大学webサイトの考え方(7):卒業率の公開を目指しませんか?

マイスターです。
「大学webサイトの考え方」というテーマを、気が向いたときに「ブログ内連載」として書かせていただいています。

前回は、「大学サイトにとって一番大事なコンテンツは、教育と研究の紹介」という内容でした。
もう一点、個人的に、これはwebに掲載した方がいいのではないかと前々から思っている情報ありますので、今日はそのお話しを。

それは……退学率と卒業率です。

と書くと、「とんでもない!」という反応が返ってきそうです。

この「とんでもない」をもう少し詳細に解説すると、例えば、以下のような意見になりそうです。

(1)そんな情報を掲載したら受験生が集まらなくなる。

世間が思っている以上に卒業率が低い大学の場合、卒業率の数値を公開することで受験生が減少する可能性があります。例えば「4年間でストレートに卒業する学生の割合:50%」なんて書いてあったら、受験生は考えてしまうかも知れません。
日本では、大学というのは4年間で卒業するのが当然という認識がまだ根強いように思います(いや実際には様々な理由で5年以上かける方もいるのですが、少なくとも受験生の段階では、そういう可能性に思いを巡らせる方はあまりいないように思います)。

卒業率を公開した結果、受験生が(もっと卒業率の高い、あるいは率を公開していない)ライバル校に流れてしまう可能性はあります。そのリスクを考えると、公開しないに越したことはない……そう考える大学経営者は少なくなさそうです。

経営に悪影響を与えるからとんでもない、ということですね。

(2)こういう数値を公開した途端、「卒業率を上げること」が至上命題となってしまい、結果的に、学生に甘い教育になってしまう。

卒業率を公開すると、受験生や保護者はその数値を他大学と比較します。そうなると(1)で述べたように、より卒業率の高い学校を選ぼうと考える方が出てきます。そりゃそうです。
そうなると、「とにかく卒業率を他大学より上げろ!」という発想の元、手っ取り早く安易に数字だけを上げようとするところも出てくるはずです。教育水準を下げ、成績評価を甘くして、学生が単位を楽に取れるようにするのですね。公開される数値としては、これで卒業率はカンタンに上がります。

でもそんなやり方が良いわけありません。そこで、「だったら、初めから卒業率を公開しない方がいい」となるわけです。

マイスターがまず思いつくのは上記の2点です。きっと他にも色々あるでしょう。

さて、上記の(1)(2)はいずれも、それなりに説得力を持つ理由であるように思います。というか実際、多かれ少なかれこういう結果を引き起こしそうです。
だからマイスターも、いきなりこうした数値を全部公開しなさい、とは言えません。

でも、「近い将来、公開した方がやっぱりいいんじゃないか?」という思いも、個人的には強いのです。

そう思う理由の一つは、「入学から卒業までのデータ」こそが、本来受験生が最も欲しがっている情報だと思うからです。

「入試難易度」とか、「入試の競争率」とかいった<入るまでの情報>と、
「就職率」「就職先」「卒業生の資格取得者数」とかいった<出た後の情報>は、
ものすごく充実しています。
大学自身がとても力を入れていますし、各種のメディアも詳細に取り上げます。
学生が何も言わなくても、これらの数字は毎年、大々的にアピールされています。

でも<入学してから卒業までのデータ>は、あまり世の中に出回りません。
マイスターは単純に、この状況に違和感を覚えるのです。
「受けるかどうか判断するための情報」はたくさんあるのに、「通うかどうか判断するための情報」はない……そんな印象を受けます。

大学関係者には、

「偏差値や就職先の華やかさで大学選びをする若者が多くて困る。教育内容で選んでもらえればウチは負けないのに」

なんてことを口にされる方が多いです。でも、選びようがないのです。だって具体的な数字を全然出していないのですから。具体的なデータは入試、就職、資格取得者数のところでしか公開していないのですから。教育について受験生に知らされるのは、あいまいなキャッチフレーズや概念図のようなものばかりです。
(シラバスの公開が増えているのは良いことです。ただ、教員によって公開されている情報の量や質に大きな差があることも多いです)

データを公開したがらないくせに、そこで選んで欲しいなんて、なんだか矛盾しているなぁとマイスターは思います。

もうひとつ、大金を払い貴重な時間を費やして大学に通う以上、こうした情報を公開するのは義務であり当然だという思いも、個人的には強いです。

大学は広く社会全体のために存在しているとマイスターは思っています。税金から補助金を出してもらっている以上、私学であってもパブリックな存在です。歴史的に考えても、大学というのは特定の人間や団体の利益のためではなく、社会の発展のために機能すべき機関であるべきだと思います。

入学させた学生にどのような教育を施し、どのくらい卒業させたか。
卒業できていない学生が多いとしたら、それはどのような理由によるものか。いつのタイミングでドロップアウトしたのか。
そういった情報を公開せず、ただ「○○人が入学しました」「○○人が就職しました」だけで済ませている現状は、果たして公的な組織としての説明責任を果たせていると言えるのでしょうか。

営利企業とは違い公的な存在なのですから、本来なら大学はこういったデータを世に示して説明すべきではないかとマイスターは思うのです。
(企業でも、出資者に対しては事業説明をします)
「卒業率が低いのがバレると受験生が集まらない」からといって、公開しなくていいかというと、そうではないはずです。

冒頭に書いた
「卒業率を掲載したら受験生が集まらなくなる」
「卒業率を上げることが至上命題となってしまい、学生に甘い教育になってしまう」
といった危惧も、もっともな心配だと思いますが、しかし大学の主張としてはやはりどこかおかしい気もしませんか。

「卒業率が低くても、それに見合う評価を受けているなら学生は集まる」とも思えます(例えば、東京理科大学はそういう評判のある大学の一つだと思います)。
また、卒業率を公開するからといって安易に教育水準を下げてしまうような大学があるとしたら、そこはもともと大学としていい加減だったのではないかと思えます。

でも一方で、マイスターも、今のままただ卒業率を公開すればいいとは思いません。

例えばアメリカでは、卒業率をはじめ各種のデータを学生に公開していることはそう珍しくないようです。
(というか、メディアが調査・発表している大学ランキングなんてのを見ると、「2年次に上がった率」「卒業した率」なんて数字が、普通にずらっと並んでいたりします)
しかしアメリカの場合、一度大学に入っても途中で他大学に編入することが珍しくないとか、業界団体が大学の専門教育の認証評価を行ったりしているとか、日本と異なる要因が色々あります。そういったことを気にせずただ卒業率についてだけ制度を真似しでもだめなのでしょう、きっと。

ただいずれにしても、「公開せずに済むならそれに越したことはない」とか、「この情報は大学にとって都合が悪い」とかいった発想は、近い将来に捨てることになるのではと思います。
大学にとって都合が良くない情報であっても、学生(&受験生)にとって重要なデータはちゃんと公開する。誤解を招きそうなものについては丁寧に説明し、理解を促す。それしかないような気がします。

長くなってきたので、今日のテーマはこの辺にします。

以上、マイスターでした。