マイスターです。
今度はボストン大学の下村脩・名誉教授がノーベル化学賞を受賞されたとのこと。
おめでとうございます。
昨日に続き、大学関連の話題を見てみましょう。
【今日の大学関連ニュース】
■「『地方大学の誇り』 栄光に後輩ら歓喜 『とびきりうれしい』」(西日本新聞)
下村脩さんの母校長崎大は8日、卒業生のノーベル賞受賞の報に「151年の大学の歴史で最大の朗報」と喜びに沸いた。
旧帝国大以外の地方の大学からの受賞は初めて。大学には報道陣が詰め掛け、緊急に記者会見した斎藤寛学長は「うれしいの一言。忘れることができない日になった」と満面の笑みをたたえた。昨年10月、下村さんが講演のために母校を訪れた際、名誉校友の称号を授与した。「先生は『私がこれまでずっと研究をつづけてこられたのは長崎大での教育のおかげだ』とおっしゃっていた。名誉校友も本当に喜んでくださった。地方大学で学んだことを誇りにしてくださる先輩がいることに勇気付けられる」と語った。
(上記記事より)
■「ノーベル化学賞:下村氏『小さな地方大学出身でも取れる』」(毎日jp)
下村脩氏は8日午前(日本時間9日未明)、米マサチューセッツ州のウッズホール海洋生物学研究所で記者会見し「ただ驚いている。(米東部時間の)午前5時に電話で連絡があったが、その時はまだ寝ていた。医学生理学賞をもらえるかもとは聞いていたが、化学賞は全く想像していなかった」と喜びを語った。
下村氏は「自分は(旧長崎医大という)小さな地方の大学の出身だが、それでもノーベル賞を取ることはできる」と語った。さらに自身の経歴に触れ、「学生時代は、戦争で十分勉強ができなかった。学校は原爆で壊滅して諫早にあった飛行機関連施設を改造して研究所にしていた。設備は本当にひどいものだった」と振り返った。
(上記記事より)
下村教授は、日本の大学で学士課程を卒業したノーベル賞受賞者の中では初めて、いわゆる「旧帝国大学」ではない大学のご出身。
長崎大学薬学部の前身となる、長崎医科大学附属薬学専門部を卒業され、その後、名古屋大学で研究生として学ばれたという経歴をお持ちです。
これは、今までにない動きです。
長崎大学もさっそく、学長のコメントつきで、トップニュースとして報じています。
■「長崎大学名誉校友 下村 脩 先生がノーベル化学賞を受賞」(長崎大学)
名古屋大学の方も、昨日に続き、リリースを出しました。
■「本学元助教授の下村 脩博士がノーベル化学賞を受賞」(名古屋大学)
メディアの取材に対しても、「元助教授」「研究の基礎を名古屋大学でつくった」として、大学をPRされています。
■「ノーベル化学賞:『名大時代基礎に』学長ら喜び」(毎日jp)
前日は、卒業生から初めてのノーベル賞受賞者が一挙に2人も誕生し、お祝い気分に包まれた名古屋大学。それからわずか24時間後の8日夕、同大理学部で助教授を務めた米ボストン大名誉教授、下村脩さん(80)が化学賞に輝いた。世界最高峰の賞のラッシュに、2夜続けての祝賀ムードにわき返った。
名大では平野眞一学長が記者会見した。7日発表された物理学賞受賞について会見をした直後の、この日2度目の会見。「毎年、ノーベル化学賞はいろんな方の名前を思い浮かべながら待機していたが、大変うれしい」と喜びを語った。
連日の快挙に、「素晴らしいニュースをもう一度聞くことができた。研究者としての基礎を名大で作ってアメリカに行かれた」と満面の笑み。「今日は家に帰らないで喜びをかみ締めます。こういうことは何度あってもいいからね」とおどけた。
下村さんは、研究生として同大の門をたたき、01年にノーベル化学賞を受賞した野依良治・名大特別教授の師でもある故平田義正氏に師事した。
(略)この日、名大では広報担当の職員が受賞発表まで待機していた。受賞者が下村さんと分かると、連日の受賞に、信じられないという表情を浮かべた。
(上記記事より)
連日、学長も、広報の皆様もおつかれさまです。
昨日も思ったのですが、こうなってくるともはや、メディアなどで「どこの大学出身者がいくつのノーベル賞」、といった数の比較をするのは、あまり意味がないかもしれませんね。
かつては、学部から大学院、職場まで同じ大学という方もいらしたので、「東大vs京大」みたいに盛り上がる向きもあったと思いますが、今はもう、そういった感じではありません。
海外も含め、研究者として様々なところで学び、研究を続けた結果の受賞。
すべての経験が、現在に結びついているわけですから、どの大学もこうして祝福するということで良いのではないでしょうか。
さて、2日間連続でのノーベル賞受賞報道。
冷静な分析も出てきているようです。
■「頭脳流出組、相次ぐ受賞…南部氏は『米国人』報道まで」(読売オンライン)
7日にノーベル物理学賞受賞が発表された南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)に続き、8日の化学賞も米国を研究の拠点にしていた下村脩・米ボストン大名誉教授(80)に決まった。
いずれも戦後、若い時期に米国に渡り、研究の場とした「頭脳流出」世代。これまでにもノーベル物理学賞を受けた江崎玲於奈博士(83)や生理学・医学賞の利根川進博士(69)らが米国発の成果を生み、世界で評価された。
こうした頭脳流出にはいくつかの理由がある。彼らの多くはすでに80歳代。海外研究を決意した1950~60年代当時、日本と米国は、豊かさや研究環境などで圧倒的な違いがあった。
(略)日本人3人が受賞を独占した前日のノーベル物理学賞について、米ニューヨーク・タイムズ紙やロイター通信などの欧米メディアは、「日本人2人と米国人1人が受賞」と報じた。
「米国人」とは、米国籍を取得した南部さんを指すが、それは頭脳流出が持つ意味を象徴する。日本人が米国の有力機関で、研究費の獲得から人事にいたるまで、米国人と肩を並べて独創性を競い合う。「出るくいは打たれる」の日本的風土とは違う、その自由と厳しさが、研究を一級品に磨き上げたともいえる。
(上記記事より)
■「南部さんは日本人?米国人? 人材流動化で意見百出」(Asahi.com)
「南部さんを日本人とカウントしないわけにはいかないが……」。素粒子物理学などの基礎研究を支援する文部科学省は、内部資料としてノーベル賞の受賞者数を国別に毎年集計している。これまでは受賞者の国籍で数えてきた。
南部さんは注釈付きで日本の受賞者にする方向だが、関係者からは「そもそも国別に数える意味があるのか」という声も聞かれる。「外国人が日本の研究拠点での業績でノーベル賞を受けたら、日本の受賞にカウントするのだろうか」ともらす関係者もいる。
(上記記事より)
ノーベル賞受賞報道で、各紙は「日本の基礎研究のレベルが証明された!」と報じました。
また、最初の物理学賞のとき、「日本人3名が受賞」と報じたメディアも多かったようです。
しかし昨日のブログでもご紹介したとおり、南部さんはアメリカに帰化しているため、国籍はアメリカ。
国籍をベースに考えたら、アメリカ人です。
アメリカに渡り、日本に戻らなかった理由について、ご本人はこうコメントされています。
南部さんは、渡米して50年以上になり、70年には米国籍を取得した。日本に戻らなかった理由について、専門の素粒子物理学以外の人とも自由に意見交換ができるシカゴ大の研究環境の良さを挙げ、「いろいろ仕事の申し出はあったが断り続けた」と話した。また「退職して16年ほどになるが、私の仕事は未解決の問題を解くこと。死ぬまで続けたい」と研究への強い意欲も見せた。
(「3博士の朝、涙あり笑いあり クール一転、喜びの言葉」(Asahi.com)より)
また、国籍こそ日本であるものの、やはりアメリカで研究活動を続けることを選んだ下村さんも、以下のように述べられています。
――米国に居続けたのは?
「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」
――何が納得できなかったんですか?
「規模が違う。僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです」
(「『化学賞は意外』『クラゲ85万匹採取』下村さん語る」(Asahi.com)より)
こうなってくると単純に「日本の研究成果」だとは言えないのではないか、という指摘も出ているようです。
以前は確かに、日米で研究環境の充実度にかなりの差があったのだろうと思います。
施設・設備はもとより、集まっている人材の厚さでも、敵わなかったかもしれません。
お二人が海外で研究を続けてこられた背景には、そういった豊かさの差もあったことでしょう。
ただ、では現在はその差が埋まったのか……というと、そうとは言えない部分も大きいと思います。
それに、むしろ昨今では、国や大学は基礎研究を軽視する傾向にある、という指摘も耳にします。
受賞は日本の学術界にとって喜ばしいニュースですが、同時に、いくつかの教訓も残してくれているようです。
ちなみにマイスターは個人的には、日本人研究者が海外に飛び出すのは、とても良いことだと思っています。
別に、そのまま海外で研究を続けても構わないでしょうし、帰化されても問題はないでしょう。
むしろ「海外に飛び出そうとする研究者」を育てられる大学は、優れた教育をしている大学だと思います。
学術の発展のためにもご本人のためにも、一番能力を発揮できる場所で研究を行われた方が良いと思います。
ただ日本という国や、日本の大学の発展を考えたら、それだけではいけません。
飛び出していく一方ではなく、外から飛び込んでくる人材も増えるような環境づくりをしていく必要があるでしょう。
欧米やアジア、アフリカなどで生まれ育った方が日本の大学院で学んだり、日本の大学で研究者として研究を続けたりして、その結果ノーベル賞を受賞されたりしたら、エキサイティングです。
昨日ご紹介したシカゴ大学のwebサイトには、シカゴ大学のノーベル賞受賞者として、小柴昌俊さんのお名前も掲載されています。
■「Nobel Laureates」(The University of Chicago)
小柴教授の長い研究者生活の中で、一時期、シカゴ大学で研究員として研究活動を行われていた時期があるのです。ここで経験されたことも、後のニュートリノ天文学の研究を生み出すエネルギーの一部になったに違いありません。
もしかしたらシカゴ大学にとっては、アメリカ人の卒業生がノーベル賞を受賞することよりも、こうして外から学びに来た方が成功することの方が、名誉なことなのではないかな、なんて思ったりもするのです。
日本の研究環境が目指すべきは、こういった方向ではないでしょうか。
「日本人○名が受賞!」よりも、「日本の大学で研究していた○○さんが受賞!」という報道を増やすことを、大学は目標にするといいのではないでしょうか。
そうすれば、世界中から優秀な研究者が日本に集まってくるようになりますし、結果的にその環境の中から、日本人の優秀な研究者も育ってくるだろうと思います。
以上、マイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。
細かい話で恐縮ですが、「下村教授は、日本の大学で学士課程を卒業したノーベル賞受賞者の中では初めて、いわゆる「旧帝国大学」ではない大学のご出身。」とありますが、2000年にノーベル化学賞を受賞された白川英樹さんは東京工業大学のご出身ですから、下村さんが「初めて」旧帝大以外の出身というわけではないですね。もちろん、研究内容で比べるべきなので、「旧帝大」とか、「旧官立大」とか、言葉は良くないですが、いわゆる「駅弁大学」などといった区別はあまり意味がないように思っていますが。
この記事の「世界中から優秀な研究者が日本に集まってくる」ようになってほしいというお考えにも納得できますし、「大学プロデューサーズ・ノート」の記事は、いつも「なるほど」そして「その通り」と唸らされます。(ちなみに私は別分野を学び直すために退職して大学に入り直した一学生です。)