プロフィール欄にあるように、多くの大学に関わったからです。お世話になった母校達に恩返しをしたいという思いはあるものの、大学職員である自分が母校に寄付せずライバル校に寄付をするというのもいかがなものかとも思い、しかしすべての母校に寄付するほどの経済的ゆとりはなく、困っております。結局、まだどこにも寄付していません(すみません恩師の皆様)。
そもそも、既にプラン・ジャパンなどに毎年4万円近い金額を寄付しているので、これ以上は自分には不相応な額です。貧困にあえぐ子供達を優先し、母校にはちょっと待ってもらっています。
その代わりと言ってはなんですが、企業経営者の方とか、お金を持ってそうな方を見つけた時は、「大学に寄付して後世に名前を残しましょうよ」などと積極的にそそのかすことにしていますので、どうかお許しいただきたい。
さて、日本の大学もアメリカのように民間企業からの寄付金を集めるべきだ、という意見は多いです。
アメリカでは、大学に寄付をする場合は税制上の優遇を受けるので、企業も寄付をしやすいのですね。(これはわりとよく知られていることで、日本の高等教育を変えるのなら税制改革は不可欠だ、という声もよく耳にします)
またそれに加えてアメリカでは、民間セクターからの資金調達を目的とした常勤スタッフがいる大学が多いということも、聞きます。
日本でも最近、大規模な大学基金の設立を宣言する大学がちらほら現れ始めました。しかし寄付金戦略という上では、アメリカの水準には遠く及ばないのが現状ではないでしょうか。
……と、上記のようなことは、みなさまも普段からお考えのことだと思います。
今日は、そんな寄付金に関連して1件興味深いニュースを見つけましたので、ご紹介したいと思います。
【教育関連ニュース】—————————————-
■「米大学への寄付金撤回、総長退任で オラクルCEO」(CNN.co.jp)
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200606280022.html
・「Oracle CEO cancels $115M gift(英語)」(CNN.com)
http://edition.cnn.com/2006/BUSINESS/06/28/ellison.harvard.ap/index.html
■「WSJ-オラクルCEO、ハーバード大学への1億1500万ドルの寄付を取りやめ」(ダウジョーンズ livedoorニュース掲載)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2138581/detail
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…米ソフトウエア大手、オラクルは27日、同社のラリー・エリソン最高経営責任者(CEO、61)が昨年表明していた、米ハーバード大への約1億1500万ドル(約133億円)の寄付金の計画を撤回した、と発表した。同大のサマーズ総長が近く退任することを受けた措置。寄付金は事実上、サマーズ氏の要望やアイデアで実現していたと説明している。
寄付金は、医療問題研究事業に充てられる見通しだった。オラクルの広報担当は、同CEOは別の機関に寄付する事を考慮している、と述べた。エリソン氏が、寄付撤回の意思をハーバード大側に伝えているのかどうかは不明。しかし、同大関係者は最近、エリソン氏の寄付を見込み、大学内に新設していた医療問題研究所のスタッフがレイオフされたことに驚き、寄付金の獲得に不安を抱き始めていた。
(CNN.co.jp記事より)
オラクルは世界最大のデータベースソフト開発企業として日本でもよく知られています。
そのオラクルが、ハーバードへの巨額の寄付金を、撤回したという報道ですね。
撤回の原因はサマーズ総長の退任であると、この記事には書かれています。
ところでハーバードのサマーズ氏が退任に追い込まれた理由は、女性差別の発言だとされていますが、背景にはもうちょっと込み入った事情があるようなのですね。
「組織の文化」(アメリカの大学事情)
http://ameblo.jp/yanatake/entry-10010165552.html
ハーバードは、一般的に教授の力が圧倒的に強いということでも有名な大学です。
学長をトップとした完全中央集権型のモデルがあるとすれば、ハーバードは全くその反対側に位置する組織という感じです。つまり一人一人の教授の独立性が強く、その中で組織としての調和が保たれる組織である、ということを僕の上司が述べていたことを覚えています。実際に調和が取れているかどうかはしりませんが。
ともあれ、サマー学長は、このように一癖も二癖もあるハーバードの教授陣と、就任当初から折り合いが悪かったそうです。要するに、サマー学長の運営の仕方が、教授陣たちの中で反感を生み、そして去年の1月の発言が、教授の中にたまっていた不満を噴出した、という見方が現実に近いようです。
(「アメリカの大学事情」より)
このように、教授陣の反感から退任に追い込まれたのではないかと、「アメリカの大学事情」には書かれています。マイスターには真相はわかりませんが、なるほど確かにそういうことかも、と思える内容です。
さて今回のオラクルの寄付金撤回報道は、このサマーズ総長退任の経緯を踏まえて読むと、ちょっと見方が違ってきます。
なんだか、
オラクルは、寄付金の撤回という形で、サマーズ総長を退任に追い込んだ面々に抗議をしている、
と読めなくもありません。
つまり早い話、
寄付金を通じて、学内政治に対して影響力を行使している
……ということなのでは。
事実、ダウジョーンズの記事には、そういったことをほのめかす記述があります。
ウィン氏は、エリソンCEOが寄付を取りやめた理由について、サマーズ学長の辞任が決定した後、ハーバード大学が目指す方向性が不透明になっているためだと説明した。また、「問題は、ローレンス・サマーズ学長とハーバード大学間の関係であり、ラリー・エリソンとハーバード大学間の関係ではない」と述べた。
(ダウジョーンズ記事より)
ほのめかすっていうか、まんまズバリですね……。
アメリカの大学の学長は寄付を集めてくるのも仕事だ、という話を聞いたことがありますが、今回のように「学長に付いている寄付」というのもあるのでしょうね、きっと。
このように、大学は外部から寄付金を集めるけれども、その寄付金を通じて、間接的に何らかの影響力を行使されることもあり得るということです。
今回はハーバードでしたが、これがもっと財政規模の小さな大学だったら、どうなっていたのでしょうね。
・参考:ハーバード大学の基金運用担当者
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50158024.html
以前の記事↑でご紹介した通り、ハーバードは世界のエリート大学というだけでなく、巨額の基金を運用し、財政的に豊かな大学ということでも知られています。毎年、基金の運用だけで、何千億円もの利益を生み出しています。
今回の寄付撤回はもちろんハーバードにとって痛手でしょう。事実、この寄付を受けることになっていた「グローバル・ヘルス・イニシアチブ」(GHI)プログラムでは、寄付金を見込んで雇用されていたスタッフが、解雇されたそうですから。
しかし大学全体に与えるダメージとしては、そこまで深刻ではないんじゃないかな、と思えるのも確か。ハーバードの財政規模を考えれば、この撤回で大学全体が傾くことはありませんからね。
それにハーバードのような大学では、寄付を受けることはしょっちゅうですから、このような事態に対してどのように対応すべきかといった、組織運営の倫理基準のようなものが(例え明文化はされていなかったとしても)存在しているんじゃないかな、とマイスターは想像します。例え寄付を撤回されても、媚びて決定を覆したりはしない、とかですね。
しかし、これがもっとお金のない大学だったら、どうだったか。
例えば日本の大学くらいの予算規模の大学だったら……。
日本の大学で、100億円以上の寄付が撤回されたら、そりゃあ大変です。
学内は上へ下への大騒ぎになり、もしかしたら総長も返り咲きしちゃったりするのでは。この寄付金規模だと、大学全体の運営にも結構な影響を与えるでしょうからね。
もちろん、一組織から100億円の寄付というのは、今の日本の大学ではほとんどあり得ない数字です。
しかし日本の税制が変わって、企業からお金がどんどん入ってくるようになったとしたら、特定企業からの寄付によって支えられる大学、というケースが生まれないとも限りません。(例えば、トヨタが中部の工科系大学に巨額の寄付、とか……あくまで、思いつきの例ですけれど)
そうなったら、その企業の寄付が引きあげられるのを恐れた結果、学内の決定が変えられるということだって起こるかも知れません。
こうして考えると「寄付」というのは、もらえるとありがたいけれども、額が多いとそれはそれでやっかいなものです。
私達日本人は、寄付をするのにも、されるのにも慣れていません。ですから寄付のこうしたやっかいな面を忘れる傾向にあるかも知れません。ついつい、寄付金=「浄財」だと思ってしまいがちです。
しかしどこか特定の組織や個人に対して財政的に頼るということには、デメリットもあるのですよね。寄付自体は無償の行為ですが、その実、「本当に無償」ではなかったということだって起こり得るわけです。
大学は、権威の圧力などから独立した存在であるとされています。しかし今後、日本の大学は、財界などから積極的に寄付を集めていくことになるでしょう。
そうしたとき、寄付を通じて外から受ける影響を、いかに排除していくか、ということも、いずれ大きな課題になっていくのではないかと思います。
(※もちろん、正当な契約に基づく要求は別にして、です)
明治や大正のころの私立大学には、「(国家等)特定権力の不当な干渉を受けない」という理念で創設されたものもあります。今後また大学は、そういうことを考える機会が増えていくのかも知れませんね。
今回の報道を読んで、そんなことを考えた、マイスターでした。