マイスターです。
学部生時代、大学図書館の、天井が低くて薄暗い閉架書庫の隅っこにある机で、昔の建築雑誌を読むのが好きでした。
大学院には、図書館ではなく「メディアセンター」という名称の施設があり、こちらは自分のノートパソコンを持ち込んで作業できる個人ブースがお気に入りでした。
今日は、大学図書館関係の話題をいくつかご紹介します。
【今日の大学関連ニュース】
■「大学図書館の蔵書、学生が選ぶ 西日本の大学に広がる」(Asahi.com)
大学図書館が購入する本の一部を学生たちに書店で選んでもらう「ブックハンティング」が、西日本の大学を中心に広がっている。ベストセラー小説や旅行ガイド、実用書など、これまでの大学図書館にはあまりなかった本が次々と蔵書に加えられている。インターネットで簡単に資料を調べられるようになるなか、図書館離れを食い止めるとともに、大学の魅力づくりに役立てたいというねらいもあるようだ。
(略)高松大は年間3千冊の購入図書の大半を教員や図書館の司書が選んでいた。年間貸出冊数はここ数年、約1万冊で頭打ち。学生の「もっと読みたい本を入れてほしい」という声を反映しようと、図書館関係者が集う研究会で知ったブックハンティングを導入した。
1月のブックハンティングでは約150冊を購入。数学や経済などの専門書のほか、映画化された「クローズド・ノート」(雫井脩介)、テレビドラマ原作の「鹿男あをによし」(万城目学)などのベストセラー小説がずらり。旅行ガイド「地球の歩き方」なども並ぶ。高杉和代・図書課長は「柔軟な本選びができた。これを機に利用者が増えてくれれば」と期待する。
筑波大大学院図書館情報メディア研究科の永田治樹教授(図書館情報学)は「日本の大学図書館は欧米と違って授業との結びつきが薄く、学生が足を運ぶ回数が少ない。ブックハンティングは、学生の図書館利用の足がかりとして意義がある。学生のニーズを反映させながら、教育に必要な図書を充実させていけるかが課題だ」と話す。
(上記記事より)
大学図書館は、大学での教育・研究を支える「知のアーカイブ」。
一般には入手しにくい稀覯本から、最新の専門書、海外の資料、各種統計まで、様々な情報を司るキャンパス内の専門機関。
図書館の充実度は、大学の学術活動を測る指標のひとつだと、しばしば言われます。
そんな大学図書館にとっては、蔵書数や床面積の拡張なども大事ですが、それ以上に気になるのは、「利用率」だと思います。
いくら図書を充実させていても、学生がほとんどこなかったりしたら、問題ですよね。
もちろん、個々の資料や本を見れば、必ずしも利用頻度の高いものばかりではないでしょう。10年に1回くらいしか手に取られないようなものもたくさんあると思います。だからといってそれらが不要というわけではなく、むしろそういったものを収集・保管し、必要に応じて提供できるという点に、大学図書館の存在意義があると思います。
しかしそうは言っても、学生には、大学図書館に足を運んでもらわないと困るわけです。
図書館とは、偉大な知識と出会ったり、思いがけぬヒントを発見したりする場でもあるのですから、まずは日常的に図書館を利用してもらうような環境を作らないといけません。
あまりに学術と関係ない本ばかりが増えてしまっても困る。
今読みたいと思える本ばかりではなく、「読んでおいて欲しい本」や、「読まないと後で困る本」も手にとって欲しい。
しかしそのためにも、まずは「気になる本」や、「読みたいと思っていた本」も置かなくては……。
上記のブックハンティングの裏には、おそらくそんな葛藤があるのだと思います。
利用率の向上に関する話題を、もう一本。
■「筑波大:図書館離れ防止にスターバックス誘致 /茨城」(毎日.jp)
筑波大(つくば市天王台1)付属図書館に3月下旬、米国のコーヒーチェーン大手「スターバックス」が出店する。大学が学生の図書館離れを防ぐために誘致した。
店ができるのは、最も大きい中央図書館ののエントランスホール。約30席で、BGMの音量を小さくして読書の邪魔にならないよう配慮する。店で買ったコーヒーを持って図書館に入ることはできない。
付属図書館は5館合わせて蔵書が242万点あるが、利用者数はここ数年横ばいで、活字離れに伴う減少を懸念している。植松貞夫付属図書館長は「コーヒーを飲むついでに利用する学生が増え、長時間利用者がリフレッシュできる場所を提供できる」と話す。
心理学類1年の女子学生(19)は「勉強をしていると小腹がすくのでありがたい」と歓迎するが、教育学類1年の男子学生(19)は「学生はコーヒーをしょっちゅう飲めるほど金がない」と冷ややかだ。
(上記記事より)
広いキャンパスを持つ大学では確かに、まずその建物に足を運ばせる、という案も有効なのかも知れません。まちづくりではしばしば使われる手です。
スターバックス一店でどのくらいの効果を挙げられるかは未知数ですが、キャンパス内の人の流れを変えることができたら、一歩前進だと思います。
ちなみに、上記の図書館からは少し離れた地区にあるのですが、筑波大学には「図書館情報大学」を母体とした「図書館情報専門学群」がありますので、既にどなたか調査をしておられるかも知れませんね。
以上、大学図書館の利用率向上に関する話題でした。
ときにアメリカの大学だと、「授業までに、指定された図書を自分で読み込んでおくことが前提で、実際の授業ではディスカッションに時間を使う」なんてスタイルの授業も多いみたいですよね。そういう教育スタイルだったら、そりゃあ嫌でも図書館にも通うことでしょう。
一方、日本の大学では、「参考図書を読んでおかないとその日の授業について行けない」なんて授業は、あんまりありません。
ものすごく根本的なテーマではありますが、個人的にはそのあたりに、問題を考える上での大きなヒントがあるような気がします。
ついでにいうと、最近は大学のシラバスも電子化されていて、web上で閲覧できたりしますよね。授業計画や参考文献リストを授業前に知ることができたりして、とても便利です。
一方、大学図書館のシステムもwebと接続されていますよね。検索によって見つけた図書の位置を確認したり、そのままオンライン上で予約できたりします。これまた、便利です。
マイスターは以前から思っていたのですが、その両方をリンクさせ、オンラインシラバスの「参考文献」をクリックしたら、そのまま大学図書館のサイトのその図書のページに飛び、ワンクリックで在庫状況や予約手続きが行える仕組みだったら、よりいっそう便利になるんじゃないでしょうか。
これなら、シラバスを確認したとき、ついでに予約してみる人も増えそうな気がします。
既にこうした仕組みを持っている大学もあると思うのですが、まだの大学様、いかがでしょうか。
現在、Googleおよび世界の主要大学を中心に、「大学図書館の持つ情報すべてをオンライン化しよう」という取り組みが進められています。
(参考)
■「『学問のすすめ』がGoogle ブック検索で読める、慶大図書館が蔵書を公開」(INTERNET Watch)
■「Googleブック検索 提携図書館」(Google)
こうして図書の多くがオンライン化されていったら、web経由という形で、大学図書館の蔵書に書かれた情報に触れる学生は劇的に増えることでしょう。
今も「webで調べられることしかレポートに盛り込まない」という学生がたまにいますが、現在のところは、これまで人類が蓄積してきた知識や情報のうち、web上で閲覧できるものはごくわずかです。
特にひと昔の資料となると、図書館が担う情報量にはwebはとても敵いません。現時点では、図書館を訪れずに高度な学術知識に触れるというのは不可能であり、「webだけでレポートを書くんじゃない!」と指導をされている教員の方々も、多いのではないかと思います。
大学図書館の利用率低下が問題視される最大の理由は、おそらくこれです。
その意味では、大学図書館の保有する情報の多くがwebに公開されることで、問題の一部は解決に向かうのかも知れません。
(著作権の扱いなど、新たな問題も発生するでしょうが)
もっとも、例えそうなったとしても、大学図書館自体は無くならないと思います。ただ、そのときは図書館の建物および図書館員の方々が担う役割は、今とは少し違ったものに変わってくるのかも知れませんね。
以上、マイスターでした。
※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。
>しかしそうは言っても、学生には、大学図書館に足を運んでもらわないと困るわけです。
現役大学図書館員です。この点について感じることがあります。現在では、オンラインデータベースや電子ジャーナルなど、多くの資料が図書館のホームページ上で提供され、ネットワークにつながる環境にいさえすれば、それらに「どこからでも」アクセスできるようになってきています。開館時間という時間的制約からもフリーですので、「いつでもどこからでも」という環境ですね。ですから、利用者は必ずしも「図書館」という「場」に足を運ばなくても、図書館資源を利用できるし、そういう環境を整えることが図書館の重要な仕事のひとつにもなってきているわけです。日本ではまだ少ないですが、アメリカなどではチャットによるレファレンスも一般化してきており、電子資源を利用しながら、司書に何か聞きたいと思えばチャットで司書と対話ができるということになってきているのです。図書館という「場」は一見「がら空き、、、?」のように見えても、図書館を使っている利用者数は実は多い、という現象が起こっているのです。ですから、今は必ずしも「足を運んでもらう」ことにこだわる必要はない、というのが私たち大学図書館員の認識になりつつあると思います。
それでも私は学生に図書館に足を運んでもらいたい、と思います。
レポートを書いたり調べものをするためなら直接足を運ばずにすむシステムができつつあるのでしょうが、
図書館に実際に来て、本棚を見て歩いて欲しいのです。
本を探したりぶらぶらしているうちにふと目に付いて手に取った本から、今まで全く興味の無かった分野や知らなかった分野への関心を持つ事が多々あります。
自分が狙っている本を利用するだけではなく、偶然の出会いや1冊の本から新しい世界が広がる楽しさを知ってほしいと思います。
大学附属図書館の有用性は、単に数値上の利用率に還元できるでしょうか?
図書館へのスターバックス導入で話題となった筑波大学附属図書館では、図書館の改修に際し、利用率が低いという理由で、五十万冊弱の旧東京教育大学蔵書を三年間のあいだ移動のうえ閲覧禁止にされようとしています。これは「ひと昔」も「ふた昔」も前の資料で、筑波大学附属図書館蔵書の基幹をなす貴重資料群ですが、雑誌を多く含み、また大部の資料も多いことから基本的に図書館内でじっくり読む必要のある資料と言えると思われます。(網羅的なWeb化はまだまだなされていないことはもちろん、そもそもWebで参照し通読しきれる類の資料なのかどうか。Webでの読む体験と書籍を読む体験が等質であるという前提を問題にする必要もありましょう。)その限りで表面上の利用率を引き下げる要因とみなされていることは容易に想像がつきます。これら資料が開架で閲覧でき、知のアーカイブを容易に渉猟できる点が筑波大学附属図書館の誇るべき特徴であったのですが、当面、というより学生がほぼ一回りするあいだ、当の資料を求めて全国から集まった学生は、学ぶことを放棄するか、他の機関に移らざるをえないことになります。その反面、あるいは利用率は上がるかも知れません。分母が減っていますから。と同時に、本を借りずに、図書館という空間で図書を読みふけっていた学生は姿を消すでしょう。
最近の筑波大学附属図書館の一連の変化が、図書館情報大学との合併後、現図書館長の理想的図書館像を実現しようとする試みであることは、その所信を表明した文章に明らかと言えます。もちろん利用率は重要でしょう。しかし、学ぶ者の不在の図書館に何の意味があるでしょう?