最近、テレビをあんまり見てないマイスターです。
某・将軍様の国から、また美女応援団が来ていたみたいですね。
メンバーは、平壌市内の芸術教育機関「金星学院」に所属している高校3年生から大学2年生だとか。
上の階級の子女ばっかりが入学する学校だとも報道されていますね。
なんだか、かの国では、集団芸術の教育に対して、国家的に大変な労力がかかっているような気がしますよ。
悪いとは言わないけど、もうちょっとあの国では、優先すべき分野があるような気が。
芸術教育について、考えることがあります。
「芸術教育」って聞いて、どんなジャンルを思い浮かべますか?
一番代表的なのは、「美術」の領域でしょう。
具体的には、絵画、版画、彫刻、などですね。
絵画だけを見ても、西洋画、日本画、色々あると思います。
(詳しくは知りません。すみません)
「音楽」も、間違いなく芸術ですね。
音楽にも、ジャンルが色々あります
クラシック音楽、雅楽、ジャズ、ロック…
文芸、も芸術と言えるでしょう。
写真も、そうですね。
書道も、芸術表現ですね。
建築も、芸術として学べる大学があるでしょう。
また、先端メディアを使ったアートや、各種のデジタルコンテンツなども、芸術の新しい領域として市民権を得ています。
広い意味での「デザイン」という言葉は、いわゆる「ファイン・アート」とは区別して使われることが多いと思いますが、教育上の基礎は、アートと通じるところがあります。
デザイン教育を受けて、アートの領域で働く方もいらっしゃることでしょう。
さて。
芸術教育・研究分野での、日本の最高権威は、世間一般には、
「東京藝術大学」と言われております。
国立では圧倒的な歴史と実績。
芸術と文化の街、上野にキャンパスを持ち、立地も最高。
(よく、上野公園で楽器の練習している人がいますね)
その恵まれた学習環境や、大学が築き上げてきたステータスにあこがれる受験生も多いと思います。
そんな東京藝術大学の現在の学部・学科構成は、以下の通り。
美術学部(絵画科・彫刻科・工芸科・デザイン科・建築科・先端表現科・芸術学科)
音楽学部(作曲科・声楽科・器楽科・指揮科・邦楽科・楽理科・音楽環境創造科)
計、2学部14学科です。
上記の分野は、「国家として教育・研究が必要な芸術」だと国が認めているってことです。
こうしてみると、藝術大学の名にふさわしく、実に、幅広いジャンルをカバーしています。
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あれ?
何か、大切な分野が欠けていると思いませんか?
それは、舞台芸術。
演劇やダンス、バレエなどの、「パフォーミング・アート」と言われる領域。
そう。
実は、芸術の大きな領域の一つである「舞台芸術」の分野が、芸大からすっぽりと抜け落ちているんですね。
音楽学部で、オペラなどを前提にした、初歩的な演技の講義はあるようです。
また、「身体芸術論」など、個別に演技について触れる講義も、用意されているようです。
でも、舞台芸術を専門にした学科は、存在しません。
もともと、芸大の全身は「東京美術学校」と、「東京音楽学校」です。
それが、それぞれ美術学部、音楽学部として存続しているわけです。
ですから、この2学部が学校の中心であるのは、わかります。
それはいいのですが、その後、舞台芸術の学部が新設されてもいいと思いませんか?
だって、日本には、歌舞伎、能、狂言などの伝統的な舞台芸術もありますし、
現代舞台美術の領域でも、世界的に活躍する演出家や俳優、ダンサーなどがいるわけですよ。
また、日本でも、こうした芸術にはそれ相応の市場が育っているわけです。
日本の社会では、演劇やダンスなどはちゃんと「芸術」として扱われているのです。
ところが、芸大で、その分野が学べない。
おどろくなかれ、実は芸大に限らず、
現在、日本には、
舞台芸術を専門に学べる国立大学は、
ひとつも存在しないのです。
まるで、「演劇やダンスは、芸術じゃない」と国家が認定しているような感じです。
なんで、こんなことになってしまったのでしょう?
理由については、諸説あります。
例えば、
特に近代演劇などは、いわゆる「アングラ」と呼ばれた政治運動などと結びつけて考えられることが多かった、というもの。
確かに、政治的なメッセージをこめたり、反体制的な言動を発信したりするのに、演劇というメディアがよく使われた時期がありました。
(今でも、無いとはいえません)
そうしたイメージから、「国家として舞台人を育成するにはふさわしくない」と、権力者から思われてしまったのかもしれません。
現在の状況では、誤解でしかありませんが。
また、既に棲み分けができているから、という説もあります。
歌舞伎や能、狂言を初めとした古典芸能は、師匠に弟子入りして学ぶ「徒弟制度」が今でも生きています。世襲制の家元もあります。
落語なんて、日本独自の舞台芸術だと思いますが、典型的な徒弟制度です。
それらが機能している限り、大学で教育を行うのは必要ない、という意見です。
確かに、伝統としての徒弟制度を保護することは、大切です。
なんでもかんでも、大学で育てればいいというものでもないでしょう。
でも、現代舞台芸術の分野は、この限りではありませんよね。
やっぱり、腑に落ちないところが残ります。
理由は色々とあるのでしょう。
いずれにしても国立大学ではパフォーミング・アートの領域は学べないのです。
大学で舞台芸術教育ができないと、どういうことになるか。
考えてみてください。
小学校や中学校の授業で、「演技」を習った記憶がありますか?
授業で、というのが、大事なところです。
正式に、教育として、芸術的な素養を学んだか、ということです。
絵画、彫刻、版画、工芸、木工、粘土細工、歌、楽器演奏などなど、
芸大に昔からあるようなジャンルは、私達のような一般人でも、学校の授業で一度は経験しているはずです。
だって、音楽や、図工、美術、技術などのカリキュラムに加えられていますから。
国民の基本的な素養として、体験しておくべき芸術ってことですね。
ところが、演技、つまり身体を使った表現となると、とたんに、怪しくなります。
運動会のマスゲーム?
文化祭の演劇?
それくらいしか経験していない方が、ほとんどでは。
しかも、これらがどんな風に指導されたか、覚えていますか?
多くは、「先生のお手本どおりにやって」です。
あとは、「声を大きく出して」「もっと感情をこめて」程度です。
身体芸術には、本来、ちゃんとした教育技術があるのです。
演技には、技術も必要です。
それらを楽しく、わかりやすく身に付けさせるための指導方法が、あるのです。
でも、そうした指導が、日本の学校では大変に軽んじられているわけです。
楽器の演奏だって、心をこめるだけじゃ、ダメですよね。
それと同じです。
なお、「ダンス」は、体育のカリキュラムとして触れたことがあると思います。
その場合、体育大学などを出た体育教師が担当するということになりますね。
マイスターも、授業でダンスをやらされましたが、
体を動かす技術についての内容が中心で、
個々の芸術的表現については、なんだかあいまいでした。
「とりあえずテンポに遅れないようにしてね!」みたいな。
しかたがありません。
美大を出た先生が美術を教えたり、
音大を出た先生が音楽を教えたりする環境は整っていても、
身体表現を芸術として教えられる先生は、教育現場に供給されていないのですから。
それを端的にあらわしているのが、芸大をはじめ、国立大学で舞台芸術が学べないという現実です。
国が、軽視しているのです。
国を挙げてこうした分野の人材を育てたり、指導法についての研究や教育などを進めたりしてこなかったのです。
大学で「身体表現のプロ」を養成してこなかったことが、
初等、中等教育からも、身体表現の授業を締め出してしまったのではないか?
と、マイスターは考えます。
その結果、とても大切な技術である「身体の表現」について何も知らない日本人が、いっぱいできてしまったと思います。
これが、大学で舞台芸術が軽んじられた結果、起こる弊害です。
海外では、身体表現が教育に積極的に取り入れられています。
例えば演劇の国イギリスでは、国立、公立の演劇学校があったりします。
アメリカの州立大学でも、映画や演技のコースを持っている大学はたくさんあります。
プロを目指すこともできますし、教養として学ぶこともできます。
初等、中等教育でも、演技に関する授業があると聞いています。
早くから「体を動かす楽しさ」を知り、「体で伝えるための方法」に馴染ませるのですね。
日本人が今後、世界中の人々とコミュニケーションし、ビジネスをし、競い合っていくとき、パフォーマンスの技術で大きな差が出るはずです。
というより、もう出ている。
表情や身振り手振りを使って、体全体でメッセージを表現する、主張をする、
そんな場面で演技の素養があるかないかが、確実に差を付けるのです。
日本人は、表現を恥ずかしがっている場合ではありません。
小さなうちから、自分の声や体で表現することに慣れておくべきです。
私達はまた、「演技のうまさ」を評価することにも、慣れていません。
演技の訓練など一度も受けたことが無いアイドルがテレビに出て、
「体当たりの演技でがんばりました」
なんて書かれていたりします。
「体当たりの演技」=「演技力なし」という意味です。
そういう、撮影や演出のスタッフのおかげで、かろうじて見られているような演技は実は日本の芸能人に、多いです。
撮影現場で、カメラを通さずに演技の様子を見学したら、きっと多くの方がびっくりします。
(どの俳優がヘタとかは言いませんが)
日本人が、早くから演技を素養として学んでいれば、日本の俳優のレベルは間違いなく向上するよなぁ、とマイスターは思う。
そもそも日本では「プロの劇団」でさえ、演技指導の仕方は見事にばらばらです。
独自に編み出された我流の演技技術が、劇団の数だけあると思っていい状況です。
どんな団体でも通用する、統一された基本の演技技術がないために、
日本の演劇界は、「自分の育った劇団でしか活動しない」という俳優、女優が、イギリスやアメリカに比べて非常に多いのです。
イギリスやアメリカ等では公演ごとにオーディションで出演者を募るのが一般的で、役者は演技力だけが頼りです。
日本では演技の基本理論や基礎トレーニング方法すら、ないのです。
やはり、特定の企業や一派にとらわれない国立の機関が、舞台芸術の教育や研究を行うのは、必要じゃないかな、と思うのです。
芸術の価値って、評価が難しいと思います。
でも、一般人にとってもプロにとっても有益なら、
教育・研究機関を国が整備したっていいんじゃないかな、と思うわけです。
以上、舞台芸術を専門に学べる国立大学があったらいいのに、という、
マイスターの意見でした。
(でも、北朝鮮みたいなのは、やめてね)
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※おまけ
1997年に設立された「新国立劇場」には、史上初、現代演劇の使用を想定した「小劇場」が作られました。
実験的な公演スタイルなどにも対応できるらしいです。
日本の演劇人の悲願であったらしいのですが、その設立過程では、
「国が現代演劇を支援する」ということに関して、やはり議論があったようです。
うーん。
不遇の芸術なのですね、演劇。