教育ルネサンス「学士力」と、トロウ・モデルについて考えた

マイスターです。

教育関係者の間でよく話題になる、読売新聞の特集「教育ルネサンス」で、ここしばらく、「学士力」という連載が組まれていました。
ご覧になっていた方々も多いと思います。

「教育ルネサンス」ではいつも、注目すべき事例が多く紹介されているのですが、今回も非常に興味深い取り組みがありました。

読売新聞 「教育ルネサンス:学士力」
■(1)「楽勝科目」なし 4年で卒業47% (3月4日)
■(2)試験問題 学生が作る (3月5日)
■(3)入学前授業 学生に自信 (3月6日)
■(4)予習・復習させる工夫 (3月7日)
■(5)学部横断 進化するゼミ (3月11日)
■(6)「学びの軌跡」で適性探る (3月12日)
■(7)教室改装、討議の場に (3月13日)
■(8)本物のビジネスに参加 (3月14日)
■(9)桜美林大学教授 諸星 裕さんに聞く (3月18日)
■(10)学生発案 授業つくる (3月19日)
■(11)欧州大学協会(EUA) スーソック事務次長に聞く (3月20日)
■(12)読者の声…学生も教員も変革を(3月21日)

国立、公立、私立。歴史の長い伝統校から、比較的新しい大学まで。
入試において「難関」と呼ばれるような大学から、「誰にでも入れる」と学生自身が思っているような大学まで。
これらの記事では、様々な大学の取り組みが紹介されています。

「学士力」とは、文部科学省が打ち出した言葉で、正直、まだそんなに大学の間で浸透しているとは思いません。
大学4年間の間に身につけるべき学力の「基準」を設け、全国的に大学教育のレベルを引き上げようという動きですが、その手法や目指す目標のあり方などには、まだ色々と議論の余地を残しています。

そんな国全体の議論はさておき、各大学は独自に、自分達が求める「学力」のあり方や、それを達成するための方法について、少しずつ実践をしているのですね。

ところで、昨今では様々なメディアによって、様々な方々が、様々な大学論を展開されています。
マイスターが思うに、それらは、ざっくりと以下の2種類の考え方に基づいているように思います。

1:「大学はおかしくなっている。以前のような大学のあり方を取り戻すべきだ」
2:「大学を取り巻く環境が変わったのだから、大学のあり方も、以前とは違ってくるだろう」

多くの方々の主張は、上記のどちらかに属しているような気がします。

例えば、大学生の学力低下を嘆き、教授が手取り足取り勉強の仕方を一から指導する現状を嘆き、「大学がこんなありさまでいいのでしょうか?」と嘆く。これは、上記の「1」にあたります。
世の中を見渡してみると、識者と呼ばれる方々の主張や、新聞を初めとするメディアの意見を含め、どちらかといえばこの「1」の論調の方が目立っているように思います。
大学関係者にも、特に教員の方には、こちらに近い意見をお持ちの方が、結構いらっしゃるのではないでしょうか。

その一方。
上記の「教育ルネサンス」12回分の記事に登場される大学の多くに共通するのは、「2」の発想だと思います。
大学生の変容を嘆くだけではなく、「今は、今の大学に必要なやり方が求められている」と考えて、建設的な実践をしているという点が、どの大学にも見られます。

これらの記事の取り組みが、何となく前向きな内容に感じられるのは、おそらくその辺りに理由があるのでしょう。今を嘆くだけではなく、ここをスタートにして良い教育を作りだそう、という明るさがあります。

皆様は、大学職員向けのセミナーや勉強会などでよく登場する理論の一つ、「トロウ・モデル」と呼ばれるものを、ご存じでしょうか。
高等教育の研究者として世界的に有名なマーチン・トロウ氏によるモデルで、大学進学率の上昇にともない、大学の役割やあり方が変化していく……というもの。

該当年齢人口に占める大学在籍率によって、大学のシステムが以下のように変わるとされています。

・15%未満の段階
→大学は「エリート型」のシステムをとる
・15%~50%の段階
→大学は「マス型」のシステムに移行する
・50%以上の段階
→大学は「ユニバーサル・アクセス型」という段階を迎える

システムが違えば、そこで求められる入学選抜のあり方も、教育の仕方も、スタッフや教員の役割も、学位の意味も、すべてが違ってくる。

エリート型やマス型の時代の大学と、ユニバーサル・アクセス型の大学とを比較しても無意味であり、それぞれはまったく別のものである。これが、トロウ・モデルの主旨です。
日本はちょうど高等教育への進学率が50%を越えたところですから、「トロウ・モデル」の引用頻度も増えていることでしょう。

「トロウ・モデル」を知る前と知った後とでは、大学の見方が全然違ってきます。

「ワシの授業についていけん奴は退学してもしょうがない!『面倒見の良い大学』なんてくそくらえだ!」

……などと憤っているだけだったのが、

「まぁ、高校生の半数は進学するわけだし、そんな時代なりの大学のあり方もあるんだろうなぁ」

……くらいに思えるようになります。

これは個人的なイメージですが、「日本中の大学すべてのレベルが落ちる」のではなく、

「落ちこぼれには手を貸さずの精神で先端的な研究をガンガン進める大学もあれば、
丁寧に初歩的なレベルから教え導く面倒見の良い大学まで、色々な大学が共存するようになる」

……という感じ。

既に何年も学業から離れていた社会人などを含め、色々な学力レベルの学生が入学してくるという環境を当然の前提として許容した上で、各大学が、目指すミッションに沿ったベストな教育体制をつくる時代。
それが、マイスターが持っている、ユニバーサル・アクセス型の大学システムのイメージです。

日本の大学システムが既にユニバーサル・アクセス型に突入しているのだという認識を持っている方と、そうでない方とで、今回の「教育ルネサンス:学士力」を読んだ感想は違ってくるかもしれません。
ユニバーサル・アクセス時代の大学だと考えれば、上記の記事に登場する取り組みはいずれも、必要な取り組みだと思えます。
過去の大学の状態を基準にして、現在以降の大学のあり方を考えるのは、あまり生産的ではありません。

大学によって、教育の目的や方法に違いはあるでしょう。今は時代が変わる過渡期であり、どこもみな、試行錯誤をしている最中だと思います。
今回の教育ルネサンスのように、そんな試行錯誤の取り組みが多く紹介されるのは、日本の大学教育にとって良いことなのでは、と思います。

ちなみにマーチン・トロウ氏の研究成果は、日本だけでなく、様々な国の高等教育政策に影響を与えています。
読売新聞の記事だけでなく、今後、こういった発想が様々なところで登場するでしょう。
本ブログを読まれている方の中には、とっくにトロウ・モデルをご存じの方が多いかと思いますが、まだの方はこの機会にぜひ、チェックしてみてください。

それと、今回の読売の記事にも登場されていますが、桜美林大学・諸星裕教授による以下の本も、このブログをお読みの方には、非常にオススメです。

諸星氏は、様々なところで大学関係者に対し、大学の教育システムや、ミッションのあり方について語られていますので、語られている内容については、ご存じの部分もあるかと思います。
上記は、主としてアメリカの大学の教育システムや、運営のあり方に関する話を、一冊にまとめた本。

アドミニストレーションの仕組みや、GPAやプロベーションシステムなどの教学関係の内容、大学の教員や職員の職務、さらにはそれらの前提となる「ミッション」のあり方など、まさに日本の先に「ユニバーサル・アクセス型」のシステムに合わせて変化したアメリカの大学について、まとまった解説がなされています。

2008年にマイスターが読んだ本の中では一番、広く色々な方に読んでいただきたいなぁと思う内容でした。
トロウの著作よりもこちらの方が、広く一般の読者向けに書かれていて、読みやすいです。

以上、話があれこれ飛びましたが、お伝えしたかったのは、

「大学のあり方は、まさに今、変わっていっているみたいですよ」

……ということでした。

とかく、大学のこうした取り組みについては、(昔の大学に関するノスタルジーとともに)否定的な感想を持たれる方も少なくないようです。
でもマイスターは、それがこれからの大学の役割なのではないか、と思うのです。

今は、高校生の半数は高等教育に進む時代。このことは、大学の教育が難しくなるという意味において、あんまり良くないことのように語られがちです。
でも、考えてみればこれは、かなり恵まれた社会の姿だと思いませんか。

大学では、高校までのように教えられることを身につけるだけではなく、正解のない問題を自ら発見し、解決することを学べます。
昔と違って、大学生の全員が先端的な研究成果を生み出すことには貢献できないかもしれません。でも、こういった「大学の学び」に触れられる人が増えるというのは、日本にとって、悪いことのはずがありません。
だとしたらむしろ、大学は教育が難しくなったことを嘆くのではなく、こうした時代にあった大学のあり方を追究する方が、建設的で素敵です。

そんなことを、教育ルネサンスを読みながら改めて思った、マイスターなのでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

1 個のコメント

  • はじめまして。いつも楽しく拝見しております。
    こちらの投稿に関連する内容で、宮台真司氏と伊庭崇氏の対談動画がございます。
    http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2006_23636/slides/08/
    大学のあり方として、ヨーロッパ型の全体性を目指したエリート教育が良いのか、アメリカ型のボトムアップや専門家育成を目指した教育が良いのかに関する議論です。
    参考になれば幸いです。