マイスターです。
大学や高校など、新しい学びのステージに進まれた皆様、おめでとうございます。
入学式のシーズンですね。
去年あたりから少しずつ増えていた話題ですが案の定、入学式に関し、このトピックを報じているメディアが多かったようです。
【今日の大学関連ニュース】
■「関西の大学入学式 年々増える父母で式典大規模化」(MSN産経ニュース)
関西の国公立や私立の有名大学で1日、入学式が行われた。少子化の影響か、年々式に参加する父母らの数が増えており、入学式も様変わりしている。新入生と一緒に会場に入れない親のために別会場で式典の中継を行うのは当たり前で、式を公立の大きな体育館やドームを貸し切って行うなど、式典そのものが大規模化している。
関西大学(大阪府吹田市)では同日午前、千里山キャンパスにある中央体育館で法学部など5学部の入学式が行われた。この日は新入生約6500人に対し、参加する父母の数は約4500人。職員らが体育館に隣接する東体育館に父母らを誘導した。担当者によると「最近では両親そろっての出席や、祖父母なども含めた家族総出の参加も珍しくない」という。
大学側は増加する一方の出席者に対し、全学部一斉に行われていた入学式を平成17年から午前と午後の2部制に変更。それでも立ち見の保護者で会場があふれたことから、19年からは父母用に別会場を設け、式典の同時中継を行うようにしたという。
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(上記記事より)
学生と同じくらい目立つ「保護者」の方々に焦点を当てた報道が、いくつもありました。
マスメディアは、
「少子化」
→「過保護な親の急増」
→「親離れできない学生達」
……というストーリーを好みますから、扱いやすいネタだったのかもしれません。
「ゆとり教育で学力低下」と同じくらい、良く聞くストーリーですね。
大阪大学、関西大学、京都大学、立命館大学など、大きな総合大学は保護者の数も多いからか、様々なメディアに取り上げられていました。
保護者が多くなることを見越して、今年から、会場を学外の大きな施設に移す大学もちらほら。
「子どもと同じ会場で式を見たい」という要望に対し、従来の学外施設ではキャパシティが十分でなかったり、非難の際など安全面で課題が残るための措置だとか。
保護者の方々の様子は、↓こんな風に報じられています。
この日も会場は親子連れが目立ち、ビデオカメラで学内を撮影したり、入学式の看板前では子供との記念撮影に行列も。式典中継会場は、開式までに父母らで満席になった。式では、河田悌一学長が新入生らに「親離れをして精神的にも強い人間になってください」と呼びかけた。また、式の終了後には、学長や理事長らが中継会場に移り父母らにあいさつ。「過度に心配される親御さんもいるが目を離さなくても、手は離していただきたい」と、子離れを促した。
(「関西の大学入学式 年々増える父母で式典大規模化」(MSN産経ニュース)記事より)
少子化でわが子にかける愛情が強く、難関をくぐり抜けた末の入学式は親にとっても「晴れ舞台」となっている。
大阪大の新入生は院生も含め約6300人。同大は1人当たり同伴者を2人に絞り、事前に整理券を配布していた。しかし、祖父母を含めた一家総出の参加者もいて、予備の約500席を使い切った。それでも、数十人の立ち見が出たという。岡山市から一人息子の入学式に駆けつけた父母は式の1時間半前に来場し、2階の最前列に座ってビデオを回した。母親(52)は「大学入学は巣立ちの節目。自立への一歩をともに喜びたい」と話す。
大阪大は昨年、大阪府吹田市のキャンパスにある体育館で入学式を開いた。約3千人の父母らが訪れたが、収容人数が限られる体育館に入れるのは新入生だけ。父母らは別棟に設けられた中継会場のスクリーンを眺めるしかなかったため、「生で見たかった」との声が寄せられた。
家族同伴で入学式に参加できるよう、学外での式を提案した小泉潤二副学長は「子離れ、親離れが必要といわれるが、今日ぐらい一緒に祝福してもいい」と語る。
(■「入学式に親ぞくぞく 阪大・京大、収容できず学外で式」(Asahi.com)記事より)
上は関西大学、下は大阪大学の様子です。
「過度に心配される親御さんもいるが目を離さなくても、手は離していただきたい」
「子離れ、親離れが必要といわれるが、今日ぐらい一緒に祝福してもいい」
いずれも、なかなか絶妙な言い回しだなぁと思います。
「今日ぐらい一緒に祝福してもいい」というのはつまり、「明日からは、今日までとは違う関係になってほしい」という意味だろうと、マイスターは理解しました。
ちなみにマイスター個人の意見は、以前の記事でも書かせていただいた通りです。
我が子の晴れ舞台を祝福したいという気持ちは自然ですし、理解できます。入学式の参加イコール甘やかしだとは思いませんし、保護者の出席自体が悪いことだとも思いません。
ただ、
「祝福する場面では大いに祝う、でもそれ以外の部分は、いっさい口を出さない」
……という姿勢が大事なのではないかと思うのです。
保護者がこうして我が子に付き添うのは入学式と、せいぜい卒業式の2日間だけで、その間の4年間は基本的に、いっさい本人のやることに口や手を出すべきではない。
それが子育てにおける、保護者の皆様の最後の役割であり、義務なのではないか……と個人的には思います。
ちなみにアメリカでは、大学入学と同時に家を出て寮暮らしをする人が多いとよく聞きます。
そんな「自立」の国であるアメリカでも、大学の卒業式には、遠方から家族がわんさかとキャンパスにやってきて、一緒に卒業を祝うそうです。「お前は私達の誇りだ!」みたいな、日本人の私達にはちょっと照れ恥ずかしいような台詞も飛び出したりして。
でも、卒業式に家族が参加するするからといって、「過保護」だという評価につながるなんて話は、あんまり聞きません。
(かの国では、日本のような「入学式」は行われないことが多いそうです)
例えば↓こちらなども、保護者の方が入学式に参加されている例に違いありません。でも、記事を読めば分かるとおり、学生ご本人はちゃんと自立されています。
高円宮家の三女絢子さま(18)が2日、城西国際大(千葉県東金市)福祉総合学部に入学された。宮邸を出て、キャンパス近くの住宅で他の学生と共同生活するという。
黒いスーツ姿の絢子さまは、午前11時からの入学式に母親の久子さまと出席。式典前に1人で写真撮影に臨み、報道陣から宮邸を出ることについて問われると、「いい経験になると思っております」と笑顔で答えた。
宮内庁によると、3月に学習院女子高等科を卒業した絢子さまは児童福祉に関心があり、学習院大や学習院女子大には関係学部がなかったため、城西国際大に進学した。
(「高円宮絢子さま、大学生に=児童福祉専攻、宮邸出て生活」(時事ドットコム)記事より)
マイスターが思うに……
式に参加するかどうかよりも、大学と保護者との間でもっともっと議論すべき、大事なポイントがあるのではないでしょうか。
例えば、大学に入学した後も、授業の欠席の電話を保護者がしてくるなんて話をよく聞きます。
「高い金を払っているんだから」といって、自分の子どもだけ特別扱いするよう大学に要求する保護者の話も、耳にします。
子どもの進路にあれこれと指示を出したり、卒業後も親元を離れることを許さないような保護者もいます。
これは上で紹介した例で言うところの、「手を離す」ことができていない状態ですから、どう考えても良いことではありません。
保護者の方々に、こういったことはナシにしましょう、という大学からの約束事をお伝えする機会として、入学式の場が活かされれば良いのでは、なんて思ったりもします。
ちょっとだけ話が脱線するかもしれませんが、自分のことを思い出します。
実はマイスターが大学に入学するときにも、父親が入学式に参加しました。もうずっと昔のことです。
この一日のことは、今でも懐かしく思い出されます。
式の後、かつて父が学生の時に通い詰めた神田の古本屋街に二人でぶらぶらと歩いていき、父から、学問ジャンルごとにオススメの古本屋を教えてもらいました(親子二世代に渡って存在する古本屋がたくさんある街って、すごいです)。
尊敬する人が書いた稀覯本を買うか買うまいかさんざん迷い、何度も何度も店に通って、でも結局は冷静に考えて買わなかった……とか、絵に描いたような文系青年だった父の学生時代の話を、歩きながら色々と聞かせてもらいました。
そして、普段は行かないようなちょっとだけ良いお店で一緒に食事をとり、家に帰りました。
正直言って、入学式自体の内容は全然印象に残っていないのですが、父が教えてくれたお店は覚えています。だからでしょうか。マイスターは神田・駿河台のあの古本屋街に、今でも特別の思い入れを持っています。
大学自体の楽しかった記憶を、息子が小さいときからずっと語ってきた父でしたから、マイスターには父の大学時代と、これから始まる自分のそれとが、この入学式の日に重なったように思えました。
しかし、その後の学生生活の間、こちらから助言をあおいだりしない限り、基本的に父は自分のやることに何か過干渉をしてきたことはありません。
ただ確実に言えるのは、もしあの入学式の日に二人で古本屋を見てまわっていなかったら、その後の学生生活を通じてあんなに神田に通うことはなかったし、大きく影響を受けるような素晴らしい本の数々にも出会えなかっただろう、ということです。
そんな経験を持っているマイスターだからなおさらそう思うのかもしれませんが……。
入学式に出席するとかしないとかいったことと、その後の子どもの学生生活に過保護に干渉するかどうかは、あんまり関係ないのではないでしょうか。
逆に、子どもの入学式に出席しないからといって、それがイコール「子どもに干渉しない保護者」なのかというと、そうは言えないと思いますし。
入学式の報道を色々見ていたら、教育評論家の方や大学教授、精神科医の方々など、様々な専門家の方が、「なぜ保護者は入学式に来るのか」という分析を、色々と寄せておられました。そうかなぁと思うものもありましたが、鋭い分析に「なるほど」と思わされるものもありました。
ただ、「だから保護者が来るのはけしからん」と怒ってみたり、「だから過保護なんだ」と憂慮したりするだけでは、事態は変わりません。保護者の入学式への参列を禁止にすれば、入学式の風景だけは昔の通りになりますが、それ以外は何一つ改善されないでしょうから、意味はないでしょう。
それよりも、せっかく親子そろって大学に来てくださっているのです。上述したように、もっと大事な約束事の数々を大学側から伝える場として、この機会を活かす方が建設的ではないでしょうか。
冒頭でご紹介した記事を見ると、実際にいくつかの大学の方々が、そういうメッセージを送っておられるのがわかります。
また今の大学生の世代ですと、保護者の方も大卒だというご家庭が増えてきているのではと思います。
そこで自分の経験を元に提案したいのですが、いっそこの日は、
「学生時代に専攻した○○という学問にハマったきっかけは……」
「学生のとき○○という本に出会っていなければ、自分の人生はかなり違っていたと思う」
……みたいな、普段は照れてしまってあまり語れないようなことから、
「学生時代はとにかくお金が無くて、学食のカレーを食べるのが至福の時だった」
「今だから言うけれど、アルバイトをやりすぎて、単位を落としたことがある」
……みたいな話まで、学生時代のあれやこれやを、一人の先輩として率直に語る日にしてみてはいかがでしょうか。
こんな話題をご家族の間で語るというのも、たまには悪くないと思うのです。
普段はあまりそういった昔話に耳を貸さない子どもも、この日ばかりは真剣に聞いてくれると思いますよ。
そろって同じ大学に通うことになった、なんてシチュエーションだと最高ですが、そこまでいかなくても大学という共通項を元に、色々と話が弾む話題はあると思います。
そうして色々と語ったら、「さて、明日からはお前の番だね、がんばってね」と言って手を離していただきましょう。
……そんな1日の過ごし方を、入学式のときに、大学の側から新入生および保護者の方々に対して提案するのです。いかがでしょうか?
入学式の1日、うまく使えば、その後もずっと印象に残り続ける日にすることだって可能。
翌日以降の4年間をより自立した、内容のあるものにするためにも、色々と投げかけをする価値はあるように思います。
以上、そんな色々を考えた、マイスターでした。
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※おまけ
↓こんな話題も見つけました。これも、今の状況ならではの入学式風景でしょうか。
■「入学式で全新入生・保護者に呼びかけ――追手門学院大学が『薬物乱用防止のための講演会』を開催」(大学プレスセンター)
昨年から大学生の禁止薬物による事件が相次ぎ社会問題化しているのを受け、追手門学院大学では昨年12月に引き続いて、4月1日の入学式でも新入生・保護者に対して禁止薬物の恐ろしさなどを啓発する講演会を開催する。
新入生約1600名のほとんどは未成年ということで、大阪府警察本部の協力のもと、少年課の担当者が禁止薬物の恐ろしさや、流通ルートなどの社会的背景、刑事罰を含めた適用される法律について説明を行う。また、保護者や教職員にも「対岸の火事ではない」との意識づけにつなげる。
(上記記事より)
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。
実は昨日入学式がありまして、ホッとしているところです。
着任したての頃は入学式・卒業式に親が参加しているのを見て、ズイブンと驚いたものでした。
田舎はイベントが少ないからかもな、と解釈していたのですが、全国から入学生が来る都会の大学でもそうなんだ・・・。
自分に子供がいたらどうだろう。
卒業式くらいには行くかな。
多額の学費の領収書を受け取りに行く気分で。
そして子供の門出を祝ってやる。
オープンキャンパスも保護者連れ。
プレゼントする資料ケースの色も母親が決める。
どうかと思うが面白いものです。
少子化・過保護とはなるべく思わないようにして、だからステークホルダーへの説明責任が重要だ、と考えるようにしています。
18歳が205万人いて52万人が四大に入学した時代があって、それが120万人の中から60万人が四大に来る時代になった。
偏差値だけの比率で単純計算すると、30万人の入学者は『昔の基準では大学進学など考えもしない学力、動機、家庭環境』の子等ではないのか。
(親は大学卒なのか・・?)
まるで中学高校に対してのような、さまざまな要求を大学に求める親たちを見ていると、ついそんなこと考えさせられます。