信頼を得られるか 「教職大学院」

マイスターです。

学校現場のプロフェッショナルを育成する、教育分野の専門職大学院。
それが、「教職大学院」です。

以前から期待や批判など、様々な報道がなされていたこの新制度が、スタートに向けて走り始めました。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「教職大学院、19校でスタート 指導力の向上図る」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/1127/TKY200711270201.html
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08年度に学生の受け入れを始める教職大学院が、19校でスタートすることになった。文部科学省の大学設置・学校法人審議会が27日、認可した。小中高等学校の教員について「指導力不足」などの問題点が指摘されていることから、現職教員や学部の新卒者らを対象に、授業や学校運営の能力のレベルアップを図ることをめざしている。

21校が08年度の開設を申請し19校(国立15校、私立4校)が認可された。京都教育大は、周辺の私大7校と連携し連合大学院を設置する。各大学院の定員は16〜100人で、計706人。

(上記記事より)

と言うわけでいよいよ認可もおり、後は学生を集めるだけ……と言いたいところですが、順風満帆のスタートとはいかないようです。

今回の認可にあたっては、各大学院が提出した計画に対して、審議会が多くの問題点を指摘しました。
その結果、2校が申請取り下げ。残りの19校についても改善を求める意見が相次ぐなど、全校が不安要素を抱えるような状態になっています。

教職大学院は、教育現場を変えるような人材を育成することが使命。
だとすればカリキュラムの作成や、大学院修了後のバックアップなど様々な点で、教育委員会を始め地域の教育機関との密な連携が求められるはず。

しかし実際には、

設置が認められた19大学も、「近隣の教育委員会のニーズも反映したカリキュラムに工夫すること」(東京学芸大)「専従の教員が少なく、指導が万全か懸念がある」(早稲田大)といった留意事項がつくなど、「設立の理念や育成したい人材像があいまいな大学が目立った」(文科省幹部)という。

教職大学院の創設が決まったのは昨年7月の中央教育審議会答申だったため、大学側からは「申請まで1年で準備期間が短すぎる」という声も出ている。

(「来春、教職大学院19校開設」(読売オンライン)より)

……と、全体的に「準備不足」が目立つようです。

ちなみに、教職大学院は、法科大学院と同じ「専門職大学院」。
アカデミックなスキルを身につけさせることはもちろんですが、基本的には現場で活躍できる人材を輩出することが使命の、プロフェッショナル・スクールです。

実務家教員を一定数置き、実習を重視するなどの点は、法科大学院と似ています。

ただ、法科大学院と大きく違う点があります。

教職大学院は、法科大学院などと同じ専門職大学院の一種。学校運営の中心となっていく中堅教員や、実践的な指導力を備えた新人教員の養成をめざす。修了すると教職修士号(専門職)が与えられるが、待遇は各教委の判断に任されている。

(「教職大学院、19校でスタート 指導力の向上図る」(Asahi.com)より。強調部分はマイスターによる)

法曹を目指すためには、現行の制度では必ず、法科大学院を卒業しなければなりません。
ですから、総合的な法制度の整備や改革と関連づけて、法科大学院ではどういう人材を育成すべきかという議論をすることができます。

しかし教職大学院の場合、その位置づけは正直言って、中途半端です。
別に教職大学院を出なくても教員にはなれますし、大学院での学びの成果が学校現場でどれほど重視されるのかも、現段階では疑問です。

また、多くの教職大学院が「プロの学校経営者」を育成することを謳っています。
が、これも、現行の社会制度を変えずにどこまでのことができるのか、心配です。
大学院で高度な知識やメソッドを学んでも、学校を縛る多くの規制がその実行を許さないのであれば、せっかくの学びも意味を失います。

何のために教職大学院に行くのか。
そのことが、これからずっと問われてくると思います。

ちなみにこういった議論をする際、しばしば「アメリカでは教員の多くが修士号を持っている」というデータが引き合いに出されます。
州によっても異なりますが、確かにそれは事実です。

ただアメリカの場合、例えば教員免許を維持するためには定期的に大学で単位を取得してこなければならないと法で定められており、それだったらと数年かけて修士号を取得する、そんなケースが結構あるようです。
学位を持っていること=一定の能力を持っていることだと見なされ、給与や職務内容などの待遇に影響が出る。あるいは一定以上の職階に就くためには学位を持っていることが条件になる、なんてこともあると聞きます。

(ちなみにアメリカの場合、日本の専門職学位にあたるものとして、教育修士号(M.Ed)と、その上の教育博士号(Ed.D)が存在します。同じ博士号でも、研究者のためのPh.DとEd.Dは少々位置づけが異なります)

ですから、日本と事情はまるで異なります。

日本の教職大学院は、正直言って現段階では、「自己研鑽のための機関」という認識のされ方を脱していないように思います。
もちろん、それが悪いというわけではありません。「お金や職階目当てで集まる学生よりは、純粋に自分の向上心でやってくる学生の方がいい」という意見もあることでしょう。
ただ、教職大学院をプロフェッショナル・スクールとして社会の中に根付かせることを考えると、今のままでは少々、心配であるのも事実です。

さらに言ってしまうと、現場でキャリアを積んでこられた教員の中には、「大学院での学び」にある種の疑問や不信感を抱いている方もいると思います。
それでなくても、教育の世界というのは、他のキャリアを持って参入してきた人間には否定的な目を向ける傾向があります。大学院で学んだという新米が、いきなり自分達と対等の立場で議論したりしたら、面白くないと思うかも知れません。
大学院で学んだからって、それがどうした……と、かえってマイナスのイメージを持たれる可能性すら、ゼロではありません。

個人的には、教職大学院のような機関で学べることと、現場で悪戦苦闘しながら積み上げていくことは、比較できるものではないと思います。
どちらも必要不可欠で、片方が欠けていてはいつか行き詰まる、という性質のものだと考えます。

大学院を出たからと言って、いきなり現場でバリバリ活躍できるわけではないでしょう。経験は必要です。逆に今は、経験豊富なはずのベテランも苦戦を強いられている時代です。大学院で学べる最新の研究成果を現場に導入することも、大事なはず。

「即戦力となる教員の養成」を謳う大学院も少なくないと思いますが、その意味で、これは誤解されないようにする必要があるように思います。
大学院で実習をしたからといって、現場で学ぶ必要がないというわけではないでしょうが、しかし大学院で行われる実習は、最新の研究成果をふまえた実習という点では、大いに意味があるでしょう。
この二つを車の両輪として回していくのが、高度なスキルを持った教員養成のイメージなのかなとマイスターは思います。

(個人的には、現在並行して議論されている「教員免許更新制」での研修を、教職大学院が率先して担っていくことが、こういった誤解を解くひとつのきっかけになるような気がしますが、いかがでしょうか)

来年以降、各教職大学院がどのような成果を出せるかで、社会からの見方は変わってきます。
今から4月まで、油断無く準備を進めていって欲しいと思います。

以上、マイスターでした。