16歳以下でも大学の入学が可能に? 教育再生会議報告の原案

マイスターです。

教育再生会議が五月末に予定している第二次報告の原案の内容が、報じられています。
まだ「報告」の「原案」ですから、今後いかようにも変わる可能性があるわけですが、どんな内容が議論に上っているのかを知っておくのは悪いことではありますまい。

というわけで、ちょっと見てみましょう。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「第2次報告原案ポイント 教育再生会議」(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007051900015&genre=G1&area=Z10
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教育再生会議の第2次報告原案の中で、直接大学に関係してくるのは以下のあたりです。

○大学院、大学の9月入学を大幅普及。学校教育法施行規則を改正し、国公私立大学の4月入学原則を撤廃。一定人数の9月入学枠設定をすべての国立大学で実施。私立大学でも促進。

○高校生から大学への「飛び入学」に関する現行の年齢制限を撤廃し、16歳以下からの入学を可能に。

○小中高校では機会均等で格差のない教育を実現。大学院や大学では、競争的資金を拡充、柔軟な給与体系の導入。

○大学入試センター試験について、大学入学資格試験化や年複数回の実施を検討。大学3年生から大学院に進学できる早期卒業制度の活用。国家戦略として留学生政策を再構築。

(上記記事より)

どれも大胆な案です。

いくつかは以前から話に上っていた内容ですが、そんな中で個人的に目を引かれたのが、「16歳以下からの大学入学を可能にする」というもの。年齢制限の撤廃です。

マイスターは、大学の入学年齢制限というのは、何かおかしいと思っています。以下まで、↓こんな記事も書いてまいりました。

(過去の関連記事)
・飛び級制度と学力観(2005年09月01日)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50038115.html
・僕、9歳の大学生(2005年09月23日)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50056326.html
教育によって夢を実現していく、highly gifted な(アメリカの)子供達(2006年09月04日)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50240132.html

マイスター、「同じ年齢なら、能力も皆同じ」という前提を、有無を言わさず強制されているということに、違和感を覚えるのです。
学力を十分備えている人は、早めに大学で勉強して、どんどん先に進んでくれればいいじゃないかと思います。どうしてわざわざ、周りにあわせるために歩みを遅くしなければならないのか。

ついでにいうと、逆に「ゆっくり学ぶ自由」も保障されるべきだと思っています。
大学を卒業するのに7年も8年もかけていると、周りからは「ダメな奴」の烙印を押されます。大学当局からも問題児扱いです。企業の採用担当者も、「何か問題があったんだな」という目を向けます(大抵、大学の制度自体が9年以上の在籍を許さない仕組みになっていたりします)。
別にいいじゃないですか。「ゆっくりやってみたかったから」で。最終的に同じだけの単位を集めて卒業するのなら、卒業時の能力は同じように評価してあげればいいじゃないですか。

大学入学、大学卒業、新卒一斉採用での企業入社……日本って「○○をすべき年齢」みたいな見えないガイドラインが至る所に存在していますよね。ちょっとでもそこからずれると落ち着かなくなる、みたいな。
何しろ、知的職業の最たるものである「大学教員」についても、細かく年齢指定をつけている国ですから↓。

(過去の関連記事)
・教授は50代以上じゃなきゃダメ!? 公募の年齢制限(2005年09月02日)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50037994.html

人それぞれ、自分のペースで生きていける社会になれば良いのにと、マイスターはいつも思います。

……というわけで個人的には、大学の入学年齢制限撤廃にはおおむね賛成です。

ただ、誤解されるといけませんので、いくつか思うことを補足します。

【「国から大学に判断がゆだねられる」と理解すればいいのでは】

「年齢制限の撤廃」というのは、あくまでも「国として」の話です。
最終的に判断するのは大学です。

「君は14歳だから、法律により、日本での大学の入学は絶対に認められません。」

と一律に禁止していたのが、

「君は14歳ということだから、本学で学べるだけの社会性を十分備えているかどうか、試してみよう」

とか、

「まだ若いが、学力は十分だ。毎週アドバイザーに近況を話すことと、月一回保護者が大学の責任者と面談をするという条件を守ってくれるなら、入学を許可しましょう」

とかいった形で、大学側が人を見て判断するようになる、ということなんだとマイスターは思います。
学力があっても大学での生活は無理、と思われるケースもあるでしょう。そういう場合は、今後は法律ではなく、大学が自らの名において不許可を言い渡すことになるのです。

従って、↓次にあげるようなことが言えます。

【早期入学を認める大学は、相応の用意をすべき】

16歳以下の学生を入学させるのであれば、その大学は、それ相応の環境を整備すべきです。
例えば悩みや問題を発見し、ともに解決するよう働きかけるカウンセラーやアドバイザー、気軽にキャンパスのことを相談できるチューターなどの存在が必要ではないでしょうか。
学力があり、大学で学ぶ権利があると言っても、やはり若いものは若いのです。サポートすべきところはちゃんとサポートしてあげなければなりません。

もしその準備がないのなら、安易に早期入学を受け入れるべきではありません。

【「早いほうがいい」かのような発想を流行させてはならない】

日本は、エリート養成に対する意識がねじれている国です。
有名大学に入るのがエリート、官僚になるのがエリート、中でも財務省がエリート、財務省の中でも東大法学部卒で主計局に入るのがエリート……などなど、世間的な体面の良さがピラミッド構造を成し、よくわからないエリート序列を形作っています。

マイスターが危惧するのは、ここでまた

「あのウチの○○ちゃんは1年飛び級したんですってね。
でも、ウチの子は3年飛び級したんだから、うちの子の方がすごいわね」

みたいに、世間体を立派にするためのおかしなデコレーションとして、「飛び級」が利用されないかということです。

マイスターが望むのは、あくまでも「本人が、自分のペースで学べるようになること」。周囲の大人が捉え違いをすると、本人にとっても日本にとっても悲劇ですので、制限が撤廃された際には気をつけていただきたいと思います。

【企業も、一律に人間を判断するのをやめた方がいいのでは】

いくら飛び級して大学に入ったとしても、結局、3年生の秋頃から就職課の指導に従って周囲と同じリクルートスーツに身を固め、皆と同じようにセミナーを受け、授業そっちのけで就職活動をしなければならないのだとしたら、日本は何も変わりません。

多少状況が変化してきたとは言え、「卒業前から新卒一斉採用試験を受けざるを得ない。ここに引っかからないと選択肢が大幅に狭まる」という社会システムはまだまだ健在です。
大学を変えるだけでなく、こういう制度も変えていかないと、結局「ちょっと若いだけの、平均的な日本的新卒サラリーマン」を生み出すだけで終わってしまうのではないでしょうか。

以上、今思いついたことを書いてみました。

飛び級のメリット&デメリット、まだまだあると思います。
個人的には、メリットは大きいと思います。ですから「デメリットがあるからやらない」というのではなく、「どうやったらデメリットを解消しながら実現できるか」という発想をした方がもう建設的なんじゃないか、と思うのですが、いかがでしょうか。
いずれにしても大事なのは、国が一律に指示するのではなくて、大学がそれぞれで判断し、適切な対応をとれるようにするということではないかとマイスターは思います。

などと書いていたら、長くなってきましたので、この辺にします。

結局、年齢制限のことしか触れられませんでした。他の要素については、また今度。

以上、マイスターでした。

1 個のコメント

  • 飛び級の件も問題だとは思いますが
    9月入学こそ本当の問題だと僕は思います
    4月入学者と9月入学者の間には壁ができそうだし、現在の慣習(4月から1年が始まる)を無理矢理変えてまで欧米諸国から留学生を呼ばなくてもいいのでは?と思います。
    入学前まではボランティアをさせて、それを単位認定するなどという話も聞きますが、ボランティアは『させられる』ものではなく自発的に始めるものです。
    教育再生会議はちょっとズレてるのではないでしょうか。