「ゆとり教育」の反省点並ぶ? 学習指導要領、改訂へ

マイスターです。

中央教育審議会が、次期「学習指導要領」の大枠を発表しました。
見直しの声が強まっていた「ゆとり教育」路線は、どうなったでしょうか。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「ゆとり教育見直し、小5から「英語活動」創設…中教審」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071030it12.htm
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「ゆとり教育」による学力低下を反省し、小中学校では、主要教科の授業時間を1割以上増やす一方、現行の指導要領から導入された総合学習の時間を削減する。国際化に対応するため、小学5年から「外国語(英語)活動」の時間を創設。「道徳」を教科に格上げすることは見送る。小中学校の授業時間が増加するのは30年ぶりで、「ゆとり教育」からの方針転換が明確に打ち出された。

(略)小学校の授業時間は、各学年とも週1、2コマ(1コマ45分)増やし、6年間では現在より278コマ多い計5645コマに。特に増えたのは国語、算数、理科、社会の主要4教科と体育で、中でも、算数と理科はともに16%増となる。また、5年生からは、週1コマが英語活動に充てられることになった。

中学校では各学年とも週1コマ(1コマ50分)、3年間では、現在より105コマ多い計3045コマとした。特に理科と外国語(英語)が増え、3年間の授業時間はともに現在の33%増。英語は、国語、数学などを含め、教科の中で最も授業時間が多くなる。

現在の指導要領で大幅に削減された学習内容も相次いで復活し、小学校算数では「台形の面積」、中学校理科では「イオン」が加わる。一方、ゆとり教育の象徴だった「総合学習の時間」は、小中学校ともに削減され、中学校の「選択教科」も事実上廃止される。

(上記記事より)

……と、このように全面的見直しの様相を呈しています。

各教科の学習時間は「ゆとり教育」以前の水準に戻し、新たに「英語」も加わるのですから、かなり大きな路線変更と言って良いのではないでしょうか。
ちなみに、ゆとり教育の例としてしばしば引き合いに出されていた「台形の面積」も復活です。

今回、異例なのは、中教審が自ら「反省の弁」を述べているところです。

■「『授業減らしすぎた』中教審が異例の反省」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071028it01.htm

次の学習指導要領を審議している中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。

(略)中教審が今回、反省点として挙げるのは、〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった〈2〉「生きる力」の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた〈3〉総合学習の時間を創設したが、その意義を伝えきれなかった〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった〈5〉家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった――の5点。

(上記記事より)

「反省点を具体的に示さなければ、方針転換の理由が学校現場に伝わらないと判断した」とのことなのですが、このような発表は、極めて異例のことだと思います。

あまりにも珍しいことなので、↓海外のメディアも取り上げているほどです。

■「日本『ゆとり教育を反省』」(東亜日報)
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2007102975558

しかしこの「反省点」、なんだか考えさせられる内容です。

「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった

って、冷静にこの文面だけ読んでみると、なんだか日本の社会はものすごーく心配な状態なんじゃないかと思えてきますね……。

たぶんこの文面、学習指導要領が掲げた「生きる力」の定義が分かりにくかった、というくらいの意味合いなんだと思いますが……そもそも生きるために必要な力って、そんなに複雑で難しいことだったのでしょうか。
色々な意味で、日本の教育システムが心配になってきます。

家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった

……と、この記述もなんだか、考えてみると深刻です。

学校教育に「ゆとり」を持たせることで、その分、家庭や地域と子供との関係が密になる。その結果、周囲と関わるための社会性や、自ら考え行動する自律性などの力が身に付けられる。
当初、ゆとり教育の裏には、確かにそんな発想があったように思います。「総合的な学習の時間」も、この発想の上にあるものでした。

しかし現状は逆で、むしろ社会性をなかなか獲得できずにいる子供や、学校と適切な関わり方ができない保護者が増えているという報道が目立っているありさまです。

学校だけが教育の場ではない、学校だけに子供の教育をすべて押しつけるのは間違いだ、とマイスターも思うので、この点に関しては中教審にちょっと同情もしてしまいます。

しかしだからといって、ぼやいているばかりにもいきませんよね。今この時代に、誰がどうすればこの「家庭や地域の教育力」を補えるのか。あるいは、どうすればこの教育力を取り戻せるのか。考えなければなりません。
これからの中教審の、そして社会の、最重要ミッションと言えましょう。

……と、このような反省にもとづき、全体の方針を変えていくようです。

ところで授業時間を大幅に増やすのはわかったのですが、これを、週5日制を維持した状態で、実現することが果たしてできるのでしょうか。

また、現在すでに公立学校の運営は、様々な制度疲労を起こしているように思われます。
教員の労働環境、保護者や地域との関係、相変わらず中途半端なままの校長の権限……こういった問題を解決しないまま、学習時間だけを増やすのは、果たして適切なのでしょうか。

現在の発表内容を読んだだけですと、なんだか心配な点も多いです。

また、英語を誰がどのように、どのような目的で教えていくのかも、大きな課題でしょう。

週1コマとのことですから、正直そんなにみっちりと何かをやらせることはできないでしょう。せいぜい、「英語に触れる」程度かもしれません。

これまでも、小学校の英語教育については、様々な議論がありましたね。
子供の家から英語に慣れておかないと国際社会で置いていかれる、という意見がある一方で、日本語の論理力も十分でない早期から英語を学ばせるのはどうか、という反対意見もまだよく聞かれます。

このように結論の出ない議論の結果、「とりあえず1時間でもやっておけば、やったことにはなる。双方のメンツが保たれる」という妥協点として、今回の「週1時間」という結論に落ち着いたのではないか……? と、マイスターはふと思ったのですが、さて、実際のところはどうなのでしょう。

(ちなみにマイスター個人の意見としては、英語を「ツールとして」使える日本人の育成が目的なのであれば、やるならやる、やらないなら中学まではやらないと、方針をはっきりさせた方がいいのではないかと思います)

審議のまとめが、↓こちらに掲載されています。ご興味のある方はどうぞ。

■「審議まとめ要旨 中教審」(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007103000155&genre=F1&area=Z10

こういった報道は、国民の間での議論を喚起させるために行われるのだと思っています。家族や同僚など周囲の方と、あるいは自分の中で、意見を交換してみると良いかもしれません。

仮に、あなたが次の「学習指導要領」を決める担当者だとしたら、どのような方針にしますか?

以上、マイスターでした。