マイスターです。
「FD(Faculty Development)」の必要性が、日本の大学でも叫ばれるようになりました。
教員が行う教育のクオリティを上げることを指す言葉で、特に「授業」の質向上がその中心になっています。
(過去の関連記事)
■FDの取り組み 「手段」と「目的」が入れ替わらないように気をつけよう
ただ、これ、言うほど簡単でもありません。
マイスターも、大学の教職員の方々を対象にした研修会などにお声がけいただき、お話をさせていただくことがよくあるのですが、やるたびに難しさを実感します。
60分、90分といった時間をうまく使い、わかりやすく、しかも予定の内容をきちっと伝えきって終わるというのは、大変ですね。
自分が学生のときにも、毎回、学生をわくわくさせてくれる授業のうまい先生と、そうでない先生とがいました。前者の先生のすごさが、今ならわかります。
後者の先生は、きっとまだ成長中だったのでしょう。でも、いま授業の仕方が良くなくても、ちゃんと授業の問題点を認識し、改善を繰り返していけば、いつかは良くなるはず。
重要なのは、「自分のやっている授業はマズイのかも」と気づくこと、そして、「どうすれば良くなるのか」を知ることではないでしょうか。
多くの大学が実施している授業評価アンケートも、これらを知るための有効な手段の一つです。
ただ、学生も評価の専門家ではありませんから、「(なんとなく)わかりにくい」みたいな反応しか返せないことはあります。
評価することが目的なのではなく、授業の質を上げることがFDの目的。
ですから、わかりやすい、わかりにくいといった感想だけではなく、問題となっている要素が何なのかを知ることが大事なのだと思います。
授業評価アンケートにも一応、「板書は適切にされていましたか」……みたいな質問項目が並んでいますが、どういう板書がその授業にとって「適切」なのか、学生が判断できるとは限りません。
アンケートだけでは十分なFDとは実現できない……と、個人的には思います。
さて今日は、FDについて、興味深い事例をひとつ、ご紹介します。
【今日の大学関連ニュース】
■「「ダメ教員」例をビデオに、山形大など4大学が制作 」(読売オンライン)
学生に不評な「ダメ教員」をなくそうと、山形大など4大学の教職員や学生がビデオ「あっとおどろく 大学教師NG集!」を制作した。山形大のホームページで近く公開する予定。
学生の声をもとに脚本化。同大学で撮影され、学生約40人が出演した。専門用語をまくしたてた後、ぼうぜんとする学生を「どうせ君たちにはわからない」と見下す教員、家族の自慢話で学生をしらけさせる教員……。12の寸劇が次々と展開される。
昨年4月に大学設置基準が改正され、授業の質の管理に組織的に取り組むことが大学に義務づけられた。山形大の小田隆治教授は「反面教師をあぶり出すことで何が望ましい姿かを考えてほしい」と話している。
(上記記事より)
山形大学の取り組みです。
上記は、6月半ば頃に読売新聞に掲載された記事。「山形大のホームページで近く公開する予定」とありますが、実際にいま、いくつかが公開されているようです。
既にご覧になった方も多いのでは。
↓こちらが、そのページ。
■「 ビデオ版授業改善ティップス 『あっとおどろく大学授業NG集』」(山形大学)
【趣旨】
このビデオ版ティップスを基に、大学教員の同僚性の構築、対話の促進、相互研鑽が促進されることを目指しています。
それにより、FDにおける多面的アプローチを実現し、他のFD・授業改善ティップスとの共存共栄により、各学校の多様な事情や教員個々人の諸事情等に対応する、より多様なFDを実現したいと願っています。
【目的】
(1) 特に初任者を対象とした基礎的なFD。
(2) 良い授業ではなく問題のある授業を題材にすることによる、教育の質の保証、共通性の確保、抵抗感の軽減。
(3) エンターテインメント性と短時間性による、わかりやすさ、楽しさ、見る側の負担感の軽減。
(4) 学生の意見や教員の教育経験から抽出した授業改善のポイントによる、実践性の向上。
(5) FDネットワークを通した複数・多様な事例、アイデアの検討による、汎用性、共通性、多様性の確保。
(6) 話題の提供をによる情報交換の場の形成と、それによる同僚性、FDコミュニティの形成。
(7) FD講演会やワークショップ等でのツールとして、自己研鑽、相互研鑽等の多様な活用。
(上記記事より)
……というような大学側からの説明とともに、実際の映像がアップされています。
学会で発表された映像が、週1本のペースで更新されている様子。
7/7現在は、5本を視聴することが可能です。
面と向かって「あなたの授業はここがダメ」と言われると、結構ショックですし、反発される方もいるかもしれません。
でも、「こんな事例はダメですよね」と言われてビデオを見ると、「確かにダメだなぁ、でも、自分の授業にもこういう部分があるかもなぁ」と、案外、客観的に我が身を振り返れるかも。
ビデオも、問題のある部分がわかりやすく強調されていて、ちょっとユーモラス。工夫されています。
「ぜひ教員全員に視聴させよう!」といって教授会で流したりしたら、反発されると思いますが、インターネットを使って自宅で一人で見る分には楽しく見られるでしょうし、参考にもできそう。
冒頭の記事を読まれて、「さすがに自分の授業は、ここまでひどくはないよな」と思われている教員の方、ぜひ映像をご覧になってみてください。
「情報の嵐」
「一方通行」
……あたりは、普通にやってしまうパターンだと思います。
ちょっと話はそれますが、授業の速度や情報量については、そもそもの「授業」の位置づけから見直すべき部分もあるような気はします。
「規定の授業コマ数で、おおよそこれだけの内容を伝えたい」、という全体の授業構想は、最初に組み上がっているのが普通です。シラバスにも明記されていることでしょう。
ただ、序盤・中盤までにその予定が消化しきれないと、後半で授業のペースが速くなりがち。
一度に伝える情報量も多くなり、学生との質疑応答などに費やす時間も削られていきます。
教員の解説に対し、学生が「?」という表情を見せていても、それにつきあっていると時間が足りなくなる……というわけで、学生全員の完璧な理解はあきらめて、「一番、理解していそうな学生」を基準に、授業は進められることに。
これは大学に限らず、初等・中等教育でも見られる現象だと思います。
一方、アメリカの大学などでは、教える内容の大半は「既に予習してきている」という前提で授業を進めますから、授業では特に重要なポイントについてじっくり解説したり、学生との間でディスカッションをしたりということに時間も使えると聞きます。
日本でも本当は、
一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし
(大学設置基準より)
……と定められており、講義の場合、授業15時間に対し、自学自習30時間がなされるという前提になっているのですが、形骸化しています。
大学教員の方も、多くの場合、「学生は、教科書など読んできていない」という前提で授業を行っているのでは。
「30時間の自学自習」がされるという前提を実現させることも、授業改善のためには必要なのではないか、という気がします。
ただし、一人の教員が個別に取り組んでも、学生から「単位を取りにくい先生」と思われて低い評価を受けるだけ。これこそ、大学全体で取り組むべき改善策ではないでしょうか。
わかりやすい授業を目指すとともに、「30時間の予習をするのが当たり前」というキャンパスをいかにつくるかも、FDの大きなテーマの一つかもしれません。
ちなみに山形大学の取り組みは、↓「NHK WORLD」によって、英語でも紹介されています。
■「Advice for the Teachers」(NHK WORLD English)
こちらでは、まだ山形大学のwebサイトにアップされていない映像も見られます。
わかりやすくまとめられていますので、こちらもよろしければぜひ、ご覧ください。
以上、マイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。