学生時代の授業について、教わった内容はともかく、雰囲気はどれも良く覚えているマイスターです。
文字が読めない、声が聞き取れない教員というのは、お約束ですよね。
一番最初の授業で、名乗りもせずにいきなり数式を書いて授業を始め、学生を困惑させた教員、いたなぁ。
受講者が3人しかいない授業中、かかってきた携帯電話に出て話し始め、通話後、
「携帯は、いつでも出られるから意味があるツールなんですよ」
と言い放って学生をぽかんとさせた教員も、いたなぁ。
学問の奥深さを教えるため、夏期休暇中の学術研修旅行を自ら企画したり、
いいレポートが提出されると思わず、学生の実家に即、電話してほめる先生も、いたなぁ…。
ところで「授業を評価する」って、なかなか大変な取り組みですよね。
小・中・高でも、大学でも、そうです。
評価手法についても議論がありますが、
それ以上に、「評価結果」をめぐる議論の方が、なかなか進みません。
マイスターは教育学の専門家ではありませんが、
「教える」という行為の一般的なあり方は、
「物を知っている人間が、知らない人間に伝える」
というスタイルなんだろうと思います。
「俺は、お前よりこの分野にかけては詳しいぞ」という、お互いの知識量の格差が、前提です。
もちろん、教員と学生が一体となって考えあい、刺激を与えあうスタイルの授業もあります。
しかし一般的には、日本の学校で行われるほとんどの授業が、「講義」であり、「知識の伝達」ですよね。
そんな、「知識の伝達」にいそしむ教員の中には、
「自分より知識のない人間から、自分の授業について評価を受ける」
ということに、納得できない方もいるのだろうと思います。
教員と学生の関係を、「徒弟制度」のイメージで築いておられる方は、特にそうかもしれません。
絶対的な師と、ものを教わる弟子。
もちろん教わる立場にはそれ相応のマナーが存在して然るべきですから、徒弟イメージだって必ずしも否定されるものではありません。
しかしながら、提供される教育サービスの質を高め、優れた教育成果を出していくためには、やはり「評価を受ける」という行為は、欠かせないものだと思います。
そんな「教育評価」について、
初等・中等教育でも、高等教育でも、様々な取り組みがなされてきているようです。
<小学校~高校の試み>
小学校~高等学校については、学校の垣根を越えた取り組みが目を引きます。
何しろ教員数が多い。
そして、高等学校以上に、教員間のレベル格差、意識格差が大きい。(と、マイスターは思う)
意識のある教員が個人的に学んだり、意欲的な教育委員会が独自の制度を作ったり。
その気になれば、教員の「教育力」を伸ばせる場所は、いくらでもあるというわけです。
そんな中、「評価」を利用して教員達の能力を上げるような試みも、目立ち始めてきました。
・「授業検定 現場に生かす」(読売オンライン:教育)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20050405us41.htm
■「小中学校編 教師力<26>技量を検定で“格付け”」(読売オンライン:北海道:企画・連載)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/049/26.htm
これらは、教員が自主的に参加し、学ぶための授業検定です。
点数評価を受け、自分の弱点を知ることで、教員達はレベルアップをはかれるということですね。
大阪府教委は、独自に評価システムを考案し、学校で実施しているようです。
■「考課に自己申告導入」(読売オンライン:教育)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20050421us41.htm
「新たな人事評価制度は、文部科学省の指導を受け、全国で検討されている。」
と記事にありますが、どのような形で、どのような工夫を凝らして実施するかは、各教委の判断にゆだねられているようです。
大阪の自己申告の仕組みは、教員自身が自分の仕事の成果を考える上で、とてもいいと思います。
■「先生だって褒めれば伸びる?」(読売オンライン:教育)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20050824ur02.htm
このように、優れた教員を表彰する制度も、全国で徐々に実施されてきているようです。
<大学・大学院の試み>
一方、大学はどうでしょうか。
まだまだ「大学の先生=研究者」という視点が支配であるのか、
大学教員の実績は、主として「論文数」や「学会発表」など、研究成果で図られることが多いです。
いかに「教育」で成果をあげても、教員として評価されることが、ほとんどなかったのですね。
これでは、大学教員の教育力が向上するわけもありません。
そんな背景も手伝ってか、教員自身も、
「ワタシは研究者だ。本分は研究だ」
と、ためらいなく言う人が多かったと思います。
こういう言い方の裏には、「教育で評価される気はない」という、教育軽視の姿勢が見え隠れしています。
そんな中、「教育力」を教員の評価につなげようという試みも、徐々に行われ始めているようです。
■「大学法人化の現場から (4)学生投票で選ぶ“ベスト教員”」(読売オンライン:教育)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/hagukumu/tanbou/20040503us31.htm
このように、「教育力の優れた教員を表彰する」という制度については、あまり反対の声があがりません(たぶん)。
本当は、「底辺教員」を底上げしてこその評価制度であるはずなのですが、ワースト教員の発表については、やっぱり抵抗が大きいようです。
こうした「優れた授業」を自ら見学するような教員は、もともと意識の高い人です。
他の人の授業になんて興味がない、という「底辺さん」をどうするかが、本当は一番求められるのですが。
教授会で多数決をとれば、多分、圧倒的に「教育評価の公表、反対」でしょうね…。
「授業アンケート」についての試みはどうでしょうか?
この問題について、読売新聞の北海道のスタッフのみなさんが記事を書いています。
アンケートの内容、全公開に踏み切った大学、踏み切っていない大学の事例が出てきて、非常にわかりやすいです。
記事がすごく多いので、思い切って、ここに全部、リンクを載せちゃいました!
目次状態ですが、授業アンケート関連で出てくる意見が、ほぼ出そろっていますので、ざっと理解するのにいいです。
1ページごとのボリュームは多くないので、お時間のある時にでも、どうぞ。
■大学編 変わる授業<18> 徒弟ではなく顧客として (2004年9月27日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/18.htm
■大学編 変わる授業<19> 「アンケート公表」で賛否 (2004年9月28日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/19.htm
■大学編 変わる授業<20> 決め手は「公表賛成8割」 (2004年9月29日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/20.htm
■大学編 変わる授業<21> 新委員、慎重論に一石 (2004年9月30日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/21.htm
■大学編 変わる授業<22> 学生への信頼背景に (2004年10月1日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/22.htm
■大学編 変わる授業<23> 評価の分かれ目は教え方 (2004年10月4日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/23.htm
■大学編 変わる授業<30> 一橋大では公開徹底 (2004年10月14日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/30.htm
■大学編 変わる授業<31> 反響も反発も大きく (2004年10月15日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/31.htm
■大学編 変わる授業<32> 改善意識 全員で共有を (2004年10月18日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/32.htm
■大学編 変わる授業<33> 完全公開後、平均値アップ (2004年10月19日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/33.htm
■大学編 変わる授業<34> 教授会通さず押し切る (2004年10月20日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/34.htm
■大学編 変わる授業<35> 評価分析、授業に活用 (2004年10月21日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/020/35.htm
(以上、いずれも、「読売オンライン:北海道:企画・連載」から。
なお「北海道発」の記事なので、北海道大学、北海道東海大学など、地域の大学が詳細に紹介されています)
授業アンケートを実施されている大学は、現在、非常に多いと思います。
ただ、その「公開」となると、いかがでしょうか。
二の足を踏んでいるところも、多いのではないでしょうか。
評価の結果というのは、フィードバックされるべきものです。
教員が、ちゃんと評価の結果を受け止め、改善に尽くしたか、それを評価者が確認するためにも、評価はできる限り公開が望ましいと思います。
「ワースト教員」の自覚を促すためにも、有効です。
受験生にとっても、何より重要な情報になることでしょう。
授業評価の結果を公開することは、「きちんと教育をやります」という何よりの証明になります。
「授業の評価」には、様々な理念や方法があります。
いずれにしても授業の質を向上させるために行うわけですから、評価を軽んじたり、無視したりすることがあってはなりません。
いずれの教員も、授業を受ける生徒、学生のことを第一に考え、
評価の結果をもとに、すばらしい授業を生み出して欲しいと思います。
マイスターでした。