「大学全入時代」をどう受け止めるか

マイスターです。

既に多くの皆さんがご覧になったと思いますが、予測に反して、「全入時代」の到来が遅れているという報道がありました。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「『大学全入』持ち越し、景気回復で志願者増・07年度」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070809AT1G0901W09082007.html

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07年度は大学の志願者数と入学者数が一致する「全入」状態になると予想されていたが、志願者が想定より多く、全入時代の到来は来年以降に持ち越しとなった。ただ受験生が集まるのは一部の有名校に限られ、定員割れが続出する大学との2極化は一段と進んでおり、大学経営は厳しさを増している。

大学・短期大学の全志願者数(実数)は77万2000人で前年度比1.0%減。入学者数は0.6%増の69万8000人で、志願者数に対しどれだけ入学できたかの割合を示す「収容力」は90.5%にとどまった。

(上記記事より)

というわけで、何年も前から多くの関係者が意識していたであろう「全入」状態は、まだ来ないということがわかりました。

ちなみに「全入」の定義ですが、あくまでも「世の中の志願者数と入学者数が一致する」という、数の上だけの話です。
「全入」と聞くと、「希望するすべての志願者が大学に入学していく」というイメージを持ってしまいますが、実際には上記の報道にあるように、受験生はどうしても一部の人気校に集まるわけですし、逆に「誰も行きたがらない大学」というのも存在しているでしょう。
大学に進学する方が増えていくのは事実でしょうが、世の中の受験生全員がきれいに日本全国の大学に収まっていくなんてことにはなりません。

ちなみに今回の予測が外れた理由の一つとして、

志願者が年に約5万―6万人ずつ減ると見込んだ試算だったが、実際にはそれほど減らなかった。同省は「景気回復で家計に余裕のできた家庭が大学進学を選んだ」と分析している。

(上記記事より)

という見解が紹介されていますが、この「志願者」の中には、高校の進学率を上げるため、「進学する予定はなかったのに、学校から、『一応受けとけ!』無理矢理受験を勧められた」という人達が含まれていたりしないかと、ちょっと疑ってみたりするマイスターです。

さて、今回の「全入時代はまだ来ない」報道。
個人的にはこの報道自体よりも、これを受けての業界人達の反応が興味深かったです。

ネットを見ていたら、なんだか、怒っておいでの方が結構いらっしゃるようです。
マイスターが見かけたのは、例えば以下のような内容のご意見でした。

「普段から、『全入時代が来る』と言われて、色々な大学改革をやってきた。
上からも、さんざんつつかれてきた。
その根拠は、「全入時代が来るから」だ。
なのに、実態はどうだ、まだじゃないか。
メディアなんていい加減だ。世の中の大学関係者は踊らされすぎだ」

こういったご意見を読むと、普段、大学関係者の間で「全入時代」という言葉がどのような意味合いで使われているか、何となく想像が付きます。
おそらく理事長が教職員を脅す際の文句として、あるいは入試担当部門のスタッフが教員をイベントにかり出すときのお願いの文面として、「有無を言わさぬ根拠」のように使われているのでしょう。
面倒くさいなぁ、と思いつつ、でも「先生、大学全入時代に備えて本学もなんとかしなければなりませんから、ここは全学一丸となって取り組んでいきましょうよ。お願いしますよ」なんて言われると、反論することもできない……みたいな。

そんな様子が想像できて、興味深かったです。

もちろん実際には、数字の上での「全入」が来なかったとしても、やるべきことはそう変わらないはずです。

「進学率が上昇し、これまでなら大学に来なかったような層がキャンパスにやってくるようになる」、あるいは「これまでなら大学が面倒を見る必要が無かったことに対して、今後は、対応せざるを得なくなる」という変化の流れは、相変わらず続いています。

全入かどうかに関係なく、大学は、この変化に備えていかなければなりません。

ですから今年の数字だけを見て、「全入じゃなかった」と怒ったり、逆に安心したりするのは、あまり意味がないのではないでしょうか。

ところで、そもそも世の大学関係者の皆様は、

「進学率が上昇し、これまでなら大学に来なかったような層がキャンパスにやってくるようになる」

というこの事実を、プラスに受け止めているのでしょうか。
それとも、マイナスのこととして感じておられるのでしょうか。

よくよく考えてみると、「顧客層が増える。マーケットが拡大する」ということですから、大学関係者にとっては基本的に悪いことではない、むしろ歓迎すべきことのはずです。

ですが実際には、どうも大学関係者の間では、

「今までやっていなかったことでも、手取り足取り教えていかなければならないのか。もはや古き良き大学教育の時代は終わった」
「嫌々でも、変化しなければ学校が廃れて(つぶれて)しまう」

……のような、マイナスの方向の話として語られることが多いような気がします。
大学の理事長が、「うれしいことに、大学全入時代に向かいつつあります。私たちも事業拡大のチャンスです!」なんて、全教職員の前で挨拶しているのは、見たことがありません。
というか、そんなことを言ったら、教員からブーイングを浴びそうです。

基本的に、組織が拡大するかどうかといったことよりも、
「なるべくなら変化しない」
「余計な仕事を増やさない」
ということの方が、重要と思われているのかもしれません。

もちろん、拡大すればいいというものでもありません。
また、研究の時間をとられてしまう教員の方々がこうおっしゃるのも、とてもわかります。

ただそれでも、マイスターなどは、「これは大学にとって、大きなチャンスでもあるのになぁ」なんて思ったりするのです。
それに、これまで高等教育を受けられなかった層を大学に入れ、ちゃんとした議論や分析をできるようにして社会に送り出すというのは、とても意義あることではありませんか。

以上、冒頭の報道からそんなことを考えた、マイスターでした。

10 件のコメント

  • 「顧客層が増える」のは正しいでしょうが、「マーケットが拡大する」というのはどうでしょうか。マーケットという言葉をどう捉えるかにもよりますが、供給過多になっていく方向を「マーケットが拡大」とは言わないと思います。

  • いつも楽しく拝読させて頂いております。
    マイスター氏が、
    「これまで高等教育を受けられなかった層を大学に入れ、ちゃんとした議論や分析をできるようにして社会に送り出すというのは、とても意義あることではありませんか。」
    とおっしゃっていることに対して、私見を述べさせて頂きます。そのような事に労力を費やすということは、いわゆる成績上位層の面倒をみる時間が削られるということです。高等教育機関としての機能が麻痺するようなことは、できるだけ避けたいというのが教員の本音です。そもそも、基本的な読み書きや議論の仕方などは、小中学校で身につけるべき能力であり、大学教員はそのような初等教育者としての訓練を受けておりません。(つづく)

  • (つづきです)
    単なる商業主義に走るなら、それでも良いかもしれませんが、本当に教育のことを真摯に考えていらっしゃるなら、大学教育を論じる前に、初等教育を論じるべきかと存じます。その意味では、マイスター氏の活動もしょせんは大学という大きな営利団体をターゲットにした金儲けでしかなく、上記のような見解もその金儲けを第一に考えた理想論であると私には感じられます。良い教育と金儲けは、ある意味で相反するものでありますので、真摯に本音を語ろうとすれば、両者が矛盾することは仕方ないことであり、決してマイスター氏を責めているのではありません。我々も同罪です。勿論。私もこの矛盾で悩んでいる一人です。オープンキャンパスで高校生を前に話すとき、いつもこの矛盾が頭をよぎります。

  • マイスターです。
    まずは、いつもブログを書いて力尽きているため、すべてのコメントにお返事ができていないことをお詫びいたします。
    一点だけ、大きな誤解を招くといけないと思い、お返事させていただきます。
    特命脂肪さま>
    貴重なご意見、ありがとうございます。ぜひ、今後の参考にさせていただきます。
    その上で、誤解のないよう、ちょっとだけお返事させていただきたいと思います。
    まず、おっしゃるように、本来なら基本的な学力は、大学以前に身につけるものです。私も特命脂肪さまと同じで、その責務すべてを大学が担うべきとは考えておりません。
    ただ、「初等中等教育が担うべきだ」と主張するだけでは、現状は何も変わりません。私も特命脂肪さまと同様、子供達の前、つまり「現場」で働いている身ですが、自分が動くことでしか世の中は変わらないという認識でおります。その前提で、「前向きな見方で考えてみませんか」と申し上げたかったのです。
    我々がどう思おうとも、「成績上位層の面倒をみる」=「高等教育機関としての機能」という構図が、すべての大学で成立するということはもうありません。とすると何が必要なんだろう……と考える人がいてもいいのではないか、そう思ったのです。国全体についての意見や、初等教育についての意見は大事にしておりますが、今回の記事は、大学の現場で働いている方々についての意見だと思っていただければと思います。
    今は、大学関係者の認識が、あまりに固定的になりすぎている気がします(これはきっと、すべてを悲観的に報じるメディアにも責任があるのでしょう)。しかしこれまでも今後も、入学してきた学生に大学が対応しなければならない事実は変わりません。ならば、建設的な議論をした方がいいかなと思い、私見を述べさせていただいた次第です。
    ただ、皆様の普段の苦労を無視した発言と感じさせてしまったのだとしたら、大変失礼いたしました。
    そして、こちらが特に大きな誤解だと思うのですが、「これまで高等教育を受けられなかった層を大学に入れ、ちゃんとした議論や分析をできるようにして社会に送り出す」ための仕事を、すべて従来の教員が担う必要はまったくありません。
    このブログが「俺の職場は大学キャンパス」という名称であったときからこのことは大きなテーマとして何度か申し上げてきたのですが、これからは、すべてを教員(研究者)が担うべきという発想では、大学教育は行き詰まります。
    大学はそろそろ、従来の「教員」と「職員」だけではなく、基礎教育を行うスタッフ、それを支えるスタッフなどと、新しいスタッフを生み出していってもいいのではないでしょうか。
    これについては、「大学行政管理学会」を始め研究が進められておりますし、アメリカの大学では高度に実践がなされていますので、ご関心があるようでしたら、研究&実践事例を探してみてください。
    これからも、ご批判も含め、色々なご意見をお待ちしております。
    どうぞ宜しくお願いいたします。

  • マイスター様、
    私ごときの稚拙な私見にご返事を下さり、ありがとうございます。たしかに私も誤解していた点がありました。教養部が解体されて久しい現在、そのような役割分担が本当に実現するのかどうか懐疑的にならざるを得ませんが、ゆとり教育の見直しのように、教養部解体も見直されれば良いと願うのみです。ただ、たとえ教養部が復活しても、マイスター様がおっしゃっているような(リメディアル?)教育を担う能力のある教員がほとんどいないという問題があると思います。そのような人材の育成を考える時が来ているのでしょうか。もしそうなら、小中学校の教員とどこが違うのでしょうか。

  • 大学に入学させたのだから、その責任は大学にあります。教員にとっては仕事が増えるというふうに思われている。もはや大学は大衆化したのだから、高校成績の優秀者だけが教室にいるのではない。
    大衆化している米国の大学と日本の大学との違いは、成績判定にある。
    コミュニティーカレッジでは2年で卒業するのは10%台である。
    リメディアル教育は、大学の卒業単位としては認めないのが一般的であるが、日本ではそれを卒業単位に入れざるを得ない状況がある。
    専門分野の基礎となる学問を教えるのが大衆化した大学には必要なのではないか。

  • 地方の私立大学事務局長を引き受けたときに『この大学に入れて4年間保護し教育し、若干でも教養を身につけさせなければならない層がある』と学長に言われました。『入学する子はビタ一滴も選良ではありません』とも。
    三角形の上を目指す子らの、その上澄みだけを掬っていたら、こんなラクな商売はありません。そもそも年間100万も払うお客様を試験で選ぶ、なんてのは言語道断でしょう。
    入ってくる子らの能力に少しでも付加価値を付けて社会に送り出す。これも大学の立派な使命であり、なかなかロマンのある商売だと思います。

  • 入学させたからには責任をもって面倒を見るべきであり、少しでも付加価値を就けて社会に送り出すのがその責務であるという2点について、私は全く賛成です。ですが私は幼児教育の訓練を受けたことがないので、正直言って戸惑っております。人が何にロマンを見出すかは自由ですが、少なくとも私には何のロマンも感じられません。ただ、お金をもらっているからには義務だけは果たさなければいけないという使命感のみです。田舎局長様の感じておられる使命感とは違うかもしれません。

  • 匿名脂肪さま
    『幼児教育』とは、イヤなかなか手厳しいですね。まあ、とにかく高校は出ている、あるいは大検は通ってる、子らですから。振る舞いは幼児並ですけれども。
    自分自身が決して優等生ではなかったもので『一応大学を出た』ことも、長い人生で無意味ではなかったと今は思っています。
    18歳からの四年間、多少なりとも知的な雰囲気の中で無事に歳を取らせてやるサービス業、いや、これは私が勤務している大学だけかもしれませんが。うん、これでも結構燃えています。
    高級フレンチの店でも、大衆食堂でも、やりがいあります。顧客に満足してもらえる喜びもあります。それぞれ世の中には必要だと思います。
    卒業式のときの顔を見ると、ああ、入学した頃とは随分変わったなあ、大人になったなあ(当たり前ですが)。それに多少なりとも成長に寄与できれば、というのが私のささやかなロマンです。

  • 田舎局長様の熱さ、私は好きです。大学改革について様々な大学を訪問させていただいている小生ですが、改革をリードしているのはいつも、田舎局長様のような熱い方ばかりです。その信念と希望は周囲を巻き込み、改革を成功させる原動力であると感じるようになってきました。