マイスターです。
先週、教育基本法が改正されましたね。
マイスター、また各紙の社説を集めてみました。
想像通り、拙速かつ強硬な採決だったという点を批判する社説が大半です。
■「教育基本法可決/管理強めず、現場の支援を」(河北新報社)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2006/12/20061215s01.htm
今国会で、未来を担う子どもたちを育てる理念や原則を定める教育基本法の審議が尽くされたと思っている国民はどれほどいるだろうか。
いじめによる子どもの自殺、高校での必修科目の未履修問題、タウンミーティングでの教育基本法についての「やらせ質問」など、教育現場で次々に起きた重い現実を前に、改正案は陰に隠れてしまったからだ。
理念法とはいえ、現場の事実に立脚しないと空念仏にもなりかねない。優先課題は、起きている一つ一つ問題を解決することであり、法案成立を急ぐ必要はないと、社説で繰り返し述べてきた。
(上記記事より)
■「改正教育基本法成立 「原点」を見失うな」(徳島新聞)
http://www.topics.or.jp/Old_news/s061216.html
現行基本法は、個人を犠牲にして戦争に突き進んだ戦前の教育の反省に立ち、戦後教育の理念を定めた「教育の憲法」である。それだけに、多数の国民が改正に慎重審議を求めていた。私たちも「国民的議論として熟していない。今国会にこだわらずに審議を尽くすべきだ」と主張してきた。
政府主催の教育改革タウンミーティングでは「やらせ質問」も判明、不信や反発が広がった。タウンミーティングを一からやり直すなど、じっくり議論を深めるべきだった。「見切り採決」は、極めて遺憾である。
(上記記事より)
こういった指摘が、非常に多かったです。無理もありません。
「国民的議論として熟」すっていうのはどういう状態なんだろう、という根本的な疑問がないわけではありませんが、少なくとも国会での審議は、誰がどう見ても不十分でした。
↓中でも特に厳しい批判を展開していたのが、秋田魁新報社でした。
■「社説:教育基本法改正 議論は尽くされたのか」(さきがけ on the web)
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20061217az
暗然とした気持ちにさせられる。改正教育基本法が、過去の教育行政や現在の実態についてさしたる検証、反省もなく、与党の力ずくで成立した。
安倍晋三首相は「改正は新しい時代の教育の基本理念を明示する歴史的意義を有する」と自賛する談話を発表したが、未来を展望した議論があったというのだろうか。政治家が教育を主導していくという、自己満足にすぎないのではないか。
安倍内閣は改正教育基本法を最重要法案と位置付けていた。数を頼んで強引に成立を図る手法は、郵政民営化関連法案を成立させた小泉前内閣をほうふつさせる。「郵政」の時、自民党は異論を唱える議員を党から締め出した。その後の対応には首をかしげざるを得ないが、極めて強権的な同党の政治姿勢が教育に及ぶことを危惧(きぐ)する。
与党の中に「郵政」の混乱を思い起こし、教育にかかわる自説を封印して内閣の方針に従った議員がいたとすれば、政治にとっても教育にとっても不幸なことだ。現在の自民党には、そんな危うい面がある。
(上記記事より)
なるほど、そういえば郵政のときも似たようなことがあったんだったよなぁ……と思い出させる内容です。
↓教育基本法改正の動きと履修逃れ校問題の発覚とをあわせて、「タイミングが良すぎる」という指摘をしているのが愛媛新聞。
■「オピニオン:教育基本法」(愛媛新聞社ONLINE)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018200612167715.html
「教育国会」の三点セットのうち、必修科目の未履修は実のところ旧聞のたぐいだった。一九九九年の熊本の三高校を皮切りに、広島や兵庫の多くの県立高校で発覚した。ことし五月にまたも熊本で起きている。
愛媛で始まったのも九〇年代。文部科学省はもっと早く是正できたわけだ。それが富山の一校で表面化した今回だけなぜこうも拡大したのか。なにしろ教育基本法改正の審議入り直前。偶然にしてはタイミングが良すぎた。
補習は政治決着で軽減された。愛媛県教委は県教育長や校長を処分した。けりをつけつつあるいま、あの騒ぎは何だったろうと思ってみる。国の定めた学習指導要領は守って当然―そんな意識を植え付けたのは最大の置き土産かもしれない。
(上記記事より)
これまた、改正までのすべての動きが計算づくで進められたんだなと改めて認識させられます。
また「愛国心」を始め、内面的な評価に踏み込んでいるという点にも、あまり肯定的な意見は聞かれませんでした。
皆様もご存じの通り、今回、採決までの間、最も揉めていたのがこの点でした。採決された後も、その点を危惧する社説は少なくありません。
■「教育基本法 改正案には疑問が残る」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/paper/editorial20061213.html
国を愛するのは自然な気持ちである。改正案には「他国を尊重する」という文言も入っている。とはいえ、法律で定めれば、「このように国を愛せ」と画一的に教えることにならないか。私たちは、そう指摘してきた。
とりわけ心配なのは、愛国心を成績で評価することになるのではないか、ということだ。小泉前首相は先の国会で愛国心の評価については「必要ない」と述べた。しかし、安倍首相は、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価対象とする考えを示した。これでは教室で愛国心を競わせることになりかねない。
何を教えるか、という問題もある。伊吹文部科学相は、元寇などに先人がどう対処したかを例に挙げた。愛国心教育の名の下で、史実を都合よく使うことにならないか。
(上記記事より)
■「社説=教育基本法 運用の監視が怠れない」(信濃毎日新聞)
http://www.shinmai.co.jp/news/20061216/KT061215ETI090004000022.htm
最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している。
評価の対象は「態度」だとしても、法律などで教育目標となれば、子どもに強制することになりかねない。通知票で「愛国心」を評価することに、どんな意味があるのか。
かつて国旗国歌法の審議でも、日の丸掲揚や君が代斉唱を義務付けるものではないとの答弁はあった。しかし、現実には教職員への指導強化になり、自殺者まで出た。事実上の強制である。二の舞いは避けねばならない。
(上記記事より)
特に、過去の「実例」を出して論じている信濃毎日新聞の指摘には説得力を感じます。
そして「(政治や行政による)教育現場への介入」というのも、「愛国心」と並んで今回の論点のひとつでした。様々な団体が反対の主張を行っていたと思います。
この点についてもやはり、批判を展開する社説は多かったです。↓東京新聞の社説を見てみましょう。
■「行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定」(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20061216/col_____sha_____001.shtml
教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、一〇条一項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。
国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が九月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法一〇条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では一六条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。
政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。
(上記記事より)
条文の文面としてはちょっとした違いですが、実は非常に大きな意味を持っているのだということを、再認識させてくれます。
以上、今回の改正について批判的な社説をご紹介してきましたが、一方で、改正を評価する社説もありました。読売と産経の2紙です。
■「[教育基本法改正]『さらなる国民論議の契機に』」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061215ig90.htm
「『教育の憲法』の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい。」と書きつつ、以下のような記述に続きます。
見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。
(略)
この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。
その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。
条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた。
平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。
基本法の改正を「改悪」と罵(ののし)り、阻止するための道具に使ったにすぎない。
(上記記事より)
「6年間、十分な論議が続けられてきた」という前提に立っている点が、まず他紙と違いますね。改正に反対している方々の意見の中には「不毛」で「ゆだんだ発想」のものもあったとしています。
■「【主張】教育基本法改正 『脱戦後』へ大きな一歩だ」(Sankei Web)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061216/shc061216001.htm
産経新聞は「安倍内閣が掲げる『戦後体制からの脱却』への大きな一歩と受け止めたい。」と書きつつ、以下のように評価しています。
改正法には、現行法にない新しい理念が盛り込まれている。特に、「我が国と郷土を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、戦後教育で軽視されがちだった教育理念である。
一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが、愛国心というものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである。
学習指導要領にも「歴史に対する愛情」や「国を愛する心情」がうたわれている。子供たちが日本に生まれたことを誇りに思い、外国の歴史と文化にも理解を示すような豊かな心を培う教育が、ますます必要になる。形骸(けいがい)化が指摘されている道徳の時間も、本来の規範意識をはぐくむ徳育の授業として充実させるべきだろう。
(上記記事より)
読売と同じく、「基本法が変わったからって、そんな急に愛国心押しつけのような状態にはならない」という立場です。
なお産経新聞は、↓こんな社説も掲載していましたので、ご興味のある方はどうぞ。
■「【主張】教育基本法改正 やむをえぬ与党単独可決」(Sankei Web)
http://www.sankei.co.jp/news/061116/edi001.htm
以上、ざーっとご紹介してみました。いかがでしたでしょうか。
改正に反対する立場も、賛成する立場も、こうして主張を並べてみると、それなりにバリエーションがありますね。
それぞれ、共感できる部分とできない部分があるのではないかと思います。
本当はきっと、採決が行われるずっと前に、こういった論点比較をメディアが国民に対して提示すべきだったんだろうな……と改めて思います。
最後に、海外のメディアのニュースを2点ほどご紹介しておきます。防衛庁の昇格と並んでやや批判的な見方をするCNNと、日本の動きを眺めつつ自国の教育に想いを馳せる朝鮮日報。この2メディアが世界の意見すべてを集約しているわけではありませんが、今回の法改正を知った海外の方々がどんなことを思うか想像する上で、参考くらいにはなるのではないでしょうか。
■「Japan rolls back pacifist pillars(英語)」(CNN)
http://www.cnn.com/2006/WORLD/asiapcf/12/15/japan.pacifist.rollback.ap/index.html
■「【社説】日本の教育改革と全教組に支配された韓国の教育」(朝鮮日報)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/18/20061218000009.html
以上、マイスターでした。