今年も応募者多数 東洋大学「現代学生百人一首」

マイスターです。

入選作が発表されると朝日新聞の天声人語などの各新聞コラムを中心に各方面で取り上げられることが多く、第一生命のサラリーマン川柳、住友生命の創作四字熟語、日本漢字能力検定協会の今年の漢字、自由国民社の新語・流行語大賞と並んで、現代の世相を反映する一つの指標として使われることが多い。

……という説明を見て、これが何のことだか分かる人は、普段からちゃんと新聞を読んでいる人かも知れません。

そう、東洋大学が1987年から行っている、『現代学生百人一首』のことです。

(上記はwikipediaによる解説(2007.2.2現在)です)

ちょっとご紹介が遅くなったのですが、その第20回の入選作が先日、発表されました。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「第20回東洋大学『現代学生百人一首』入選作品発表!!」(東洋大学)
http://www.toyo.ac.jp/event/issyu/
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■「第20回東洋大学「現代学生百人一首」入選作品100首および小学生の部10首発表」(東洋大学)
http://www.toyo.ac.jp/event/issyu/nyusen_20.html

まずは上記のページから、今回の入選作をご覧ください。

都道府県別に、北から並んでいるとのことです。

………いかがでしたでしょうか。

新聞ではよく「瑞々しい感性」などと評されますね。

学園の風景が目に浮かぶような味わい深い表現があったり、
鮮烈な言葉にハッとさせられたり。

ユニークな例えに思わず笑顔にさせられたり、
社会への鋭いまなざしに、うむむと唸らされたり。

マイスターなどは読んでいると、頭の普段あまり使っていない部分が目覚めたような気分になります。

この『現代学生百人一首』の魅力は、

「……自分も確かにそういう感覚を持っていた!」

と心の深い部分で共感できる部分と、

「なんと、今の若者達はそんな風に社会を感じ取っているのか!」

と驚かされる部分の、両方に触れられるところではないかなとマイスターは思います。

進路指導で悩んだり、「夢」の大きさをもてあましたり、大人と子供の境界をかいま見て焦ったり……そんな経験はいつの時代でも共通です。自然の美しさや日常の喜びを率直に受け止める感覚も、誰もが持っていたものですよね。
一方、「ニート」「履修漏れ」「防犯ブザー」等からは、現代の若者達にとっての「世界」が自分達のときのそれと違うんだということが感じられます。

現代の若者達と、自分。同じようでもあり、違うようにも思われる。そんなもやもやした感覚全部ひっくるめて、おもしろいなと思うマイスターです。

さて、今回は全国から、なんと60,759首の応募があったそうです。
この応募者数の多さ、知名度の高さに貢献しているのが、メディアの紹介。
冒頭でご紹介したwikipediaにもある通り、この『現代学生百人一首』、とにかくメディアによく取り上げられるのです。

■「現代学生百人一首:命への目線、みずみずしく--入選作発表 /東京」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20070123ddlk13040377000c.html
■「『現代学生百人一首』入選作発表、未履修やニート題材に」(NIKKEI NET)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070115STXKB027315012007.html

確かにこの『現代学生百人一首』の入選作品達からは、今という時代のあり方、社会の様子がかいま見えます。どんな社説やエッセイよりも、鮮烈に世の中を映し出しているように思えます。
大人達が、学生の目を通じて自分たちのいる社会を再認識する。そんな役割を、この『現代学生百人一首』は果たしているのかも知れません。

そんなわけで頻繁に取り上げられ、応募者数も増え、傑作が集まる。
この『現代学生百人一首』、大学が主催しているコンクールの類としては、最も成功しているものの一つではないでしょうか。

学校をあげて取り組むところもあると聞きます。
(東洋大学も、学校単位で応募できる用紙をちゃんと用意しています。おそらくそういうご要望が過去に相次いだのでしょうが、流石です)

それに、東洋大学は哲学の学校を発祥とするユニークな大学なのですが、そんなアイデンティティーともマッチしていますよね。
ムーミンと並んで、東洋大学の強力なPRコンテンツだと思います。

個人的には、ぜひ今後もずっと続けていって欲しいです。

最後に、ふと思ったこと。

入選作では未履修やいじめなどの社会問題が多く詠まれたが、選考委員は「怒りややるせなさがほとばしるような若者本来の力強さが薄かった」と評した。
(「『現代学生百人一首』入選作発表、未履修やニート題材に」(NIKKEI NET)記事より)

自分もついさっき同じようなことを書いたばっかりなのですが、こうして「怒り」や「やるせなさ」という役割を演じることをついつい若者に押しつけ「若者本来」の姿として強いてしまう私たち大人の性質もまた、若者にとってはやっかいなんでしょうね、きっと。

そう言えば自分もかつては「若いからって、無条件にさわやかさとか無鉄砲さとかを期待しないでよ」なんて感じていたなぁ……と今、思い出しました。

入選作品を読んだ後だからか、そんなことに気づいて複雑な気分になり、普段の自分を反省したりするマイスターでした。