進まない学校IT

案の定、夏休みになった途端に朝寝昼起きのマイスターです。
夜中にカップラーメンも食べます。

ダメすぎる…orz

【教育関連ニュース】——————————————–

■「校内LAN:整備率、44.3%止まり 進まない「学校IT」--文科省調査」(Mainichi INTERACTIVE)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050802dde041040024000c.html

■「何のための携帯か――親と子どもの埋めがたいギャップ」(ITMedia BizMobile News)
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/mobile/articles/0507/28/news047.html
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教育にITを導入することについて、考えるヒントになりそうな2つの記事です。

まず前者は、日本の公立小・中・高等学校のインターネット環境の整備の遅れについての報道です。

- 校内すべての教室がインターネットに接続できるようにする校内LAN(構内情報通信網)の整備をめぐり、今年3月現在の整備率が44・3%にとどまっていることが、文部科学省の調べで分かった。パソコンなどIT(情報技術)を活用して授業ができる教師も全体の7割弱(68%)であることも判明。
(中略)
 校内LAN整備率にいたっては、前年度比わずか7・1ポイント増。「財政事情の厳しさに加え、教育的効果があるのか疑問視している自治体がある。意識の差で数字に格差が出てきている」(初等中等教育局)とみる。-
(Mainichi INTERACTIVE記事より)

マイスターが知る限り、教室へのインターネット接続率100%を最も早く達成したのはカナダです。
なんと1999年の時点で、公立学校の全教室が、インターネットに接続されています。

それに比べると、2005年時点で44.3%ですから、かなり後れをとっていますね。

日本の教育現場では、情報技術はどっちかというと

「教育上良くない」とか、

「インターネットより先にやることがいっぱいあるはずだ」とか、

目の敵にされることの方が多いような気がします。

確かにマイスターも、先に従来型の読み・書き・そろばんに習熟させるのは大事だと思いますし、アナログなコミュニケーションは大切にしなければ、と思います。
また、インターネットから流れ込んでくる数々の「良くない情報」や、危険なサイトの存在にも、十分に気を付けるべきだと思います。

しかしそれでも、やはり情報の取り扱いには、なるべく早いうちから親しんでおくべきだと考えています。

webプロデューサーとして、あるいはメディアについての学位を(一応)持っている身として思うに、

情報化社会とは、
「社会に流通する情報量が爆発的に増えた結果、自分で情報を選ぶことが困難になる社会」

なんだろうということです。

誰もが情報を容易に扱えるようになることで、社会的に多くのメリットが得られます。
特に恩恵を受けるのは、これまで発言力を与えられてこなかった人たちでしょう。

でも、いち個人としては、
情報の海に流されないよう常に気を付けていなければならない社会、という見方もできると思います。

そう考えると、情報に流されないための教育を早い段階から公教育で行うことが、国の大事な仕事なのではないかな、と思うんです。

たとえば、情報の読みとり。

今後は、「メディアを通じた情報は必ず信じられる」という社会ではなくなっていくと思います。
特にITメディアを通じた情報は、不確かな物が多い上、量的にも触れる機会が多くなってくるでしょう。
いくら情報を遮断しようとしても、早いうちから不確かな情報にさらされるケースは出てきてしまいます。
だから、子供のうちから、どんな情報に信憑性があるのか、それはどうやって判断されるのか、総合的なリテラシーを身につけておく必要があると思うのです。

情報の発信についても、そうです。

大人でも「自分の考えを、考え方の違う他人に論理的に述べる」という場面になると、とたんに小さな子どものようなレベルになってしまう方が少なからず見受けられます。
これは従来の「読み」「書き」が、実践的なコミュニケーション能力を育てるという点にあまり力点を置いてこなかったことも、あるでしょう。
今後は、文化的なバックグラウンドがまったく異なる人々から、「あなたはどう思うか?」と問われる時代が来ると思います。
ですから、「どうしたら、信憑性のある情報を発信できるのか?」「何をしてはいけないのか?」を、知っておく必要があります。

こうした情報の扱いのほとんどが、おそらくインターネットをはじめとした、ITネットワークの上で行われるようになるでしょう。
ですから情報の扱いについて、教室で日常的にインターネットを使いながら指導をしてあげる必要は、あると考えるのです。

後者のニュース、「ITMedia BizMobile News」の記事には、そうした視点が入っています。
この記事は、

モバイル社会研究所が主催したフォーラム

「モバイル社会フォーラム2005:子どもとモバイルメディア~わたしたちの役割を考える~」

での発表をもとに書かれた記事です。
モバイル社会研究所は、NTTドコモの社内に設置された研究所ではありますが、情報ツールの悪い面についても研究していこう、という姿勢で様々な研究を行っています。

記事の中で、野間俊彦氏と榎本竜二氏が共に強調している「情報モラル指導の必要性・重要性」には、強い共感を覚えます。

-文部科学省では「教育の情報化」を掲げ、「2005年末までに教室からインターネットが使える環境を作る」「校内LANの整備、学校に10台の PCを備える」「2005年度末までに、すべての教員がPCを使って授業ができる」などを目標に取り組みを進めている。ここで言う「情報化」とは、PCを使ったインターネット接続を意識したものになっている。

 しかし実際の授業で教えられているのは、表計算ソフトやワープロの扱いなど操作的なものが多く、「情報にどう接するか」という点まで踏み込めていない学校がほとんど。野間氏は、「9割以上の教員は、情報モラル教育が必要と感じつつも“どう教えていいか分からない”“教材がない”“(小学校の)学習指導要領に情報モラル指導という記述はない”などの理由により、情報モラル指導は実践されていない」と指摘する。-(上記記事より)

マイスターも、このような「情報にどう接するか」という教育が、情報化社会の基盤になければならないと思います。

しかし、この記事でも指摘されているように、

「情報教育=パソコンソフトの使い方」

という程度で終わっている学校が、多いのではないでしょうか。

また、

「インターネット=出会い系、有害情報などが見られる世界」

という意識も、きっと学校の現場には、根強くあるのではないでしょうか。
事実、記事の筆者は、携帯電話についての議論について、こう書いています。

フォーラムを見ていて、記者が一番気になったのが「携帯=悪、危険、出会い系」という前提のもとで話を進めている講演者が多かったことだ。

 「学校では携帯の所持を禁止しているのに、親が子どもに携帯を持たせたがる」と嘆くシーンを何度か見かけた。また、フォーラムの最後に行われたシンポジウムでは、「児童の携帯電話所持を法律などで規制できないか」と真剣に議論するシーンもあった。

 確かに、学校のPCでインターネットにアクセスするのとは違い、ケータイによるインターネットは、よりダイレクトに個人が社会とつながりやすい。子どもが出会い系サイトなどにアクセスすれば、悪意を持った人間に出会う可能性は高い。また、個人に結びついており、決済に直結していることから、金銭トラブルに巻き込まれることもあるだろう。携帯にはそういう“負の側面”が確かにある。

 しかしほとんどの人は、「便利だから」「友達とすぐに連絡が付くから」などのメリットを感じているからこそ、利用料金を払ってまで携帯を持っているはずだ。それを「携帯を持つと子どもは出会い系サイトに必ずアクセスする、危険だ」と言わんばかりのトーンには、少なからず違和感を感じた。-(以上、記事より)

また、

現実として、ケータイはこれだけ子どもたちの間で普及しているが、学校では「携帯電話・PHSの所持は禁止」としているところが多く、ケータイをどのように使ったらいいかを子どもに教える段階には至っていないところがほとんどだ。「学校ではケータイを禁止しているのに、寝た子を起こすようなことをしなくても」という意見の教員もいるという。-(以上、記事より)

という指摘も著者はしています。

寝た子を起こすようなことをしなくても、という意見は、どうかと思います。
未来の市民を育てるのが、教育の役割なのに。

教員がこうした意識を持っているのでは、全教室にインターネットが接続されないのも納得です。

おそらく、インターネットと、情報教育の役割が、理解されていないのだと思います。

情報化教育=インターネットの利用、ではありません。
しかしインターネットは、情報教育のための、最高のツールです。

ただ、それだけのことなんだと思うのですが、どうも誤解されているように思います。

情報化社会やメディアの性質に関する理解が、あまり広まっていないのも原因の一つだと思います。

現在のインターネットに限らず、これまでのテレビの報道も、新聞の記事も、政府の発表も、歴史の教科書も、みんなある程度は恣意的に作られていたり、ウソが入っている可能性があったに違いないのですが、これまで日本ではそういう意識が、一般市民レベルではあまりなかったのではないでしょうか。

ITツールの普及は、こうした情報メディアを学ぶ上で、最高のチャンスなんです。
今のうちにぜひとも、インターネット接続率100%を達成して欲しいと思います。

もちろん、いきなりネットの海に投げ込んで、「さぁ、自分の考えをまとめなさい」なんて指導するのは、無茶ですし、あんまりです。
準備段階では、同じ事件に対して複数のTVニュース番組が異なる意見を出していることをみんなで考えたり、それぞれの作文に対してお互いに教室でコメントをつけあったり、というアナログなところからはじめてもいいんじゃないでしょうか。

で、限られた安心なサイトだけを見せて感想をまとめさせたり、
その感想を学内LANで公開して、違った視点があることに気づかせてみたり、
ITを少しずつ取り入れていけばいいんじゃないかな、と個人的には思います。

いずれにしても、インターネットの接続率100%!というのは、必要です。
そうした環境が整ったときに、一人一人の教員や保護者も、情報に対する接し方について、これまでとは違った教育をしなければならないことに気づくはずです。

カギをかけたコンピュータ室で、教員の監視の元でしかインターネットを利用させない、
そんな教育を情報教育と呼んでいては、
いつまでたっても「情報化社会でおぼれる市民」しか育成できないと思うのです。

※以前にも、こうした視点からの記事をご紹介しました。
よろしければ、こちらもご覧ください。

・「子どもはみなブログを持て!」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/25591711.html
・「中韓の歴史教科書をネットで購入」
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/23047942.html

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。