・自分マネジメントや投資教育をどのように進めるか(1)
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50198560.html
以前、↑このような記事を書かせて頂きました。
そしてこの中で、マイスターの個人的な考えとして
「自分マネジメント」と「投資教育」は、これはちゃんと学校で、正式に教えられるようにするべきテーマではないか?
と申し上げました。
社会の構成員として、これからはどちらも必須になる知識であるのだから、家庭や職場だけではなく、学校でも対応していくべきだと、と。
で、
じゃあ、どういう人が、どういう方法で教えていけばいいのか。
という話をするところで、前回は終わりました。今日はこの続きです。
まず、先に結論だけ申し上げますと、
「学校で教えなければならないけれど、なにも、教員がすべて教える必要はない。
外部の人で、教えられる人を連れてくればいい」
というのが、マイスターの考えです。
現実として、すぐに可能ではないかも知れないけれど、いずれ教育はそういう方向に向かっていくんじゃないか、とマイスターは思っています。
特に、公立小中学校は、そうなっていくべきだと考えます。
何度かこのブログで書いているのですが、マイスターは、
学校で行われる活動全部を、教員が背負う必要は、ないと思っています。
学校運営のための様々な作業を教員が全部担っていることのおかしさについては、既に何度も書かせていただいています。大学でも小中学校でもそうなのですが、本来、教育(&研究)をメインの仕事としているはずの人達が、学校運営の業務まで全部管掌し、その結果、自分の教育力を磨く時間を確保できずにいる。これは学校にとっても社会にとっても、大変な損失です。学校の運営を専門に担う人材の登場が待たれます(大学でいう「アドミニストレーター」です)。
学校は、良くも悪くも教員ばっかりが支えている組織ですから、それを改めた方が、教員にとっても生徒にとってもいいんじゃないか、と思います。
学校運営に関する作業だけでなく、
教育活動に関しても本当は、学校教員がすべてを一から十まで自ら担当する必要はないんじゃないか?というのが、マイスターの考えなんです。
ちょうど良い機会ですので、マイスターの学校観をちょっとだけ説明させてください。
(なおこれから書くことは、あくまでもマイスターの個人的な考え方ですから、これが絶対に正しいとは限りません。マイスターの考えも、まだ煮詰めていく余地がたくさんあると思いますので、現時点でこんな意見を持っている人もいるんだ、くらいの感覚で読んでいただければと思います)
正確に申し上げますと、学校で行われるべき教育のすべてを、従来の学校教員が担うのは、もともと不可能なのではないかと思うのです。
「教える人の能力」について、ちょっと考えてみましょう。(公立小中学校の教員をイメージしてください)
「学校教員として教科指導のトレーニングを受けることで、教えられるようになること」
って、ありますよね。理科や数学、国語や社会の他、体育、図工、家庭科など、学校で習う科目の知識の多くがそうです。教員としての訓練をある程度積むことで、科目指導のスキルは向上します。
また、「生活指導の方法」や、「生徒の理解を促すような授業展開の仕方」、「保護者との連携の取り方」なども、教員としての訓練の内容に含まれていると思います。教員免許を持っている方なら、大学などで、ある程度こうした領域の勉強をしているはずですよね。
でもその一方で、
「学校教員として教科指導のトレーニングを受けても、身に付かない知識やスキル」
というのも、当然のように、世の中にはありますね。
例えば、「建築物の設計をするスキル」なんてのは、教職課程のカリキュラムには含まれていませんよね。だから、教員のほとんどは建築の設計ができません。
映画を撮影するスキル、というのもそうでしょう。学校教員としてのトレーニングと、映画を撮影するためのトレーニングは別です。教員のほとんどは、映画を撮影できません。
webサイトを構築する能力、なんてのもそうです。ネイティブと英会話をするための英語力もそうです。これらは学校教員になるためのカリキュラムには、含まれていませんから、教員のほとんどは、こういうことができません。
もっとも、こうした能力がないからといって、公立小中学校の教員として困ることはありません。なぜならこうしたことはもともと、公立小中学校で教えることではないからです。学校の先生が、建築を設計できなくたって、誰も困りませんよね。
では「投資の知識」はいかがでしょうか。
投資に関する知識は、明らかに「学校教員として教科指導のトレーニングを受けても、身に付かない知識やスキル」です。大抵の教員は、投資に関する教育をちゃんと受けたわけではありません。だから、投資について子供達に教えることもできません。これは、仕方のないことです。
でも、先日の記事で申し上げたとおり、世の中が変わって、投資に関する知識は義務教育段階で教えた方がいい! ということになったりするわけです。
さて、困った。どうするか?
このように、「学校の教員には教える能力がないけれど、学校で教えなければならないこと」って、いくらでも出てくる可能性があると思います。
で、こうしたニーズが出てきたとき、実は3通りの対応法があると思うのです。
それは
○1:「これは学校で教えられることではない」ということにする
○2:その都度、教員をトレーニングし、新しい分野の教育内容に対応できるようにする。もしくは、新しい種類の専門教員を設ける。
○3:テーマに合わせて、教えられる人を学校にゲストとして連れてこれるようにする
…の3つです。(ね、そうじゃありませんか?)
今までって、基本的に、1番の選択肢が前提になっていたと思います。
で、テーマによっては、国の指示を伴う形で、2番の対応方法が採られていたのだと思います。総合学習の内容とか、食育とかはそうでしょう。
これらは、「学校の教員に教えられないことは、学校では教えられない」という発想がベースになっています。
でもマイスターなんかは、それに加えて、
「『テーマによって、教えられる人を学校に呼んでくる』という選択肢があったらなお良いんじゃない?」
と考えるのです。
マイスターは、世の中の何でもかんでもを、学校で教えるべきとは思いません。
「なんでも学校で教えられるわけではないんだ。だから○○については家庭でも教えなければならない」といった意見が出る場面って、あると思います。
でも、「投資教育」なんてのは、ご家庭でも教えることが難しい内容でしょう。保護者の皆様だって、「家庭で教えてね」と言われても、困っちゃうと思います。でも、誰かがちゃんと教えないといけない内容なわけでしょう?
すべての子供達がきちんと身につけておくべき内容なのだったら、それはやはり、学校、それも、義務教育の段階からちゃんと教えていった方がいいのです。
でも教員は、現時点で多忙です。公立学校の教員は特に忙しいです。それに能力的にも、人間である以上、限界があります。世の中のあらゆることを教えられる人、なんて、誰もがなれるわけではありません。
じゃあ、教えられる人が学校にいないのであれば、連れてくればいいんじゃないでしょうか、ということです。
考えてみれば、そんなトピックって、世の中には山ほどありますよね。
学校の教員が知っていることなんて、社会の中の、ほんの一部分にしか過ぎません。教員の知らないことでも、これは子供達に教えておかないといけない、なんてことは、いっぱいあるとおもいます。
特に現代は、世の中で求められる知識やスキルが、激しく変化している時代です。
「自分マネジメント」「投資教育」に限らず、「情報リテラシー」、「プレゼンテーション法」、「英会話」などは、いずれも従来は学校で教えていなかったけど、現代では学校で教えることが期待されている領域です。
今後もこうして、学校で教えるべきトピックは、増えていくと思います。人間の働き方や生き方が流動的な時代ですから、これはある程度やむを得ないことです。つまり、従来の学校教員だけでは対応できない場面が、今後ますます出てくるということです。
そういう場面を前にして、私達は、どのような対応をとってきたでしょうか。
「こんなことは、学校では教えられない。だから、ご家庭でやって欲しい」
このような回答をしていたのではないでしょうか。
でも、きっと本来なら、これは世の中にとって理想的な対応ではないのでしょう。本当は、
「私達教員には、こうした内容は教えられない。でも、多くの子供達にとって、これは必要な知識だ。だったら、誰か教えられる人を捜して、ゲストとして授業をしてもらえないだろうか」
という対応が、選択肢としてまずあるはずなんじゃないかなと思うのです。
教育って、本来は、そういうものでしょう、きっと。
高等教育にはこのような発想がありますが、しかし初等中等教育の段階では、ほとんど聞くことはありませんよね。じゃあ、初等中等教育でこうした教育が必要ないかというと、そうでもないと思うのです。
学校というのは今後、
「教育をしてくれる専門スタッフ(教員)がいる場所」であると同時に、
「必要に応じて、教えられる人を招き入れる場所」という在り方を目指していかないといけないのかな、と、マイスターはよく考えます。
思えば、別に教員だけが、教壇に立つことを許されているわけではないんですよね。でも、私達は自分でも気づかない間に、そういう枠組みを前提にして思考するようになってしまっているんだと思います。
学校の教員達はパーフェクトな教育者であるべきだと考えて、あらゆる教育トピックを教員に期待していると思います。
でも、本当はたぶん、もっと色々な人が、学校教育に関わっていいのでしょう。
(外の人を呼んで授業をしてもらうといっても、もちろんただ丸投げするのではいけません。特定分野の専門家を連れてくる場合、その方は教育の専門家ではありませんから、ちゃんと学校教員が、授業として成立するよう適切にアドバイスすることが必要です。教員が、教育のプロとして果たす役割は、やはり大きいのです)
以上のことは、現時点では、理想論かも知れません。
(自分でも、我ながら無茶なこと言ってるよなぁと思います…)
でも、目指すべき教育のビジョンとして、こういう方向性がまったく間違っているとも、思いません。
このような認識を持っておくといないのとでは、今後学校が目指す方向についてのイメージが、かなり違ってくるんじゃないかと思います。
未来、例えば15年後の学校では、教員だけではなく、マイスターのようなのも含めたあらゆる産業の社会人が、ゲストティーチャーとして教壇に立つようになるんじゃないでしょうか。目指すべき方向の一つとして、そういう学校像もあるんじゃないかと、マイスターは考えるのです。
教育には、世の中の変化に合わせて、ある程度あり方を変えていかないといけない部分があると思います。
普遍性を持ったコアの部分と、時代に合わせて変化する部分があって、でも今の学校は、その変化する部分に対する対応能力が、著しく低いんじゃないか。そんな問題意識を、マイスターは持っています。そういう問題意識が、上記のような未来の学校イメージを形成するもとになっているかもしれません。
(マイスターは米国のチャータースクールを何校か調査したことがあるのですが、そうした経験が、こういう学校観につながっているのかもわかりません)
あと、「なんでもかんでも学校の教員が直接解決する」という従来のイメージのまま、教員の役割だけが拡大していくと、教員の皆様はいつかそのうち、潰されてしまうんじゃないか、とも思います。
今回の投資教育について言えば、学校と連携して子供達に教育プログラムを届けてくれるNPOや専門家団体が、求められてくるはずです。
・情報教育を考える(4):誰がどこで、情報との接し方を子供に教えればいいのか?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50155343.html
・情報教育を考える(5):情報教育を担えるのは、学校の教員だけではない?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50155746.html
情報リテラシーに関しては、↑以前の記事で具体的な連携先をご紹介したりしましたが、投資教育についても、こうした団体が必要です。(もちろん「自分マネジメント」についても同様です)
大学が、小中学校と連携して子供用の投資教育メソッドを開発するといった取り組みも、本来なら有効なんだと思います。
大学は、小学校~高校に対する「出前授業」のプログラムを持っていますが、地元の教育委員会と連携し、大学が正式なプログラムとして投資教育を行う講師を学校に派遣してもいいと思います。大学教員でなくても、トレーニングを受けた学生達のコミュニティが、講師を派遣する活動を担ってもいいと思います。
そうして、学内の教師と学外の人々が連携して投資教育を担うという体制を、目指していくべきなのだろうと、マイスターは思います。
まだまだこうした取り組みは少なく、実施には困難を伴うと思います。
でも、その気になれば、全く不可能ということはありません。
ちょっと本筋からそれた上、また長くなってしまいました。
明日、もしかしたら、現時点で実施可能な具体的な案を、書かせていただくかも知れません。
今日はこの辺で。
以上、マイスターでした。