入学式の式辞 学長からの様々なメッセージ(2)

マイスターです。

■入学式の式辞 学長からの様々なメッセージ(1)

ニュースクリップを挟みまして、今日は、↑こちらの続きです。

「高校時代はほぼ全員が同じ勉強をしてきた3年間」。「大学は、それぞれが異なる学問をする4年間」。どちらが将来の皆さんの人生に大きな意味をもつのかを皆さんに考えてもらいたいのです。そして、これからの4年間の勉学を支えるものとして、“Do for Others”の目的語=“What”をもつことの重要さを強調したいのです。ロゴでは省略されてしまいますが、「他者への貢献」には当然、目的語としてのWhat が伴います。明治学院の創始者ヘボン博士には、先ほど話しましたように「キリスト教を日本に伝えたい」という強いミッションがありました。皆さんには、ヘボン博士同様、自分は何をもって「他者への貢献」を果たしたいのか。自分は将来こういう職業に就きたいという夢を抱き、その夢の実現を学生時代に追い求めて欲しいのです。
「2008年度入学式式辞」(明治学院大学)より)

明治学院大学・大西晴樹学長の式辞です。

大学の創設者を紹介するというのは、入学式の式辞の大切な役割。
特に私立大学においては、学祖の生き方や精神が、そのまま大学の理念・アイデンティティになっていることも少なくありません。

どんな人物がどんな想いでつくった学校なのかということ、その後どんな歴史を学校が歩んできたかということを、大学の代表として学長が語り伝える。
入学式の大事な役割です。

まず最初に申し上げたいと思いますが、諸君は大変幸運であったと思います。なぜなら、皆さんは、日本で一番良い大学院に入学したからです。なぜなのかをこれから少し説明いたします。
「平成20年度入学式 式辞 - 2008年4月4日 -」(北陸先端科学技術大学院大学)より)

こんな言葉から始まるのは、北陸先端科学技術大学院大学・片山卓也学長の式辞。

「この大学は最高です」というのも、多くの学長が式辞で伝えるメッセージのひとつ。
入学したら数年間、その大学のコミュニティに所属して過ごすわけです。初期設定として、それがどれほど素晴らしいことかと伝えることは、重要ですよね。

その伝え方にも、学長によって個性があるようです。
片山学長は、最初からストレートにそのことに言及しておられます。

京都大学は日本でもっとも大学らしい大学と、よく言われます。京都大学の中には、さまざまの分野で世界一と言える研究の拠点がたくさんあり、世界一と言われている多くの研究者たちがいます。世界一の研究者が皆さんと同じキャンパスを歩き、同じ食堂で昼食をとっています。その研究者の頭脳にある知の蓄積を、積極的に吸収してください。自分のまわりに豊富に蓄積されている知を、自らの学習でしっかりととらえて、身につけて卒業して下さるよう期待しています。
皆さんが学生となったこの京都大学は、1897年に創立され、今年創立111周年を迎えます。2007年には日本で初めてと二番目にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士、朝永振一郎博士の生誕百年を祝いました。今年は例えば、偉大な指揮者、朝比奈隆さんの生誕百年です。
そのような多くの人材を、さまざまの分野で生み出してきた京都大学の入学式の主役として、今ここに皆さんは参列しておられます。ここにおられる新入生の皆さんは、これから世界の人びとに貢献できる十分に長い時間を持っています。また、十分な可能性を秘めています。
「学部入学式 式辞 - 2008年4月7日 -」(京都大学)より)

京都大学・尾池和夫学長も、ストレートな表現。
入学したその日から、「世界一」と言われたら、学生のモチベーションも上がりそうです。
こうして、京大生になっていくのですね。

主人公の桂正作は、貧しい生活の中でも非常に向上心が強く、貧しさをまったく卑下しません。常に毅然とした態度で作者など友人や周りの人々に接します。
19歳のとき、桂正作は作者に「工学技術の勉強のために上京する」と決心を述べ上京し、築地にあった工手学校へ入学します。そして明治31年にめでたく学校を卒業し、電気部の技手として横浜の会社に就職します。
それから5年後、作者が正作のところを訪問したところ、正作が電気工事を大勢の人の中心となって行っているところを見かけ、それを作者がじっと感心しながら見つめる描写で作品は終わります。最後の描写も印象的です。
「桂の顔、様子!彼は無人の地にいて、我を忘れ世界を忘れ、身も魂(たましい)も、今そのなしつつある仕事に打ち込んでいる。僕は桂の容貌(ようぼう)、かくまでにまじめなるを見たことがない。見ているうちに、僕は一種の荘厳(そうごん)に打たれた。
諸君!どうか僕の友のために、杯(さかずき)をあげてくれたまえ、彼の将来を祝福して!」
桂正作は天才でも秀才でもなく、金持ちの子でもありませんでした。しかし、常に志を高く持ち、科学技術で身を立てようという夢をしっかり持ち、それに向かって地道な努力を着々と続け、自分の仕事に誇りを持ち、意欲を持って励むことの尊さをよく教えてくれます。
現在の工学院大学もその伝統を受け継いで、毎年優秀なエンジニアを輩出しています。皆様も夢を持ち、それに向かってまい進する意欲を持って欲しいと思います。皆様に大いに期待しているのです。皆様の夢を実現するために、私たち教職員はできる限りの協力をいたします。
「第59回第一部入学式学長式辞」(工学院大学)より)

工学院大学・三浦宏文学長の式辞。ディスプレイにテキストや写真を写しながらの式辞だったようです(リンク先に、その内容が掲載されています)。

国木田独歩が書いた小説『非凡なる凡人』が、工学院大学の前身「工手学校」に通った実在の人物をモデルにして書かれたという事実を紹介し、小説の一部を引用されています。式辞に出てくる「作者」というのは、国木田独歩ですね。

名もなきエンジニアとして仕事に邁進した偉大な先輩のエピソード。
上の京都大学とは、表現の仕方は違いますが、こちらもまた学生を大いに奮わせる式辞だと思います。

例えどこかの天体に「人間」がいたとしても、皆さん一人一人の命の存在は、宇宙規模で見ればナイルの大河の一滴より更に小さな小さな一滴です。それだけに、ますます後にも先にもない、まさに only one の存在なのです。「もともと特別な only one 」なのです。皆さんはこの歌が好きですね。私も好きです。
「平成 16 年度入学式 学長式辞」(静岡大学)より)

静岡大学・天岸祥光学長の式辞。

この後、一時期大ヒットした曲「世界に一つだけの花」が引用されているのですが、実は天岸学長の他にも、この歌の歌詞を同じように式辞で引用されている学長が、数人いらっしゃいました。
式辞で引用しやすいのでしょうか。

槇原敬之氏も、まさか大学の学長の間でこんな風に語られているとは思っていないでしょう。

Address by the President of Sophia University
Congratulations to all of you who are entering Sophia University today. We are happy to welcome students from all over Japan who selected our university and worked hard to realize their dream of entering Sophia. While we realize that your success in entering Sophia is the result of your own diligent efforts, we hope that you will also not forget to thank your parents and your teachers who have selflessly supported your efforts.
「2006年度学部入学式 学長式辞」(上智大学)より)

こちらは、上智大学・石澤良昭学長の式辞……なのですが、上智大学では、日本語と英語の両方を、webサイトに掲載しているのですね。
留学生が多いからなのかもしれませんが、そんなところからも、大学の個性がかいま見えます。

蝶々や巡礼の子のおくれがち(子規)
本学三原キャンパスから望む佐木島は、気候温暖な美しい島で、ここでも八十八ヵ所巡礼が今も行われていますが、桜花爛漫のころ、菜の花ばたけに舞う蝶を両手をあげ追い、つい遅れ勝ちになる巡礼の幼い子ども。正岡子規のほっと楽しくなる俳句です。
「学長式辞」(県立広島大学)より)

俳句をところどころに引用しながら式辞を贈るのは、県立広島大学・赤岡功学長。
ご専門は文学かと思いきや、経営学。
なかなか風流な学長です。

大学生という存在は、自由であると同時にどこか曖昧な存在でもあります。家庭の保護からは半ば離れていて、しかし社会の一員としての責任を少し猶予されているという中間的な存在です。ある意味で中途半端な存在といえるのかもしれませんし、皆さんの中で、早く大学の外の世界に出会いたいと、いつかその中途半端さに苛立ちを募らせる人がいるかもしれません。
実際、私は、そのことに苛立ち、入学後一年で大学を飛び出しました。ストリートで制作するインディペンデントの映画作家たちと出会い、助監督として彼らの映画作品に関わることになりました。現場での経験は大学の授業とは違い、全てが具体的で、実践的でした。頭で考えたり話したりするよりも、走ったり、声を出したり、体を動かすことが重要でした。気がつくと、私は短期間の間に10本以上の作品にかかわり、半ばプロフェッショナルなスタッフとしての経験を身に着けていることに気づきました。
その時、私は、もう大学での教育は必要ないのではないか。と感じました。大学に求めるものは、もう無いように思えたのです。
しかし、ふと大学に帰ったとき、私の同級生が思考し、制作する映画が、私の経験した映画とまったく違うことに驚きを覚えました。同級生には私のような経験はありませんでしたが、習慣や作法に左右されない自由な発想の作品を制作していましたし、授業の中では、最先端の理論を巡って教師と学生がディスカッションを繰り返していました。理論というものを、現場の人間は軽蔑します。「君たちが大学で学んだ理論なんて、実際の現場では役に立たないのだ」と彼らは思っています。彼らは経験したことしか信じませんが、経験したこと以外の発想を創造することはできません。私もそうでした。私は自由に映画を作れると思っていましたが、実は狭い業界の習慣や作法ばかりに縛られた悪いプロになろうとしていたのでした。私は経験という檻に閉じ込められていたのです。そのことに気づき、私は大学に戻りました。
「2008年度入学式 諏訪学長による式辞」(東京造形大学)より)

ご自身の学生時代の体験を語りながら、大学の「知」について伝えるのは、東京造形大学・諏訪敦彦学長。

ご自身も、東京造形大学の卒業生だそうです。
「実は私は優秀な学生ではありませんでした」と言いながら、悩み、迷いながら過ごしていた学生時代の体験を、率直に一人の先輩として語るその言葉には、耳を傾けてしまう魅力があるように感じます。

上記のリンクから、ぜひ全文をご覧ください。
学生の心に届く式辞だと、個人的には思いました。

障害について理解のない人々は、私たちを聴覚障害者、視覚障害者と言ってひとくくり(一括り)にとらえる傾向があります。また、筑波技術大学が、聴覚や視覚に障害のある学生だけの集団であることから、そのような誤ったイメージを持たれがちです。
同じような障害を持っていながら、私たち一人一人が個性輝くかけがえのない人間であることを、まず、私たち自身が理解し合い確認する必要があります。そうすることにより、かつて皆さんの先輩は、あまたいる同障者の中から親友や愛する人を見つけてきたのです。
さて、このように多くの聴覚障害者と視覚障害者が一堂に会することを、皆さんは初めて経験したのではないでしょうか。過去、本学で学んだ1276名の卒業生たちも、今ここにいる諸君と同じように入学式の式場で初めて席を一緒にしました。しかし、残念ながらその後は一度も集うことなく、聴覚障害学生と視覚障害学生が一緒に話し合うこともないまま、やがて卒業式を迎え、別れていくというのが実情でした。
これから皆さんは、産業技術学部のある天久保キャンパスと、保健科学部のある春日キャンパスとに分かれて生活することになりますが、ぜひ相互の学生交流も進めてください。視覚障害者と聴覚障害者とのコミュニケーションが最も困難なことであることを、自ら体験してください。そして、自分と異なった障害を持つ友人を沢山つくってください。
「平成20年度入学式 学長式辞」(筑波技術大学)より)

筑波技術大学・大沼直紀学長の式辞です。
大沼学長は、宮城県立聾学校教諭として20年近くを過ごした後、ワシントン大学医学部に留学。教育オーディオロジー(難聴者の聴覚補償教育)を専門にされてきたという経歴の持ち主。

そんな学長だからこその、様々な想いが込められた式辞です。

以上、2回にわたり、いくつかの式辞の内容をご紹介させていただきました。

誇りを持って学べという言葉もあれば、謙虚たれという言葉もあります。
歴史上の偉人の言葉を引用する学長もいますし、自身の体験を紹介しながら自分の想いや考えを伝える学長もいます。
論理的に整理されたメッセージがある一方で、非常に情緒的な言葉もあります。

このように伝え方は様々ですが、どの大学の学長も、短い式辞を通じて、大学の理念や精神性、そして自らの想いなど、様々なことを新入生達に伝えようとされています。
新入生の方々はもちろん、他の学園の関係者にとっても、改めて想いを共有する機会になることでしょう。

最近ではこのように、大学の公式webサイトで内容が公開されていることも多いようです。
いくつかの大学の式辞を読み比べることで、それぞれの大学の個性を知ることができるかも知れません。
また自分が通う大学や、既に卒業された母校のサイトを訪れて、式辞を読まれてみると、新鮮な気持ちになれるかと思います。
初心に立ち返ってみたいという方には、オススメです。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。