今日作った昼食は、「ドライカレー風チャーハン」だったマイスターです。
ちなみに材料は、昨日の夕食のパエリアの残りでした。
もはやどこの国の料理かわかりません。
【教育関連ニュース】——————————————–
■「<教職員調査>566人が指導力不足 問題教員、依然多く」(毎日新聞 Yahoo!JAPANニュース掲載)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050809-00000090-mai-soci
■「指導力不足の公立校教員、過去最多の566人」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050809it18.htm
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昨日、教員免許の更新制について記事を書いたばかりですが、
このタイミングで、この報道。
文科省、ナイス。
毎日新聞の記事の方が、データが詳細です。
ちょっとわかりにくいのですが、どうやら
「指導力不足」とされたのが566人、
「わいせつ行為&セクハラで懲戒処分を受けた教員」が、指導力不足とは別に、139人いるということです。
「指導力不足」というのは、純粋に「子供に教えるのが下手」ということですね。
気になるのはその構成。
40代が50%、50代が34%だそうです。
だーかーら、
現職教員にも!
免許更新制を!
適用するべきですってー!!
こんなわかりやすい調査結果が出ているのにっ!
…と、床をごろごろ転がりながら憤慨するマイスターであった。
ただ、もうちょっと考えてみると、また違った見方も出てきます。
まず、この「指導力不足」と言われるベテラン教員のみなさま。
教員には、直接の授業以外にも様々な仕事がありますよね。
学校の運営に関することや、学年ごと、学科ごとの庶務的なお仕事などなど。
(ほら、学校には校長、教頭の他にも、「○○主任」とかいましたよね)
ああいった仕事を受け持つのはベテランの方。
こうした役職につくことで、
「現場からの距離が広がり始める」
ということは、当然あるような気がします。
今回の調査で「指導力不足」とされた教員の中には、どのくらい、こうした役職者の方々が含まれているのでしょうか。
そこ、興味あります。
それともうひとつ。
今回の「指導力」ですが、これ、ちょっと細かく見てみましょう。
「指導力」って、マイスターがちょっと考えただけでも、
・教科に関する知識や指導技術
・子供に接するためのスキルや姿勢、体力
の、2種類がある気がします。
たとえば何十年も教壇に立ってきた教員なら、前者の、国語や算数といった教科の知識については、そうそう衰えるものでもないと思います。
でも後者、「子供の相手をする」という力は、当然衰えてくるのではないでしょうか。
まず、現場から離れていけば、衰えます。
また子供の方が昔と変われば、昔のやり方は通用しなくなります。
今の子供達、昔と比べてどうでしょうか?
子供も昔とは違うし、子供を取り巻く環境も全然違いますよね。
それに体力的な問題もあります。
20代のころと比べたら、小学生の相手をするにも、大変な苦労があるはずです。
というわけで教員の場合、ベテランであることが、かえって困難を生むことも多いように思います。
今回、「指導力不足」とされた教員は、まぁ問題外のセンセイも多数いらっしゃるようです。
しかし全国的にも、この「子供の変化についていけない」ベテラン教員は、着実に増えてきているのではないかと、マイスターは想像します。
昔よりもはるかに、子供を取り巻く環境に対応するのは、大変です。
その意味では、ベテラン教員の皆様には、同情します。
しかしそうはいっても「教員」ですから、
センセイとして教壇に立つのであれば、こうしたハンデは技術や知識の研鑽によって乗り越えてもらわないと困ります。
その確認のためにも、先日取り上げた「教員免許更新制」の仕組みは、いいのではないかと思います。
さて、ここで、ちょっと大風呂敷ひろげ。
こうした動きって、学校における教員の役割を変えていく、いいキッカケとしてとらえられるような気がしませんか?
たとえば、ベテラン教員の役割。
教壇に立つことが難しくなったなら、学校の管理運営に徹するという、とても重要な役割がありますよね。
教壇をおりることを決めた教員には、教員免許を更新させません!
その代わり、希望するタイミングでみな一度「教職大学院」に通って、学校経営に関する研修を受けてもらうようにする!
って、どうでしょうか?
で、大学院を修了したら、これまでにない魅力的な学校運営をしてもらったり、
若手教員のサポートのためのアイディアを出してもらったりするんです。
これまで、学校の管理運営に関して、「プロ」という規定はありませんでした。
しかし今後はこうした「元・教員」の方に、一度勉強をし直してもらった上で、こうしたプロとして活躍してほしいとマイスターなどは思うのです。
教壇に立つスキルや体力は衰えても、意欲と知識のある教員はいますから、彼らに今度は違う役割を期待したいのです。(勉強し直すのは大変ですが)
今と同じ?
いえいえ全然違います。
なんとなぁ~く昇進して、
なんとなぁ~く教頭になって、
なんとなぁ~くいつの間にか校長になって、
「出世したなぁー」、なんて気分に浸っているだけの人は、プロの学校運営者になったとは言えません。
きっと社会も、「校長=学校運営のプロ」とは見てませんって。
せいぜい、「ベテランのおじいちゃんセンセイ」とか、「学校で、まぁ、エラい人」程度です。
だから、教職大学院で学び直してもらうのですよ
今後は民間企業出身の校長も増えてくると思いますので、互いに切磋琢磨して、魅力的な学校を作っていただきたい!
ベテランの皆様に、大学で最新の学校ガバナンスを学んできてもらうことは、日本の教育現場にとって、ものすごくプラスになることだと思います。
きっと、これまでにない活力を、学校にもたらすはず!と思うのですが、いかがでしょうか。
一方、ベテランになっても「教育力」に磨きをかけて、教壇に立っていきたい方は、いると思います。
そうした方は、そういう道を選べるようにするのです。
毎回、免許更新の試練をくぐり抜けられる実力者なら、大歓迎です。
こうした教員の方は、大学院の教壇に立って、若い教員志望者達を対象に、授業のてほどきをしていただいてもいいですよね。
以上、思いつきですが、いかがでしょうか。
つまり、ベテランの教員を
・「学校管理運営教員」(学校運営のプロ)
と
・「スペシャル指導教員」(教育のプロ)
に分ける、という発想です。
それぞれ自分のスペシャリティを学校運営か、教育かに特化させることで活躍し続けてもらったらどうか、というアイディアです。
だって、ただでさえ教員って忙しいのに、どちらも期待するのって、無茶です。
そろそろ体力的にきつくなってきたなー、とか
自分は学校全体を魅力的にする仕事の方が向いてるなー、とか
自分は役職なんて要らないから、教壇に立ち続けたいなー、とか、思うでしょう。
そしたらその後の方向性を自分で選んでもらったらええやん、と、マイスターなんかは思うのですよ。
その方が本人にとっても、社会にとっても、子供にとってもハッピーな気がするから。
というわけで、どこかの教育委員会が、このアイディア採用してくれないかなと思うマイスターでした。