公立高校の教員が大学で授業

マイスターです。

高校に大学の教員を派遣し、高校生に対して授業を行う取り組みは、いまや多くの大学で行われています。
高大連携の提携を結んでいる高校に限定している大学もあれば、そうした制限を設けず、「ご希望があればどこにでも派遣します」としている大学もあるでしょう。
大学で学ぶ専門分野の授業に触れることで、その学問をイメージしてもらうというのが、こうした派遣授業の公式なねらい。

これらは、「学習内容の先取り」です。
大学で学ぶ内容を前もって知っておくことで、進路選びがしやすくなりますし、普段学んでいる科目が大学でも有用だとわかれば、学習のモチベーションアップにもなるでしょう。
メリットが多いですから、(自分が派遣されるときの労務負担を除けば)こうした取り組みに異を唱える方はあまりいらっしゃらないと思います。

さて、今日はこんな取り組みをご紹介します。

【今日の大学関連ニュース】
■「高校教師が大学で授業 札市大との連携協定で 『苦手』多い理数科目」(どうしんウェブ)

札幌市立大デザイン学部(札幌市南区)は本年度から、市立高の教諭が理数系科目を学生に教える補講を始めた。市立九高校と市立大が今春結んだ連携協定に基づく授業。道教委によると、高大連携で大学教員が高校生向けに授業をする例は増えているが、公立高から大学への教師派遣は道内初めて。
デザイン学部は芸術分野としての性格が強く理数系が不得意な学生も多い。しかし、建物デザインに力学計算が求められるなど、各研究分野で高校の理数系の基礎が重要となる。
このため、市立大が高校側に教師派遣を打診。札幌藻岩、札幌清田、札幌大通の三高校の四教諭が、化学、生物、物理、数学の補講を担当することになった。大学にとっては、専門講師と契約するより財政負担が少ないというメリットもある。
四月下旬、化学の補講を行った藻岩高の野口浩史教諭は自作のテキストで酸化還元反応などを解説。「大学で必要そうな分野を抽出して教えている」という。高校二、三年で理科系科目を受けなかったという市立大一年の鈴木柚那さん(18)は「後の研究で必要なので不得意科目をカバーしたい」と授業に聞き入っていた。
(上記記事より)

昔に比べ、大学に入学してくる学生達の学力が低下していると言われます。
大学の授業についていけない学生が増え、教育が成り立たなくなっているという指摘も様々なところでされています。

今ではそうした現状に対応するため、「学習支援センター」や「基礎教育センター」といった、学生の基礎学力アップをサポートする部門を設けている大学も少なくありません。

(例)
■「数理工教育センター」(金沢工業大学)

特に理工系では入学直後から数学や物理学などの授業が多く、それが後の専門教育の土台として必要不可欠だということもあり、現在ほとんどの大学がこうした支援機関を設立し、対応にあたっているようです。

そうしたセンターで指導にあたっている方には、「元・高校教員」や、予備校講師の方などが結構いらっしゃるのです。
「高校で教える内容を教える」のですから、大学の教員よりも、こうした方々のほうが慣れていますし、適任だというわけです。

上記の記事にある札幌市立大学の取り組みは、「現役の高校教員」が大学で教えるというもの。
「現役」という点は珍しいのですが、実質的には既に、「元・高校教員」の方々が全国の大学の現場で既に教えていますので、そうした事情をご存じの方にとっては、驚くほどのことではないのかなと思います。
(というか、公立高校の教員の皆様は多忙ですから、むしろ退職された教員の方々に活躍していただく方が、何かとメリットが多いのではないかと個人的には思います)

こうした記事を読むと、改めて色々考えさせられます。

高校の内容を大学で教える(補習させる)取り組みは、今では全国的ですが、当初は「そもそも、高校で学ぶ内容を、なぜ大学でわざわざ教えなければならないのか」といった議論もあったようです。

でも、子どもの数が減る中で、従来なら大学に進学しなかったような層まで受け入れているのですから、大学側がどう考えようと、やっぱり学生の質は変わってきます。
大学レベルの教育を成立させるためにはやむを得ない、ということで、大学側が高校の内容を補習しているのが現状です。
(自分達で入試をして選んだ学生である以上、引き受けないわけにはいかないという負い目もあるでしょうか)

……ということは、アタマでは分かっていても、公立高校の現役教員が大学で授業を持つとなると、やっぱり何かおかしくないかという気になってきます。

「高校で学ぶべき内容を、理解しきれずに卒業していった生徒が少なくない」

……という厳然たる事実を、高校教育の側が公式に認めてしまったような感じがするからでしょうか。
(こんな印象を受けるのって、マイスターだけ?)

市立九高校と市立大が今春結んだ連携協定に基づく授業

……と記事にはあります。

■「札幌市立高等学校一覧」(札幌市教育委員会)

これらの市立高校から、札幌市立大学に進学している生徒は、少なくないでしょう。
札幌市立大学の中では、それなりの割合を占めていると思います。
そうした学生達が、大学に進学したにもかかわらず授業についていけていないのだとしたら、送り出した高校の側にも責任がありそうな気がします。
だとしたら、「連携」というよりは、単に「責任をとりに来ました」みたいな話にとれなくもありません。

よく考えると、なんだか不思議です。
この「連携」って、どういう意味を持っているのでしょうか。

教育の現状を考えてみると、こうした「今さら誰も指摘しないけど、そもそもおかしくないか」みたいな話がたくさん出てきます。

例えば、「高い進学率が大学教育崩壊の原因みたいな話も、そのひとつ。

現在、大学・短大の進学率は、5割を越えています。
進学希望者の数より、入学定員の方が多いので、数字の上では「全入」が可能。
選り好みさえしなければ、どこかの大学には入学できる時代だと言われています。

一方で、前述したように大学生の学力が低下し、授業が成り立たなくなったという声も聞かれます。
そんな中、

・少子化なのに大学の数はあまり減っていない
 ↓
・大学に進学できなかった層まで、大学に入れるようになった(進学率の上昇)
 ↓
・大学生の学力が低下し、授業が成り立たなくなった
 ↓
<大学の数を減らし、進学率を下げるべきだ>

……といった論理で、「大学進学率を下げるべきだ」という意見がよく出てきます。

「大学に入るのが難しかった時代と同じ環境に戻せば、すべてがうまくいく」という発想が、こうした指摘の背景にはあるように思われます。
この「高い進学率が大学教育崩壊の原因」説は、大学関係者の他、産業界などからも聞かれ、日本の中では半ば「常識」のように思われているフシもあります。

こうした批判の中、学力が足りないのに学生を受け入れる大学は無責任だとか、そうした学生を受け入れておきながら、ちゃんと「大学生として恥ずかしくない」人材にして送り出せていない大学の教育はおかしいとか、大学に対する風当たりは強くなっていくばかり。
これらの指摘には、もっともだと頷く部分も少なくありません。

ただ、不思議なことに、「進学率がすべての元凶であるのだから、高校の進学率を下げるべきだ」という意見はあまり耳にしないのです。

初等・中等教育の現場では、以前から<七・五・三>という言葉が使われています。
これは、「授業の内容をよく理解している」という児童生徒が、小学校では7割、中学では5割、そして高校では3割に低下するという状況を示す言葉です。

文部科学省が、児童生徒に対して平成15年度に行ったアンケート調査でも、「学校の授業がよく分かる,又は,大体分かる」と答えたのは、

小学6年生:約66パーセント
中学3年生:約49パーセント
高校3年生:約38パーセント

……と、おおむね「七五三」が事実であることを示しています。

(参考)■「平成14、15年度高等学校教育課程実施状況調査について」(文部科学省)

高校3年生の時点で、授業を理解できているという認識がある生徒は、4割もいないのです。

義務教育は中学までなのだから、高校からは「高い進学率が教育崩壊の原因」ということで、進学率を下げるべきだという議論があってもよさそうなものですが、なぜかそれは聞かれません。

学校教育法によれば、高校の目的は、「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すこと」です。
そして大学は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」が目的です。

このように高校と大学とでは、教育の目的は異なります。ただ、目的の内容や方向性が違うだけで、どちらも「目的を達成しなきゃいけない」度合いは変わりません。
高校教育は4割未満の理解度で卒業させても良いけど、大学はダメ、みたいはことは、少なくとも法律には書かれていません。

でも、「進学率を下げろ」みたいな話は、大学でしか聞かれないのです。
個人的に、これはいつも、不思議に感じられます。

ちなみにマイスターは、高校も、そして大学も、進学率を下げたら問題が解決するとは思っていません。
そもそも、大学進学率の上昇が問題だという認識もありません。

大学の教育(高等教育)は、高校までの「教えられる」教育とは異なり、自分で仮説を立てて正解のない問題に取り組む力を身につけるための教育です。
国民の半分が、こうした高等教育に触れられるのだから、良い世の中になったと思っています。
その代わり、こういった時代に対応するために、大学を含め、すべての教育システムのあり方を変えていくべきだと考えます。

でも、進学率を巡る議論の様子を見る限り、そう考えていない人も多いようです。
だったら、高校の進学率も議論になって良さそうなのに、大学だけが議論の対象になるのはどうしてなのでしょうね。

冒頭の記事を読んで、そんな「そもそも論」について改めて考えた、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。