マイスターです。
これは自分もがんばらねば、と思う記事を見つけましたので、皆様にもご紹介します。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「【教育ルネサンス】先生はなぜ忙しいのか:(5)非効率生む事務細分化」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20061125us41.htm
————————————————————
記事によれば、2000年の学校教育法施行規則の改正により、教員免許を持たない事務職員も校長になれるようになったとのことです。皆様、ご存じでした?
知らなくても無理はありません。まだ非常に少ないのです。
■「都道府県市別の校長任用実績」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/////houdou////17/08/05081202/001/002_2.htm
上記ページの下部、「2 その他(教員免許状を持たないが、「教育に関する職」に10年以上就いていた経験のある者)」をご覧ください。
広島県に「県立学校事務職員」、大分県と横浜市で「市立学校事務職員」出身の校長の任用実績がそれぞれ一人ずつあるのがわかりますね。まだ、全国でこれだけしかいないのです。
そう、公立小中学校においては、事務職員が校長になるのはまだほとんど「あり得ない」キャリアパスなのです。
大学でも、事務職員から理事長になった方は立命館の川本氏くらいで、「教員」と「職員」の間には大きなカベが未だありますが、公立学校ではそのカベがさらに高いのではないかと思わせる数字です。
でもそれが、こうやってようやく、少しずつ崩れてきているようなのです。
さて、神谷氏が校長として果たしている役割は、私たちが漠然と抱いている一般的な「校長先生」イメージとは若干違っているようです。
事務職員出身の校長が、独自の視点で学校の組織再編に取り組む。
「改革のしがいがあるな」。昨年4月、横浜市立谷本(やもと)中学校に赴任した神谷(こうや)敏明校長(57)は、校内組織図を手につぶやいた。
組織図には、学級担任や部活動のほか、生活指導など様々な校務の分担表が書いてある。その中で、本来なら事務職員が引き受けるべき事務が、いくつも教師に割り当てられていることに注目したのだ。しかも、備品の設置計画を立てる業務や転校手続きの業務などに細かく分けられ、それぞれ担当教員の名前が並んでいる。
市内の小中学校などで30年余り事務職員を務めた神谷校長の目には「事務職員がやれば済む仕事がほとんどで、必要のない分類。なるべく多くの教員の名前が出るようにという平等意識が働いている」と映った。
(「【教育ルネサンス】先生はなぜ忙しいのか:(5)非効率生む事務細分化」(読売オンライン)より。強調部分はマイスターによる。)
来年度、神谷校長は自身をトップに新たな企画立案会議を設ける構想を練る。校内の事務全体を把握して、実務は事務職員を中心にし、状況に応じて手の空いた教員が手伝う柔軟な体制にするのが狙いだ。
谷本中は生徒数626人と比較的規模が大きい。授業や部活動で多忙なうえ、事務が教員の余計な負担になっているとの問題意識もある。「教員の手を事務的な仕事から離し、教材研究や子供と接する時間を増やしてほしい」と願う。
(「【教育ルネサンス】先生はなぜ忙しいのか:(5)非効率生む事務細分化」(読売オンライン)より。強調部分はマイスターによる。)
このように「教員が子供達のためになるべく時間と労力を割けるように、学校のガバナンスを変えていく」改革に取り組んでいるのです。
これこそマネジメント!ではないでしょうか。
組織のピンチは、努力や根性、自己犠牲の精神だけで乗り切ってはいけないのです。
全員の負担を減らしながら、それでも従来以上の成果を上げるにはどうすればいいかと考え、その案の実現のために腕をふるうのが、経営者の役割であるはずです。
神谷校長はそんな課題に対し、経営者としてものすごくまっとうな姿勢で取り組んでいると、マイスターの目には映りました。
(同じ事務職員だからって、ひいきして褒めているというつもりはありません!)
校長という職に与えられる権限は、どこの学校でも大きな違いがあるわけではないでしょう。理屈で言えば、こういった改革は、別に教員出身の校長でも可能なのです。
ですからこの読売の記事を読んだ全国の校長の皆様だって、別に今すぐ改革のための工程表を書き始めてくださっていいのです。
しかしマイスターが思うに、事務職員出身の校長には、教員出身者にはないいくつかのアドバンテージがあります。
いずれも「予想」の範囲を出ませんが、マイスターがぱっと思いつくのは例えば↓このようなところです。
○学校内でかかる「コスト」を把握している。学校内で起きる活動を、「時間」「お金」「労務」といったリソースとして勘定することができる。
○職員室で形成される人間関係や「教員文化」と距離をおいてきているので、面倒な確執や、先輩後輩の上下関係から比較的自由である。
○「もともと教員とは違う役割を果たしてきた人」という目で見てもらいやすいため、単なる「管理する側・される側」だけの対立関係になりにくい。教員集団と、明確な分業体制をとりやすい。
○自分に教育体験がないので、余計なプライドに邪魔されず、遠慮なく教員達の仕事を褒め称えられる。
○「これは職員にやらせましょう」の一言を、気兼ねなく言える。
これらの特徴は、いずれも神谷校長が進めるような改革にはうってつけです。
教員出身の校長にかなわない部分だって当然あるでしょう。しかし、職員出身者が得意とする分野もあるのだから、そこで貢献すれば良いのではないでしょうか。例えば組織最適化の能力やコストマネジメントの能力などは、どちらかというと職員出身者の得意技なのであるように思われます。
これはマイスターの個人的な意見に過ぎませんが、こういった職員系の能力は、今の公立小中学校の危機を救うために、結構重要なんじゃないかと思います。
(過去の関連記事)
・小中高校の学校職員イノベーションには、疲弊した教育現場を変える可能性がある!?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50109670.html
↑以前も、このような記事を書かせていただいたことがありました。
集中学校の教育現場を変えるために、学校職員を「教育サポートのプロ」にしてはどうか、という内容でした。
教員に負担が集中しているという点では、集中学校と大学組織は置かれている状況が似ています。ただ組織の規模が小さいだけに、小中学校の方が、職員の変革が与える影響がよりわかりやすく、よりダイレクトに表れるのではないかという気がします。
そんなわけでマイスターは、試しにこの神谷氏のような校長をもっと増やしてみてはどうか、と提案させていただく次第なのです。
最後に、神谷校長のお言葉をひとつご紹介します。
校内事務の再編には、事務職員に奮起を促す側面もある。かつての事務職員は給与計算が主な仕事だったが、電算化が進んだ今、力点は予算に置かれる。神谷校長は「少ない予算を効率的に配分するには、事務職員が学校経営に踏み込まないとだめだ」と役割の変化を説く。
(「【教育ルネサンス】先生はなぜ忙しいのか:(5)非効率生む事務細分化」(読売オンライン)より。強調部分はマイスターによる。)
組織の性格や規模が全然違いますから、まったくの同列に扱うことはできませんが、しかしこの言葉は大学の職員であるマイスターにもずっしり響きました。
こりゃあ、負けていられません。見習いつつ、大学もがんばらねば。
以上、マイスターでした。