マイスターです。
日本の医師教育にとって大きな変化、になるかもしれません。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「都がメディカルスクール創設検討 “医は心”育成目指す」(SankeiWEB)
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/061220/wdi061220001.htm
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臨床能力に優れた医師の養成を目的に東京都が、文系など医療分野以外の学部卒業生が入学できる4年制の医師専門職大学院「メディカルスクール」の創設に向けた検討に入ることが19日、分かった。米国の制度にならうもので、幅広い教養を身につけ、人間的にも成熟した医療人の育成を目指す。卒業後は、医学部生と同様に国家試験を経て医師になることが想定されている。
同制度は文部科学省で議論が続けられているが、自治体レベルで検討に乗り出すのは初
(上記記事より)
大学関係者にはよく知られていることですが、アメリカでは医師を目指す場合、まずどこかの大学で4年間の学士課程を終え、大学院段階から医学の専門教育を受けることになります。「メディカルスクール」と呼ばれる、医療専門大学院です。
(※大学院の前までに、生物学関連の所定の単位を取っておくことや、プレメディカルと呼ばれる準備教育の受講を求められることが多いようです)
かの国では、日本と違って学部段階の「医学部」は一般的ではないのですね。
そんなアメリカのメディカルスクールに倣った医療大学院の創設を、東京都が検討しているとの報道です。
都立11病院の医師を統一的なカリキュラムで育成する新たな研修制度「都立病院アカデミー」など、都独自の取り組みが既に色々と進行しているようですが、おそらく今回の医療大学院も、そういった改革の一環として位置づけられるのでしょう。
個人的には、教員や法曹と同様、医師にも多様なバックグラウンドを持った方がいてくれるのが望ましいと思っておりますので、メディカルスクールという新たなルートが増えることには賛成です。
他分野の学問を修める中、あるいは社会に出て働く中で、何らかのきっかけを得て「医療に従事したい!」と強く考えるようになる方々はいると思います。
もちろん意欲だけで良い医者になれる訳ではありませんが、少なくとも良医の条件の一つは満たしているわけです。そんな方々を一人前の医師として送り出すための機関としてメディカルスクールができるのは、良いことだと思います。
もちろん、文系出身の方には、(アメリカのプレメディカルがそうであるように)ちゃんと生物学や化学などをみっちり学んでもらうことが前提です。
ところで、この記事の中で、
都が構想するメディカルスクールは、受験戦争を勝ち上がった“偏差値エリート”よりも「人」を診るために豊かな教養と目的意識を備えた人材を育成することが主眼
(上記記事より)
……というのは、具体的にどういうことなんだろうなと、ふと考えてしまいました。
入学段階で面接を重視するということなのか、あるいは入学後に「豊かな教養と目的意識」を育てる教育をするということなのか。だとすれば、それはどういった内容なのか。(マイスターが素人なりに思う浮かぶのは、例えばへき地医療機関へのインターンシップを義務付けるとか……でしょうか?)
詳細が発表されたら、そのあたりをじっくり見てみたいです。
それともう一点、ちょっとだけ引っかかったところが。
現在の医学教育のあり方や、偏差値主義の学部選びにも問題がないわけではないでしょう。
しかし医学部を卒業した現在の医師達が、
「人を診るための豊かな教養と目的意識を備えていない偏差値エリート」
ばっかりかというと、必ずしもそういう訳ではないんじゃないでしょうか。
現職医師に「心」が足りないというのなら、それは医学部の教育だけでなく、そういう状態に追い込まれてしまう労働環境にも原因があるのではないかと思います。
ですからマイスターは、メディカルスクールの創設と同時に、
○医師たちの労働環境に問題はないか
○医師たちの能力を高めるための制度が充実しているか
○意欲と能力のある医師が、存分に活躍できるような環境が整えられているか
○薬剤師や栄養士などを交えたチーム医療がちゃんと機能しているか
○病院を始め、各医療機関のガバナンスや予算配分などに改善の余地はないか
……といったことについても、検証と改善を進めていくべきではないかと考える次第です。
高い意欲や能力も、それを伸ばし、活かせる環境がなかったら力を発揮できませんよね。これって教員養成における教育学部の役割と似ているように思います。
「高い能力と目的意識を持ち、人格的にも優れた教員」を養成するために、大学の教育学部が果たす役割は、言うまでもなく非常に大きいです。
しかし卒業して赴任した学校が、膨大な雑務のため、子供達に向き合う時間を十分確保できないうな職場だったら、せっかく大学が伸ばした資質も生かされないままです。
どちらか一方だけでは効果を発揮しない、車の両輪みたいなものです。
メディカルスクールで優れた医師を育成するのもすばらしいことですが、現職医師が十分に力を発揮できる改革も同時に進めていけば、なお良い結果が出ると思います。
と、ここまであれこれ書かせていただきましたが、今回の報道はまだ「検討に入る」という内容に過ぎません。文科省がこの構想をそう簡単に許可するとも思えません。
今後どのような展開を見せるのか、興味深いところです。
以上、マイスターでした。
はじめまして、匿名で失礼します。
『東大阪大学は、間違った「お詫び」をしてはいけない』を拝見させていただきました。
私もマイスターさんと同じく、このことに関しては疑問を抱いていました。どうして学長がこのように謝罪するのだろうと。
そこで推測したのですが、事件に関わった学生たちは、実はAO入試などの推薦で合格したのではないでしょうか。いまやBFランクの大学は、入試を免除する推薦での生徒が大半を占めています。
一般試験なら事前に人格を見ることはできませんが、推薦では事前に面接があります。そこで、事件の当事者がどのような人物であるかを把握しておきながらも通してしまったのですから、この場合だと大学に非を求められても仕方ありません。それに彼らは「こども学部」の生徒ですから、なおさらです。
これは、その問題点は、教員の偏差原理を選択することがないがないわけでは医学教育の現在の状態は、する必要があることを右されます。