オープンキャンパスシーズン到来 「公開講座」にはその学科のエースを

夏ですね、マイスターです。

夏と言えばそう、オープンキャンパスですよね。
電車の中を見渡すと、大学のオープンキャンパス案内だらけです。

オープンキャンパスの広告は、見ているとなかなか興味深いです
公開講座の日程などがたくさん盛り込まれている大学もあれば、ビジュアル中心で、大学のイメージを全面に押し出した広告を展開している大学もあります。

オープンキャンパスの広告一つをとっても、

「あぁ、この大学はイメチェンしたいんだな。新しい顧客層を開拓したいんだな」

とか、

「この大学は、あくまでも昔からの得意分野一本で勝負に出る気なんだな」

とか、

「ここは、どうあっても新学部を紹介したいんだな」

とか、けっこう色々なことが読み取れます。

以前の記事で書きましたが、オープンキャンパスというのは、基本的に「パンフレットでもwebサイトでも伝えられないことを伝える場」だと思っています。

(過去の関連記事)
・大学に恋させよう! 「ウォンツ」にこだわるオープンキャンパス(2006年07月18日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50223050.html

端的に言えば、最も大事なのは、「人との出会い」ではないでしょうか。

「この人に教わりたい!」と思える教員に出会う、

「自分もこの先輩達みたいになりたい!」と思える学生に出会う、

そんな風に、この学園の一員になれたらいいなと思える人に出会う。

それが、オープンキャンパスでしか実現できない、重要なポイントではないかとマイスターは考えています。
ですから、「人との接点」をどのように作り出せるかが、オープンキャンパスの肝ではないかなぁ、なんて思います。

さて、「出会い」にも色々な形があります。
一対一で話し合うだけが出会いではありません。

例えば、オープンキャンパスにはつきものの「公開授業」。

受験生は、自分が関心を持っている分野の授業を受けるわけですが、そこで出会った教員がどのような言葉を用い、どのような想いを持って、どのように学問の面白さを伝えてくれたかということは、非常に大事です。

初めて行った大学の教室で、どのような教員に出会うかということは、大げさでなくその後の人生に影響を与えることなのではないでしょうか。

だって、もしそこで、惰性で行われるつまらない授業などされたら、どうですか。

「あぁ、この○○学ってのは、面白くないな。」

なんてことを、受験生が思ってしまったら。それがきっかけとなり、進路を変えてしまうようなことがあったとしたら。それはその学問分野の関係者達にとって、取り返しの付かない損失です。

こんなことを考えていて、思い出す話があります。

大学に入学すると、たいてい、「○○学概論」なんていう授業がありますね。
○○の部分には、その学科の名称と同じ文字が入ります。
入学直後、その学科に夢や希望を抱いてわくわくしている新入生達にとっては、最も期待の大きい、楽しみな授業でありましょう。

アメリカの大学にも、やはりこういった概論の授業があるそうです。
で、その授業担当には、その学科で最も教えるのがうまい、学科のエースを投入するのだそうです。

それはなぜか。

一般的にアメリカの大学の場合、学部ではリベラルアーツ教育が中心です。
大学入学後に、専門を決める時間がたっぷり用意されています。自由度の高いカリキュラム設計ですね。
それは、教員から見た場合、「学生の興味関心を引き続けなければ、優秀な学生は、他の分野の専攻に行ってしまう」ということを意味します。

さらに言うと、大学も簡単に変えられます。単位互換のシステムが機能しているので、他の大学に編入することも、日本に比べて、珍しくありません。
あまり世間的に評価の高くない大学の場合、1年生から4年の終わりまで在籍し続ける学生の割合が3割程度なんてケースも少なくないようです。厳しいですね。

こういった状況下で最も大事なのは、そう、概論の授業です。
この授業で学生の心を掴めなければ、他に逃げられてしまいます。
したがって、話がうまく、新入生達をうまく学問の世界に引き寄せられるような、魅力的な授業を展開する教員が、どうしても必要になってきます。

だから、エースを投入するのです。
それは若手教員だったり、あるいはベテランの教員だったりするでしょうが、とにかく、最も教えるのがうまい人材を、概論の授業に充てるのです。
(ちなみにその際は、FD活動のデータなども参考にされることでしょう)

……と、そんな話を思い出し、考えるに、

オープンキャンパスの受験生向け公開授業というのは常に、「この人の授業は素晴らしい!」と誰もが思う、その学科のエースが担当するべきなのではないでしょうか。

受験生向け公開授業の出来は、モロにその学科、その大学の評価に影響を与える問題です。
もしも、そこで受講生達を満足させることができなければ、その学科はおろか、大学全体にとっても大きなマイナスになります。ですから、大事ですよね。

しかし実際はどうかというと、必ずしもその重要性が認識されていないこともあるような気がするのです。

「昨年は○○先生がおやりになったから、今年は順番で行くと、○○先生ですな」なんて決め方がされているケースも、まだまだあるのではありませんか?

しかしこれでは、必ずしも教え方のうまい先生が担当になるとは限りません。
「ノルマだから仕方ない」という意識で、あまり工夫されていない内容だったり、自分の専門のことばかりを話して場を乗り切ろうとしたりする方が、オープンキャンパスの壇上にあがる可能性もかなり高いです。

これって、改めて考えてみると、とても恐ろしいことです。
普段、どれだけ教育に対して投資をしていても、GPを取得することに心血を注いでいたとしても、公開講座一発で、すべてがフイになる可能性があるのです。
みなさまの大学でも、もしかすると、貴重な機会をみすみす逃してしまっていることがあったかもしれません。

逆に言うと、こういった要点を確実に良くしていくことで、受験生からの評価がぐっと上がることもあるのではないでしょうか。

全学あげて事前準備を綿密にやり、各学科の教員の中でもオープンキャンパスに対する熱意にあふれる教員をそろえ、公開講座の内容も全員でブラッシュアップする。
全体としての統一性を確保すべきところは確保し、総合的に演出する。

そんな風に、このイベントに対する姿勢を変えることで、事態が変わることもあるんじゃないかと個人的には思います。
というか、そういったところを改善していくことから、大学改革というのは始まるんじゃないでしょうか。

以上、マイスターでした。