「Aが多すぎる」 大阪市立大学法科大学院の成績評価に、文部科学省が懸念?

マイスターです。

今頃、大学は試験期間でしょうか。
もう試験が終わって春休みに突入という人もいれば、「えっ!? 試験なんてまだこれからだよ……」という人もいると思います。

(ちなみに大学によって、年間スケジュールというのは若干違います。夏休みも、8月から始まり9月いっぱいまで休みという大学とと、7月後半からスタートして後期は9月20日過ぎくらいからスタート、というところがあるようです)

さて、試験が近づくと気になってくるのが、成績。
年配の方には、「優・良・可・不可」で成績をもらったという方もいるかも知れませんが、現在は基本的にA・B・C・Dなどの表記。
例えば、百点満点で考えると、

A:80点以上
B:70~80点以上
C:60~70点以上
D:60点未満(単位を認められない)

……といったような対応になります。
この上に「90点以上」ということで、「S」や「AA」といったランクを設ける大学もありますね。
さらに、GPAに沿った評価を行うかどうか、行うとしたらどこまで厳密に行うかといったことも、大学によって異なります(GPAについては、また別の機会に詳しくご紹介したいと思います)。

例えば大学院に進学したり、海外に留学したりという際、こういった成績は大きな意味を持ちます。
成績が優れなければ、どんなに他の点が優れていても入学を認められないケースだってあるでしょう。

そんなわけで重要な「成績」。
この成績を巡り、ちょっとした議論が起きているようです。

【今日の大学関連ニュース】
■「A評価ばかりの大阪市大法科大学院 文科省は懸念」(MSN産経ニュース)

文部科学省の設置計画履行状況調査で、成績評価を是正するように求められた大阪市立大学の法科大学院(大阪市住吉区)。調査によると、同大学院では一部の科目で、選択した学生の多くがA評価と判定されており、他の科目とは著しく成績分布が異なっているといるという。大学院側は「絶対評価を採用しており、高い成績を収めた学生にはA判定を付けざるを得ない」と困惑している。
(上記記事より)

大阪市立大学法科大学院の成績評価結果に、文部科学省が「Aが多すぎるのではないか」と指摘をしているようです。

昨年度まで同大学院の専攻長を務めていた阿部昌樹教授は、「定期試験はあくまでも学生の能力を確認する試験であり、A判定が多いのは学生の習熟度の高さの表れ」と反論。試験の質についても「教員間で試験後に、科目ごとの成績結果について十分検討しており、問題ないと考えている。A判定を出そうと思って試験のレベルを下げているわけではない」と話す。
(上記記事より)

これは大学教育を考える上で、しばしば議論になるポイントです。

学生を評価し成績をつけるのは、その授業を担当する教員。
大学によって色々と細かい違いはあると思いますが、基本的には大学の成績は「絶対評価」でしょう。

例えばシラバスに、

学期末試験の点数が50%
授業中のレポートが30%
授業での発言などが20%

……などと、採点基準を掲載しているケースも多いと思います。
(大学によって、掲載することをルールにしているところもありますね)

この場合、こういった採点基準を満たした人には、基準で示したとおりの成績を出さなければウソになります。
「試験をやってみたら、全員が採点基準を完璧に満たしていたけれど、バランスが良くないから半分はBにします」……なんてことをやったら、暴動がおきるでしょう。
それこそ、評価基準って一体なんなんだ、という話になりそうです。

「定期試験はあくまでも学生の能力を確認する試験であり、A判定が多いのは学生の習熟度の高さの表れ」という大学側の言い分は、つまりこういうことなのでしょう。

では、大学において、点数を付ける際のガイドラインである「採点基準」は、どうやって定められているのでしょうか。

これはマイスターの意見ですが、理屈で言うのなら、「その学科の教育目的・ミッションに基づいて決められている」ということになるかと思います。

例えば工学部・建築学科の例を考えてみます。
「建築に関する知識と技術を十分に備えた建築家や技術者、研究者を送り出す」ことがミッションだとします。その中で、「材料工学」という科目があったとしましょう。

この場合、乱暴にまとめるなら「建築家や技術者、研究者に必要な材料工学に関する知識や技術を、身につけているかどうか」が、この授業の評価基準でしょう。
(※実際には、実技系科目も含め、いくつかの科目でこれを役割分担させていると思いますが)

「これだけのことを理解していないと、本学科が送り出す卒業生として十分とは言えない」という内容を設定し、それに基づいて評価をしているというのが、ミッションに基づく、成績評価の本来のあり方だと思います。

例えば成績表を海外の大学に提出したとき、あちらの担当者が

「おう、この学生は材料工学の成績がAじゃないか。ということは、大学レベルの材料工学に関する知識は十分身につけているのだな」

……と判断する材料なるような評価でないと、評価としてあまり意味がありません。
たまたまその科目の担当教員が、「おれは成績を甘く付ける主義だから」とか言って、甘い試験で甘い成績を付けていたとしたら、留学先で悲劇が起こるでしょう。

そういう意味では、大学の成績評価基準というのは、非常に重い意味を持つものです。
(例えば同じ科目名の授業が複数あり、それぞれ担当する教員が違うという場合は、担当者によって著しく評価が変わらないよう、担当者同士で内容を共有しているケースが多いのではないでしょうか)

どんな基準によって試験をつけるかは担当教員が決めることですし、Aばっかりの授業があったり、Dばっかりの授業があったりしても、それ自体はそう大きな問題ではないと思います。
ただ、その成績が保証する学力の水準、世間一般で通用する客観性というものは、上記のような意味では必要だと個人的には思います。

ですので、

調査を行っている文科省大学設置室は、同大学院に対して「A判定ばかりでは、評価が正しく行われていても、結果として試験内容の質が疑われてしまう」と懸念を示す。
(上記記事より)

……とありますが、個人的には「問題の本質はそこなのだろうか?」と言う違和感も覚えるのです。

ちなみに大阪市立大学法科大学院の修了生は、新司法試験の合格実績において、全国的に見ても高い合格率を誇っています。

(参考)
■「平成20年新司法試験法科大学院別合格者数等(PDF)」(文部科学省)
■「平成20年新司法試験の結果が明らかに 各法科大学院の合格率は?」
■受験者減 揺れる法科大学院

平成20年度の、同大法科大学院の新司法試験合格率は約40%。
全国平均は33%ですが、平均を上回っている大学院がそもそもあまり多くありませんので、同大学院は目立つ存在です。
(ちなみに国立の大阪大学法科大学院は38.6%)

これはあくまでも、司法試験の合否というひとつの指標に過ぎませんし、教育の質すべてがここで決まるわけではないでしょう。
ただ、ここが法科大学院の、重要なミッションの一つなのは確かです。

合格率が低すぎて、早くも統廃合が議論されている大学院が少なくない現状においては、「試験内容の質が疑われてしまう」という文部科学省の意見よりも、「A判定が多いのは学生の習熟度の高さの表れ」という大阪市立大学側の意見の方に説得力を感じる人の方が、一般的には多いのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。

というか、考えてみれば、「Dが多すぎる」という大学・大学院だって、ありそうです(Dばかりを出すことで恐れられている教員って、全国に結構いますよね)。
これだって、「D判定ばかりでは、評価が正しく行われていても、結果として試験内容の質が疑われてしまう」ということにならないのでしょうか。

相対的な成績バランスも、まったく考えなくていいわけではないでしょうが、それよりもっと本質的な論点があるのではないかと個人的には思います。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

2 件のコメント

  • ニュースで省略されているところに、「4~5名のクラス」とあります。だったら、全員Aでも構わないでしょう。学部の科目でもゼミなんかだとまじめに出てきさえすれば全員Aですよ。これは文部科学省のほうがおかしい。

  • 文科省や会計監査院においても、大学の現行の取り組みをモニタリングすることは、大切な機能であることは良く分かります。
    しかしながら、昨今の報道で見えてくることは「あまりにも些末な指摘」という感を拭えません。
    辛辣な表現かもしれませんが、自分たちの存在意義を示すために「こんな細かいところも見ているんだ」とのメッセージを一生懸命出しているように見えてしまいます。
    重箱の隅を突いた指摘ではなく、大局観に立った指摘や提言に力を注いで欲しいと思います。