京都教育大学の事件報道:大学とメディア、双方のあり方に疑問

マイスターです。

その組織の本当の実力や、トップの信念というものは、何か重大な問題が起きたときにこそ、問われる。
以前どこかで聞いた言葉なのですが、これに同意される方は多いと思います。

例えば学校で重大な事件が起きたり、不正が発覚したりするケースは少なくありません。
そんな場合、トップが学内外にどのような言葉を伝えるかは、とても重要です。

しかし言うは易く行うは難しで、これが非常に難しい。
ケースによって対応は異なり、絶対の正解がないため、突然殺到するメディアに対し、「とりあえずこう言っておけばいいだろう」といった、紋切り型の謝罪で対応してしまいがちです。

そんな「難しさ」を改めて感じさせる例が、最近もありました。

【今日の大学関連ニュース】
■「京都教育大学集団準婦女暴行事件 大学側、3月3日の時点で把握するも公表せず」(FNNニュース・動画有り)

京都教育大学の学生6人が、集団準婦女暴行の疑いで逮捕された事件で、大学側は、3月3日の時点で把握していたが、女子大生が刑事告訴するまで公表しなかったことがわかった。
(略)大学側は、会見で「大学として、深くおわびを申し上げたいと思います。誠に申し訳ございませんでした」と謝罪した。
また大学側は、会見で「(どうして今まで発表しなかった?)教育的な配慮を優先した」と話し、大学側は3月3日の時点で把握していたとしているが、女子学生が刑事告訴する4月まで、警察にも届けず、公表もしなかった。
大学側は、会見で「公然わいせつ行為として、本学の学生として本分を守らなかった。(強制わいせつじゃないのか?)われわれは(公然わいせつ)、そう思っております」と話した。
調べに対し、竹田悟史容疑者(25)は容疑を認めていて、ほかの5人は「合意のうえだった」と容疑を否認している。
大学側は今も、公然わいせつと認識しているという。
(上記記事より)

京都教育大学の学生が起こした事件については、既に様々なメディアで取り上げられていますので、事件内容の詳細などは省略させていただきます。
事件が報道通りならとんでもない話で、犯行を起こしたグループに対し情状酌量の余地もないと個人的には思いますが、そのあたりの解明や処罰は、現時点では警察や司法にお任せすればいいでしょう。

ここでは、大学側の「対応」や、関連するメディアの報道の仕方に注目したいと思います。
というのも今回の事件は、事件の内容もさることながら、「大学側の対応」により強い批判が集まっているようなのです。

上記の記事にあるように、事件が起きたことを知りながら、学内での処分に留め、警察に届けなかった点。その理由を聞かれても、「教育的配慮」を繰り返すだけだという点が、様々なところで厳しく批判されています。

京都教育大生6人が女子学生に集団で性的暴行を加えたとして逮捕された事件で、大学が女子学生側から被害の連絡を受けながら警察に通報しなかったことについて、塩谷立文部科学相は2日の閣議後会見で「大変問題だと思う。訴えがあったらいち早く警察に知らせるのが大事だ」と批判した。
塩谷文科相は「事件は誠に遺憾で驚いている」とした上で、大学側が「教育的配慮」を理由に学内調査結果などの説明を拒否したことについては「捜査が進んでいる段階なので公表を控えたというのはあるだろうが、逮捕されても明確にしないのはどういうことなのか疑問。しっかり調査し、指導しなければならない」と話した。
「集団準強姦:「大変問題」文科相、京都教育大の対応批判」(毎日jp)記事より)

京都教育大の男子学生6人が、コンパで酒に酔った女子大生を暴行したとして集団準強姦(ごうかん)容疑で逮捕された事件で、1日に行われた同大学・寺田光世学長(67)の会見内容に抗議する電話が2日、同大学に殺到した。職員4、5人で対応に当たったが電話は鳴り続け、事件の反響の大きさを物語った。
他部署まで 午前8時30分から夕方まで、京都教育大学生課の電話は鳴り続けた。その内容だが、逮捕された男子学生らに対するものよりも、1日に行われた寺田学長の会見に対してのものが多かったという。学長は会見で事件を「卑劣極まりない」としたものの、警察に通報しなかったことについて「教育的配慮」という言葉を繰り返すのみ。報道陣との押し問答となった会見は、約4時間に及んだ。
同課によると、この日かかってきた抗議電話の多くは会見に対して「納得がいかない」「意味がよく分からなかった」というもので、同課に用意された4、5台の電話だけでは追いつかず、他の部署にかかってきたものもあったという。
「京教大学長
『教育的配慮』に抗議殺到…男子学生集団暴行事件」(読売オンライン)
記事より)

大学側の対応も批判を浴びている。被害者から相談があり、学内調査で学生を処分したものの、警察には通報せず、公表もしなかった。女子学生は京都府警に告訴していた。
記者会見で大学側は「教育的配慮を優先した」と弁明したが、事件を軽視したと言わざるを得ない。酔った女性を集団で乱暴する行為はもっとも卑劣な犯罪だ。
大学側は「合意の有無が判断できなかった」などとし「公然わいせつ事件」として処理していたとみられるが、集団強姦を「合意」する女性などいない。事件を隠すような対応も言語道断だ。
「【主張】集団婦女暴行 教師の「卵」とは思えない」(MSN産経ニュース)記事より)

この通り、文部科学大臣から一般生活者の方々、メディアの社説まで、大学の対応に問題があったという認識が広がっている様子。

「大学は事件を隠そうとしている」
「大学は事件を軽視している」

……といった印象を持っている方が多いようです。

両方とも正解かもしれません。あるいは、「責任持ってこうした事件を処理する部署やスタッフがおらず、適当に数人で相談などしているうちに、自然に流れた」という要因もあるかもしれません。

そしてもちろん、本当に「教育的配慮」もあったのかもしれません。
まだ報道はされていないけれど、関係各所から話を聞き取った結果、警察も知らない様々な事情を知り、それもふまえて「教育的配慮」を繰り返している……という可能性もあります。
ですから、教育者としての対応が良かったか悪かったかというのは、マイスターには正直、まだよくわかりません。

ただ現在のところ、結果的には、大学の対応は全部裏目に出ているようにも思えます。

また、国立大学法人の教職員のような「みなし公務員」は、こうした事態を告発しなければならないという「義務」があるという話も聞きます。だとしたら、教育的配慮以前に、そもそも公務を扱ういちスタッフとしての基本ルールを守っていなかったことになります。
(マイスターはこのあたりの法律に詳しくないので、ご存じの方は教えてください)

経緯の説明も、曖昧な点は多いです。

府警や同大学によると、事件は2月25日に発生し、大学側は3月3日、被害者の女子学生から相談を受けて調査委員会を設置。同24日、女子学生の保護者に結果を説明し、31日に6人を無期限停学処分にした。
しかし、その後も大学から府警には通報せず、保護者が3月下旬に通報。大学側は6人が逮捕された1日の記者会見で、通報しなかった理由として「教育的配慮」などと釈明していた。
塩谷文科相は2日の閣議後会見で、大学側の対応について「大変問題だった。訴えがあったらいち早く警察に知らせることが大事。もっと早くやるべきだった」と批判。「教員養成を使命とする大学でこういう事件が起きたのは誠に遺憾」とし、会見での大学側の説明について「疑問があり、真意をしっかり調査して指導したい」と話した。
これに対し、大学側は産経新聞の取材に、被害者側が3月に通報したことを挙げて「大学側が改めて通報する必要はないと判断した。あとは警察に捜査を任せられると思った」と主張。
「京都教育大生準強姦事件、対応めぐり文科相と大学が対立」(MSN産経ニュース)記事より)

「(被害者が自分で通報したから)大学側が改めて通報する必要はないと判断した」のか、それとも「教育的配慮」で通報を敢えてしなかったのか。
最初はどう考えていたのか。学内では、どんな対応をするという結論が出されていたのか。
このあたりが、上記のやりとりからは、いまひとつわかりません。

いずれにしても、どういった点が「教育的配慮」なのかを、もうちょっと詳しく説明された方が良かったのだろうと思います。
そうしないと、「教育的配慮」が、あらゆる批判をかわすための便利な紋切り型フレーズとして使われてしまっているという疑惑が残ってしまいます。

ところでマイスターは、今回の事件で、もう一つ気になったことがありました。

京都教育大生6人が集団準強姦(ごうかん)容疑で逮捕された女子学生への暴行事件について、文部科学省の銭谷真美事務次官は1日の記者会見で「教員養成を使命とする国立大でこのような事件が起き、驚きと怒りを禁じ得ない」と語った。「大学には二度と起きないよう努めてもらいたい」と述べ、事件への対応や教育体制を検証するよう求める考えを明らかにした。
「『怒り禁じ得ない』=京都教育大生の集団暴行事件-文科次官」(時事ドットコム)記事より。強調部分はマイスターによる)

事件が報道の通りだったとして、学生達が犯行を起こしたのは、果たして大学の教育が不十分だったからなのでしょうか?

一連の報道を見ていると、

「教員養成を使命とする大学でこんなことが起きた」
→「大学の責任は大きい」

……という論理で大学の責任を指摘しているメディアが少なくないようです。
じゃあ、教育養成系でなかったら、別に良かったのでしょうか。

教員志望者であろうとなかろうと、今回のような犯罪をしてはいけません。
そして、「犯罪をしてはいけない」というのは、国民が共通して知っておくべきルールであり、別に大学教育で初めて教えられることではないはずです。

少なくともマイスターは、そう思っていたのですが、違うのでしょうか。
すべてを大学の責任に転嫁するのは、どうかと思います。

まして、日本の教育のトップである文部科学省の事務次官がこうした発言をされるのは、いかがなものでしょうか。
大学に限らず、児童生徒や学生が事件を起こす度に、全国の教育関係者達がいわれのない責任を追及され、「お前が教育しなかったからだ」とばかりに謝罪を迫られています。
その元にあるのは、すべてを学校に責任転嫁する、こうした姿勢ではないでしょうか。

まるで他人事のような次官のコメントに、マイスターは、驚きと怒りを禁じ得ません。

事件の契機となった体育学系学生の90人規模の追い出しコンパについて、大学側は「把握していなかった」と説明。学生の間では「他専攻の学生に知れ渡るほど有名だった」と言われており、管理の甘さをうかがわせた。
「京都教育大生準強姦事件、対応めぐり文科相と大学が対立」(MSN産経ニュース)記事より)

↑こちらもそうです。
事件が起きた責任は、大学が管理しなかったからだと言わんばかりの記述ですが、「管理の甘さ」って、具体的にはどういうことでしょうか。
一体、何をどうすることを、産経の記者の方は大学に期待されていたのでしょうか。

日本のメディアは、しばしば報道のストーリー作りのために、こういったコメントで話をまとめようとしがちですが、あまりにも強引だと感じるのはマイスターだけでしょうか。

京都教育大生6人が集団準女性暴行容疑で逮捕された事件を受け、同大学は京都市伏見区の正門近くの掲示板に「事件は人権を踏みにじる卑劣極まりないもの。被害者やご家族、関係者に心よりおわび申し上げる」との寺田光世学長名のコメントを張り出した。
コメントは「このような事件が2度と起きないよう、人権に関する意識向上に取り組む」としている。
「文科相「大学の対応に問題」 京教大暴行通報見送り」(京都新聞)記事より)

↑大学側のコメントも、どういう点で「被害者やご家族、関係者に心よりおわび申し上げ」ているのか、よくわかりません。
学生が起こした事件の責任を取るとでも言うのでしょうか。

(過去の関連記事)
■よく考えてみると不思議な謝罪

↑以前の記事でも同じことを書かせていただきましたが、意味のない謝罪は、本来ならすべきものではないと個人的には思います。

ただ日本では、メディアが「謝罪」の画にこだわります。
メディアの側は、「そうしないと世間が納得しないから」と言いますが、本当はそうしないと映像的にオチをつけられないからでしょう。
だから、「世間を騒がせたことに対して、謝罪はないんですか!?」なんて、いまひとつ意味が分からない要求と共に、臆面もなくマイクを突き出せるわけです。

↓こちらも同じです。

東京都杉並区の京王井の頭線永福町駅で31日午前、女性(59)が面識のない男に腕を取られ線路に落下し重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された川満康成容疑者(20)が通う高千穂大(杉並区)の成田博学長が1日、学内で記者会見した。成田学長は「このような事件が起きたことは痛恨の極み。被害を受けた方に心よりおわび申し上げます」と謝罪。「事実関係が確認され次第、厳正な対応をしたい」と述べた。
「ホーム殺人未遂:高千穂大学長「痛恨の極み」 東京・杉並」(毎日jp)記事より)

学長が本人の代わりにお詫びをする理由は、実は、ひとつもないと思います。

このように、<学生の事件→大学トップが謝罪>というのは、ほとんど疑いを差し挟む余地がないくらい、自動的にメディアとの間で行われているやりとり。
もはや慣習のようなものになってしまっています。

もちろん大学が謝罪すべきケースも多いと思いますが、そうではない場合でも、無理矢理謝罪してしまっている(させられている)ように思われます。

こうした中で、正論を主張するのは非常に難しいと思いますが、本当は誰かがこうした不思議な慣習を改めないといけないんじゃないか、なんてマイスターは思うのです。

以上、一連の報道の中で、改めてそんなことを感じたマイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

36 件のコメント

  • おっしゃることもわかりますが,そうなると,大学は,社会人としての規律を伝えることもなく,ただ,それぞれ教授が得意分野だけをおしえる場だけですとなってしまわないでしょうか.学長が頭を下げるというのは,その学生については責任を持って預かっていますと言うことの表れではないでしょうか.意味のない謝罪はいりませんが,責任を感じての謝罪は必要なのではないかと思います.基本的にこういった事件が起きない風土作りも大学にとって必要なことであると思います.

  • 社会人としての規律は大学が伝えべきことではないと思います。それを言うと全員が大学に進学しないと社会人になれません。大学は高校までのように学生の生活の面倒をもみる場所ではありません。だからこそ、学生も自由に自立した生活を送れるのです。大人(成人)として犯してはいけない犯罪を犯した人間がいた、その人間は大学生だった、というだけです。どんな風土であれ、罪を犯す人間は犯すし、犯さない人間は犯しません。(現にこの大学の学生の大半はまじめな、常識のある学生だと思われます。)大学に落ち度はありませんし、大学は責任をとれません。

  • 大学には未成年の学生を守る義務と責任があります。
    校長の謝罪は当然であり、マスコミが謝罪を誘導するとしても不自然ではありません。親の立場では今の大学が無法地帯であるとの印象が否めません。

  • kitamuraさん
    kanatabiさん
    大学人としてお伺いしたいのですが、お二方は具体的に、どのような対策を一般的な大学に期待されていらっしゃいますか?
    大学側が何をどこまで実行したら、お二方の不安や不満は消え、満足されますか?

  • 学校保健安全法をご存じですか。学校として社会に貢献する立場上、関係者であればこの内容を理解し実行の努力をしなさい。大学だからといって例外ではありません。

  • kanatabi さん
    コメントありがとうございます。キャンパス内での安全確保は、各大学とも努力をされていると思います。キャンパスで起きた事故・事件であれば、大学にも責任があるでしょう。
    ただ今回ここで議論になっているのは、学校の中ではなく、学校とはまるで関係ない、街の居酒屋の中で学生が起こした事件です。
    ご存じの通り学校保健安全法は、「学校における」安全確保についての法律で、ここでの議論とはまったく関係がありません。
    大学とはまるで関係がない街の居酒屋であっても、学生の安全確保は大学の責任でしょうか?
    もしそうだとして、では大学側が何をどこまで実行したら、kanatabiさんの不安や不満は消え、満足されるのでしょうか?
    親の立場として、このような報道からお子様の心配をされる気持ちはよくわかります。
    ただ、どこまでが本当に大学の責任なのか、私は大学人として、社会全体で冷静に考えることが必要だと思っています。
    ある部分は大学の責任かもしれません。でも、ある部分は大学ではなく警察の仕事でしょうし、ある部分は親の役割かもしれません。今回は、事件発生を許した居酒屋スタッフ達の責任もあるでしょう。
    いずれにしても、「学校」にすべてを押しつけるのは間違いだと私は思います。
    大学生が学外で起こした事件、それも今回のように人として当然やってはいけない犯罪に対する責任を大学がとることはできないし、そうすべきではないというのが私の意見です。

  • kanatabi さん
    コメントありがとうございます。最新の法文は読んだのですが、やはり居酒屋で学生が起こした事件がどう関わるのか、理解できませんでした。そういう規定は、この法律にはないように思います(私が法律のことに明るくないため、理解できていないのかもしれませんが)。
    kanatabiさんは学校保健安全法にお詳しい様子。恐れ入りますが、具体的に何条の部分に今回の事件がどう抵触するのか、教えていただけますでしょうか。
    今後の参考にしたいと思います。

  • >その元にあるのは、すべてを学校に責任転嫁する、こうした姿勢ではないでしょうか。
    犯罪が発生する要因には、地域性や風土、環境といったものがありますね。
    京都教育大学はこのような準強姦事件が発生しやすい風土と環境だったと思います。
    学長自身の認識も甘いので、セカンドレイプも止まらないのだと思いますね。

  • お返事が遅くなり申し訳ありません。私はあなたの学校に何を希望するか?という問いに答えたつもりです。また、この法律を読めば”何条に抵触”と言う言葉は出るはずがないと思います。
    あなたが成人なら、質問するより自分から調べて
    ください。ネットでもこの法律についてコメントしている記事がありますよ。

  • kanatabi様
    「大学人」様とのやりとりを拝見し、私もあなたがどのような返答をされるのか興味を持って待っていたのですが、あなたの書き込みにがっかりしました。
    大学人様が穏やかに書かれているので、伝わらなかったのかもしれませんが、要は「学校保健安全法にはそんな規定はないのだから、根拠を示せ」と、あなたはずっと求められているのですよ。論拠を示すのは議論の基本です。
    私も同法を見ましたが、全体として「学校が児童生徒の安全を確保する」というニュアンスはあるものの、あくまでもそれは学校教育内の話で、大学生が居酒屋で起こす犯罪の責任にはまったく関わりません。こう言ってはなんですが、あなたが勝手な思いこみで厳格な法を自分なりに解釈し、それを指摘されたことに引っ込みがつかなくなって、適当なことをおっしゃっているだけでは?だから明確な返答ができないのではと、少なくとも私を始めこのコメント欄を読んでいる方々は思っているでしょう。
    条文に規定がないから論拠を求めているのに、「この法律を読めば”何条に抵触”と言う言葉は出るはずがない」という言葉で返すのでは、議論はできません。大人なら、逆ギレで議論をそらすのではなくちゃんと論拠を示しましょう。
    「ネットでもこの法律についてコメントしている記事がありますよ」というのがあなたなりの論拠なら、誰がどこで書いた記事かを示すべきです。もっとも、法律の素人が書いた記事なのだとしたら、内容的に正しいとは言えませんが。
    また、ここで行われている議論は、すべて今回のマイスターのブログ本文の内容に対して行われているものです。気づいているか分かりませんが、あなたは議論のフレームワークを明確にせず、意図してか無意識にか、論点を不明確にしている。問われているのは、「大学生が居酒屋で起こした犯罪の責任を、大学がとるべきか、またとれるのか」ということです。
    これまで明快な論拠を示さずに相手に対してあれこれと言ったのだから、あなたが成人ならここで明確な論拠を示すのが、成人らしい振る舞いではないですか。

  • 読んだけど…あれね。
    昔の日本人なら、自分の務めに、誇りと厳しさを持ってたから、今回の事件でも、大学で学生を教える立場の人間なら、自分の責任の範囲とか、そんな言葉で逃げなくて、自分の誇りを優先させて、責任の及ばない範囲なんていう言葉なんて出さなかったと思う。
    いつのまに、こんな、プライドの欠片も感じさせないような、教授が増えたのかしら?

  • 件の大学生たちが、よそで知り合った女性を強姦したなら大学は関係ないと思いますが、学校非公認だったとはいえ、一応卒業生追い出しコンパの席上での事件ですよね。90人が出席したとあるので、体育科のほとんどの学生が出席しています。
    しかも加害者グループは体育会系の3、4回生。最上級生たちが下級生を集団で乱暴した事件です。事前に「ダービーゲーム」と称する早飲み・一気飲み競争をさせていますよね。
    赤の他人か知人程度なら断れるでしょうが、体育会系で上級生に強要されたら従うしかないでしょう。大学の学部・学科の上下関係が利用されているわけで、悪質です。上級生ならば、下級生を庇ったり心配したりすべき立場なのに。
    更に信じられないことに、加害者の一人が吹聴した話を真実として、加害者の知人と称する人間を起点にした被害者中傷のメールやネットの書き込みが飛び交ってますよね。京教大の生徒から聞いた、コンパに参加していた学生から聞いた、という書き込みをmixiなどで頻繁に見かけます。
    なんだか大学の対応に色々と問題があるように見えます。

  • こんなに「大学に責任がある」とおっしゃる方がいる事に驚いております。皆さん、大学に通った事がある方々なのでしょうか?高校までの「学校」をイメージされていませんか?
    事件をおこした学生以外に責任を求めるなら、大学よりも事件現場となった居酒屋の方がよっぽど問題があると思いますが・・・。そもそも、未成年にお酒を出すこと自体犯罪ですし。
    大学のどこに責任があるのか・・・全く分かりません。マスコミも大学に責任を求めていないと思うのです。責任とって学長辞任せよ、などと言われているのでしょうか。。

  • >一社会人さま
    加害者が逮捕された時点で学生を退学・放校などにしていれば、ここまで責められなかったはずです。京大のアメフト部員レイプ事件の時は、こんなに大学を責める声はありませんでした。京大の対応が適切で迅速だったためでしょう。
    今回責められているのは、大学と言うより記者会見を開いた学長の対応だと思います。ニュースで見ましたが、「事件は公然わいせつと(大学側は)認識している」「加害者に自殺の危険があったので配慮した」「加害者の処分理由は教育的配慮」等、信じられないことを話していて驚きました。記者も信じられなかったのか何度も聞き返していましたが、公然わいせつってつまり、女性も加害者だと公言したわけです。
    コンパの監督責任が大学になかったとしても、被害者から相談を受けた時に公務員として通報の義務があったはずですが、それも怠っています(集団強姦、集団準強姦は親告罪ではないので、被害者の親告は必要ありません)。
    更に京教大は強姦に関与した4回生3人は訓告処分だけで、そのうち2人が教師・臨時教師になり教壇に立っています(うち一人は辞職したそうですが)。やはりニュースで聞いただけですが、警察は現在拘留中の6人の取調べが終わったら順次、その3人と他の加害関係者の捜査を始めるそうです。
    捜査権も裁判権もない大学が事件の通報もせず、勝手に公然わいせつと判断を下し、加害者の一部を教師として社会に出してしまったわけです。非常に無責任だったと思います。

  • この議題、気をつけないと論点が混乱しそう。
    (1)学生が事件を起こさないようにする責任
    (2)学生が事件を起こしたことに関して、警察に通報するとともに、その後の社会的な対応をする責任
    ↑上記の2点を整理されないまま他の方の意見にズレた批判をすると、混乱が大きくなるんじゃない?
    例えばkitamuraさんやkanatabiさん、旅人さんは、大学は上記の(1)に関する責任を果たすべきという指摘をしてるよね。それに対して、一社会人さんや大学人さん、某大学教員さんは、(1)は大学の責任ではないと主張してる。
    豆腐さんが最後に書かれたのは(2)についての指摘かと思うけど、一社会人さんも含め、(2)については誰も言及されてないよ。
    内容的には同意。ただ自分で気づいてないと思うけど、これは新しい論点。余計な混乱を生みかねないから、それまでの議論に対しどういう論点を加える発言なのか、気をつけて書いた方がいいよ。
    ちなみに自分はマイスターと同じ意見。京都教育大学は明らかに(2)の責任を果たさなかったから、問題がある。
    けど、(1)の責任が大学にあるかというと疑問。むしろ、何でぜんぶ大学のせいにするのかと思う。学生が強姦したら大学の責任、っていう発想がどっからわいてくるのか理解できない。

  • 「学生」さんの意見に賛同します。「学生」さんが書かれている(1)(2)に分けた議論は、今回のテーマを考える上で非常に重要なのではと思います。
    もちろん、事件を学内だけで解決しようとした事も含め、まったく京都教育大学に責任がないわけではないでしょう。しかし今回のようにエモーショナルな教育者論・学校論で全体をくるみ、なんでもかんでも大学の責任にするのは危険です。
    今回、コメント欄がこれだけ盛り上がっているのは、普段から、大学(学校)の責任の範囲があいまいにされがちだということの証左ではないでしょうか。
    何が大学の責任で、何がそうでないのかを、冷静に議論する必要があるように思います。
    そうでないと、「何か悪いことがあったら大学に謝罪させておけばいい。他の人は悪くない、すべては学校関係者の責任」という安易な解決法が蔓延し、結果的に、社会全体での根本的な問題解決は進まないのではないかと危惧します。
    これまでそうした安易な責任転嫁を繰り返してきたことが、今回のような事件を引き起こす結果にもつながっているのでは、とすら私は感じます。

  • >学生さん 様
    論点をすっきりまとめていただき、ありがとうございました。この事件はまだ全体がよく分からないせいもあって、論点がブレてました。反省します。
    ご指摘の(2)の問題に関しては、今回の事件が教師を多く輩出している教育大学で起こったということが、一般化や他校との比較を難しくしていると思います。
    実際、事件関係者のうち数名が教員免許をもらって卒業し、教職に就いていたとあっては、子を持つ親などは黙っていられないでしょう。この点については、大学が責任を負うべきと思います。

  • 大学人様、某大学教員様
    法律は、私たちの日常全てを細かく規定していません。そんな事をしたら六法は富士山より厚くなってしまいます。法律は日常のことを大きく括って、方向性を示しています。だから、学校保険安全法では、大学生の居酒屋での処し方なんて条文はありません。法律とは、字面だけを読むのではなく、その趣旨と事件の状況とを照らし合わせて解釈するものです。
    そのようにして学校保健安全法を読むと、学生様の言う(1),(2)共に学校保健安全法で大学に責任があることを規定していると考えられます。学校保健安全法第26条~第30条を読んでください。ここでは、生徒が被害者や加害者にならないよう、日常生活の指導まで含む学校の安全管理について規定しています。そして安全とは傷病からの安全だけでなく、暴力からの安全も当然に含まれています。だから、いじめやリンチは学校の責任問題になるのです。従って、学外のコンパであっても、大学の指導責任は有りと考えられるし、警察への通報も必要だったと考えられます。
    法律解釈から離れて考えてみます。加害者たちが所属する体育会は、大学からグランドなどの設備を提供してもらい、学外でも京教大と名乗って活動しているはずです。事件の当事者も京教大生です。これで京教大と無関係と言うのには無理があります。
    最後に、マイスターが太字で書かれた部分についてです。京教大には税金で運営されている国立大学でなので、優秀な教員を育てる大学という納税者の大きな期待がありました。しかし、社会が最も嫌う暴行事件を起こしたのですから、裏切られたその思いは尋常ではないと言うことです。何の期待もされてない者が起こした事件と同一視されては困ります。また、記事にはスペースの制限があり、詳細に書くことはできませから、マイスターには記事の行間を読んで頂きたかったです。

  • この事件が報道されて学校の対応をみて こんな学校知らんなどこかの新しいわけのわからん私立の学校の事件やと思いました。
    今日初めて国立大学と知りました(私の認識不足です)
    国立大学であのような初期対応は全く恥ずかしい限りです学長の記者会見
     学校の働きかけで(やと思う)告訴しないで和解にもって行ったようですがこんな大学に税金が使われているのは納得いきません
     将来先生になるんやろ 自分のやった事くらい始末せなあかんと思うな

  • 私は、大学のこの類の謝罪には、いつも疑問を感じます。
    大人であるはずの大学生が、学外で非社会的な行為をしたことに、いちいち大学が謝罪することなど、まるで、しつけの悪い親がわりであるかのようです。
    「こういう大学だから、そういう犯罪がおこるんだ」と言うようなことは、大学という場を勘違いしている人の言い分としか思えません。
    大学は、おむつもとれない学生を育てる場であるかのように見えています。日本の大学とは、いやに本とはそういういう国である、と世界へ恥をさらしているだけ、と思うのは私だけでしょうか。

  • 今回の件ですが、大学側の失態としては謝罪記者会見を開く必要があったか?ということ
    やっと明らかになり、大学糾弾派の方のコメントがなくなりましたが、
    基本「逮捕」は「有罪確定」ではありません
    つまるところ、未だ確定していない案件に対して、
    司法権もない大学が介入すること自体が間違いであり、
    さっさと司直に任せればよかったのです
    いまだに本日のようなコメントをされてますが・・・
    キャンパス外で起こったことに、
    どう大学が責任を取るのでしょうか?
    糾弾されていたかたがたは、
    最高学府の教員に「道徳の授業」や「ホームルーム」をしろとおっしゃるのですか?
    そもそも当時19歳が「なぜ飲酒していたか?」という話は遥かかなたに飛んでいるような・・・
    いかがでしょうか?
    kanatabi様や学生さんは良識のおあり方のだと思いますので、
    どうぞお子様にはしっかりとした教育を施し、
    「最高学府に通う学生として恥ずかしくない」社会的常識・品格を身につけた上で、
    送り出してください
    そうしなければ今後も本来担うべき職務に集中できないことで、
    エリートの養成において諸外国にさらに差をつけられることとなります

  • 皆様のコメントを興味深く読ませていただきました。
    私も実は、学生が起こした事件に対し、”学生さん”のおっしゃる
    (1) 学生が事件を起こさないようにする責任 
    を負わなければならないのか分かりません。いつも、このての報道を見ると違和感を覚えます。
    (1)のようなケースの場合、謝罪するのは加害者本人とその保護者や親ではないでしょうか?この議論が出てこないのも違和感を覚えます。
    また学校など他者に極度に依存した日本人独特の甘えではないでしょうか?学校はシェルターでもなんでもないと思います。こんな過保護で大丈夫なのか?と思います。日本は資源もなく小さな国です。これだけグローバル化が進んでいる中で、これでは世界の人に負けてしまいます。(良いか悪いかの議論ではないです。念のため)
    社会人になったら守ってくれるものはありません。会社が代わりに謝罪はしないと思いますし、また世間はそれを望んではいないでしょう。でもなぜ学校だけが?と思います。
    また大学生は18歳を超えた人間で、すでに何をして良いか?悪いか?をしっているべきですし、もし、それを知らないのであれば学ばなかった本人と、それを放置した親・保護者であり、その責任を大学が負う必要はないと思います。個人的には高校もそうだと思います。(義務教育ではないから)
    また法律の話も出てますが、法律とは解釈が人によって違います。(憲法第4条が良い例です)また法律が全て正しいかというと全く違います。日本の戦時中の法律と現在とでは全く違いますよね?もっと対極的に物事を見て議論したほうが良いのではないでしょうか?

  • 皆様の意見読ませて頂きました。
    この事件についての私的見解として、事件が起きた時、大学側として即処分(停学から退学)すべきだったと思います。また、学内に対する情報開示が無かった点もまずかったのではないでしょうか。
    そして、被害者に対するケアが出来てない。
    この京教大は、国立大学です。私達の税金で賄っている事です。そして、学生は教師になる事なのです。現に、1名の親は大阪の教育委員会に在席して息子を入れていた。また、別の加害者の生徒は卒業して非常勤の教師になっていた。2月に起こった事件を隠していた大学側の責任は重大と考えられますし、加害者の生徒達もそこにいた学生も連帯責任を問われると考えられます。
    子供達を指導する立場を育成する側が犯罪行為及び指導不足は、法律でなく道徳的に良くないと考えられます。

  •  今回の報道に限らず、最近、大学に対する一般の感覚というものが変化しているなという感じがしました。
     先に投稿された一部の方々も書かれていますが、「親御さんが大学に求めるもの」とは一体何でしょうか?
     大学生といえば、法律上の成人年齢云々は抜きにして十分大人です。恐らく本人達も内心そう思っているでしょう。結婚だってできるのですよ。
     そんな「大人な子ども達」にこれまで保護者の皆様方は十数年あるいは二十年以上にわたりいろいろなしつけや教育をしてこられたと思います。
     さて、私の想像で恐縮ですが『大学は学生に対して「しつけ」をする場なのだろうか』という質問をした場合、ほとんどの人がNOと仰るでしょう。(もしこの前提が崩れれば、大学にかかる余分な「コスト」について社会全体で考え直さないといけない思います。)
     しかし、今回の報道にしてもこちらでの投稿の一部の方にしても、大学に「こどものしつけ」を要求し、本来は明らかに本人なり親にあるはずの「責任」を社会やマスコミがこぞって転嫁してあげているようにしか思えません。(…まあ、マスコミにすれば、個人攻撃より組織攻撃の方が遠慮無くできるという事情があると思いますが。)
     大学全入時代に突入しても、大学の在り方を「後退」させるのは日本という国として如何なものかと思います。
     蛇足ですが、国立大学が関係した事件だけに、「税金を使って」云々という発言が散見されますが、意味のない「税金ハラスメント」は良くないと思いますよ。そんな言葉だけで体よく責任を転嫁し、問題点を見えにくくしているだけです。国立だろうが私立だろうが、同じ大学なのですから。

  • ここまで読むのに一苦労です。
    論点がばらばらです。
    マイスターさんは「本人の代わりにお詫びをする理由は、実は、ひとつもないと思います」という問題提起をされています。
    まず、この回答が本稿には具体的にありません。
    私なりに、事件関係者の責任(及び責任の可能性)を整理してみました(矢印が責任の向けられる対象)。
    ①加害学生 → 大学(風評被害、運営の混乱)
    ②加害学生 → 被害学生(身心への被害)
    ③加害学生 → 社会(刑事責任)
    ④大学   → 被害学生(安全配慮義務?)
    ⑤大学   → 社会(通報しなかった責任)
    本件、マイスターさんの問題提起は、「①②③の加害学生の責任と④⑤の大学の責任が混同されているのではないか」という点にあります。
    ですから「本人の代わりにお詫びをする理由は・・・」という表現をされています。
    一方、主だった反論者は、⑤について主張されており、新たな問題提起です。本来のマイスターさんの問題提起に対する回答ではありません。
    マイスターさんは⑤を否定も肯定もせず、責任の「混同」を問題にしているのです。
    以下、私見です。
    まず、マイスターさんの問題提起に対する回答は?
    「是」でしょう。
    ①②③の責任と④⑤の責任は異質のものです。大学はレイプの共犯ではありません。
    したがって、大学が「本人の代わりに」謝罪する必要はありません。
    では多くの方が提起されている⑤の責任は?
    これも「是」でしょう。
    大学が重大な刑事事件を認知しながら、捜査機関等に告発しなかった責任です。
    大学という「良識の府」と考えられている組織において道義的に許される行動ではありません。
    犯人・犯罪を隠匿しているとも言えます。
    一方で、レイプの責任は大学にはありません。
    大学は、たとえクラブ活動の一貫として行われた飲酒の場における犯行とはいえ、学外の課外行事を指導・監視する責任はありません。
    たとえ授業中にレイプや殺人が行われたとしても、大学が犯行そのものを社会に対して謝罪する理由などありません。
    アメリカでは、学内で銃の乱射事件が起きても(加害者も被害者も同校内)、学長が殺人事件の謝罪会見を開いたためしはありません。
    また公器としての大学において、不良学生を在籍させている責任は、一定程度あります。
    しかし現状の大学組織(何千何万という学生がいて、事件事故の抑止は懲戒処分というかたちで事後的にならざるを得ない)及び大学教育の特性(そもそも高度な専門知識・見識の習得を目的に設立されている)に鑑みると、刑事事件を抑止する責任を大学に負わせることができるのかは疑問です。
    (まとめ)
    マイスターさんの問題提起のように、個人の問題を組織や社会等の問題にすり替える論理は、真の「個の確立」を妨げている、未成熟社会の象徴的な論理だと思います。
    本件、大学の責任は「学生の起こした重大事件を詳細に認知しながら通報しなかった責任」の一点です。
    これを「忌まわしい事件から連想される大学のイメージ悪化を懸念した、大学経営者の保身目的による隠蔽」としたメディアの批判は、その点において当たっていると思います。

  • 元法学部様
    たくさんの行にわたる熱弁拝読しましたが、残念ながら貴方は入り口の所で事実誤認をされています。貴方はこの事件を個人の問題としていますが、それは違います。この事件は京教大体育会という組織が起こした集団暴行事件です。加害者達は無関係にバラバラに事件を起こしたのではなく、互いに深く連関し強調して事件を起こしています。これはまさに組織的暴行事件で、どのような理屈を付けても動かしがたい事実です。大学擁護派の人は、この点を履き違えていませんか。事実を正しく認識して下さい。
    聞くところによりますと、加害者達は普段は良い学生のようですが、体育会という組織に組み込まれると、あのような事をしてしまうのですね。もし一人だったらやったでしょうか。集団だからできたのではないですか。このような組織の問題を個人の問題にすり替えるのは、非常に危険な考えです。このような考えでは体育会の、度を越えた上下関係、飲酒の強制、人権意識の希薄さ、などの悪しき体質が温存され、同じような事件が再発してしまいます。この際、組織としての責任を認め、体質を改善し、再発防止に努めないと、更に京教大の名を汚す事になります。社会の成熟を云々言う前に、大学の良識を成熟させる事のほうが急務だと思いますが、どうですか。
    大学は以前に、有名私立W大や有名国立K大の暴行事件を知っているはずです。しかも京教大体育会の追い出しコンパでは、毎年何やら行われているというのは、衆知の事実でした。つまりこの事件は、前ぶれもなく突然に起きたわけではありません。大学は、その気になれば事前に事件を予知し、対策を行うことは可能だったはすです。大学は、不作為の責任は免れません。
    最後に、大学擁護派の方のご意見は、うなずける所が無い訳ではありませんが、議論を一般化論し過ぎていて、大学批判派の意見と噛み合いません。もっと京教大個別の問題として議論して頂けないでしょうか。マイスターも、表題に京都教育大学のという文言を付けていらっしゃいますので。書き込む前に、具体的に京教大に関係があるのか吟味してみて下さい。
    ましてアメリカのことを引き合いに出されても、銃社会だけに、的が外れています。おあとがよろしいようで。

  • よちよち様
    まず、このての問題に関して
    「誰が間違ってるとか間違ってない」とかはないのではないでしょうか?正解がない論議をみなの意見をぶつけ合うことを目的として、マイスターさんは問題提起されているように思います。
    「事実誤認をしている」ということですが・・・・
    よちよち様は集団と個人との差が重要だと思っていらっしゃいますが、皆様が言っている意見の中には、集団だろうが個人だろうが、それは関係ないと解釈されている方もいると思います。事実誤認ではなく解釈の違いであると思います
    また、「あまりに抽象的すぎる」というご指摘
    物事は具体から抽象、抽象から具体と変換することで多くのものごとを把握したり、理解しているのだと思います。つまり、京都教育大という具体から大学の責任の範囲という一般論というか抽象を行ったりきたりするこで、この問題に対する深い、そして広い意見が出てきても良いのではないでしょうか?
    またマイスターさんの問題提起の定義も読み方によって人さまざまだと思います。私が理解する限りでは、京都教育大の事件はあくまできっかけのような気がします。
    アメリカの例も銃社会だから、全く別物とお考えのようですが、アメリカだろうが、どこだろうが同じ大学という範疇で考えたら、的外れでもないと思います。日本の大学は銃社会でないのでアメリカの大学と違うのでしょうか?私はそうは思いません。基本的には学問のレベルといい、個の成熟度といい、大差はないと思いますが・・・
    何が良い悪い、正しい、正しくないではなく、もっと多くの人が、この問題をより深く、そして広く考えるきっかけであってほしいと思います。

  • 通りすがりですが・・様
    正直、またしても抽象的観念論かと思い、書き込むつもりはなかったのですが、よく考えてみると、やっと大学擁護派の方から、私も賛同できるご意見が出たきたように思え、書き込むことにしました。
    7月18日の貴方の書き込みの2段落目を除く部分については、私もほぼ同感です。しかし、ここでの議論は、貴方のおっしゃるように進められているでしょうか。大学擁護派の一部の方は、入り口の部分で、事実に目を背け、いきなり抽象的一般論に突っ走りました。そして、京教大に責任はないと言い切り、京教大が組織として抱える問題を見えにくくしました。これには何やら意図的なものを感じてしまいます。大学批判派の多くはこの辺に疑問を感じていると思います。私は、このように、京教大事件を個別具体的に議論せず、一定の結論と方向性を見出す事もせず、京教大が抱える問題を無視するような議論の進め方に、危険を感じ、異議を唱えるものです。このようなやり方をした為に、皆さんの論点がバラバラになり、収拾がつかなくなりました。少なくとも現状では、京教大事件が深く考えるきっかけにはなり得ていないように思います。
    私は、貴方がおっしゃるような、具体から抽象へと議論を進めるのには賛成です。まず、この京教大事件を個別具体的に議論し、一定の結論と方向性を見出し、更に議論を深めたい方はそれらを踏まえた上で、例えばマイスターが提起された高千穂大事件について、京教大事件と同じなのか、どこが違うのか、みたいにして範囲を広げ、一般論に展開して行くのがここでの議論の進め方ではないかと思います。
    ですから、貴方の書き込みの2段落目のご意見は、抽象的一般論ならあり得なくもないのかなと思いますが、私が書き込んだ個別的具体論の場では疑問を感じています。もしよろしければ、京教大事件のここまでに判明した事実について、貴方の解釈を伺いたいのですが。

  • 大学擁護派の方のご意見の中に、大学が本人に代わり謝罪するのはおかしい、というのがあったと思います。ちょっと気になるので書きます。
    まず、京教大学長がそのように言って謝罪したかどうかは、私は知りません。大学自身の事を謝罪したのだと思っています。
    本来なら、加害学生本人が自らの言葉で謝罪するのが筋だと思います。しかし京教大は、教育的配慮と称して加害学生を庇い、逮捕まで相当な期間があったにもかかわらず、本人が謝罪できるような場を設けませんでした。また謹慎中の加害学生は、勝手に会見することは許されないでしょうから、後日大学がチャンスをもらえなかった本人に代わって謝罪しても、何の不思議もないと思います。
    一般論として、学生個人が起こした事件で、大学が本人に代わって謝罪する必要は感じません。しかし多くの場合、京教大のように本人に謝罪させず、大学が本人の代わりに見たいな光景になっているように思います。
    大学が個人に謝罪の場を設けなかった場合などは、大学が本人に代わって謝罪しても良いと思うし、むしろ当然かなとも思えます。

  • 大学擁護派の方から、アメリカでは、大学内で銃乱射事件が起きても、大学は謝罪会見などしないので、日本もアメリカも同じ大学だから、日本の大学が謝罪する理由はない、という書き込みがありました。気になるので書きます。
    一般論として、教育研究機関としての使命や位置付けは、日本とアメリカでは同じだと思います。だからと言って、京教大事件とアメリカの銃乱射事件を同一視するのは、思慮が浅いと思います。
    アメリカは、銃の所持を法律も社会も認めている銃社会です。自分の安全は自分で守るという考えが強く、銃犯罪のリスクを取ってでも銃を持ちたいという価値観の国です。ですから、大学の銃対策には自ずと限界があり、銃犯罪を防ぐのは極めて困難です。社会も、それを一つのリスクとして承知しているので、大学の責任追及が少なく、大学も謝罪しないのです。つまり、大学が最善を尽しても防げなかったという事で、相当程度の不可抗力が認めたと考えられます。余談ですが、大学の責任が少ない代わりに、その大半は社会が負う事になります。しかしアメリカ社会は、銃問題と向き合おうとせず、責任を果たそうとしません。結果、相変わらず、銃犯罪で多くの人が死んでいます。
    日本では、未成年の飲酒や暴行を法律も社会も認めていません。ところが京教大では、体育会の体質の問題や、大学の不作為があって、コンパで集団暴行事件が起きてしまいました。社会は、期待を裏切られた思いや、大学の責任追及やらで、大きな批判を巻き起こしました。つまり大学は、するべきことを怠り、最善を尽さなかった事から、不可抗力が認められなかったと考えられます。ですから、大学は自らの責任を認め、謝罪会見をしました。
    以上からわかるように、事件の発生に際しては、法律や社会のコンセンサス、大学は最善を尽したか、などを吟味し、不可抗力が認められるかどうか、を思慮する事が必要だと思います。

  • 京教大事件の話題が提起されてから、かられこれ2ヶ月以上になります。そろそろ結論について書き込もうと思います。
    京教大は既に、事件に関係した学生や体育会に対し、無期停学、訓告、活動の一時停止、などの処分を行いました。これは、大学に、学生や体育会に対し、処分を行う権限があることを意味します。権限があるところには必ず責任が存在しますので、大学自ら責任がある事を認めたことになります。事実、京教大の学長は辞意を表明して、
    責任を認めました。
    また、京教大ホームページの大学案内に、寺田光世学長名で、「お詫びと決意」という謝罪文が掲載されました。その文面を書きます。
    このたびの本学学生の不祥事については、大学としての責任を重く受け止めております。本学を志願している皆さんをはじめとする関係者の皆様に多大なるご心配、ご不安、ご迷惑をおかけしましたことをここに深くお詫び申し上げます。
    今回のことを契機に、法の遵守、人権擁護の意識、ハラスメント防止等の社会的規範および飲酒に関する指導を徹底するとともに、教育指導、運営管理等あらゆる観点からの見直しと改善を行い、再発防止と社会的信頼の回復に努めます。
    以上の事実より、以前から私が主張してきた「京教大には責任がある」という大学批判の意見(6/20,7/10,7/21,7/25/7/31,書き込み)が、正しかった事が証明されたものと考えます。
    まして、マスコミが大学に謝罪させているといった指摘は当たりません。京教大の対応が、突っ込み所が多すぎただけであって、本当に問題がなければ記者の質問に、理路整然と回答できたはずです。
    ここまでの大学擁護派のご意見は、ほとんどが根拠を示さない抽象論で、思慮の浅い思い付きだったと思います。個別具体論では、以上のような結論になりましたので、抽象論をしたい方はこれらを踏まえた上で、どうぞ有意義な議論をなさって下さい。

  •  其の1.
     例えば、門限を制限している家の子供であっても、小中学校の修学旅行で初めていく旅館やホテルに寝泊りします。つまり、「学校行事だと安心して子供を預ける」親が存在する訳です。
     強姦事件の起きたコンパは、学校行事(またはゼミコンパ)と認識されていました。学校行事と認識されて生徒が安心して集まってくる状況だったため、そこで事件が発生した場合、大学にも責任が生じると考えます。
     親の立場として、ここは安心、ここは危ない、と子供の行動を監視する基準に「学校単位で行われた行事」というのが存在します。親としては、子供の行動をすべて規制するわけには行かないのですから、学校行事ぐらい信じたいのは当然です。
     今回のコンパでは、責任者が一気飲みをさせないように見張っておくべきだったのです。逆に、責任者不在であれば、コンパに大学の名前を使用させるべきではありません。
     其の2.
     「被害者の処罰感情に関係なく、事件に関与した人間が、自分の子供の先生になったら嫌」という保護者もいるはずです。大学は児童の保護者に対して謝るべきです。
     あと、未成年の飲酒を問題にしている人がいました。被害者さんの誕生日が数ヶ月早かったならば、被害にあわなかったのですか?
     寄った女を見て発情する加害者6人を体育の教師にしたら、体育の時間に、低血圧で倒れそうな女子中高生をみて発情するのではないですか?
     其の3.
     被害者側はまず大学に相談、1ヵ月後に警察に通報しました。警察沙汰になって世間に知られるのが嫌だったのではないかと想像します。大学側は、教育的配慮をしたり、合意の有無が分からないと主張していますよね。被害者の保護者からみれば、自分の娘が加害者と同じ大学に通うのは耐えられないと思います。大学側の対応のまずさが、「被害者側が警察に訴えざるおえない」状況を作り出した可能性があります。そう考えれば、被害者が裁判にまで追い込まれ、さらにネットで大恥かかされた責任が、大学にも生じると思います。

  • 自分の責任は自分でとる。それが基本でしょう?。未成年であっても、有職少年が事件を起こしたからって親方が謝ったのは見たことない。親が謝ってるのも見たことない。結局、文句言われっぱなしで反論しない教育関係が頭を下げている。本当にこの国は自己責任の概念さえない。腐りきってるな。

  • さっき、学校保健安全法第26条~第30条も読んでみたけど、居酒屋でのことなんて一言も書いてなかったよ。「学校においては」ってあるのを何で拡大解釈するかな?。偉そうにコメントしてる人たちの特徴かな?。都合に合わせて拡大解釈するのは。

  • ずーっと来てなかったので久々に覗いてみたら、2年以上前の私の意見に反応がありました。今更なのですが、気になったので書きます。
    通りすがりの一人 様
    ご意見、拝読しました。一般論としての自己責任論ですね。そこで突然ですが、問題でーす。
    親は子が酔っているのを知りながら(京教大は体育会のコンパがヤバイのを知りながら)、自分の車を子に貸し(京教大の名を使わせ)子は死亡事故を起こしました(体育会は事件を起こしました)。このような親(京教大)は謝罪するべきでしょーか?
    さーあ、シンキングターイム。
    考えている間に私が過去に書いた学校保健安全法の意見に対する批判について書きます。
    貴方はこの法律の条文で使われている「学校においては」をもしかして「学校内では」という意味に誤解していませんか。「においては」は場所を示すのではなく「は」の強意表現です。つまり、「学校は」とか、強めに「学校たるものは」という意味なのですよ。法律解釈以前の国語力の問題ですね。
    貴方はどうして学校保健安全法の適用範囲を学校内に限りたいのですか。事件現場の居酒屋が学校外だったからですか。今や安全対策は、通学路の不審者対策、出会い系サイト対策、ネットいじめ対策等々、学校外であっても対応が求められているのを知らないのですか。
    ではタイムアップです、回答をどーぞー。