スポーツチームが選手を獲得する場面を想像してください。
ここに、2つの方法があります。
【方法1:筋肉の量や足の速さ、投げる力の強さなどを、全員同じ評価軸で測り、その数値が上位の者から順番にチームに入団させる方法】
運動能力の高い人ほど、優れたプレイを行う資質があるという発想です。
この方法のメリットは、誰が見ても明らかな「数値」で評価されるので、合否の判定が非常に公平だという点です。また提示されている能力が具体的であるため、そこに到達するためのトレーニングの目標が明確なのも良いところです。定められたメソッドに従い、バランスの取れた体に向けてトレーニングを行えばある程度の成果は出ますので、指導する側もやりやすいことでしょう。
デメリットは、筋肉をつけることは本来、優れたプレイをするための「手段」であるはずなのに、これが「目的」そのものになってしまいかねない、ということです。筋肉をムキムキに鍛えたボディービルダーのような人が全員、果たして実戦で活躍できる選手になるのかというと、そうとも限りません。
【方法2:スカウトが、過去の試合の実績や練習の様子を見たり、模擬試合をさせたり、本人と対話したりして、プレイヤーの資質を測る方法】
チームの方針にもとづき、スカウトが過去の経験や他のスカウトとの議論をもとに、「ウチで活躍する可能性があるのはこの選手」と判断するやり方です。
この方法のメリットは、総合的に判断できるという点です。いくら運動能力が高くても、プレイヤーとして活躍するために必要なセンスを磨いていなかったり、プロとしての意識が低かったりすれば、選手としての評価は下がるでしょう。そういう選手を、外すことができます。逆に、「現時点では筋肉の付き方に甘いところもあるが、これだけプロ意識の強い選手なら、これから伸びる」と判断したら、獲得することもあるでしょう。今後の戦略に従い、チームの考えに沿った編成を行えます。プレイヤーを目指す若者達は、「能力が高いだけではダメなんだ」と考え、自分が目指す選手はどのようなものなのか、と考え始めるでしょう。
デメリットは、いくつかあります。まず、スカウトチームの「見る目」が問われます。チームの方針を深く理解し、「選手のどこを見るべきか」をスカウトが理解していないと、見当違いの選考を行う可能性があります。また選考には手間やコストがかかる上、公平ではないので、常に議論が起きます。入団を志望する方も、どのようなトレーニングを行えばいいのか、わかりません。
言うまでもなく、実際には【1】と【2】の両方の要素が必要です。
将来に備えた体作りは大事ですが、これは優れたプレイヤーの必要条件ではあっても、十分条件ではありません。一方、プロのスカウトだって、各種の運動能力の数字もしっかり参考にした上で、最後の判断を行うはずです。両方とも、プロとして必要な資質には違いありません。
一般入試とアドミッションズ・オフィス入試(以下AO入試)の違いについて説明を求められたときに、私はよく、上記のようなたとえを使います。上の【1】が、大学入試で言うところの「一般入試」のやりかたで、【2】は、AO入試です。
若干、強引なたとえかも知れません。しかし実際、「一般入試で大学に合格すること」を目的に据えた日本のこれまでの教育は、黙々と筋トレばかりをさせる【1】の発想に偏っていたと個人的には思っていますので、そこも含めてわかりやすいかなと思い、上記のように説明しています。
(あくまでも私なりの説明ですので、他の説明の仕方も色々とあるでしょう)
「今は、この筋肉を何に使うのか、考えなくてもいい。後々、あなたが何かをしたくなったときに、筋肉をバランス良く持っている方が、成功の可能性が高まるのだ。だから、今は従っておきなさい」
……というのが、(特に義務教育段階の)学校教育のあり方だったと思うのですが、いかがでしょうか。
こうした教育方針には素晴らしい点もある一方、自分が何のプレイヤーを目指すのか一度も考えないまま大学に入学したり、就職活動に突入したりするという問題も生んでいます。社会に出れば、誰もがその世界でのプレイヤーでなければなりませんが、ボディービルダーとして右往左往しているケースも多いように感じます。
かつては大学進学率も低く、大学を卒業すれば一定水準以上の職を得て、とりあえず日々の目標を会社が与えてくれましたが、今後はそうではありません。【2】の要素は、これまで以上に大事になるのではないでしょうか。
(実際、「大学生になったら、やりたいことが見つかるから、まずは大学に入りなさい」と言われて進学し、自然に将来の目標が見つかると思っていたら就職活動に突入し、目的を見失うというケースが少なくないように感じます)
そのような現状から私は、【1】と【2】それぞれの要素を、すべての高校生に鍛えて欲しいといつも考えています。
キャリア教育の考え方も、初等・中等教育の中にかなり採り入れられてきたと思いますが、大学入試になった途端、「それはそれ、これはこれ」と脇に追いやられてしまうのが残念です。
大学入試は、生徒が大きく成長するための機会でもあるので、【1】のような筋トレ的基礎学力と、【2】で評価される目的意識や行動力、コミュニケーション力などを、両方バランス良く総合評価する入試が、スタンダードとして広まって欲しいと思います。
アメリカのアドミッションズ・オフィスも、基本的にはSATやACTのスコアは参考にした上で、総合的な人物評価を行っています。スコアだけで合格させることはないけれど、スコアをまったく見ずに合格させることもないんじゃないかなと思います。結果的に、スコアよりも人物評価を優先させて入学を許可した場合でも、大学側に残ったスコアは、入学後の指導に活用されます。
「とりあえず入学を許可するけれど、○○の科目で一定以上の成績を取れなかったら入学取り消しね」という「条件付き入学」も、アメリカの大学のアドミッションズ・オフィスは出しますが、これなんて、テストのスコアも踏まえた総合的な評価を行った結果でしょう。
日本の大学の方々も、どちらか一方に偏った学生ではなく、両方の要素を備えた人に入学して欲しいと、本当は感じていると思います。
中には、総合的な判断が行えるよう、一般入試で面接を課したり、AO入試でハードな筆記試験を課したりと、試行錯誤を続けている大学もありますが、そう多くはありません。入試制度の枠組みや、志願者増を目指さなければならない事情の中で、どちらかに限った入試システムを、バラバラに運営しているのが大多数の実情なんだろうと想像します。
そういう意味で日本のAO入試は、日本の教育を変える可能性を秘めつつも、残念ながら様々な課題を抱えた状態で運営されているのかな、と思います。
(かなり前から議論が進められている「高大接続テスト」などは、その課題を埋めるための存在なのだと思いますが)
個人的には、中等教育と高等教育の接続という観点で、一般入試よりもむしろAO入試に大きな可能性を感じるので、これをより良いシステムにできるよう、大学の皆さんと改善の工夫を続けていこうと思う次第です。