす道なのかなと思うのですが、果たして実際はどうなのか、なんとも言えません。
私も、今後も考えてみたいと思います。
また、コメントなど、ご意見いただけますとうれしいです。
kaikaiさん、マイスターです。
コメント、ありがとうございます。
大学の教授と教師を支援する組織を立ち上げようとされている、とのこと、大変すばらしい取り組みだと思います!
ぜひ、大学を積極的に巻き込んで、ご活用ください。
親に、一人の学校の成員として参加してもらう、という理念にも、強く共感いたします。
何かできることがあれば、応援させていただきたいと思います。
なお、かつてアンケート調査を行ったことがあるのですが、アメリカの公立学校の一種「チャータースクール」では、学校のガバナンスに保護者が関わっているという例が、少なからずあるようです。
やり方は学校によって様々だと思いますが、kaikaiさんのところも、うまく成功されることを祈っています!
TBさせていただきました。
ついでに、良い先生には、ずっと同じ学校でがんばってもらいたいです。転勤が多すぎます。先生の方だって、学校に愛着を持って仕事をしたいでしょうにね。
カラさんのブログから来ました。
はじめまして、東京都の小学校教員のyoです。
このエントリーを読ませていただき、非常に勉強になりました。
本当はコメントで返すのが筋ですが、長くなったので、自分のブログに記述しました。
マイスターさんの文を引用して、自分なりに考えをまとめてみました。
失礼だったら削除いたしますので、お知らせ下さい。
いつも読ませていただいております。マイスターさんの言葉がどこまで世間に届くのかって思います。教育というものは物を売る商売でないので評価というのは難しい。自分が評価する立場に立ったら何をどう評価するのか。って考えてみれば、その職を選んだ時点で覚悟できてるはずですよね。サービス残業が良いとは思いませんが、時間内に自分ができないのは自分の責任もあるだろうし、それ以上に大変であれば、アウトソーシングを提案するなり。僕が知っている教育に携わる人たちは代案を出せない野党のような気がしてます。
PS これだけの量を書かれるパワーには感心しております。
はじめまして残業手当ての代わりが4パーセントの教職調整額です。
廃止して残業手当にしてもらったほうがむしろありがたいんですが、まさか残業手当がないままに教職調整額をなくすつもりなんでしょうか。
>匿名さん
いやあ、そのまさかでしょう。
今、教育予算は削りやすいとでも思っているのでしょう。
しかも、対教職員予算なら。(今回のように問答なんていらないと考えているのだろうし)
文科省は反論しているようですが、結局は道理ある対応なんて無理なシステムの省庁だし・・・。
こんばんは。THE義務教育のワタナベです。トラックバックありがとうございます。「教員給与引下げ報道に関して」のTBセンターを日本ブログ村の教育ブログページに作りました。http://education.blogmura.com/tb_entry50760.html
是非トラックバックしてください。いろいろな意見を一同に集めて、みんなでいい方向に考えていくことを望んでいます。
マイスター 様
興味深く読ませていただきました。今回が初めての訪問です。公立学校の教員をして20年以上が過ぎました。
「教員の給与は高くない!むしろ、不当に安く、割に合わない」とは正直思っていませんよ。なぜなら他の職業に就いたことがないので比べられないのです。(よく教員は世間知らずだって言われますしね)だから,給料単体だけで言えば一般行政職と同じになっても構わないと個人的には思います。ただし,「給料体系は同じにするけど,残業手当は支給しない」とは言わないでくださいね。
マイスター様 ②
ただし,「教育の使命」と言うことを考えると,本当にそれでいいのかとは考えます。優秀な人材を集める一つの手段が給料です。新卒の4月,給料は手取りで10万円を切っていました。3月は大学へちゃんと行っていたにもかかわらず,アルバイトだけで18万円はありましたから,がっかりしました。「社会は厳しいなぁ」と思いましたよ。ところがGWに生命保険会社に就職した同級生と給料の話が出て,30万円超えた?なんて話題になったときはショックでした。家電量販店に就職した同級生も25万とかでしたし。ボーナスとかそれからの給料の増え方とかは全く知りませんから何とも言えないですが,そんなことを大学時代に知ってたら,教員になってたかどうかは疑問ですよね。
マイスター様 ③
さてマイスターさんのご指摘の中に(自分の努めている環境の中では)違うところがありますので,書かせていただきます。
残業の理由が「校務」。部活動や生徒会の顧問、生徒の指導、学校内に貼り出すポスターの作成、が挙げてありますが,何か自分たちの考える校務とは違うような気がします。が,それはさておいて,高学年だと子ども達が4時半頃迄には帰ります。勤務時間は自分の場合17:15までですから45分時間があります。この日ノートを集めていたとしてそれを見て朱筆を入れることにします。一人1分かかるとして40人なら40分でこれでその日の勤務時間は終了。
マイスター 様 ④
しかし次の日の授業の準備に取りかからなくてはなりません。明日は理科の実験なのでその用意をしておこう…きっと小一時間かかります。全ては雑務ではありません。どうしても必要なことです。幸い会議がない日には勤務時間内から始められるので有難いですが,週に2回以上は会議は必ずありますが,そんな時に仕事を始めるのは勤務時間が終わってからとなります。会議や研修,行事があればその提案資料その他の作成もありますよ。○なんで校務を全部、教員がやっているの?
どれも重要な仕事で,人には頼めません。事務職員は学校に1人配置されていますが,もちろん職種が違い,職務が決められています。また,ボランティアにお願いできる内容ではありません。
マイスター様 ⑤
○校務のせいで残業できないくらい忙しいのなら、教育力、指導力を上げるための努力は、いつしているの?
いつしてるのでしょう?研修会はたくさんあります。出張として研修会に参加できることが多いのでこれは恵まれているでしょう。子どもが帰った後は通常はまず学年・教科での打ち合わせをしています。これが努力?授業を行うためには当然努力が必要ですよ。改まってどんな努力?と聞かれても困りますが…。
マイスター 様 ⑥
○校務の合理化はしているの?
しているということになっています。教育の現場では,「一人一人の子どもに合わせて」が重要ポイントですから,昨年度のものをそのまま使用するなんてことは手抜きと考えられがちです。また,子どもは個性を持った生き物ですから,毎年違いますし,進み具合も違います。学年で資料(プリント)を共有することも当然行っていますが,進め方は当然違います。また,教員自身,昨年と同じものは使いたくありません。もっといいもので勝負したいと考えるのが普通の教員です。従って結局は作り直すことになります。当然ですが,ブラインドタッチくらいはできますよ。教員にとってパソコンは必要不可欠な道具です!教室の掲示や配布物を見ていただくと分かりますよ!
マイスター 様 ⑦
○残業代がないのなら、どうやって教員の成果に報いているの?
すみません,この意味がよくわかりません。残業代がなくったってやるべきことはたくさんあるのです。やらなかったら授業ができなかったり,学校の運営がうまくできないではありませんか。やらなくても何とかなるのなら,きっとだれもやりません。
若い人が何か意見を出した時,「その歳で意見するなんて、10年早い。もっと苦労してみたまえ」なんて言う人がいるとは考えられません。教員の中では,年齢も性別もきっと民間の会社ほど重要ではなく,ほとんど平等です。学校の中に管理職は校長・教頭の二人だけで,後は横一線です。新しいアイデアがあれば問題点は検討し,何とかやってみようとするのが普通ではないでしょうか。
例の中にモチベーションとありましたが,教員にとっては子どもの変容や喜んでいる様子そのものが重要なのです。数値ではありません。
マイスター 様 ⑧
○「自分たちにそれを決める権限がないんだとしたら、決められるようになりたいと思うか?」
これについてはさらに意味がわかりません。また,じっくりと検討します。
教員は世間知らずとよく言われます。その通りかと思います。また,教員の常識は世間の非常識ともよく言われます。ただ,これはよくわかりません。どこがそうなんでしょうね!?世間知らずなのでわかりません。その意味でマイスターさんの書かれたものはとても良い勉強になりました。
マイスター 様 ⑨
最初の話題に戻ります。給料が高いかどうかは最初に言った通りに分かりませんが,20年ほど前の基準ではひどいものでした。そんなことはないでしょうがその当時のまま20万円の開きがずっと続いていたら,1年で240万,20年で5000万近くの差が出てしましますよね。(今はどうなんでしょうか?)世の中が不景気で,リストラが横行,長時間勤務,残業手当なし…それなのに教員は恵まれている!との考えが世間では一般的なようです。教員ってそんなに恵まれているとは思えないですが…。
マイスター 様 ⑪
確かにリストラはなさそうです。あとは同じような気がします。朝7:30から勤務開始,6:30迄勤務したとして11時間(ここで3時間の超過勤務),早く家に帰って2時間仕事(合計5時間)。幸い週休2日なので,学校へ行かず,ゆっくりできるので,1日5時間ずつ仕事で10時間(1週間で35時間の超過勤務)。ざっと見積もって1か月に140時間程度は最低でも残業手当無しで働いてますよね。民間の方と比べて著しく残業が少ないとは思われません。それ以下の会社もたくさんあるのでは?ということで,給料に見合っているかと勝手に思っています。(ここのところ毎年下がっていますし)
マイスター 様 ⑫
誤解のないように説明します。1日11時間労働といっても昼休みは?と聞かれるかもしれませんね。そうです。昨年,NTTの方から「昼間で連絡の取れる時間はありませんか?」と聞かれました。勤務中は無理ですねとお答えしたのですが,「では昼休みはいつですか」「子どもの昼休みは○時~○時ですが自分はありません」「…」となりました。教員には昼休みはもちろんありません。(書類上は45分ありますが)厳密に言えば給食を食べている5分間は断片的ではありますが昼休みかもしれません。
長々と書きました。また,良い記事を期待しています。
マイスター様
学校の現場をご存じないようですね。
事務と教員は採用枠も違うし業務も違います。
校務を事務方に・・・ナンセンスでしょう。
行政的な改革になる問題ですよ。
学校支援のNPO?
仮に作ってそれが永続的に機能する保障はありますか?またNPOの重鎮がうるさがた化した時に余計には対応にさらに労力を取られるのでは?
そういう事例はいくらでもあります。
よく調べて修士論文を書いてください。
修士論文を指導する立場から言えば、修士論文は外には出せないものが大半です。博士の学位をお金や名声で出さない大学でお取りになってからこういうことは公に論じていただいたほうがよいのでは?
私は学校教員ではありませんが、マイスター様の主張は現場の先生にあまりにも失礼だと思いました。
またこれを読んだ方が現場の先生に誤ったイメージをもつことも良いとは思いません。
。。。 様
こんにちは、大学教員の方ですか?
私は実際に、教育系のNPOに関わっているものです(マイスター氏が構想されているものとは、少々内容は異なりますが)。
自分は「学校支援のNPO」ですべてが解決するとは思えませんが、一定の可能性はあるかと考えています。
OECDが「Education at a Glance」で指摘しているように、日本の教育現場が疲弊している理由の原因は、教員の労務過剰にあります。それを解決するために何ができるか、案を出している方に対して、あまりに上から目線のご発言ではないでしょうか。
私個人の考えを言えば、行政的な改革の可能性も考えるべき事態だと思いますよ。そういった議論をしている方に対して、「よく調べて修士論文を書いてください。」とは、匿名の場とはいえ、あなたこそ失礼ではありませんか。
せっかくご専門の知識をお持ちであるのなら、建設的な提案をされてみてはいかがでしょうか。
(ちなみに、NPOとして教育現場を少しでも支えようとしている私も、あなたのコメントには少々不快感を覚えました。果たして、教員だけが教育の場をつくっているのでしょうか。これからもそれでいいのでしょうか。そういう問題意識の元で、多くのNPOは努力しています。それをご存じないのでは?)
ちなみにあなたがコメントされたこの記事は2年前のものです。批判や反論をするには、あまりにもタイミングがずれすぎているのではないでしょうか。はっきりとは覚えていないのですが、マイスター氏はその後、長くブログを書かれる中で、あなたがおっしゃるようなことも書いていらしたと思いますよ。
以上、連続投稿、失礼いたしました。