今日の記事は、昨日の続きです。
前編をまだ読まれていない方、まずは↓こちらからどうぞ。
(昨日の記事)「授業アンケートのプライバシー VS 授業を向上させる責任(前編)」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50110455.html
-でも、本当に、これで「めでたしめでたし」にしていいんでしょうか?
その他にも何か、引っかかるところがありませんか?
色々と、見過ごせない問題点が浮き出ているような気がしませんか?-
…なんて書き方で前回の記事は終わりました。
さて、前編を読んでいただいた方々には様々なご意見があると思いますが、
マイスターが気になるのは、記事のタイトルにもあるように、
「誰がこの授業の内容に責任を持っているの?」
という点です。
前編の話を読まれて、みなさんはこの点、気になりませんでした?
「イカリ先生」のいうことはどれももっともで、
確かに授業評価アンケートの結果というのは、それぞれの教員のプライバシーに関わる問題と言えるかもしれません。
それが、他の教員に漏れてしまうようなことがあるようなら、問題でしょう。
ただ、それを踏まえた上で、イカリ先生の言葉の中にはどうも気になる部分があります。
前回の話のポイントは、「分担」の授業だったということです。
「二人の先生が、一つの授業を前半と後半で分け合っている」
というのが今回のケースですが、さて、ではこの授業の内容に関する責任は、一体誰が負っているのでしょうか?
「前半ノホホン先生、後半イカリ先生」でしょうか?
しかし授業というのはどれも学科のカリキュラムに従い、綿密に計画されているべきものですよね。
特定領域の学問の修得を念頭に入れた上で、
・いつ、どんな内容をどのように教えるか、
・前半と後半をあわせて、授業をどう組み立てるか、
・どの知識が、どこにどう活かされるか、
それらすべてを熟知した上で臨まなければならないはずです。
クルマを売るときに、エンジン開発と内装のデザインにはそれぞれ別の責任者がいると思いますが、
「クルマという商品」全体について、責任をとる人もいますよね。
そうでないと、買ったクルマに満足しないお客さんは、誰に責任を問いただせばいいのかわかりません。
大学の授業だって、それと同じはずです。
従って、教える役割は前半・後半で分けていても、お互いに何をどう伝えたか、どこに問題があったかは、本来であれば互いに知り合っておくべきはずです。
さらに言うと、どちらかが責任者となって授業全体をマネージメントする責任を負うべきでした。
今回のケースでは、どうもノホホン先生とイカリ先生は、そうした綿密な授業計画を共有していたとは思えないようなフシがあります。
何しろ、お互いが授業アンケートをするかどうかも、知らなかったくらいです。
お互いに、相手の授業内容はほとんどノータッチ、ましてやアンケート結果をもとに次年度の授業の改善点を話し合うなんてことは、しないように推察できます。
もうひとつ重要なことがあります。
なんでこの大学では、「一つの授業につき、授業アンケートは一回」と決められているのか?ということです。
イカリ先生は、
「どの授業も、分担の教員の人数分、
それぞれの分のアンケートをすべて用意しておくべきだろう!
だって、それぞれが違う授業をやっているのだから、
自分だけに対する評価がどうだったのかを知らないと、意味がないだろう!」
と主張していました。
当然、こうした意見は他からも来ていたと考えられます。
この大学では、毎年一回、ファカルティ・ディベロップメント委員会を開いて、アンケートの実施方法などを検討しているということでした。
であれば、こうした意見もそこで既に何度か議題に上っていておかしくありません。
しかしそれでも敢えて、一つの授業につき一回のアンケートとしている。
それは何故か?
優秀な法律家というのは法律の条文そのものだけではなく、法律の裏にある思想や背景などまでを読みとれる人なのだと聞いたことがあります。
大学も学則だらけ。その中で機動的に動かなければならない大学人にも、こうした能力は大切です。
今回のケースですと、
「授業責任者の名前で、一回のアンケートを行う」
というのが、学校が用意したアンケートの基本方式です。
これが意味するところはつまり、こういうことではないでしょうか。
<授業の責任者とは、単なる形式上の「代表者」ではなく、
実際にその授業で行われた教育に関する全責任を負う者のことである!
従って、授業の評価を確認し、次年度の授業改善に活かす責任を担っている!>
もともとファカルティ・ディベロップメントとは、
「教員が自分の成長のため、自己評価のために授業評価を役立てること」
ではなくて、
「常に質の高い教育を学生に提供し、
また、常にその質を向上させ続けるために、大学が組織をあげて取り組む施策」
というのが本来の位置づけです。
この大学の授業アンケートも、そんな考え方に則って設計されているのだと推察されます。
それぞれの授業に、授業内容チェック責任を負った「責任者」を一人ずつ置く、
というのは確かに、授業の質を向上させる上で、もっとも基本的な対策であるように思います。
ところが!
ファカルティ・ディベロップメント委員会のそんな考えが、
個々の教員には伝わっていないというのが、今回のケースなんですね。
イカリ先生などは、明らかに、
「授業の前半はノホホン先生のもの、ワタシは知らん」
という考えですよね。ノホホン先生も同じでしょう。
制度の趣旨から言えば、
「責任者はイカリ先生だから、イカリ先生がこの授業の全体を、責任持ってマネージメントする」
ということになるはずですが、当人達にはそういう意識がありません。
おそらく、
「お互いに教員同士、対等の立場。
相手の授業には口を出すべきではない。」
という意識でいるのでしょう。
責任者として内容をチェックするだなんて、思ってもいないのだと思います。
従って、この授業に責任者はいません。
責任者不在の授業です。
学問の自由や、プライバシーの保護というのは、確かに保護されるべき大切な権利です。
しかしそれらはすべて、サービスの供給側の都合。
誰も責任を持たない無責任授業を受けさせられる顧客(=学生)は、たまったものではありません。
(というか、今回のケースは「学問の自由」はあまり関係なさそうですね)
こんな無責任なサービスを提供する組織は、本来、サービス機関なんて名乗れないんじゃないかと思いますが、実際には日本の大学の多くで、こうした事態が起きているとマイスターは思います。
今回の事例はフィクションですが、その意味でフィクションとは言いきれない事例です。
以前、某・大学アドミニストレーター育成大学院の教授さんも、同じようなことを指摘していました。
ほとんどの日本の大学は、
○それぞれの授業内容の「質」を管理する責任者がいない。
質を維持・向上するための体制も整っていない。
○教員の教育能力をチェックし、向上させる仕組みがない。
○学科全体の授業のシラバスを細かくチェックして、カリキュラムに謳われた学問内容が不足なく、ムダな重複なく、きちんと供給されているかを調べ、管理し、責任を負う者がいない。
…と、教育サービス供給機関としての機能を決定的に欠いているとのことでした。
この教授さんが、実際にとある大学のシラバスを細かくチェックしてみたところ、授業内容のムダな重複が見つかったそうです。
別の授業で、二人の先生がそれぞれまったく同じことを教えていたのです。
当人達は、長い間それに気づかなかったのですね。
お互いに、授業内容を報告し合ったり、チェックし合ったりすることがそれまで皆無だったのだそうです。
今回のノホホン先生、イカリ先生のケースでも、同じことが起きたかも知れません。
「お互いに、この授業の責任は負わない」
という姿勢で、長い間、同じように授業してきた結果、授業内容に不整合が出てきていた可能性があるわけです。
前編で書いたお話ですと、授業アンケート担当者は最後、イカリ先生に平謝りして、
「今後はすべての授業で、分担の教員の人数分だけ、アンケートのセットを用意する」
という提案を上げることを約束してしまっています。
一見するともっともな対応に思えますが、でもこれは、あらゆる授業において適正な質のサービスを提供する、という目的からすれば間違いということになります。
このアンケート担当者が問題を放置してしまったら、この授業の問題はずっとそのままです。
やり方は色々とあるでしょうが、複数の教員が分担する授業についてはやはり、授業全体を通じたチェックを誰かがすべきではないでしょうか。
まず、イカリ先生には、本来のアンケートの趣旨を今一度説明する必要がありそうです。
いや、この様子だと、他の教員達にも趣旨が伝わってない可能性がありますから、全学的にアンケートを位置づけ直す作業をしなければならないかも知れません。
日本の大学に決定的に欠けているのは、こうした教育の質に関する施策です。
カリキュラムをいくら現代風に作っても、実態が伴わないのでは、意味がありません。
「放置しておくとサービスの質は落ちる」という前提で、特定の責任者が常に監視をし続けていなければならないのです。
しかし悲しいかな、
こうした提言を事務職員から言われても、教員が聞く耳持たない、ということは珍しくないと思います。
職員も、わざわざ不条理な説教を食らう覚悟でこうした提言をすることはあまりありません。
そもそも、提言を上げるルートすら、ないかも知れません。
かといって、教員組織の構造上、自己改革もあまり期待できません。
「授業アンケートは、責任者が分担の分まで、内容をすべてチェックすべきです」
なんて提案したら、教授会でひどい目に遭うことうけあいです。
まず通りそうにありません。
マイスターは民間企業の出身ですので、こうした
「顧客のために、サービスの内容を厳しくチェックし続けなければならない。監視しないとだめになる」
という考え方はわりとスンナリ受け入れられるのですが、大学の中でずっと、研究室の主として暮らしてきた教員の方々にとっては、耐え難いことのようです。
こんなとき、
大学全体のサービスを統括する立場であり、
かつ、アカデミックな業務を遂行できる、
「教学部門の管理責任者(=アドミニストレーター)」がいるといいのでしょうね。
授業内容についても、教員と対等に渡り合えるスタッフが、大学の管理スタッフとして必要なんだと思います。
よく、アメリカの大学アドミニストレーターのみなさんには博士号所持者が多いと聞きます。
そうしたスタッフが、こういう教学サービスのチェックにあたっているというわけです。
日本にも、大学アドミニストレーターを養成する新しい大学院がいくつか存在しています。
いち早く専攻を開設した桜美林大学でもまだ博士号取得者までは出ていないと思いますが、こうした教学サービスの充実に携わる博士アドミニストレーターもそのうちこうした機関から巣立ってくるのでしょうかね。
それとも今回の事例のアンケート担当者のように、結局は教員に謝ってその場を収めてしまうにとどまるのでしょうか。
マイスターは、アドミニストレーターとして教員を説き伏せられるような人材を期待します。
こうしたスタッフが機能するかどうかは、その大学のトップ次第でもあるので、大学のトップにも期待します。
ぜひ、「教学サービスの質を保つ」という、これまで日本ではタブーとされていた領域に切り込んでいってください。
などなど、実は大学の教育サービスの根幹に関わる、とても重要な問題が隠れていたお話でした。
いかがでしたでしょうか?
大学で職員として働いておられる方も、教員として働いておられる方も、
ご自身のお勤め先でどのように授業の質がチェックされているか、よければ確認してみてください。
あらためて調べてみると、けっこう愕然とする結果が待っていると思いますが、挫けずに、それこそ自動車メーカー並みの品質水準保証を目指してみてはいかがでしょうか。
そんなわけでマイスターでした。
2日間読んでいただいて、ありがとうございました。