マイスターです。
子供達に対して、偏差値主義的な進路指導をして良いか、と言われたら、多くの方は、「偏差値だけではダメだ」と言うでしょう。
世の中の誰にとってもベストな教育をしてくれる大学ってありますか、と聞かれたら、「人によって違う」とか、「目指す方向によって違う」なんて回答をするのではないでしょうか。
これには、あまり異論はないと思います。
そんな中、唯一の例外のように、「絶対的な成功」例としてこの日本で君臨し続けているのがご存じ、東京大学です。
普段は、世の中のシステムについて様々な論評を行っているメディアも、東大の権威は疑いません。
週刊誌などは毎年、高校別の東大合格者ランキングを特集し、部数を稼いでいます。
そして、東大合格者数を伸ばした高校には、「何が秘訣だったのですか!?」と、取材が殺到します。
マイスターなどはこういった特集を電車の中吊り広告で見かける度、やっぱり日本の教育は、ランキング主義であり、偏差値的なのかなぁと思ったりします。
他にも優良な大学はたくさんありますし、「受験難易度」だけ考えたって、旧帝大と呼ばれる大学群をはじめ、難易度の高い大学はたくさんあります。海外の名門大学だってあります。
にも関わらず、東大だけが何かと特別扱いされるのはどうしてでしょう。
やはり「一番だから」という権威ゆえでしょうか。
個人的にも、東京大学は良い大学だと思います。
優れた研究者達が集う研究レベルの高さは、研究者を志す方にとっては魅力的でしょう。
マイスターも今後、もし大学院に進学する機会があるなら、東京大学に行きたいです。いくつかの研究科に、気になる研究者の方がいらっしゃるので。
ついでに、税金の集中度合いと、それがもたらす設備環境の充実度も、別格です。
……なんていうと皮肉っぽく思われてしまいそうですが、でも権威的のように思われながら、その実、もっとも大胆に物事を変えようとしているのは結構、東大だったりします。
東大の教員の方や、特別な職務を担っている職員の方などとお話しをする機会があるのですが、皆さん、権威的というよりはむしろ、大胆な挑戦者という印象です。
もっとも、マイスターが接点を持った方々が、たまたまそうだったのかもしれませんけれど、マイスターの、東大に対する個人的な印象は、とても良いです。
ただ、東大の基本的な性格はやはり「研究大学」だろうとも思います。
研究者を養成するという点、研究成果を生み出すという点では圧倒的だと思いますが、その真価が発揮されるのは大学院以上の段階ではないでしょうか。
学士段階の教育水準で比較をしたら、絶対的なナンバーワンだとは思いません。
「研究者にとって必要な土台をつくる学士教育」としては優れているかもしれませんが、例えば、「リーダーシップを身につけさせる」とか、「知性に裏付けられた行動力を身につけさせる」なんていう軸で考えたら、もっと水準の高い大学はたくさんあるように思います。
「学部から自校の大学院にそのまま進学させる割合を3割以下に」という方針が進められている中、学部からの東大進学に過剰にこだわる理由は、(こういっては何ですが)あんまりないような気がします。
それよりも、進学指導の現場において、「東大」がなにやらすべてにおいて絶対的な正解であるかのように扱われることのリスクの方が、個人的には気になります。
教員ひとりにつき少人数制の学生がついて丁寧な指導をする大学。
優れたリベラルアーツを行っている大学。
実践力・行動力をもった問題解決型人材を輩出する大学。
全員に留学を義務づけている大学。
多様性の中で広い視野を身につける環境を持った大学。
……等々、東大以外にも、学士段階で優れた教育を行っている大学はたくさんあります。
こうした大学に進学した方が可能性が伸びるのでは、という生徒だっているでしょう。
東大が向いている人と、向いていない人だっていると思います。
例えば、より本人にあった大学に進学し、もし研究者になりたいと思ったときには、東大の大学院に進学することを考えればいいんじゃないか、なんて思ったりもします。
東大も悪くはありませんが、「絶対的な最善」の選択肢だとは思いません。
だから、高校3年間で向いている大学を探し、進学できるように指導するのが、本来の進路指導のあり方だと思います。
でも、日本社会においては、そんな事情はさておき、やっぱり東大は「絶対の正解」のように扱われがち。
それどころか、冒頭で申し上げた週刊誌の東大合格者ランキングのように、東大進学はしばしば、「教育の成果」そのものとして語られます。
【今日の大学関連ニュース】
■「東大合格8人増の48人 富山新聞社調べの県内前期合格者」(富山新聞)
こうした報道、よく見かけます。
その県の教育力の高さ、教育水準のレベルを測るバロメーターとして、「東大合格者数」が使われているという例です。
「生徒の夢を叶える」という目的の手段としての東大ではなく、「教育水準を示す」という目的としての東大進学。
バロメーターになる部分は確かにありますし、そういう使われ方をされるのもある意味、仕方のない部分はあると思います。ただ、東大だけが絶対的な評価基準になるのと、その評価基準にあわせて教育を行うのには、マイスターは反対です。
富山県の教育のあり方は、大学進学実績の他にも、様々な方法で評価されるものだと思うのですが、「東大合格者数」というのは、一番わかりやすくて便利なのかもしれません。
しかしこうした評価方法は、行き過ぎるとちょっと危険であるように思います。
こういった報道が成される環境下では、高校の進路指導の現場でも、「優秀な生徒には東大を受けさせろ」といった圧力が存在しているのではないかと、ちょっと心配になったりもします。
東大合格者を巡る話題の中で、高校関係者による↓こんなコメントも見かけました。
昨年、同校は東大に十分受かるとみられていた生徒が多数浪人してしまった。私立大学の受験が忙しく、東大入試の勉強がおろそかになったり、早慶に受かって気が抜けてしまったことなどが原因という。
「その反省から今年は、生徒の性格によってはあえて私立を受けないなどの指導をした。浪人生も初志を貫徹してくれて、うれしい」
(「名門凋落、地方伝統校と公立躍進…東大合格者ランク 『ゆとり教育』弊害 」(ZAKZAK)記事より)
他大学を受験させず、東大という「初志」を貫徹させる指導というのは、結局のところ何を目的にしているのか。ちょっと考えてしまうコメントです。
ちなみに「東大合格」は、学校だけでなく、家庭の教育に対する評価としても、絶大な威力を発揮します。
春はあけぼの、いや春は東大。東京大学の合格発表は、ワイドショー春の風物詩だ。今(2009)年のスパモニでは、恒例の合格不合格の泣き笑いや胴上げ風景はなく、合格者のお宅訪問がメインだった。
結局は、幸せ家族の絆が合格の秘訣なのかも、といった結びでVTRが終わると、スタジオは諦めムードに包まれていた。
(略)今日(3月11日)のスタジオで唯一人、東大出身の森永卓郎・獨協大学教授は、「母親」に注目して、秘訣を語った。「文1、文2(合格者)の場合は、母親の8割方が専業主婦なんです。やっぱり、お母さんがトレーナーとしてキッチリつかないと、合格できない現実もあるんですよね」
(■「東大合格と主婦の秘密 「東大OB」教授がデータ公開」(J CASTテレビウォッチ)記事より)
上記はワイドショーのニュースに関する記事ですが、「識者」の人達によるこうした情報を受けて、○○さんちの家庭よりうちは劣っているのかとか、やっぱり共働きじゃ良い教育ができないのかしらとか、振り回されてしまう方もいるのではないでしょうか。
もちろん実際には、東大合格者の家庭が、みんなこんな家庭ばっかりだというわけではないと思います。まして、他のいくつかの難関大学も含めたら、様々な家庭があるでしょう。
家庭のあり方についてまで、まるで「絶対的な正解」が存在するかのように納得させてしまう「東大合格」とは、いったい何なのでしょう。
同校では「東大プロジェクト」を08年から発足させ、年に15回、東京大学についての勉強会を開いているという。
「以前は東大がどこにあるのか分からない、文I、理Iの意味も全然分からない生徒がほとんどでした。東京は遠い、難しい、情報が足りない、といったイメージがあったのも確かです。それを払拭して正確な情報を与え、きっかけを作ろうとして始めました」
と同校の進路指導部長は話す。多いときには50人もの生徒が参加し、過去問のトレーニングもしているそうだ。
「常に『東大』という言葉が行き交うようになり、身近になりました。こういった取り組みが功を奏した面もあります。でも、生徒が本当に良く頑張ってくれました」
と嬉しそうな様子だった。
(「東大合格者有名私立が減少 地方公立高校の『反撃』始まる」(J-CAST NEWS livedoorNEWS掲載)記事より)
↑この高校が、東大に限らず様々な大学、あるいは様々な学問分野について勉強会を開き、正確な情報を与える指導をしているのなら、評価されると思います。
でも実際には、東大だけがやはり特別扱いされているのでしょう。
これが東大ではなく他の大学なら、「なぜその大学だけ特別扱いを?」という突っ込みが入るはず。
そうならないのは、日本社会において、東大が疑いのない「ゴール」であり、「正解」だとされているからに他なりません。
予備校業界、とくに(早稲田塾を除く)大手の予備校が、「東大合格者数」を看板にして商売をするのは、まだわかります。そういうビジネスモデルの事業でしか生き延びられない企業が大半だからです。
だから、とにかく東大合格者を増やすことを主眼において指導をします。
大学のアカデミックな部分を生徒に伝えることもありませんし、進学の目的の部分を考えさせたりもしません。「東大に行けるのがベスト」という価値観を高校生やその保護者にもっとも強く訴えかけ、自分達のために市場を作り出している一番主要な存在は、こういった偏差値主義的な予備校業界でしょう。
個人的にはこうした予備校のあり方には、まったく共感はできません。
しかし、そういった業界だけでなく、マスメディアや高校関係者、それに公的な立場にある方々などまでが東大を特別扱いしているのが日本の社会なのだなぁと、毎年この時期になると思うわけです。
それは、教育の、最も大事なポイントについて、国全体が思考停止しているようなものなのではないか……と思ったりもするのです。
そろそろ、もうちょっと冷静に、きちんとこのあたりのあり方を考え直した方がいいのではないでしょうか。
以上、東大合格者ランキングを掲載する雑誌の中吊り広告などを見ながら、いつもそんなことを考える、マイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。