マイスターです。
Asahi.comに、非常に興味深い記事がありましたので、ご紹介したいと思います。
【今日の大学関連ニュース】
■「志願倍率に目標値設定 一部の国立大、学部予算に反映」(Asahi.com)
一部の国立大学が学部ごとに志願者数などの目標値を設定し、その達成状況に応じて、各学部に配分する予算を増減させていることがわかった。「アメとムチ」で各学部の努力を促し、優秀な学生と、受験生が納める検定料収入の確保を狙う。少子化や法人化で厳しい競争にさらされる国立大に、受験生側の事情に左右されやすい志願倍率まで一定の「結果」が求められるようになった。
新潟大は年度当初に、次年度入試での志願者数の目標値を各学部に通知する。目標値は、過去3年の平均値から算定。目標を上回った学部には検定料と同額の1人当たり1万7千円を、上回った人数分追加配分し、下回った学部からは人数分没収する。
法人化の翌年の05年度予算から導入。少子化で「全入時代」が叫ばれる中、志願者数を増やすことで「質の高い学生の確保を目指した」(財務企画課)。国立大への運営費交付金が減らされる中、新潟大も経営努力を求められており、検定料で自己収入を確保する狙いもある。
だが、少子化などの影響で地方の大学の志願者数は伸び悩み気味。新潟大も08年度入試では、9学部のうち人文など2学部以外は目標に達せず、残り7学部で計約900万円が没収されることになった。
同大は、努力の成果に応じて差をつけるインセンティブ経費のうち、1千万円を各学部の志願倍率に応じて配分する仕組みも導入。国立大の同じ学部の平均値(前年度分)を上回った学部に1千万円を均等配分するようにし、07年度入試では3学部が対象となった。
香川大は06年度から、学生数に応じて配分する教育経費の5%(07年度は約1300万円)をいったん留保するようにした。学部の志願倍率か卒業生の進路確定率が目標に達すれば2.5%、定員充足率が90%以上になれば残り2.5%を再配分する仕組み。基準に達しない学部は没収される。
(略)阿部文雄・副学長は志願倍率の目標設定を「意欲と能力のある学生の確保が目的」と話す。留保額を設けることで、教員にオープンキャンパスなどに協力してもらえる環境づくりも目指している。一方、堀江克則事務局長は「結果として収入増につながればありがたい」。
(上記記事より)
国立大学も変わったものだ……とか、このやり方は適切なのか? とか、私立もなりふり構ってはいられない、とか、人によって感想は様々でしょう。
大学の関係者が気にされている数字として、以下のようなものがあります。
・学部学科の難易度(いわゆる「偏差値」で表されるもの)
・志願者(受験者)数、志願(受験)倍率
・オープンキャンパスの動員人数
いずれも、高ければ高いほど、多ければ多いほど、良しとされています。
多くの志願者を集めるためには、オープンキャンパスでより多くの方々に知ってもらう必要がある。
多くの人数が受験してくれれば、競争率は上がる。
難易度が上がれば、大学の『格』が上がる。世間からは、良い大学という評判を集められる。
また多くの志願者を集めれば、結果的に成績の良い学生を入学させることもできるから、教育レベルも上がる。
………といった感じで認識されているようです。
多くの大学は、こういった数字を意識し、最終的に「倍率の高い入試を突破できるような志願者が集まる大学」になることを目指していると思います。
確かにこれらの数字には、相応の意味があります。志願者数や競争率は、少なくともその学部学科の人気の反映ではありますし、下げてはまずいでしょう。
重要な要素であることは事実です。
ただし、これらの数字がすべてではありません。
よく言われることですが、競争率や難易度を上げようとして「受けやすさ」を重視し、受験科目を減らした結果、教育のレベルを下げてしまった大学もあります。それでは本末転倒ですよね。
志願者数も、多いほど良いとは言い切れない部分があります。
例えば大学はそれぞれの学風を持っていますし、実践している教育の志向性も違います。
優秀な研究者の輩出を謳う大学もあれば、企業が欲しがるビジネスパーソンの育成を謳う大学もあります。
そこで、こうしたそれぞれの志向性をふまえ、各大学は「こういう学生に来て欲しい」という方針としての「アドミッションポリシー」を打ち出しているわけです。
アドミッションポリシーに沿う学生をどれだけ集められるか。
これこそが、大学入試に求められる「成果」に違いありません。
定員が100人だとしたら、最終目的はアドミッションポリシーに沿った100人を入学させること。
ですから志願の段階で、アドミッションポリシーから大きく外れる学生が大量に集まっていたら、それは見方によっては、むしろ失敗でしょう。
……なのですが、冒頭の記事からもわかるように、大学はとにかく「志願倍率」を気にします。
その先にあるのは「難易度」の維持。
そのために、志願倍率に沿ったインセンティブまで用意しているというわけです。
このあたり、ちょっと気をつけて、丁寧に物事を進めていった方がいいと思われます。
志願倍率を上げることが目的になれば、どうしてもアドミッションポリシーを二の次、三の次においた、「とにかく誰でも受験してください」という入試広報がされるようになるでしょう。
もしくは、何のこだわりも精神性もない、実体のないアドミッションポリシーになると思います。
(実際には、入学後の教育方針には違いがあったとしても、です)
実際、少なからぬ大学が、既にそうでしょう。
大学が、アドミッションポリシーの徹底よりも、「志願倍率」の維持向上の方を優先する理由は、ずばり、「受験生は難易度で大学を評価している」という点の確信があるからでしょう。
そして残念ながら実際、そういう傾向は一般的に、非常に強く存在すると言わざるを得ません。
いつも、そんな現状をどうにかしたいと思っているマイスターとしては、こういった報道を読んで、ちょっと心配になるのです。
冒頭の記事に出てきている新潟大、香川大がどうかはわかりませんが、中には志願倍率を絶対の成果のように考え、この数字を伸ばすことを入試広報における最終目的のように考える大学が出てきやしないだろうかと、危惧してしまうのです。
皆様の大学は大丈夫だと思いますが、お気を付け下さい。
ちなみに、少し話は逸れますが、少なくとも早稲田塾の校舎にはあの、模試の偏差値で大学を難易度順に並べたクダラナイ表は一枚も貼ってありませんし、ましてや進路指導で使ったりはしません。
一方、大学教授と連携し、高校生達に本格的な研究やゼミを体験させるプログラムを無料で実施していたり、毎月のように教授が塾の校舎で学問を語っていたりします。それらをもって、「大学」の在り方を伝えているわけです。
■「塾大連携プログラム:申込受付中のプログラム」(早稲田塾)
■「塾大連携プログラム:2008年度 スーパー プログラム アーカイブ」(早稲田塾)
(↑こちらは、塾生以外の一般の高校生でも参加可能です)
■「大学体感カリキュラム」(早稲田塾)
「アドミッションポリシーを理解した上で大学を選んでくれる生徒を、大学と塾とで連携して発掘したり、育てたりしていきましょう」というのが、こういった取り組みの狙い。
色々な機会に参加していく中で、「こんな先生の元で学びたい!」、「この大学は自分にとって最高だ!」という出会いがもしどこかで得られれば、それはその後の学びを変える、大きな財産になります。
(そんな出会いを果たした友達が身近にいたら、周りの高校生も刺激を受けて、自分の進路を真剣に考えると思いませんか?)
またこうしたプログラムに参加し、大学教授達の指導に直接触れれば、結果的にその大学に進学することはなかったとしても、本人にとっては貴重な体験として残るでしょう。決して無駄にはなりません。
かなり遠回りに聞こえるかも知れませんが、こういったベタな出会いの繰り返しの中から、成功といえる大学入学も実現されるのかなと考えています。
「入試」というより、目指していることはもはや、「中等教育と高等教育の接続」に近いかも知れません。
ついでにこの際ですので申し上げると、マイスターが、大学ではなく、送り出す側の「塾」から、大学の情報を自由に発信できているのは、「こんな塾」だからです。他の予備校では、入試に直結した領域以外の情報発信はまず無理でしょうし、高校でもおそらく不可能です。
「中等教育と高等教育の狭間」で受験生にアドバイスする塾や予備校の人間が、大学を学問で語らず、入試データや偏差値だけで語るから、大学がおかしくなると思っています。
従来なら、大学の魅力を語るのは高校の進路指導教員の役割だったと思いますが、残念ながら高校も有名大学への合格実績を競わなければならない立場になり、それが難しくなってきたようです。
なので、「塾」という遊撃隊的な立場から、自分達なりにできることをやろうと思って、上記のような取り組みを行ったりしているわけです。
それだけに、冒頭の記事のような話を聞くと、
「やっぱり大学は、アドミッションポリシーに沿った生徒がキャンパスにやってくるよりも、とにかく志願倍率が上がる方がいいのか……?」
……と、考え込んでしまったりするのです。
マイスターも元・大学職員ですし、事情はわかりすぎるくらいわかります。
そして繰り返しになりますが、志願倍率も重要な指標であることは違いありません。ただ、重視しすぎるとそれ自体が目的化し、もっと重要な部分が二の次、三の次になってしまう。それが危険なのです。
入試広報における最重要ミッションは、志願倍率を上げることではなく、アドミッションポリシーにあった学生に、やる気を持って入学してもらうこと。
そう考えると個人的には、志願倍率を気にするのはほどほどにして、丁寧に、泥くさい取り組みを行うことも大事ですよね、と確認したくなってしまうのです。
以上、冒頭の記事を読んで、そんなことを改めて考えたマイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。
マイスターさんのおっしゃるとおりだと思います。
国立大学は法人化で変な商売人が理事になってしまっているんじゃないでしょうか?
そんなやりかたしてたら、武士の商法で没落するだけだと思うのですが。
おっしゃっていることは理想論です。
でも、教育に携わる者として、理想は追い求め続けたいと思います。
私はこの記事を読んで、大学がどういう入試戦略の原則を持って活動するのがよいかというより、むしろ「塾」の役割について考えさせられるところがありました。「中等教育から高等教育への接続」、その連携をどう考えるかというときに、「理念」像のマッチングを標準にすることは、なるほど大学と学生双方の利益に結びつく考えだなと思います。ただ、それはできる大学、できる学生の指標なんじゃないかなとも思う。いいなと思っても、欲しいなと思っても、そうはいかない現実がある。そうしたときに、単に数字だけを指標にしないで、どうしたら学生の気持ちを「こんな所にしかこれなかった」ではなく、「あそこはダメだったけど、ここにはここのよさがある」と思わせることができるか、そういういう気にさせる公募方法があるかだと思います。人員を増やすためだけの戦略じゃダメだ、というメッセージは強く共感。貴塾の中-高接続への取り組みにはいわゆる「進学塾」にはない価値があると思います。応援しています。