東京都 「教職大学院」修了者を優先的に採用

マイスターです。

知識だけで続けられる仕事がないのと同様に、経験だけで続けられる仕事もない。
よく、そんな風に思います。

MBAの例で考えてみましょう。

有名大学のMBA課程を首席で修了した人でも、実際のビジネス経験がゼロでは、おそらくすぐにビジネスを大成功させることはできません。実際にひとつずつピンチを乗り越えていくことでしか得られない判断力も、ビジネスの場では大事だからです。
また、大学院では教わらない細かいノウハウや振る舞い方なども必要です(人によっては、これを知識に対する「知恵」と呼んだり、「形態知」と呼んだりします)。

でも、だからといって、MBAが無意味なわけではありません。
逆に、現場からは得られない知識や視点というものも、存在するからです。
MBAのコースで教わるような最新の分析術や思考メソッド、世界の裏側で起きている事例の情報、過去の卒業生達が遺していった知的な議論の記録などは、MBAで学んでみないと触れられません。

「MBAを出たから俺は何でもできるぜ!」というのは傲りですが、
「必要なことはすべて現場から学べるんだ」と考えるのもまた、ベテランの傲り。
これらは車の両輪であって、マンネリに陥らずに高度な仕事をしていこうと思えば、いずれ必ず両方が必要になるものなんだろうとマイスターは思うのです。

でも日本ではどちらかというと、「仕事で必要なことは学校なんかじゃ学べない。全部、仕事をこなしていく中で身に付くんだ」式の発想をする方が多いようです。

そこで、そのあたりのバランスが良くなるといいなぁ、という期待も込めて、「プロフェッショナルスクール」たる専門職大学院が今後どうなっていくかが、とても気になるのです。

さて、今日はこんな話題をご紹介します。

【今日の大学関連ニュース】
■「『教職大学院』修了者を優先採用 東京都、教育再生で」(MSN産経ニュース)

東京都教育委員会は、指導力を備えた教員を養成するため今年4月から設置される早稲田大など都内4大学の「教職大学院」と協定を結び、大学院修了者を通常の教員採用試験とは別枠で優先的に採用する方針を決めた。教職大学院は、国の教育再生策の目玉とされるが、採用試験に影響はなく、修了メリットが不明確との指摘もある。このため、都教委では独自に大学院修了者を優遇することで、優秀な新人教員をいち早く確保したい考えだ。
都教委と協定を結ぶのは、4月から教職大学院をスタートさせる早稲田大(定員70人)▽創価大(同25人)▽玉川大(同20人)▽東京学芸大(同30人)-の4校。
新人教員の別枠採用は「特例選考」と呼ばれ、従来の採用試験とは別に実施されるが、採用方法や人数など詳細は検討中。採用後の初任者研修の一部免除も挙がっているという。
4校はそれぞれ独自の教員育成カリキュラムを用意するが、新人教員が即戦力として通用するよう、全体の3割程度は都教委が提示した共通カリキュラムを活用するとしている。
(上記記事より)

教職大学院は、法科大学院と同じ「専門職大学院」。
アカデミックなスキルを身につけさせることはもちろんですが、基本的には現場で活躍できる人材を輩出することが使命の、プロフェッショナル・スクールです。

【専門職大学院設置基準】
第二十六条  第二条第一項の専門職学位課程のうち、専ら幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校(以下「小学校等」という。)の高度の専門的な能力及び優れた資質を有する教員の養成のための教育を行うことを目的とするものであって、この章の規定に基づくものを置く専門職大学院は、当該課程に関し、教職大学院とする。
(「専門職大学院設置基準」より。強調部分はマイスターによる)

修了すると「教職修士 (専門職)」という専門職学位を取得できる点や、実務家教員を一定数置き、実習を重視するなどの点は、法科大学院と似ています。

ただ法科大学院と大きく違う一点が、これまで様々なところで指摘されていました。

教職大学院は、法科大学院などと同じ専門職大学院の一種。学校運営の中心となっていく中堅教員や、実践的な指導力を備えた新人教員の養成をめざす。修了すると教職修士号(専門職)が与えられるが、待遇は各教委の判断に任されている。
(「教職大学院、19校でスタート 指導力の向上図る」(Asahi.com 2007.11.27)より。強調部分はマイスターによる)

法曹を目指すためには、現行の制度では必ず、法科大学院を卒業しなければなりません。
ですから、総合的な法制度の整備や改革と関連づけて、法科大学院ではどういう人材を育成すべきかという議論をすることができます。

しかし教職大学院の場合、法制上は、そのあたりが極めて中途半端なのです。
別に教職大学院を出なくても教員にはなれますし、大学院でせっかく学んでも、別に学位を持っている人と扱いが変わらないのであれば、行くメリットは減少します。
日本の教育に刺激を与えるために満を持して創設された教育機関のはずだったのに、ふたを開けてみたら、「行きたい人は行ってね。でも、あくまでも自己研鑽の範囲で」という位置づけだったわけです。

もちろん、現在の教職大学院の仕組みや内容が、完全無欠なものだとは思いません。まだ、これからようやく始まる制度ですし、優遇云々といった社会的な信頼を得るのは、これからなのかもしれません。
ただ、いずれにしても現状のままだと、初年度は定員を満たせたとしても、数年後は難しいでしょう。
世間からの信頼を勝ち取る前に、教職大学院の仕組みが破綻してしまう可能性だってゼロではありません。
教職大学院の制度における一番の懸念点は、おそらくここです。

そんな中で、冒頭の、東京都の報道です。

採用に関する優先的な扱いや、採用後の初任者研修の一部免除など、教職大学院の修了生を優遇する内容を検討しているとのこと。
都、教育委員会、それに各教職大学院がスクラムを組んで、良い教員の養成に取り組むのですから、これは興味深い事例になるかも知れません。

4校はそれぞれ独自の教員育成カリキュラムを用意するが、新人教員が即戦力として通用するよう、全体の3割程度は都教委が提示した共通カリキュラムを活用するとしている。
(上記記事より)

……というくだりも、気になります。
確かに、ある程度思い切った「優遇」をするのであれば、カリキュラムを共同で開発するということもあるかも知れません。

ただ、だったら都内のこの4大学だけに制限するのではなく、いっそ大学認証機関のように評価基準を明示して、

「カリキュラムや教育環境などの面でこの基準を満たす大学院であれば、東京都は優遇します」

と広く日本中に呼びかける方が、明快で公平なんじゃないかなという気もします。
(アメリカでは、このように専門分野別の評価基準団体が、産業界と連携して、大学院のカリキュラムを評価していると聞きます)

それと、できれば採用時の優遇だけではなく、「昇進」や「昇給」、あるいは職能別の配置などとも何らかの形で連動させてみてはいかがでしょうか。
例えば、教頭や校長になるためには、教職大学院で一定数の単位をとることが必須、とか。
でないと、既に教員として働いている方々が、これから大学院で学び直そうと思わないと思います。
既に活躍されている現場の教員達が動かなければ、やっぱり、何も変わらないんじゃないかという気が、個人的にはちょっとするのです。

上記は思いつきの一つに過ぎませんが、とにかく東京都には、様々な機関を巻き込む大胆な取り組みをして、他の自治体も参考にするような事例を作って欲しいなぁと思います。

ちなみに、どこかの大学院の広告で、「世界の教員は修士以上がスタンダード」みたいなキャッチコピーがあったような気がします。

文部科学省による「教育指標の国際比較」(平成18年版)を元に計算してみると、例えばアメリカでは修士号を持つ全分野の人の中で、教育・教員養成系が占める割合が、28.3%。
日本のそれは7.4%に過ぎませんから、確かにアメリカなどでは、教育系の修士号が、かなり身近な存在なんだろうと分かります。

ただ、アメリカの場合、もともと修士課程以上で教員を養成する州もあります。
また教員資格が免許制で、定期研修の度に大学の単位をとりにいかなければならず、その単位をためて学位を取得する、なんてケースもあります。
そしてなにより、学位を持っているのといないのとでは、職務や給与に差がつくのです。
学校の管理職になるためには修士以上、のような規程がある州もあると聞きます。行く理由があるから、多くの人が通うわけです。

日本には、そうした現象を「不純だ」と批判する人もいるかも知れませんが、「大学院で学んだ教員が増えれば、結果的に学校の教育環境が充実するのだから問題はない」というのが、アメリカの考え方なのでしょう。

全く同じ考え方にする必要はありませんが、もし本当に教職大学院を、社会のインフラとして機能させようと思うのであれば、こうした他国の取り組みにも、参考になる部分もあるかも知れません。

また、日本では、「大学院を出たからって、良い教員になれるわけじゃない」……なんて言って、専門職大学院を批判する人が、少なくないように思います。

確かに一理あります。大学院を出た「だけ」では、良い教員にはなれません。しかし冒頭でも申し上げた通り、「経験だけ」でもやがて限界は来るとマイスターは思います。
特に今は、教育現場が従来の在り方から大きく変化している時代です。今後も、どういう方向に向かっていくか、予測がつきません。だからこそこれまで以上に、最新の研究成果にもとづくメソッドを身につけたり、みずから実践研究を行ったりという行為に意味が出てくるのではないでしょうか。

だから、

「もし、知識やスキルを持った教員が必要なのだとしたら、それは一体、どういうカリキュラムで育てられるのだろう? それを教えられる大学院というのは、どういうものなのだろう?」

……という点から発想した方が、建設的なんじゃないかと思うのです。

「大学院を出たって意味がない」というのではなく、「意味がある大学院というのは、どういうものだろう?」という視点で考える。
そうでないと、いつまで経っても、本当の意味での「プロフェッショナルスクール」は作れないんじゃないでしょうか。

あれこれと書いてしまいましたが、いずれにしても「優れた教員の養成」というのは、社会全体を挙げて取り組むべき課題の一つ。その取り組みのひとつとして、教職大学院の今後の展開には、注目していきたいと思います。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。