流通する「講義ノート」 73%が購入経験あり?

マイスターです。

「UNN関西学生報道連盟」というサイトがあります。

■UNN関西学生報道連盟

・神戸大学ニュースネット
・同志社大学 PRESS
・立命館大学NEWS立命
・関西学院大学新月Tribune
・大阪大学POST
・関西大学タイムス
・神戸女学院大学K.C.Press
・大阪外大新聞
・京都女子大学藤花通信
・京都大学EXPRESS

以上、近畿地方の大学新聞が共同で記事を配信している、ちょっとユニークなサイトです。
学生記者が書く「キャンパス発」の記事から、面白い発見をすることもあり、たまに見ています。

そんな「UNN関西学生報道連盟」で、ちょっと驚く報道を見つけてしまいました。

【今日の大学関連ニュース】
■「問われる学生のモラル 加盟大学内で講義ノートの使用実態調査」(UNN関西学生報道連盟)

学生が執筆したノートを大学運営以外の者(ノート屋)により仲介、販売されている“講義ノート”。一部の大学では昔から存在し、試験前に一部の学生から駆け込み寺として重宝されている。
講義ノートは、キャンパスの近くに販売店で1冊500~1000円程度で購入できる。執筆者は学期始めに募集され、1教科(2単位)1万円前後が報酬。ノートによっては過去問が付いており、1教科につき1つのノートが販売されている。業者によるノートの選別があるが、購入者は購入時に中身を見ることが出来ないので、ノートの質は様々。購入者は賛否両論の意見だ。
UNN加盟大(神戸大、同志社、立命、関学、阪大、関大、神女院大、京女大、京大)では、立命と同志社に存在し、関大と関学では数年前まで存在していた。UNNでは、ノート販売店が存在する大学の学生122人を対象に、1月中旬に使用状況を無記名でアンケート調査した。
全体の73%が購入経験ありと回答(図1)。購入歴がある人に利便度を聞いた(図2)。55人が「やや役に立つ」と回答。「役に立つ」と合わせると 77.5パーセントがノートを有効に使っていることが分かった。しかし、「誤情報が載っていた」「レジュメを丸写しにしたノートがあった」「授業に出ていれば必要ない」「金額が高い」と否定的な声も多い。
一方、「講義ノートがバイトの定番になっている」という執筆者もいる。今までに10万以上稼いだ学生(立命・2年)は、「自分も中だるみを防げるし、やる気が出る。内容をまとめて執筆するので、テスト勉強をしなくて済む」と話す。
業者の存在について、「仕方がない」とほとんどの学生(43%)が回答した(図3)。
(上記記事より。強調部分はマイスターによる)

レポートや卒業論文を執筆する業者や仲介屋の存在は、以前からマイスターも、しばしば耳にしていました。

ただそれは、主にネット上で活動している「ちょっと怪しげな」業者であって、大多数の学生にはまだまだ遠い存在なのではないか、と勝手に思っていたのです。

上記の記事を見て、驚きました。

こんなに身近なところで商売しているのですか?

しかも、こんなに多くの学生が利用しているのですか?

「サークルの先輩から過去問をもらう」とか、「友人とノートのコピーを交換する」みたいなレベルならマイスターの想像の範囲内なのですが、なんだかすっかり、ビジネスとして流通する仕組みができてしまっているようではありませんか。
誰ですか、こんなビジネスモデルを構築したのは。

これは、不正であり、学術の冒涜だとマイスターは思います。

それに記事でも指摘されていますが、高額の学費を払って「学ぶチャンス」を買っているにも関わらず、それをドブに捨てるためにまたお金を払っているわけです。
ばかげた話ですから、学生の皆様には、オススメしません。

……ただ、もしかするとこれは、もう少し根が深い問題かも知れません。

こういう話を聞くと、

「普段授業をさぼっているのに、他人のノートで楽して単位を取ろうとしている学生が多いのだな。けしからん」

……なんてつい想像してしまいがちですよね。
でも、果たして本当に、このノートを買っているのはサボリ学生だけでしょうか?

もしかすると、普段真面目に授業に出ている学生も、その真面目さゆえ、

「自分のノートは不完全なんじゃないか。正しい『模範解答』がないと不安」

「ずるい気もするけど、おかしな点数を取るよりはいい。テストなんかで失敗したくない」

「自分でも授業には出たけど、お金で買えるものなら、『念のために』買っておこう」

……といったことを思いながら、買っていたりしないでしょうか。

レポートを書くときにネットで情報を検索するのと同じくらいの気安さで、こういうものを購入している学生が、実は結構いるんじゃないでしょうか。

マイスターはなんとなく、今はそんな人も多いんじゃないかな、と想像してしまうのです。
皆様はどう思われますか?

もちろん、いずれにしても、けしからんことには変わりがありません。
というか、仮にマイスターの想像通りだとしたら、なお悪いです。
そういう場合、買っている本人は、あまり「負い目」を感じていないと思われるからです。

「別に授業をさぼっているわけではないんだから、いいじゃないか。より高い点を取るための『努力』の一つなんだから、責められる筋合いはない」

「こういう勉強法が身にならないものなんだとしても、将来困るのは自分なんだろう? だったらいいじゃないか」

「自分は将来のために、もっと有意義な時間の使い方をしている。単位は効率的に取りたい」

……なんて主張する人も、いそうな気がします。

でも、繰り返しますが、これは学術に対する冒涜であり、大学をおとしめる行為です。
何とかして、こういった行為を止めさせたいところです。

しかし残念ながら、こういった商売を大学が直接的に取り締まったりすることは、おそらくできません。学生を注意しても、あるいはモラルに訴えても、買う人は買います。

またこういう場合、「ノートのコピーで高得点を取れてしまうような試験をする方にも問題がある」という批判も出ます。一理ありますが、理工系など、論述だけではなく問題を「計算して解かせる」必要がある領域もありますし、やっぱり限界はあります。

やっぱり、「なぜ学ぶのか」を学生に理解してもらうのが、抜本的で、最良の解決法であるように思います。

……と、いいつつ、それでもダメだったら、どうすればいいのでしょうね。

ちなみに以前マイスターは、手に入れた過去問をかたっぱしから研究室の前に張り出している教授を見たことがあります。で、すべての問題に、「この過去問は対策済みです」とか、書いてあるのです。
過去問が流通し、学生がさぼるようになったということでの、苦肉の策だったようです。
でも実際それで、学生は過去問を手に入れるために友人に声をかけまくったり、過去問を熱心に研究したりということをしなくなったそうです。

ふと思ったのですが……
いっそ、店で売っているノートを買ってきて、「このノートは対策済みです」とか書いて、研究室の前に貼りだしてしまったらどうでしょうか?
公開されているノートをわざわざお金を出して買う人はいません。だって、買わなくても大学に貼りだしてあるんですから。まして、「このノートだけじゃダメです」と書いてあったら、なお誰も買いません。
ノートをさらされる学生もあんまりいい気はしないでしょうから、売り手も減るかも知れません。
商売として成り立たなくなれば、結果的に流通も途絶えるんじゃないでしょうか……?

ノートを取り扱っている店からしたら営業妨害以外の何者でもありませんが、もし店が抗議してきたら、「大学の講義ノートを販売するのは、大学の営業妨害だ」と言ってやりましょう。

うーん、自分で書いておいて強引だなと思いますが……どうでしょうか、この対応法。
コピーノートの蔓延にお悩みの先生がいらしたら、ご自分の授業でぜひ一度お試しを。

とはいえ、やっぱりこれも、本質的な解決法じゃないんですよね。
どういう対策が一番いいのでしょうか。

「自分はこんな風に対抗している」、
「自分はこう考えることにしている」、

……といったアイディアやお考えをお持ちの教職員の方がいらしたら、ぜひ教えてください。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

11 件のコメント

  • マイスター様
    いつも興味深く拝見しております。
    上記の「講義ノート販売」ですが、このような商売はもうずいぶん前からあります。インターネットというものが出回る前からあるので、下手な商売よりも歴史があります。ですので、マイスター様が「驚」いたことに、こちらは逆に驚いてしまいました。
    当方は購入したことはありませんが、もらったことはあります。科目と書き手によりますが、「ある程度授業に出ていないと、あんまりつかえないな」、というのが印象でした。むしろ、講義を欠席したときの回を埋めるような使い方が役に立ちそうでした。
    それから、自分の取ったノートと比較してみるのは、なかなか興味深いところがありました。人によって、ノートの取り方が多少違うので。
    それから、同志社つながり、ということで、お知らせ。
    Doshisha Corgiというサイトが最近出てきました。
    http://corgi.uni-kaji.com/
    こちらは「商売」ではありません。サイトの説明によれば「Doshisha Corgi(同志社コーギー)は、誰でも講義ノートが書けて読める、講義ノート共有サイトです。 同志社大学の授業のノートを自由に登録・編集することができ」るそうです。残念ながら、同志社大学発行のメールアドレスでないと登録できないので、「誰でも」というのは若干看板に偽りありで、確認してもらえないのが残念です。
    ざっと見たところ、まだ利用者はいないようですが、こういうのができると「商売あがったり」だったりするのでしょうか?

  • 過去問についてですが、マイスターさんのご存知の教授は了見が狭いのではないでしょうか?「過去問が流通し、学生がさぼるようになる」のは教員の責任だと思いますし、その対策として採られた方法は学生の学びの質の向上にあまり役立たないように思います。
    私(私大教員)は初回の授業のときにシラバスと一緒に、数年分の過去問を配布しています。「先輩からもらった過去問情報は当てにするなよ。間違った情報もいっぱいあるから。これは本物の過去問だぞ」と。試験では過去問と同じ問題も一部わざと出しています。過去問を配ることで、教師が何を身につけさせようとしているか、何が重要(で試験に出やすい)かがわかりますから、しっかり勉強するように思います。また、試験前ではなく初回の講義で配布することで、「この講義を履修すると、こうい問題に答えられるようになる」というメッセージを学生に与えることができ、学生は見通しをもって学期を通じて学ぶことができ、試験直前の一夜漬け学習だけに陥らなくてすむようになります。

  • マイスター様
    いつもブログ拝見しています。
    福岡の大学生(1年)です。
    今回の記事には驚きました・・・
    関西の事情が分からないので何とも言えないのですが、福岡の大学ではノートの貸し借りはあっても商売には発展していないと感じます。(私が知らないだけかもしれませんが…)
    ただ多くの学生の立場からしてみれば、「大学の勉強なんて役に立たない」とか、「テスト勉強せず楽して単位を取りたい」と思う輩はいくらでもいます。そのニーズに答える意味でもこの商売は成り立って仕方がない気が…。
    マイスターさんの記事にはソース記事の最後がありませんが、そこに書いてある、「買う学生のモラル」も重要だと感じます。そこで僕もやっぱり、「なぜ学ぶのか」って学生が理解する所が抜本的な解決策であり、本質を突いているんじゃないかと感じます。
    果たしてなぜ大学に入ったかという意味を、少なくとも僕の周りの学生は理解しようとしていないんですよね。
    大学入って遊んで就職して…そんな考えをもってる人が多すぎるっていうか…。
    まさに大学入学を、「一括先払い4年就職保険」と勘違いしています。
    確かに一言さんのように前もって過去問を配布するという対策をすることで、学生はしっかりと「勉強」するでしょうが、果たしてそれはどんな「勉強」なんでしょうか。中にはその勉強がキッカケで学問の面白さに気付く人もいると思いますが、結局は単位を取るため、卒業するため、となってしまっては話にならないと思います。
    教授の皆さんには、何を身に着けさせよう、という気持ちの先にある、それを身に着けることがどう重要で、どういった人間になって欲しいか、という気持ちまで伝える努力をして欲しいものです。
    だからこそ、学問に取り組み教育にも携わる教授自らが工夫して講義に臨む姿勢がまずは大事だし、学生側の学問に対する姿勢も変えなければならないですね。

  • >前もって過去問を配布するという対策をすることで、学生はしっかりと「勉強」するでしょうが、果たしてそれはどんな「勉強」なんでしょうか。
    とご質問がありましたので、お答えすると、前述のように「教師が何を身につけさせようとしているか、何が重要(で試験に出やすい)か」の勉強になります。過去問と実際の問題は一部しか重複していませんから、学生は何が重要かということを、見本(過去問)を参考に自分で考えることになります。

  • 私は都内の、それなりの歴史を持つ総合大学を卒業しましたが、ノートの販売なんて聞いたことがありませんでしたので、驚きました。
    思うに、こういった「商売」が常識であるかどうかは、大学によっても違うのではないでしょうか。私の家内や職場の同僚にも聞いてみましたが、私の周りには、こういう商売を知っている者はおりませんでした。
    「よこた」氏が指摘されているように、以前からこの手のサービスが常識のように存在していたのだとしたら、どうしてこれまでこういった問題をメディアや大学関係者が問題にしてこなかったのかが不思議です。
    ですから「マイスター様が「驚」いたことに、こちらは逆に驚いてしまいました。」というコメントに、私は驚いてしまいました。
    昨今では、模範レポートをインターネット上で販売するようなビジネスも存在しているようですが、ああいった問題はメディアでも取り上げられていますので・・・。
    それと「一言」氏のコメントについて。
    「一言」氏がどのような分野で、どのようなレベルの学生を相手に講義されているのか、存じ上げませんので、安易なことは申し上げられませんが、「過去問を配ることで、教師が何を身につけさせようとしているか、何が重要(で試験に出やすい)かがわかりますから、しっかり勉強するように思います。」というのは、私にはかなり楽観的な見方であるように思います。少なくとも、世間一般の、多くの大学で通用する見方ではないように感じられます。
    hk1226氏やマイスター氏が指摘されているのは、そのような先生方の配慮も、結局のところ大多数の学生にとっては「無駄なく楽に単位を取る」という短絡的なメリットに終わってしまっているのではないかということだと思うのですが、いかがでしょうか。
    過去問から「教師が何を身につけさせようとしているか」を総合的に読み取り、学業に励んでくれるのならいいのですが、ややもすると、「こうした問題さえ解ければ単位が取れるのか」と、楽な方向だけに使われてしまう恐れもあります。
    むしろ、楽な方向に使われる可能性の方が高いのでは、ということを、両氏は指摘されているのではないでしょうか。

  • ケンタロウ氏ありがとうございます。
    一言氏にコメントしようと思いましたが、ケンタロウ氏が分かりやすく示してくれましたね。
    まさにその通りです。講義をまじめに受けるのも、ノートを一生懸命取るのも、友達からノート貸してもらうのも、買うのも…
    結局は「卒業するため」とか「単位を取るため」となってしまっては意味がないのですよ。学生側が学問の面白さを知るような、そんな講義を通して、自分自身から「勉強」するように教授は仕向けないといけないと考えます。(例えばもっと読書するとか)
    http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/1191.html
    http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KANPO/dayorihida.html

  • どうも誤解されているようですが、「過去問を配る」のは「その授業で教師が学生に教えようとしていることは何か」が学生に明白になるからです。シラバスにこれを含めないほうが不思議でなりません。例えば米国の多くの教科書には各章末に「問題」が掲載されていますし、別冊として問題集も販売されています。
    なお、別件ですが、私の勤務校はこのニュースであげられている大学のうちの1つであり、ノートは大学正門前で堂々と販売されていましたし、電柱などにも「ノート募集、ノート販売」のビラが貼られていました。20年以上の歴史があり、中には担当教員自らこっそり購入しているケースもありました(自分の講義がどのように学生に理解されているかチェックできるし、よくまとまっていれば自分で講義用ノートを作らなくても良い、とか)。なお、これを「講義録」と考えれば、西洋では数百年の歴史があるともいえるでしょう。私はノート屋の存在が100%悪いとは思いません。関東と関西の商売感の違いでしょうかね。
    勤務校ではある先生が、知的財産権の侵害ということでノート屋を訴えるという話になり、それがきっかけでノート屋がつぶれたと聞いています。学生の勉学に悪影響があるかどうかではなく知的財産権の侵害という側面で議論になるあたりに、やはり関西の商売人気質が現れていますね(この先生は「印税をくれたら販売しても構わない」とノート屋にいったらしいという笑い話も)。

  • いつも勉強させていただいています。
    京都の某改革大学出身ですが、講義ノートは
    私の時はなんと校門の隣で販売していましたね。
    私も正直なところ利用したことがあります。
    理由としては、時間買いでしょうか。就職で
    学業が重視されない時代でしたので、それ
    以外のことに時間を費やすために購入した
    記憶があります。わずか500円ほどで過去問
    とノート。実はノートコピーよりも安い。
    最近の学生は昔より更に効率性重視ですから
    今も多いのではないかと推測します。
    教授が毎年問題を変える、学問の意味・楽しさを教える、出席したくなる授業の展開が実施されれば多少マシになるのでしょうか。もしくは体験型の授業をどの講義でも取り入れるなどして、試験だけで判断できない評価構築も重要ではないでしょうか。

  • 私もノートの売っていた某京都私大の卒業生ですがノート屋がなければ私は自殺していたかもしれません。地方から出てきて大学に馴染めなかったためサークルにも入らず友人もできず鬱病で精神科に通院しひきこもりで授業も出られませんでした。そんな私は当然ノートを貸してもらったり過去問をくれる友人も先輩もいませんでした。孤独な青春、学生時代でした。
    そんな私にとってノート屋は私が単位を取り大学を卒業するための唯一の頼みの綱でした。
    授業にはほとんど出れませんでしたがノートと過去問と指定テキストでなんとかすれすれで大学は卒業し、氷河期でしたがなんとか就職することもできました。
    今では家庭もあり昨年子供も生まれました。ノート屋がなければこの子も生をうけることはなかったでしょう。
    関東の某大規模な有名私大に行った友人の中には私と同じように大学に馴染めず留年を繰り返した上、自殺してしまった者もいます。
    私はノート屋とその存在を黙認している母校の懐の深さに感謝しています。
    本来私のような人間は大学を卒業する資格などなく大学から退場しなければいけなかったかもしれません。ただ今の日本社会は昨今の氷河期世代無視の企業の新卒一辺倒の獲得競争を見ても解るようにドロップアウトした人間に寛容ではありません。
    私のような人間の最後のセーフティーネットとしてノート屋には今後も存続して欲しいと思ってます。

  •  初めて投稿します。私は都内の某有名私立大学に通う現役の大学3年生です。友達の先輩がノートの仲介屋企業を今年の春に立ち上げ、私は講義ノート提供者にならないかと誘われ、現在ノートの作成、提供を行っています。生徒の中からノートの作成者を募り、アルバイトのような形で講義ノートを集めているようです。
    具体的な提出内容としては、講義の内容を書いた自分のノート(コピー)、講義のテスト問題(テスト時に回収されなければ本体、回収された場合は細かい内容)、過去に受けた授業の過去問題、などです。
    給料は4単位授業が3万円、2単位授業が1万5千円、過去問題提出や友達の紹介でボーナス2千円、といったものです。
    ノート提出は手渡しや郵送で、途中で執筆をやめる、提出が遅れるなどすると、罰金が課されるシステムです。
    ノートには、テストに出すと先生が言っていたか否か、授業の重要度を書くように言われており、内容というよりテストを重視しているようです。
    「俺の先輩が新しいカンパニーをやってて、ぜひ手伝ってほしいらしいんだけど」
    「ノートを提出するだけだから、普通に授業を受けるだけでアルバイトができるよ」
    「他の大学では普通にやっていることらしいよ」
    ・・・といった誘いに乗ってしまった私も軽率でしたが、今やめると罰金になるのでまだやっています。実際に提出してみてわかったのは、提出が悪い事でないのか、悪いことなのか、学生にははっきりとわからないことが問題だということです。
    悪いとわかっていたら、大半の学生はやらないし、ノートを買うこともないでしょう。でも「モラルが問われる」という程度で、しかも賛否両論なのでやってもいいかな、と思うんです。校内で参加者を募るビラを配っていましたし・・・。私も途中から何だか悪いような気がしてきて、他の人にはしゃべらずにやっていました。
    問題とは直接関係ないのですが、ノート提出をしていた企業からの連絡が、ノート発売日からパッタリなくなってしまったんです。
    私が予想するに、大学側から何らかの圧力がかかったんではないかと・・・。つまり、今こうやって問題になっていることですから、もみ消されたか、とんずらしたのではないかと。もしそうなら、今までのコピー代と労力をどうしてくれるんだと言いたくなりますが、内心ホッとしています、自分が悪いことに加担していたかもしれないと思うと・・・。

  • 講義ノートの是非は、一概に結論を出しにくい気がします。
    私は1998年に同志社を卒業しましたが、講義ノートはもっと前から存在していたようです。
    また、講義ノートは、不真面目な学生だけが買うものとは限りません。
    授業も皆勤で、教科書もちゃんとチェックするような真面目な人でも、講義ノートを買っていました。その理由は、自分が聞き取れない、理解出来なかった内容も書いてある。さらには、難解な法律用語でも、ノート執筆者が後で調べて解説していることもあったようです。
    もちろん、講義ノートの質は執筆者次第。板書すら書き取れていないものもあったようです。しかし、講義ノート=先生の講義録だとは、限らないのが実態ではないでしょうか?
    そもそも、講義の位置づけは、先生によっても違うと思います。
    学部の授業は、多くが概論を教えるものです。教科書も担当する先生自身が書いたものでなく、他の著名な学者が書いた教科書を指定していることも多いです。
    授業は、あくまで教科書の解説。「教科書を読めば、分るなら、出席しなくても良いよ」という先生も多くいます。
    むしろ、問題なのは科目の趣旨から脱線してしまう先生です。例えば、比較政治学の授業なのに、比較政治学の教科書を用いず、自分が研究する特定の国の話しかしない。比較もせず、理論の話もしないことがありました。酷い場合は、ロシア東欧政治の授業なのに、担当の先生は文学専攻だったこともあります。講義でも、政治より文学の話ばかりでした。私が在学した時代の同志社では、看板に偽りのある授業が少なくありませんでした。
    このような変則的、むしろ粗悪な講義であると当時に、いわゆる主要科目である場合には、講義ノートの需要が大きかったかもしれません。しかし、こういう場合は、授業に出ない学生だけではなく、看板を偽る教師にも責任があると思います。
    もちろん、概論の講義を目的としない授業もあります。
    出身大学では「特殊講義」という名前がついている科目がそうでした。これは、大教室で教えるには向かないマニアックな分野や、先生が今研究している、関心のある事柄に特化して講義するものでした。
    こういう授業こそ、価値があると思うかもしれません。しかし、マニアックな講義を理解するには基礎知識が必要です。そうした基礎知識=概論を教える講義がない蹴れば、マニアックな講義も成立しないのです。
    また、特殊講義は万人受けする内容でなく、本当に興味がある学生数名から多くても2,30名だけを対象に行うものでした。当然、こうした授業の講義ノートなんて売っていません。
    なので、講義ノートには、さほど目くじらを立てる必要はないかと思います。