教員免許に更新制を導入

夏休みがまだしばらく続くマイスターです。
土曜日隔週休みの分を取り戻すべく、気合いを入れて休むつもりでしたが、何も予定のない日が多いので寂しいです…orz。

そんなわけで、緑が多く見える茨城県の実家の部屋から、ブログをお届けしています。

【教育関連ニュース】——————————————–

■「中教審改革案が教員免許を更新制に…適格性、判定も」(読売オンライン:教育)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20050806ur02.htm

■「教員免許、更新制へ 適格性5項目、10年ごと講習受け」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/life/update/0805/005.html

■「中教審:教員免許更新制 06年度中にも制度改正へ」(毎日新聞、MSNニュース掲載)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050806k0000m040114000c.html
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今月5、6日に報道されたこのニュース、もうご存じの皆様が多いと思います。

各メディアの報道をまとめると、要点は以下の通り。

●教員免許取得後も大学や各教育委員会が開催する講習を年20~30時間程度受けさせるように制度を整える。

●上記の講習に加え、5~10年ごとに改めて適格性や専門性を判定する仕組みを作る。必要な要件を満たさなければ、免許は失効する制度を採り入れる。
(失効の場合でも再授与の申請は可能で、免許を取っただけで、教壇に立たない“ペーパー・ティーチャー”も更新の対象となる)
(初回を5年か10年のいずれにするかは、今回は結論を持ち越した)

●判定の詳細:
教員養成系学部を持つ大学に新設する「教職課程委員会(仮称)」で、面接や論文、模擬授業などの審査を行い、教員としての適格性を判定する。

その際の評価基準としては、

  1:使命感や責任感
  2:社会性や対人関係能力
  3:幼児児童生徒への理解
  4:教科の専門知識
  5:指導力

などについての基準を、国がつくる予定。
具体的には「児童生徒に愛情や思いやりを持って接することができるか」「教える内容は正確か」などが判定項目となる見通し。

●「現行法の下で免許を取った人に、身分の喪失につながる新制度は適用できない」との理由で、現職教員は更新制の対象外となる見込み。
現職の資質向上のため、これから免許を取る更新制対象者と同等の講習を義務づけるかどうかは今後議論する。

●現時点の教員免許取得者においては「ペーパーティーチャー」が大多数を占めるため、教員としての勤務の評価などについては更新の際の要件には入れていない。

●以上、早ければ2006年度中に現行の制度を改正する

こんなところでしょうか。

教員免許の授与に関して、現在では学士の学位や教職課程の単位を持っていることなどが要件になっております。
しかし、教師としての適格性を判断する仕組みはありません。

また、一度発行された教員免許の有効期限も設けられていません。

教師の指導力低下が叫ばれる昨今、こうした従来の教員免許制度を見直そうという声が出てきたわけです。
当然です。

現在、特に公立小中学校の教育力に対して、不信感を持っている方は多いでしょう。
首都圏では子供を私立中学校に受験させる保護者が増えてきていますが、その中には

「私立がいい」

というより、

「公立が信用できない」

という理由での受験が、かなりの割合で含まれていると、マイスターは思います。
これは、周りの「親」の方や、同年代の友人、それに現職教員の本音を聞いた上での実感です。

自分が親だったらどうでしょうか。
多様な子供達が学ぶ公立学校の仕組みがやはり理想だと思います。
しかし正直やはり「私立」という選択肢も、現在の教育制度を見る限りでは、考えざるを得ないと思います。

そうした意味で、今回、中教審(中央教育審議会)が出した改革案は、とても評価できると思います。

しかし、心配な点もあります。

●現職の教員が評価の対象から除かれている

他のブログなどでも盛んに指摘されているところですが、これはどうかと思います。

「現行法の下で免許を取った人に、身分の喪失につながる新制度は適用できない」というのは、理屈としてはもっともです。

ですが、現在問題になっているのは、現職の教員の指導力不足なわけで、ここを変えないことには、問題の解決にはなりません

公立学校教員の定年は60歳。
2006年に制度が改正されたとして、教育現場の隅々にこの制度が行き渡るまでに、40年近くかかります。

校長、教頭などの偉い人は、定年ギリギリの方々が中心ですよね。
校長を、「定年前の名誉職」みたいに扱っている自治体もあると思います。

今回の案を見る限り、これから40年近くの間、学校のトップは変わらないままです。
この人達を、どうにかしないで、どうする。

早い話、日教組が抵抗したのでしょう。
そりゃあ組合の立場としては、抵抗するのももっともだと思いますが、なんだか腑に落ちない一般生活者の方は多いと思います。

教育は、当事者である教員にとっては、言葉は悪いですが「飯のタネ」でもあるわけです。
でも、教員以外にとっては、そうではないですよね。

学校の先生は、教育に関して命を賭けていると思っているし、
そうした人こそが、教員になる「べき」だ、と思っている。
教員の指導力は常に評価された方がいいし、問題のある教員からは、免許を取り上げるくらいしてほしい。

当事者には、当事者の言い分があると思いますが、マイスターも一般生活者として、教員にはこうした高いレベルのプロ意識を求めます。

「おう、評価でも何でもしやがれ!自信があるぜ!
 むしろ、レベルの低い教員が減るなら、歓迎だ!」

みたいな声が、現職教員から出て欲しい。

医者もそうですし、大学の教員もそうです。警察官などの公務員もそうです。
プロとしての自信があるなら、評価を受けるなんて、たいしたことではないのです。
同じ理由で、大学職員だって数年ごとに契約を見直されていいとマイスターは思っています。

ただ、教員に対してこうした案が出ているというのは、社会から不信任決議が突きつけられているからなわけで、それは教員の皆様にもご理解いただきたい。

またベテラン教員には、

「自分のやり方にはそこそこ自信があるが、それが国の作る評価基準にあっているかどうか自信がない」

という心配もあると思います。
教師になってから、何十年も同じやり方で教えてきた方、いらっしゃるはず。
そうした教員にこそ、自分のやり方を改めて見直すキッカケを与えてあげた方がいいのではないでしょうか。

普段は、なかなか教育関係者に授業をみせる機会がありません。
自分の教え方が正しいのかどうか、わからないままに授業をしているわけです。
それはそれで、自分のやり方に迷ったり、悩んだりしている教員にとっては、不幸です。

でも、今回の評価制度の対象になれば、そんな悩みが解決されるかも知れませんよね。
評価を受けるだけでなく、「私はこうした指導法をとっているが、どうか?」と質問をしたり、提案したりしてもいいと思います。

以上のような理由から、現職教員を対象にしないのは、やはりもったいないことですし、問題だと思います。

他にも、以下のようなところが、今回の改革案では気になります。

●「教職課程委員会(仮称)」を、どのようなメンバーで構成するのか
●教員としての勤務の評価などを更新の際の要件に入れないのは、評価できる範囲を狭めているのではないか
●毎年受けるという「講習」が、座学を座って受けるだけの形骸化したものにならないか
●具体的な評価基準をどのように作成するのか、また、どのように評価するのか

評価をするのは、教育学部の教授陣でしょうか?

マイスターの個人的な考えですが、教員の教育力を診断するためには、
「360度評価」が欠かせないと思います。

つまり、

 ・同僚
 ・上司
 ・教育の専門家
 ・子供達
 ・保護者
 ・地域の方々

といった方から、多面的な評価を受けることが、大切だと思っています。

だって、教員の仕事の成果には、上のような方々が関わっているわけですから。
サービスの受益者や、仕事のパートナー達の評価を受けずに、仕事の実力を判断できるとは、どうも思えません。

また、ペーパー教師が多いのはわかりますが、それでも「普段の指導の様子」を評価に入れないのは、やはり問題だと思います。
免許を持っているが教壇に立っていない「ペーパー教師」については、「教壇に立つときには、その前に必ず評価を受ける」ようにするなど、ひと工夫をすればいいだけの話じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

どうも、なるべく評価を受けたくない! という教員達の姿勢がかいま見えるようで、納得がいきません。

教員の仕事の性格上、普段の指導について保護者や子供、同僚などの声を集め、それを評価の一部にあてることは必要不可欠だと思います。

例を挙げましょう。

アメリカにある公立学校「Minnesota New Country School」では、子供達が学習計画を自分で立てます。
学習を進めるのも、子供自身の責任です。
教師は、そのサポートに徹するのです。

で、学習の最後に、地域のみなさんの前で、子供が学習成果についての発表を自分でするのです。
評価をするのは、保護者も含めた、その地域の不特定多数の生活者です。
その発表では当然、子供だけでなく、子供のサポートを行った教師も、同時に評価されているわけですよね。

その場には、学校の関係者全員が出席しますから、自動的に360度評価になります。
指導した教員は、きっと子供以上に緊張し、ドキドキすることでしょう。
教員のサポートが適切でなければ、子供の学習計画はしっちゃかめっちゃかになりますから、すぐに実力不足の教員であることはわかってしまいます。
すると、住民から「あの子供の指導をした教員は誰だ、辞めさせろ」という声が出るわけです。

ここの教師陣は全員、自らこの学校で教えることを望んでやってきた、本当のプロ達です。
(公立学校ですが、チャータースクールには教員採用に関する人事権がある程度認められています)

おそらく日本でも、社会が教員に求めているのは、このレベルの教育力です。

ね、評価の仕組み自体は、そんなに難しいことはないでしょう?

教員に、教育力についての自信さえあれば、すぐできる試みです。

というわけで、今回の中教審の改革案、全体的には評価できますが、

・現職教師の指導力強化
・多面的な評価の導入

という点では、まだ十分な問題解決方法ではないのでは?
というのが、マイスターの意見です。

現職教員のみなさまにも、自ら多面的な評価を受ける姿勢を期待したいと思います。
いち生活者として。

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

1 個のコメント

  •  現役教員です。私も確かに多面的な評価を受けることはこれからの学校に必要なことだと思います。現に今保護者・児童・教師の三者評価が多くの学校で行われています。
     しかしマイスターさんが主張されている、現職教員まで教員免許の更新の対象にするのには、昨今の教育現場の現状から考えて反対です。免許更新には年20~30時間程度の講習を受けるそうですが、対象の教員が講習を受けて学校を離れている間、同じ学校の他の教員が講習中の職員の代わりの仕事をこなしていかなければなりません。さらに私が勤めている学校では病気休職者もおり人手不足が極めて深刻です。(病気による休職者がいる学校は珍しくありません)教師にもゆとりがなくなり、教師の本来の仕事である子どもと向き合う時間が失われ、結局そのつけは、子どもたちに回ってきます。
    たしかに免許更新制度によって教員の意識の変革などメリットをあるかもしれません。しかしそれ以上に人手不足や、免許更新制にかかる莫大な予算などの、デメリットの部分が圧倒的に大きいと思います。
    そんなことに金を使うのなら、教師の数を増やしてくれというのが正直な思いです。
    改めて言いますが、私は多面的な教師の評価には賛成です。免許更新制ではなく何か別のやり方があるのではないかと思います。