修士号保持者のマイスターです。
博士…は、これまで考えたことがなかったのですが、大学職員として、自分の今後のキャリアを考えてみると、「博士」という選択肢も検討するわけです。
仮に取るとして、どこの国の、どんな分野の博士号を目指すか。
どのくらいの時間とお金をかけて取得し、それに見合う仕事をどうやって引き寄せていくか。
っていうか、200万ほど、まだ修士課程の学費ローンが残ってましたね、私。
借金王の社会人学生になっちゃうなあ、はっはっは。
さて、「博士」に関して、結構不思議な言葉がありますよね。
それは、「単位取得退学」!、
アーンド、「博士課程満期退学」!
「単位取得退学」でGoogle検索すると、出るわ出るわ、実に219,000件。
みなさん、学歴紹介で使っておられますねー。
「博士課程満期退学」でGoogle検索すると、77,700件です。
どうやら「単位取得退学」の方がメジャーな表現みたいですね。
「博士課程に3年以上在籍し、必要な単位も取得したが、博士論文が認められず博士号をとれなかった人」
ということなのかな?なんて、漠然と思っていました。
よく考えたらちゃんとした定義を知らないなぁ、と思ってネットをさまよってたら、「教えて!goo」で、ズバリな質問がなされていました。
・「質問:大学院:修了と単位取得退学」(教えて!goo)
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=853600
-大学の教授の学歴に、
「○○大学大学院○○研究科○○専攻博士後期課程単位取得退学」とか、「○○大学大学院○○研究科○○専攻博士前期課程修了」とかをよく目にします。
「修了」と「単位取得退学」とは、違うのでしょうか?「単位取得退学」とは、「中退」とは違うのでしょうか?-(上記のページより)
おぉ、やっぱりみんな気になってたのね。
で、回答を見てみるのですが…なんか、みんな違うこと言ってます。
それではと思って、自分の勤め先の「単位取得退学」の定義を調べてみると、やっぱり、ちょっと違います。
実は、結論としてはどうやら…
「単位取得退学」とか、「博士課程満期退学」とか、
そんな呼称は公式には存在しない。
ということみたいです。
【教育関連ニュース】——————————————–
■「3 課程制大学院の制度的定着の促進 (1)課程制大学院の制度に沿った博士学位授与の確立」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/004/05051101/004/008.htm
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上記は、文部科学省の「中央教育審議会 大学分科会 大学院部会」の資料ページにアップされている内容です。
「課程制大学院」について述べた資料なのですが、<学位授与の現状とその改善の方向>という項に、こんな記述が。
-○現在、課程の修了に必要な単位は取得したが、標準修業年限内に博士論文を提出せずに退学したことを、いわゆる「満期退学」又は「単位取得後退学」などと呼称し、制度的な裏づけがあるかのような評価をしている例があるが、これは、課程制大学院制度の本来の趣旨にかんがみると適切ではない。-(上記資料ページより)
そうです。
こうした呼び名に、本来、国の制度的な裏付けはありません。
博士課程は、博士号を取得してはじめて修了となるのですから、学位が取れずに学校を去ったら、それはただの「退学」です。
そうなると本来「博士課程満期取得退学」なんて経歴欄に書くのは、とっても恥ずかしいことなんじゃないかとマイスターは思うのですが、「修士」と書くよりも、
「博士課程に行ったけど論文がはねられたのね。
でも、3年間博士課程にいたんだから、修士とは違うのね。
そこんとこ、世間にははっきり言っておきたいのね。」
と書いた方が、名誉であり、実力をアピールできると思う方がいるのでしょう。
そう考えるのはそれぞれの勝手ですが、あたかも「そういう学位制度がある」と世間に思わせるのはどうなんでしょうか?
少なくとも、公式な学歴に書くのはマズイ気がします。
なんていうか、日本の大学院教育の内容や、それによって与えられる「学位」を貶める行為である気がいたします。
色々とそれなりの理由があるのでしょうが、今後日本の学位を国際レベルに高めようとするのであれば、このまま放置しておくのはいけないかもしれません。
さて、こんなややこしい呼称を生む背景には、
「課程博士」
「論文博士」
というものの存在があります。
「課程博士」というのは、博士課程に進学し、3年間以上在籍して単位を取得し、博士論文を出して博士号を取った方のことを指します。
まぁ…普通ですね。
世界的には、<博士=課程博士>です。
これに対し、「論文博士」というのは、大学の博士課程を経ないで,研究論文を大学に提出することにより学位をもらった方のことを指します。
(以前、講演を聞いた大学教員の方は、「修士課程を含め、大学院というものに一度も通ったことがない」と言っていました。論文博士だったわけですねー)
論文博士として学位を取得するためには、一般に、かなり大変なハードルをくぐり抜けなければなりません。
研究論文提出の他、大学や学問分野によっては、英語の試験や総説講演などが求められることもあるらしい…です。
でも、「博士課程を満期退学しましたよ」という状態であると、こうした試験のいくつかが免除されることもあるらしいのです。
(※「○○らしい」ばっかりでスミマセン。なにしろ、大学によって扱いがまちまちなんで、表現に困るのです。
今回のテーマは、本当に「大学によって違う」という要素が多そうで、なかなか正確な実態を掴むのが難しいです。もし、何か間違っている記述などがございましたら、ご指摘いただければ幸いです。)
で、大学によっては、博士論文の審査について
「博士課程満期退学後、3年以内なら、『課程博士』として審査する。
それ以上の期間をあけると、『論文博士』として審査する。」
なんて独自の規定を設けるところが出てくるわけです。
改めて考えると、なんだか、おかしなおかしな仕組みです。
そもそも博士論文が通ってないのに、何で学校を去るのかおかしいと思いませんか?
論文が通るまで、5年でも10年でも、大学で研究を続ければいいではないですか。
それができず、実力及ばず学士論文が通らなくて大学院を去らざるを得なくなったというのなら、「最終学歴は修士」「博士課程中退」になるはず。
どうやらこのようなおかしな制度運用の中で、「満期退学」「単位取得退学」といった言葉が便宜上使われるようになり、それがあたかもその人の学歴を表す正式な言葉であるかのように広まったのではないかと思われます。
ただ、何度も繰り返しますが、あくまでこれは大学界が勝手に作った便宜上の言葉であって、正式な法的裏付けのある呼称ではありません。
ですから正式な学歴記述欄に記入するのは、学歴詐称とは言わないまでも、かなり紛らわしい、不自然な行為です。
ちなみに「論文博士」というのは、日本独特の制度です。
例えばアメリカでは、博士号を取得するために論文を提出するのはもちろんですが、それに加えてかなりの授業やコースワークもこなさなければなりません。
アメリカの大学院で博士課程修了に必要な単位数は、大体、90単位と聞いています。
90単位を取って論文が通れば、その時点で卒業です。
1年に30単位をとれば、3年で修了できるということでしょうが、これはかなり困難なこと。
2年で取る人もいるかもしれませんが、7年懸かる人もいるでしょう。いずれにしても90単位は90単位で、それ以上でもそれ以下でもないみたいです。
そうしたコースワークをこなすことが、博士号の条件の一つなのです。論文だけ出しても、博士号の資格者としては不完全という考えでしょう。
論文指導は非常に重要ですが、それだけが教育ではないということですね。
だから、かの国に「論文博士」なんて制度はありませんし、「単位取得退学」なんて呼び名も存在しません。
修了できず途中でドロップアウトしたなら、それだけです。
正確な統計データは知りませんが、博士課程の修了には「一般的に5~8年はかかる」と聞きますので、おそらく相当なドロップアウト者が出ていると思います。
それに対し、日本の博士課程は、取得単位数が「12単位」なんてところもあります。
日本の大学院、特に博士課程では、授業や実習などのコースワークがほとんどなく、実質、論文指導しかしていないというところも少なからずあるのですね。
にも関わらず「単位取得退学」とは何事!?
「博士課程満期退学」というのも、ただ3年在籍していたってことの証明にしかなってないような気がするのですが、いかがなものでしょうか。
そんなわけで、
日本でも「論文博士」を廃止し、
もっと大学院ではコースワークや授業を受けさせよう!
という流れがあるようです。
上でもご紹介した、以下の資料にそのあたりの現状分析などが書かれていますので、ご興味のある方はどうぞご覧ください。
■「3 課程制大学院の制度的定着の促進 (1)課程制大学院の制度に沿った博士学位授与の確立」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/004/05051101/004/008.htm
以上、博士課程の「単位取得後退学」の謎についてご紹介しました。
さて、ここでひとつだけ、マイスターの好きなwebページをご紹介します。
以前の記事で一度ご紹介したリンクなのですが、とっても面白いので、再掲。
フィンランドのPh.D(博士号)を授与する時の様子を紹介した文章です。
■「Opponent vs candidate:フィンランドにおける Ph.D. Defence」(Wataru’s memo)
http://www.wnishida.com/~wmemo/?date=20031010
帯剣して望む、4時間以上の学位審査。
何度読んでもやっぱりスゴイ…!
中世ヨーロッパさながらの真剣勝負。
博士号とは学問を修める者が目指す頂点であり、また同時に学術世界のスタートラインなのですね…。
読んでいるだけで、緊張感が伝わってきます。
学位の価値を国際的に高めるために、日本の博士号も、このフィンランド式の審査で授与してみてはいかがでしょうか?
なんて思ったマイスターでした。
博士課程の話、明日もちょっとだけ続けます。
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(関連記事)
・博士号はどんな学問分野に多い? 各国のデータを比較します!
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50123351.html
・日本で、人文科学系と社会科学系の博士号が少ない理由は?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50122978.html
・博士号取得を目指すことには、どういうメリットがある?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50123973.html
はじめまして。教育ブログからきました。港区にある大学の附属高校で教員をしているものです。博士を目指していたこともあったのですが、しばらく断念していて、また最近目指そうかと思っています。興味のある記事が多いので、また訪問させていただきます。
そもそも日本では学位授与件は大学にはなかったという歴史も織り交ぜて頂けるとリアリティーがあります。
すいません、学位授与権です。
ktさま:
マイスターです、こんにちは。
さすがktさん、実は、28日付の記事で、博士会のことなどを書く予定だったりします。
KADOTAさま:
こんにちは、マイスターです。
コメント、ありがとうございます!
現職教員の方に記事を読んでいただけると、うれしいです。
今後も、どうぞよろしくお願いいたします!
大変ためになりました。ありがとうございます。
結局のところ「単位取得退学」と「博士課程満期退学」については、言葉の定義が人によってまちまちだし、公式な用語でもないので違いは説明できないということなんですよね。
せめて、一般的な格付けではどっちが「偉い」のでしょうか?それともピッチャーフライとキャッチャーフライの違いぐらいしかなくて「偉さ」を比較することもできないのでしょうか?
ちなみに私は現在修士課程にいるのですが、「修士課程単位取得退学」なんてのはないですよね・・・
博士課程の満期退学ですが、学校基本調査では、博士後期課程については卒業者数に満期退学者を含めるようにとの指示があったように思います。
そうだとすると、行政当局として「博士課程の満期退学」というものを、公式に認識していることになります。
AKさま:
こんにちは、マイスターです。
せっかくコメントをお寄せいただいたのに、お返事が遅れて大変失礼いたしました。
Googleの検索ヒット数は「単位取得退学」の方が多いですので、こちらを使われるほうがメジャーということでしょうか。
こっちの方がエライのかどうかはちょっとわかりませんけれど(^_^;)
修士課程については、私の知る限りどの大学も「満期退学」のような仕組みは持っていないようですね。
ぜひとも、修士論文を完成させて、ご卒業くださいませ(^_^)
もし修論の合格率が1/3程度だったら、修士課程への進学者はガクンと減るのかな?なんてことを考えました。減りそうですねー。
N.IDEMITSUさま:
いつもコメント、ありがとうございます。
確かに、12/28日の記事で引用した「文部科学統計要覧」の、博士課程の就職者数データなどにも、満期退学の数字が含まれています。認識はしているのでしょうねー…。
こうした調査で「満期退学を含める」としているのは、そうしないと博士課程生の実態が把握できないという事情によるものかと考えます。
つまり、「国としてこういう体制が望ましいとは思わないが、実態は満期退学者が少なくないので、調査対象には含めざるを得ない」ということではないでしょうか。
政府としてこういう事態を「認識」はしているが、正式に通用する学位制度として認めているかというと、それはまた少し違う話かなと存じます。
各種調査の調査対象には含まれていても、それ以外の正式な書面で「単位取得退学者」「満期退学者」などの表現が出てこない、制度的な裏づけが文書化されていないことなどから、政府も扱いに苦慮しているのではないかと個人的には想像しています。
マイスターさま
仰るとおり。
いつも楽しく読ませていただいています。
以前の記事にマイスターさんが米国での博士号取得にかかる期間を伝聞という形ですが5-8年とされているのに気がつきました。米国では学士が終わってからの期間を計るのが一般的で、以下のNSFの調査もそのように集計されていますが、もっとも短い化学の分野で7年(修士取得後5年)、それ以外はほとんどが「平均」10年、すなわち修士取得後8年ということになります。参考までに。
http://www.nsf.gov/statistics/infbrief/nsf06312/
大学の博士課程を単位取得退学して教員をやっている通りすがりの者です.
国立大学の電気・電子・情報系では,博士課程在学中に「学術論文2編以上」,「外国語発表1件以上」といった修了要件を設けているところが多くあります.私の大学で発行してもらった卒業証明書はズバリ「博士後期課程単位修得退学」です(笑).
マイスターさんもご存知の通り,学術論文の査読はスケジュール的に守られないことも多く,私の場合は投稿から7ヶ月遅れで査読結果が届き,止むなく退学となりました.まあ,それを想定して博士課程の2年目までに2編以上の論文投稿すればいいだけの話なのですが・・・.
以上のように,工学系では本人の努力とは関係のないところで修了かどうかが決まってしまうことがあり,「単位修得退学」+「学位取得」を,「博士課程修了」と同等な認識で見る伝統があるようです.
自分もはだしのゲンさんの意見とほぼ同じです。特に理系では学歴に博士後期課程単位取得退学のように書くことは非常に多いですし、というより普通です。論文や研究者、多くの大学教授のプロフィール等をご覧になれば分かると思います。また博士号を取ってない大学教授も多いです。
それと、マイスターさんは文系と理系どちらもいらっしゃる慶応SFCの政策・メディアの修士号を取ってるようだけど、少し調べてみましたが、SFCの博士課程では、TOEIC730/TOEFL550/英検準一級以上のどれか、国際学会での発表、授業計画書、技法科目というようなもの(他のパターンもあるが同レベルの難易度)をクリアしないと博士候補になれず、単位取得退学もできません。これがクリアできないとただの退学です。
この意味においてマイスターさんが修士号を取られたSFCにおいては、修士課程とはもちろん博士課程中退と、博士課程単位修得退学(単位取得満期退学含む)にはレベル的に大きな違いがあるとみてよいと思います。単位取得が楽な博士課程があることは否めませんが、そうでないところが一番身近にあるのですよ。ですから学歴欄でその違いを明らかにするくらいはいいと思います。わかる人にはわかるでしょうし、実質的な点では全然違います。
もちろん個人的には博士号は取れるときに取った方がいいとは思います。ただいろいろな事情で断念せざるを得なかったとか、別の目標が出来たとか、人によっていろいろあると思います。ですから未練がなければ割り切って別の道を歩むのはいいと思います。所詮、その人の人生ですし。グーグルのように博士課程中退して起業して大成功した人達もいますしね。
手の届かない高いところにあるブドウは酸っぱいのですね。
外からではなく、実際に中に入ってご自信の目で見てかかれることをお勧めします。
「ななし」さま
はじめまして、マイスターです。
コメントありがとうございました。
この記事を書いてからかなり経ちますが、今でもこうして読まれ、またコメントをいただけるということに嬉しく思います。
私は修士課程までしか出ておりませんが、こうした問題は大学を考える上で欠かせないと考え、また当事者だけではなく、広く多くの方で考えを出し合ってもいいのではと思い、このような内容で記事を書かせていただきました。ですので不十分な部分や、的外れな部分もあるかもしれません。
「ななし」様は、この問題にかなりお詳しい方と存じます。ぜひ「この記述はおかしい」「実際はこうである」といった情報をコメントにてご指摘いただければと思います。
上でいただいたコメントだけでは議論が進みませんし、問題は解決しません。もしご自身のブログで既に情報を発信されているようでしたら、こちらへのコメントではなく、そちらで書いていただいても結構です。
このブログが、様々な問題や誤解を解いたり、知られていない事実を議論するきっかけになれば幸いです。
お返事、お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
昔のブログにコメントしますが、博士満期退学を誇らしく書くというのは、昔の日本の、特に文系で、課程終了で博士号を取ることがほとんど不可能だった事情からくるものでしょう。
特に文学部などでは、「博士課程」というのは名ばかりで、課程で博士を取れないのは当たり前。さらに、コースワークのかわりに、教授の鞄持ちやらゴーストライターまでやらされていたところまであったわけです。
教育システムとしては現代のアメリカのほうが優れていると思いますが(契約社会だからああいうふうになったんでしょうね)、博士号の乱発(否、適正な授与)も始めたのも、またアメリカだと思いますよ。