悩める国際教養大学

マイスターです。

受験界やメディアからはしばしば「国公立大学」と一緒にされる、国立大学と公立大学。
この2つ、似ているのは入試の仕組みと学費くらいで、実は全然違います。

 
【学校教育法】
第2条 学校は、国(国立大学法人法(平成15年法律第 112号)第2条第1項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成15 年法律第118号)第68条第1項に規定する公立大学法人を含む。次項において同じ。)および私立学校法第3条に規定する学校法人(以下学校法人と称する。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。

国家戦略にもとづいて計画的に配置された国立大学に対し、公立大学は地方公共団体、つまり自治体が自分たちの将来計画等に合わせて設置する大学。
お金の出所も違えば、大学として求められる成果も違います。大学の運営にかかわっている人たちも、(法人化で近づいたとはいえ)けっこう違います。

公立大学の運営は、自治体の予算によって支えられており、それはもともと、住民の方々からの税金。
ですから、やはり「どれだけその自治体の方々に貢献できているか」ということは、問われるわけです。

良い人材を地元に多く供給しているとか、
医師を育てたり、レベルの高い大学病院を運営することで、地域の医療レベルを上げているとか、
その地域のテーマや課題に対し、学問的に取り組んでいるとか、貢献の仕方は色々。

もっとも一般には、なるべく多くの高校生を、地元から入学させ、なるべく多くの卒業生を、地元に供給するということが、わかりやすい成果として(議会などで)求められる場合が少なくないようです。

ただ、大学として優れた教育・研究を行おうとすれば、必然的に外からの受験生が増えたり、外に飛び出したりするケースは増えるのではないか、と言う気もします。
公立大学のジレンマです。

さて今日は、こんな話題をご紹介します。

【今日の大学関連ニュース】
■「知事代われば後ろ盾なし…自立急げ 秋田・国際教養大」(河北新報社)

「秋田県からの経済的な自立を考える必要がある」。25日、国際教養大(秋田市)の教育、運営方針について助言する「トップ諮問会議」で、委員から辛口の意見が相次いだ。来春の知事選では、寺田典城知事の不出馬が確実視されており、大学にとって大きな後ろ盾を失う可能性があるとみて、“親離れ”を促す叱咤(しった)激励となったようだ。
この日の会合には、作家・前秋田美術工芸短大学長石川好、評論家大宅映子、元財務相塩川正十郎、由利工業(由利本荘市)社長須田精一、元宮城大学長野田一夫の委員五氏が出席。
諮問会議議長でもある野田氏が「大学の予算は県に依存している。大学に反対する声もあるので、存在意義がどこにあるのかを論理的に考えておかなくてはいけない」と指摘した。
石川氏は「次の知事は教養大をつくったわけではない。(つくった)寺田知事には責任があるから、何が何でも大学をサポートしようとしてくれているだけだ」と危機感を募らせた。
具体的には、社会人専用のカリキュラムを設けたり、通信制教育を取り入れるなど事業拡大の意見が出た。
ただ塩川氏は「総合科を設置して生徒数を増やす大学が多いが、教養大は1つの学部に徹して人文や語学という大学の特徴を強調していくべきだ」と指摘した。
こうした意見に、中嶋嶺雄学長は「知事選にかかわらず、中長期的経営としてできる限り県の交付金に頼らない方法を考えたい」とした上で、「本格的なAO入試を導入するなどしてより特徴のある大学にしていきたい。将来的には授業料の引き上げも検討課題になるだろう」と話した。
(上記記事より)

国際教養大学は、2004年に設立された単科大学。
「地方」、「単科大学」というのは、一般には学生募集においてマイナスになる点だとも言われる中、国際教養大学は人気を博しており、地方大学の成功事例として評価する声も少なくありません。

■国際教養大学

それもみな、公立大学としては異例とも呼べる、オンリーワンのカリキュラムがあるからです。
すべての授業を英語で行ったり、1年以上の海外留学を義務付けたりといった特色ある教育を、徹底して実践している。それが、他大学とこの国際教養大学の違いです。

他の公立大学にも「国際」を謳っている大学はあります。ただ、ここまで徹底的に国際教育を行っているのは、国立、私立大学を含めても、ほとんどないでしょう。
人によって評価は色々だと思いますが、少なくとも新興大学の中で注目されている一校であることは間違いありません。

しかしそんな国際教養大学も、自治体(この場合は県議会)からは冷遇されているようです。
寺田典城知事とのあつれきから開学に反対されたり、大学運営予算が認められなかったりといった経緯があるようで、しばしば上記のような記事が報道されます。

こういった国際教養大学を巡っての議論には、知事や議会との関係など、色々な事情が絡んでいます。
開校までの経緯でも、色々と賛否両論があったようで、そんな問題も無関係ではないでしょう。
地元には既に国立の秋田大学、および秋田県立大学があったわけですし、公立大学の開学に議会が当初、慎重な態度を示した経緯も、自然ではあります。

ただ、色々あったにせよ、開校後、国際教養大学の教育コンセプトが、秋田県内どころか日本中から注目される結果となったのは事実。
例えば↓こんな計画一つとっても、国際教養大学がなければ生まれてこなかったでしょう。

■「秋田、国際教養、県立の3大学 留学生3倍増800人へ(秋田)」(読売オンライン)

しかし議会にとっては、「まだ若い大学」であり、「地域の税金を投入しての、地元の大学」という認識。
そんな中で、大学の存在意義が、宙ぶらりんになってしまっている様子が、冒頭の記事から伝わってくるように思います。

国際教養大学の関係者達からは、「素晴らしい大学を創るぞ!」という意気込みを感じます。
ただ国際教養大学は、実際のところ、小さな規模でスタートしたまだまだ若い大学。
財政基盤が揺らげば、あっという間に規模を縮小させられたり、教育の内容を変質させたりしてしまいかねません。

「大学の予算は県に依存している。大学に反対する声もあるので、存在意義がどこにあるのかを論理的に考えておかなくてはいけない」

……と、大学のコンセプトと、公立大学という立ち位置の中で、揺れているようです。
もともと、大学を設立するときにこういった議論は一度通過しているのかと思っていましたが、ここに来て冒頭のような報道が出ているということは、まだまだ安心はできないのかもしれません。

とりあえず、県が求める教育機関とはどのようなものかということと、国際教養大学が実現させた成果とを踏まえて、もう一度、大学のミッションや位置づけを議論してみるというのは大事だと思います。

県に依存しないよう自立する、というのももちろん大事ではあるでしょう。
ただ、(100%完全に独立するというのならともかく)今後も公立大学法人であることは変わらないのですから、県の将来計画に大学をきっちりと位置づけ、議会や県民が一体となって、県にとって必要不可欠な大学を創っていくという方向で、建設的に議論を進めていくことも大事ではないかとも思います。
位置づけがぐらついているという状態では、みな落ち着かないでしょうし。
上述のような留学生増加の施策も出てきていることですし、「特別な大学」を保有する県の将来像を、新らしく描き直すことも可能ではないかと思いますが、いかがでしょか。

以上、冒頭の記事を読んで、そんな公立大学の難しさを改めて感じたマイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。