ニュースクリップ[-5/21] 「幼児教育の無償化を提言…自民学校教育特別委」ほか

マイスターです。

昨日は給料日でした。「よし、今日は思い切って、うな、うな、ウナギでも食いに行くかぁ!」と気合いを入れて職場を出たのですが、気づけばいつものように、閉店間際のデパ地下で、半額になったお総菜の収集に精を出していました。染みついた習慣というのは恐ろしいものです。

さて、日曜日ですので、今週も恒例のニュースクリップをお届けします。

「幼稚園、保育園の保育料を公費負担」ですか……!?
■「幼児教育の無償化を提言…自民学校教育特別委」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060521ur01.htm

幼児教育では、「保護者の所得に関係なく、質の高い幼児教育の機会を国が保障することは少子化対策からも有効」として、幼稚園、保育園の標準的な保育料を公費負担とすることを提唱した。ただ、新たに数千億円かかるとみられる財源については、「税制の抜本改革に合わせて確保する」とし、今後の消費税論議を見守る方針を示した。(上記記事より)

幼児教育義務化や、少子化対策としての幼児教育無償化について、この数ヶ月、様々な報道がありますね。今回は、自民党の学校教育特別委員会から提言という形で、上記のような方針案が出されたそうです。

今回おやと思ったのが、「保育園の標準的な保育料を公費負担」というくだり。幼稚園だけでなく、保育園も無償にするということでしょうか。
保育園には、公立、私立があります。さらに認可、無認可という分け方があります。さらに東京都などでは「認証保育園」のような独自の保育園区分があります。今回の提言は、こうしたすべての保育園を無償にする、という意味なのでしょうか。

ちょっと考えてしまいました。

無認可保育園の中には、サービスや経営がずさんなところだっておそらくあるでしょう。そういった保育園の経営にまで公費を投入するのは、どうかと思います。しかし、じゃあ例えば「無認可の保育園は認めない」という判断ラインを作って、認可保育園にだけ公費を出すことにするのがいいかというと、これもやはり無理があると思います。だって、いま認可保育園のキャパシティが一杯で、入れない人がいるから、無認可保育園が存在しているわけでしょう。みんな本当は公立の認可保育園に入りたいのに、受け入れられる人数に限界があるから、あふれた方々が私立の認可保育園に行って、それでも受け入れてもらえない方々が、無認可保育園に流れているわけでしょう。
この状況の中で、「公立だけ無償」とか、「認可保育園だけ無償」ということになっても、根本的に解決されないことが多いような気がするのです。この辺、いったいどうなるのでしょうか。

また「保護者の所得に関係なく、質の高い幼児教育の機会を国が保障する」という記述がありますが、これはひょっとして、地方自治体ではなく国、つまり政府と中央省庁が直接財源を保持して運営するという意味を含んでいるのでしょうか。
そうだとしたら、それって、「小さな政府」という流れに逆行する動きですね。何もかもを国が管理するという構造から、地方でできることは地方で、という考え方に世の中を変えていこうという中で、今回のように「大きな政府」を目指す動きが果たして望ましいのか、意見が分かれるところのように思います。

マイスターもこの問題について確たる解決法を持っているわけではありませんが、自民党の提言も、まだまだ議論の余地が多い内容であるように感じました。

15年一貫教育の公立学校が誕生するかも知れません。
■「初の公立『幼小中高一貫校』…北九州市が設置方針」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060521i211.htm?from=main2

北九州市は、幼稚園から高校まで15年間にわたって系統的な教育を行う公立「幼小中高一貫校」を設置する方針を固めた。
2010年度をめどに規模や運営形態などの全体像を打ち出す。文部科学省によると、幼小中高の一貫教育を実験的に実施しているのは広島県と奈良県で計2例あるが、いずれも3年間限定の実施で、常設の公立「幼小中高一貫校」の創設が実現すれば、全国で初めてになる。(上記記事より)

幼稚園から小1の連携など、子供の学習上、ハードルになっている部分がいくつか存在します。そうした障壁を乗り越えるというのも、一貫校に期待されている役割の一つですね。マイスターも基本的には、一貫校の取り組みは応援したいです。

ただ、今回は、15年一貫教育なんですね……。15年間のカリキュラムで教育するわけですから、途中の出入りが多少あるにしても、基本的には最初から最後までずっとこの学校に通っているという前提なのですよね、多分。
ここまで長いと、デメリットの方も色々とあるんじゃないかな? と、ちょっと気になります。
まぁいずれにしても、最終的にはやってみなければわからないのですよね。生徒をフォローする仕組みをしっかり充実させた上で、取り組んでいただきたいと思います。
そうしたフォローの仕方も含め、この学校であげられた成果は、全国で今後、参考にされることでしょう。

学校区分を超えた視点を身につけさせる授業です。
■「幼・小・中教育を一括講義 鳴教大、教科ごとに体系的学習」(徳島新聞)
http://www.topics.or.jp/News/news2006051802.html

鳴門教育大学は、学生が教員になった際、学校現場で実際に生かせる力を身に付けてもらうため、「教育実践学」という科目群を導入している。幼稚園、小学校、中学校の教育を一環して見据えられるように小学校と中学校の両教育専修の学生が、同じクラスで同大付属学校の教員らからより学校現場に近い内容の講義を受けている。
教育実践学は、昨年度入学生から導入していて、小学校教育や中学校教育という区分ではなく、国語、社会など専門教科ごとに分かれて学んでいる。
例えば国語の場合、小学校、中学校のいずれの教育専修に在籍するかにかかわらず、小学校低学年、同中・高学年、中学校の各教育課程での国語教育の位置づけや授業方法などを、模擬授業も交えながらじっくり学ぶ。幼児教育関連の科目も必修となっていて、幼稚園や小・中学校で教える内容を体系的に理解させようとしている。(上記記事より)

これはいいなと思った、鳴門教育大学の取り組みです。幼稚園に入ってから中学校を卒業するまでを一貫したひとつの流れとして捉え学習計画を立てる。こうしたトレーニングは、あまり一般的ではなかったのですね(これまでも意欲のある方は独自にこうした勉強をしていたのでしょうけれど)。
教職の授業スタイルとして全国の大学に普及していくといいなぁ、と思います。

日本の数学研究、国際的なポジションがちょっと後退?
■「数学研究ピンチ 論文、米の5分の1 博士号は6分の1」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY200605170434.html
■「数学論文数、日本は6位 他分野から振興求める声」(共同通信 京都新聞掲載)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006051700126&genre=F1&area=Z10
■「『数学博士』少ない日本、国立大の数学教員も減少傾向」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060517it12.htm

調査では、世界の数学論文における日本の論文数は03年現在約6%で6位。トップの米国(約30%)に遠く及ばず、00年には中国にも抜かれた。
研究者の人数は大学を中心に約3千人で、米国(1万~4万人)や仏(6000人)より少ない。年間の博士号取得者は180人で、米国の6分の1。研究費も、国の研究費全体に占める割合は05年まで7年間減り続けている。
だが、他分野の研究者が数学に寄せる期待は大きい。アンケートで自分の研究テーマに数学研究者の協力がほしいか問うと、3人に2人がほしいと答えたほか、「半導体回路の設計やコンピューターのソフトウエアなどの設計で数学は欠かせない」「数学と他分野研究との交流の場が必要」などの意見があった。 (Asahi.com記事より)

中高生段階での国際比較結果などをはじめ、「数学力がある」というイメージを国際的に持たれている(ような気がする)日本なのですが、研究者の充実度では、ちょっと伸び悩んでいるようです。
欧米では数学分野でも産学連携が盛んだとのこと。日本では大学中心だとのご指摘もあります。確かに、数学で産学連携というイメージって、我が国ではあんまりありませんよね……。
過去には、数学のノーベル賞と呼ばれる「フィールズ賞」受賞者を3人も輩出している日本。どうにか巻き返したいところです。

ちなみに日本のフィールズ賞受賞者は以下の通りです。
○小平邦彦氏(1954年)
○広中平祐氏(1970年)
○森重文氏(1990年)

なお、以前↓こんな記事も書かせていただきましたので、よろしければご参考まで。

・数学科卒業生 15年後の生活
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50175734.html

学ぶ権利を確保するという意地。
■「放送大学学園所属放送局の廃止の認可」(総務省)
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060517_3.html

放送大学の附属放送局の一つを廃止する、という発表文を、偶然見かけました。

廃止理由:
放送区域内の全世帯が、CATV事業者が設置する都市型CATV施設若しくは有線役務利用放送事業者が業務を行う有線役務利用放送(光ファイバーテレビ)に加入し、又は受信局を変更し、当該放送局を受信している世帯が皆無となったため。(上記リンクより)

「全世帯」ということはつまり、1世帯でも残っている限りは、この放送局は存続するということなのかな、と読みとれます。

たくさんの発表の中で、ややもすると読み飛ばされてしまいそうな1ページですが、なんだか色々と考えさせられるところがありますね。

時間割を教員の活動のために変更する。
■「八王子の公立小29校、授業削り職員会議」(産経web)
http://www.sankei.co.jp/news/060514/sha005.htm

東京都八王子市内の29の小学校が、「職員会議」などを理由に毎週水曜日の授業を午前中だけで切り上げ、児童を下校させていることが、同市教委の調査で分かった。学力低下への不安が高まり、全国の公立学校で授業の充実に悪戦苦闘するなか、八王子市では教員たちの会議のために授業が犠牲にされ、児童にしわ寄せが及ぶような「時間割」が残っていた。市教委は「問題がある」としており、二学期以降の時間割編成で改善を指導する考えだ。
市教委が市内の小学校69校の時間割や学校運営などを調べたところ、全体の4割を超える29校は、職員会議などが予定される毎週水曜日を午前中の4時限授業(1時限45分)だけにし、児童は給食後に下校させていた。
同市では職員会議を毎月1回開くことを原則としている。29校は、職員会議がない週も4時限で授業を打ち切り教科別、学年別の教員研修を充てることもあった。水曜日に行わなかった午後の授業分は、月曜日や金曜日などに埋め合わせを図り、学習指導要領で定めた1週間の標準時数(通常27時限)を確保していたという。(上記記事より)

この記事、「ケシカラン」の一言で済ませるのは簡単なのですが、ただ一点だけ、あれこれ考える参考になったところがありまして、それはこの時間が教員の研修の時間として活用されていたというくだりです。

公立学校の教員は教育が最重要の仕事なのだから、トレーニングを受けたり、研修をしたりして、常に教育力の維持向上に勤めて欲しいと、マイスターは考えています。
でも現実的には、学校内の様々な仕事に追われ、とてもそれどころじゃないという状況であることが、わかってきました。

で、もし最初から「○曜日の○時~○時までは、先生の研修時間」という風に、自治体ぐるみで公式に時間設定したなら、多忙な公立学校の教員が、勤務時間内に十分な研修機会を確保できるのかな、と、ふと、上記の記事を読みながら思ったのです。
もちろんそれがベストな問題解決法だとは思いませんが、そんなアプローチはこれまでしてこなかったので、自分として、ちょっと新鮮でした。
例えば、

「我が○○市では、公立学校の時間割をちょっと変則的にして、金曜日の午後は授業もクラブ活動も一切ナシにします。そして、学校の教員達が、自分達の教育力の向上のためにこの時間を使えるようにします。金曜日午後の授業は他の曜日に割り振ります。
児童生徒の皆様やご家庭にはご迷惑をおかけしますが、その代わり○○市では、教員達のスキルと知識を最先端の状態に維持し、他の自治体よりも質の高い教育を提供することをお約束します。」

…なーんてプランをどこかの自治体が発表したとしましょう。この市の住民達は、さぁ、どう判断すると思われますか? あなたが市民なら、これをどう判断しますか?
マイスターはなんとなく、こういう方針を支持する市民って、けっこういるんじゃなかなぁ? と思うのですが……さて、いかがでしょうか。

以上、今週のニュースクリップでした。

今日は遠くまで、友人の赤ちゃんに会いに行ってきました。5ヶ月の男の子です。とってもかわいかったです。
まだ言葉も話せず、物事を理解する力も不十分だけれど、それでも確かに、意志の宿った命。抱いていると、なんだか、本当はこっちが抱いてもらっている側なんじゃないか? なんて思えてきて、不思議な気分でした。

ところでこれは前から思っていたことなのですが、赤ちゃんが泣いていると、理屈抜きで「呼ばれている! すぐ行かなきゃ!」と感じませんか? マイスターは街中で赤ん坊の泣き声を聞くと、「気になる」というレベルを通り越して、なんだか体全体がそっちに吸い寄せられているような感覚を味わいます。赤ちゃんの泣き声には、人を呼ぶ、特別な力があるのではないでしょうか。
今日も、友人宅で赤ちゃんを囲みながら、そんなことを再認識していました。

その帰り道、街頭でユニセフの募金活動をやっていたので、なんとなく多めに入れちゃいました。なんだかちょっと良い一日でした。

今週も一週間、本ブログをごひいきにしてくださって、ありがとうございました。
今後も、どうぞよろしくお願い致します。
マイスターでした。