今日は、いつもとちょっと趣向を変えたことをやってみます。
まずは↓こちらの文章をお読みください。これは、とあるマスメディアのニュースサイトに掲載された文章です。
<A国の政府>は何年か前から教員評価を強化し、無能力、非適格教師を退出させている。それでも甘いとみたのか免許更新制を実施するのは「教職社会の質の向上が公教育と国家競争力強化の近道」という判断による。良い教員を望む保護者の要望も強くなった。これに合わせる政策のおかげで、最近、<A国>の教育が良くなったという評価が多い。
一方、<我が国>はどうなのか。
<文部科学省>が教職社会の質を上げようとしても教員たちの反対にぶつかればひっそり退散するのがオチだ。教員評価や非適格教員の追放政策などは有名無実の状態である。最近は内申評価の信頼性を上げるため、教員が出題した試験の内容、評価基準などを公開することにしたが、うやむやされる兆しが見えるという。多くの教員が比較されることを気にして、全教組が教員の評価権を理由に反対しているためだ。
教員らは「教権」を主張する。教育の未来のために教権は非常に重要だ。我々も教権が侵害される度にこれを強調してきた。
しかし教権と教員集団利己主義はまったく違う。教員は生徒、児童たちに対し灯台の役割をするものだ。当然、生徒や児童たちも立派な教員から良い教育を受ける権利がある。このために評価は必須だ。社会はもちろん大学でも評価は一般化された。しかし特に教職社会だけ評価と競争を拒否している。だから集団自己本位という言葉を聞くのだ。
だからといって生徒・児童、保護者に教権を強調することは矛盾しているのではないか。これにより保護者の不満が高まって、公教育脱離現象が拡散したとといえば言いすぎか。全教組の機嫌を伺いながら集団自己本位に同調していく<文部科学省>も責任ある教育政府だとは言いがたい。
<文部科学省>は<A国政府>をよく見て学べ。
いかがでしょうか。
これを読んで、
「そうなんだよ、日本は、教員の反対で改革が進まないんだよ。けしからんことだ」
とか、
「日本の教員社会はやはりおかしい」
とかいった感想を持たれる方もおられるかと思います。
マイスターも、この記事をはじめて読んだ時、「おぉ!」と思いました。
我が国が抱える、大きな声では指摘しづらい問題を、ズバリ突いてるなぁと思いました。大手の新聞は批判を恐れて、普段ここまではっきりした物言いをしませんから、めずらしいですよね。
ところで、<A国>ってどこのことさ? と、皆様は思われたかも知れません。
……すみません、実はマイスター、ちょっとウソをついていました。
冒頭でご紹介した記事なのですが、マイスターがちょっとだけ、元記事を改ざんしていたのです。
読んでくださったみなさま、申し訳ございませんでした。
え? どこを改ざんしたかって?
それは、<カッコ内>の部分です。
はい、元記事はこちらです。
【教育関連ニュース】—————————————-
■「【社説】教員集団利己主義につられていく教育政策」(韓国:中央日報)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=76185&servcode=100§code=110
———————————————————–
元記事の記述は、↓こうなんです。
日本政府が「教員免許更新制」を取り入れることにしたという。日本の教員は10年ごとに研修を受けた後、免許を新たに受けなければならない。「教員が速く変化する知識、機能を習得しなければ公教育の信頼が上がらない」というのが導入主旨だ。日本の教職社会に爆風をもたらす政策だ。
日本政府は何年か前から教員評価を強化し、無能力、非適格教師を退出させている。それでも甘いとみたのか免許更新制を実施するのは「教職社会の質の向上が公教育と国家競争力強化の近道」という判断による。良い教員を望む保護者の要望も強くなった。これに合わせる政策のおかげで、最近、日本の教育が良くなったという評価が多い。
一方、韓国はどうなのか。
……
(上記記事より。強調部分はマイスターによる。
これ以降、詳細はぜひ元記事のリンクをご覧ください。)
というわけで実は、韓国の教育を憂う、中央日報の記事だったのですね。
記事は「教育部は日本政府をよく見て学べ。」で締めくくられています。
この記事で、韓国の教員改革のモデルにせよ、とされているのは、他でもない、我が日本なのです。
皆様は、どうお感じになりました?
マイスターは最初、本当に、韓国ではなく日本の国内の状況を指摘する記事だと思いました。だって、この記事に登場する問題は、日本のそれとまったく同じではないですか。
それに、
「日本政府は何年か前から教員評価を強化し、無能力、非適格教師を退出させている。それでも甘いとみたのか免許更新制を実施するのは「教職社会の質の向上が公教育と国家競争力強化の近道」という判断による。良い教員を望む保護者の要望も強くなった。これに合わせる政策のおかげで、最近、日本の教育が良くなったという評価が多い。
っていうあたりも、「そんなに良くなってないですよ」と言いたくなりますし。
そりゃあ確かに、問題教員を現場から退場させるケースは出てきていますが、どちらかというとそれはわいせつ行為のように法に触れることをしでかした教員達であって、指導力不足でクビになる教員は、まだまだごくごく少数です。
日本でも、教職社会の質を上げようとする改革のほとんどは、教員たちの反対にぶつかって進展してません。また、「多くの教員が比較されることを気にして、全教組(日本の場合は日教組?)が教員の評価権を理由に反対している」というのも、日本の状況ズバリです。
日本の教育の国家競争力は、強化されるどころか、むしろ危機に立たされているというのが、日本人の実感ではないでしょうか。
ということを、韓国の方々には教えてあげたい。
この記事は、私達に、
○どの国でも、だいたい似たようなところで悩んでいる
○他国の教育改革は、成功しているように見える
という二点を教えてくれます。
日本でも、よくアメリカあたりを引き合いにして、「アメリカから学べ!」なんて言い方をしますよね。(マイスターもよくやります)
でもきっと、アメリカの当事者達は、「全部が全部、成功している訳じゃないんだけどなぁ」なんて感じていたりするのでしょうね。
もっとも、特に今回の記事の場合は、日本でもまだ始まったばかりで成果が出てない改革についての記事でしたからね。ある程度制度成立から時間が経っていて、なんらかの成果がハッキリ出ているテーマであれば、こちらも堂々とモデルになっていられるのでしょうけれど。
というわけで今回は、「隣の教育改革はよく見える?」というお話でした。
* * *
ちなみに、韓国のメディアって、実は結構、日本の大学の動きを追っています。
■「大学も団塊狙う シニア入試、新学部」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0612/001.html
↑例えば最近でも、日本でシニア向けの入試を行う大学が出てきたという報道があったのですが、そしたら、さっそく朝鮮日報でも、そのことを紹介する記事が出ていました↓
■「日本の大学、入試にシニア枠・学部新設 ターゲットは団塊世代」(朝鮮日報)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/13/20060613000042.html
実を言うと、韓国にとっても、シニア対策は気になるのです。
あまり知られていないかも知れませんが、韓国の合計特殊出生率は日本を下回る水準です。日本は世界一の高齢国家になると思われていますが、実は韓国の方が先行き深刻で、UN(国際連合)の統計値に基づくNSOの予測によれば、65才以上の高齢者の割合は2050年までに人口の37.3%に達し、日本を上回り世界一となると予測されているのです。高齢者をどのように扱うかというのは、韓国の人々にとっても、大変大きな関心事なのですね。
(参考)■「最近の海外労働情報:韓国:進む少子化」(独立行政法人 労働政策研究・研修機構)
http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2005_2/korea_01.htm
そして、以前の記事でご紹介したのですが、韓国は、2004年時点での高等教育への進学率が81.3%。日本以上の超ユニバーサルアクセス社会です。
(参考)・韓流受験戦争の後ろにあるもの ~韓国の大学事情~
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50102792.html
つまり韓国は、大学進学率という点でも、高齢化の度合いについても、日本と同じような悩みを抱えているのですね。(というかむしろ、日本以上に深刻なのです)
したがって日本の大学改革の中でも、シニアに関する取り組みには特に注目しているというわけです。
そんなわけで日本の大学改革も、海外から注目されています。
私達も、良きモデルになれるよう、がんばろうではありませんか。
以上、マイスターでした。
日本には、ぜひフィンランドやデンマークなど
の教育改革を見習っていただきたいです。
今の日本の教育の問題点を的確に指摘した本を
紹介させてください。
「変えよう!日本の学校システム
教育に競争はいらない」古山明男著 平凡社
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582824471/250-6017061-2405067?v=product-description&n=465392&%5Fencoding=UTF8&n=465392&s=books
デンマークはよく知りませんが、フィンランドは確かによく推奨されますし、実際よい効果を挙げているようです。
ところが、国民性や国家システム・文化の違いが大きいのです。
フィンランドは気候が大変厳しいため、お互いに助け合わないと生きていけないという風土があります。逆に言うと身近なこと以外はとても気にしていられません。そういう理由もあって、NPOなどの民間社会活動レベルでは大きな社会問題に対処しきれないと看做され、社会福祉等は国家が強力な権限でもって行います。それが普通であると看做されるため、市民はNPOなどの活動をあまり信用しません。
(承前)
フィンランドは強大な行政機構を敷いており、日本の教育界が嫌いそうな国民総背番号制も既に実施されています。しかし、そのおかげで種々の公共サービスはシームレスに利用可能で、その集約性から政府は効率的に統制でき、内容の向上もしやすくなっています。
フィンランドの事例は何かと持ち上げられますが、それはその風土・文化・機構によって成り立つもので、一概に取り入れることはできません。日本のように、気候が穏やかで、島国ゆえに身内で「なあなあ」になりがちな風土、先進国ゆえの自由主義を敷かねばならない地位、教育が神聖視されやすい文化を持っていては、そうしたくとも簡単にはできないというのが実際であろうと思います。
(承前2)
記憶が不明瞭なのですが、フィンランドはじめ先進的な福祉体制を敷いている北欧諸国は税金がもの凄く高かったはずです。仮に日本で同じ水準にしようとすれば、確かビール一杯1000円ぐらいになってしまうのではなかったかと。
日本はそのようでない一方、日常的な行政サービスや、住宅・安全・衛生面などがとんでもなく水準が高いため、普通の人が普通の生活をするためだけに裏ではとんでもないお金がかかっているはずです(他国に比べての話)。教育や福祉がフィンランドに遅れをとるように見える側面には、そういう背景があります。
もし現状でフィンランド並みの体制を作ろうと思えば、それは日常生活の水準を下げよう、あるいは超増税と言うのに等しく、賛同は得られないでしょう。
どうやってお金を手に入れればいいんでしょうね。いい案が思いつきません。