高校訪問は、大学教員にとって「残酷」な仕事?

マイスターです。

大学で働く教職員の方は、5月頃から夏にかけて、高校をまわります。
進路指導の担当教員に会って、自校の特色や、入試制度の変更点などを伝えるためです。

入試部門のスタッフだけではたくさんの高校をまわりきれませんので、たいてい学内の教員、職員が動員されます。
自校のパンフレットを何冊も持ち、暑い中、地図を片手に大学をまわるのは楽ではありません。
教員、職員ともに、その分の時間が割かれるわけですから、業務にも支障を来します。

なかなか大変ではありますが、しかし現在、多くの大学が、高校訪問を受験生集めのための最重要施策のひとつとして考え、実行しています。
マーケットと直接関わりを持てる貴重なチャンスですし、ライバル校が高校をまわっている中で、自分達だけが安穏としていられないという危機感もあるのでしょう。

さて、そんな高校訪問を巡って、大学関係者の間でちょっと話題になっている記事があります。

【今日の大学関連ニュース】
■「特集ワイド:大学教員残酷物語 『高校詣で』も仕事!?」(毎日jp)

浜本健太郎さん(仮名)は40歳代の私大准教授。この大学も定員割れはしていない。浜本さんが勤める大学は7月下旬、オープンキャンパスを2日間行った。他の学部には高校生ら約50人が集まったものの、浜本さんの学部のコーナーを訪ねたのはわずか4人だった。1日平均2人。「うちの学部は毎年この程度しか集まりませんよ」。浜本さんは無力感を漂わせた。ここ数年は毎年のことだが、あまりの人の少なさに、模擬講義などを手伝ってくれた現役大学生に申し訳なく思う。
浜本さんも、もちろん高校訪問をする。予約を入れ、片道2時間かけて自家用車で向かった。ところが、高校の担当者からは「パンフレットを置くだけでいいですよ」と冷たく言われた。滞在時間はわずか10分。追い打ちをかけるように、自家用車のガソリン代も実費精算ではなく、この原油高騰のおり1リットル100円で精算させられている。
首都圏の佐藤さんは、高校訪問には懸命だった。しかし、東海地方の浜本さんの大学では、近隣の大学も似たような高校訪問をするのでほとんど効果がない。
(略)大学教授や准教授自らがなぜ高校を訪問するのか。かつては大学職員がその役割を担っていた。浜本さんはこう背景を説明した。「18歳人口の減少によって学生が減るとともに大学の収入も少なくなる。私の大学では経費節減のため、半分以上の職員を派遣社員にした。だから、本来は大学職員の仕事だった高校訪問が大学教員にも課せられるようになったのです」
(略)教授や准教授の仕事のうち「受験生集め」が大きな比重を占めることに批判もある。「大学崩壊!」などの著書がある法政大学理工学部の川成洋教授は強い言葉で語った。「受験生集めは大学教員の本来の仕事ではない。そんなことでは、研究者の誇りもプライドもなくなる。大学はもともと知を発信する場所だったはず。学生を指導する教育や国際競争力をつける研究などにもっと力を注いでほしい」。耳の痛いことばではある。
(上記記事より)

「大学教員残酷物語」というセンセーショナルなタイトル。
詳細は、元の記事をご覧下さい。

記事では高校訪問をする教員の姿が紹介されていますが、これのどこが「残酷物語」なんだ!? という意見が、大学関係者からあがっているようです。

大学の教員は、世間一般ではステータスの高い仕事であり、誰からも「センセイ」と呼ばれる立場。
そんな大学教員が、マニュアル片手に営業行為を行い、冷たくあしらわれるという様子が、「残酷」なこととして、この記者の方の目にはうつったのかも知れません。

また、高校訪問なんて本来は大学職員の仕事であり、大学教員がする仕事ではない、という意見も、記事の中で取り上げられています。
高校訪問をすることで「研究者の誇りもプライドもなくなる」とも。

マイスターも、多くの大学が行っている高校訪問のあり方には、疑問を覚えています。
ただ、この記事で取り上げられている主張にも、現在の状況においては、少々説明不足な部分があるように思います。

まず、高校訪問は大学職員の仕事だったとありますが、そもそもかつては、今ほど徹底的に高校をまわる必要はなかったのです。
近隣を中心に主要な高校だけをまわれば良かったし、入試課の職員だけでも十分でした。

しかし大学を取り巻く状況が変わり、「お得意様」以外の高校もまわらなければ受験生が集まらない状況になりました。
そこで、教務課や学生課、図書館からコンピューター管理課まで、入試課以外のあらゆる部門の職員がまず動員されるようになりました。
(本来の業務を止めて、マニュアル片手に慣れない高校訪問を行っているのは、こういった部署のスタッフ達だって同じことなのです。記事では、「職員」とひとくくりにされていますが)

それでも母校の危機を乗り切ることが困難であると分かったからこそ、教員が動員されているのです。
「教員が高校をまわるくらいしないと大学を維持できない」という現状分析がほとんどないまま、「残酷物語」というストーリーを語られても、ちょっと違和感があります。
むしろこの記事を読んで、個人的には「冷たくあしらわれる」ことで、自分達の大学の市場価値を知ることができるのであれば、ある意味、教員が高校訪問に行く価値はあるのかもしれない、という感想すら持ちました。

それに、高校訪問の意味や役割もかわってきています。
かつては、「お得意様」の高校に出向き、顔なじみの教員達に挨拶をし、入試制度の変更点だけ伝えて、パンフレットを置いてくれば良かった時代もあったと思います。
でもこれからは、新規顧客を獲得しなければなりません。大学の強みや、教育研究の充実度を語り、学生達の成長ぶりを語り、伸び悩む学生のフォローアップの取り組みについて語ならければ、高校の側も納得して生徒を送り出せないでしょう。
実体験を持ってそれを語れるのは、職員よりも教員。話を聞く方も、現場で指導に当たっている教員の話だからこそ安心できるということがあるでしょう。

「誰にでもできることをやらされている」という認識ではなく、「教員の自分達だからこそ可能な高校訪問をやってやろう」という認識が、今、求められているのだと思います。

厳しい市場状況の今、求められているのは、「教員を受験生集めに使わない方法」を考えることではなく、「最も効果的に教員を使う方法」を編み出すことではないかと個人的には思います。

まわるべき高校をリストアップし、それを教職員に手渡して、絨毯爆撃のように高校訪問を行っている大学は、少なくありません。数をこなすことを重視するあまり、教員も職員も、得意分野を活かした役割分担がないまま、単なる人手の一人になってしまっているケースも結構あるようです。
マーケティングも十分でないまま、飛び込み営業のように高校をまわり、入試制度の変更点だけ伝えて、パンフレットを置いてくる。行った方は「これで○校訪問したぞ!」と満足するかも知れません。でも、そんな高校訪問を行っても、そうそう望む成果は得られないでしょう。
成果が得られなければ、せっかく訪問した教職員の皆さんも、徒労感を覚えてしまうと思います。

高校訪問のやり方には、改善すべき点が多くあると思います。
まず問題にすべきは、そこなのではないでしょうか。

マイスターも、教員の皆様には「学生を指導する教育や国際競争力をつける研究などにもっと力を注いでほしい」と思います。
実際、質・量ともに、大学教員に求められる教育、研究のハードルもあがっています。誰だって、教員には、学生達のためにも教育と研究を充実させて欲しいと思っているはずです。

一方、職員組織の側でも、外部資金の確保や、広報機能の強化、インターンシップやキャリアサポートの拡張などなど、業務は高度化してきています。
一見、変わっていないような部署でも、実は業務内容がかなり複雑になっていたりします。
さらに(記事にもありますが)正規の職員を、経費節減で派遣やアルバイトのスタッフに置き換える動きも全国で進んでいます。

そのような限られた人員、限られた予算の中で、知恵と時間を出しあってあらゆる問題を解決しなければならないのが、今の大学の置かれている状況なのだと思います。

入試・広報の専従スタッフを増やして業務を分けるのか、教職員全員で人海戦術をとるのか、あるいは学生や外部業者などを活用する別の方法を模索するのか、解決の方法は大学次第です。
専従スタッフを増やしたり、業者を使ったりするのであれば、当然、コストはかかります。自分達の給料や研究資金を減らしてでもそうした方が良いということなら、そう提案すればいいでしょうし、そうでないなら、自分達で動くしかありません。

ただ、未だかつて日本の大学が直面したことのなかった状況に置かれているのですから、「以前ならこんなことは教員の仕事じゃなかった」といった過去の話が役に立たないことだけは確かです。

ぜひ、自校にとって最善の方法を探してみてください。

ちなみに個人的には、自分が高校に頭を下げてでも大学を存続させ、ポスドクをはじめとする後進の研究者達の研究の場を守る、くらいのことをおっしゃる教員の方がいたら、惚れます。
そういう教職員がたくさんいる大学は、そう簡単にはつぶれないと思うのです。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

2 件のコメント

  • いつも拝読させていただいております。
    表題の記事について、大変共感を覚えます。
    何に比べて、何が「残酷」なのか?です。
    ・マニュアル片手に営業行為を行い
    ・冷たくあしらわれるという様子
    顧客持つ民間企業ではごく普通の様子です。
    かつて私が高校生のころ、地元大学の高校訪問
    担当の教員の方は、先般の記事で言う『難解な
    理論を解説して悦に入る』状態で、さっぱり
    理解できなかったという記憶のみが残ってい
    ます。
    そういう意味では、基本的なことでもマニュアル
    を準備し、これを元に高校を訪問することは
    積極的に行うべきと考えます。(企業体ではむし
    ろ不文律を明文化し、明確化することは奨励され
    ていることだと思うのです。)
    また、
    ・入試制度の変更点だけ伝えて、パンフレットを
    置いてくる。行った方は「これで○校訪問した
    ぞ!」と満足するかも知れません。
    という問題提起も同じく民間企業に当てはまり、
    何を(どんな数値を)もって実績とするのかと
    いう点はよく議論の必要があるのだと思います。
    以上、雑感ではございますが、感想として
    ご一読いただければと思います。

  • 何でもかんでも民間と同じと思ってもらってもね~。
    どれだけ新しいことを発見して、世界に発信するかに苦心し、学生を鍛え、講義もやっていると、ほとんど年中無休状態。
    これで高校回れと言われれば、何かを削るしかない。削るとすれば、講義は削れないから、研究でしょう。当然、卒件の指導時間を削ることになるんです。人間が生きていくには時間の使い方に限界がある。
    高校を回れということは、その時間研究、卒研指導を削れということ他なりません。余った時間はないんですから。