ある「就職サポート団体」に思うこと

マイスターです。

最近、いろいろ考えさせられる話を聞きました。
それは、「就職サポート」を売りにする、ある学生団体(?)の話です。

その団体は、大学生達に対して「就職を勝ち取る」ための様々な事業を展開しています。たとえば大学3年生向けのセミナーを企画する等ですね。

で、その団体が主張している内容が、少々極端(少なくともマイスターはそう感じた)なのです。
簡単に言うと、どうも

○就職の面接で自己アピールするためには、「他の学生と違う」体験をしていることが重要だ。

だから、「どういう体験が面接でウケるか」を考え、それに沿った学生生活を送ることに務めよう。

という「教え」のようなのです。
例えば、

面接に勝つため、「変わった経験」談を作ろう。

若者らしく、「体力に任せた」「ちょっと無茶な」「でもちゃんと計画も立てないと実行できない」体験が面接で受けそうだ。

よし、「100kmハイク」にしよう。今週中に決行すれば、来週の○○社の面接には間に合うぞ。

てな感じです。
マイスター自身はこのセミナーに参加したことがありませんが、参加した学生は、上記のようなことを聞いて目からウロコが落ちたと熱く語るとのことです。

で、マイスターは、うーんと考え込んでしまったのです。

正直言って、上記のような考え方には、強い違和感を覚えます。正直、どうかと思います。
だって、4年間思う存分やりたいことをやって、それを聞いた企業が「君みたいな学生が欲しい」と思うというのが、本来の就職活動でしょう。でもそうではなくて、「就職を勝ち取るための行動」を、マーケティングのように逆算して行うというのです。「ゴールのために、最短距離を走ることを第一に考えよう」という発想ですね。
大学受験に関係ない科目の授業を行わせなかった高校に似た考え方を、なんとなくここに感じてしまうのです。

どうかと思う理由はそれだけではありません。これをやられてしまうと、本来の「面接」の役割が機能しなくなります。
自分が企業の採用担当者だったら、こんな就職活動をされたら、大いに困ります。

企業が面接を行うのはどうしてでしょうか。それは、自社の社風や業務に合う人材かどうか、総合的に判断したいからです。
どんなに優秀な学生でも、実際に働くとなると当然、様々な面で「合う」「合わない」が出てくるものです。

マイスターの知り合いに、なかなか頭が良くベンチャー精神もある男性がいました。彼は「リ○ルート」社への入社を希望していました。何度も面接を重ねて好感触だったようなのですが、すっかりうち解けて、面接官(現場でばりばりやっている社員)と会話をしている中で、ぽろっとこんな言葉をこぼしたのです。
「事業というのは、あくまで計画を立て、冷静沈着に行うことが大事です。体育会系的な、勢いだけでガンガン突き進むノリは、あまり好きではありません」
そして、その男性は同社への面接に落ちました。リ○ルートは戦略的かつ独創的な事業を展開し、ベンチャー起業家を多数輩出している企業として有名ですが、実は、時に体育会系的なノリを辞さない社風でもあるのです。
しかし、彼がもし面接で自分を偽り「体育会系的なノリにも耐えられます」と言って入社を「勝ち取って」いたら、入社後、彼にとっても会社にとってもお互いに良くない結果になっていたことでしょう。リ○ルートの面接官は、ちゃんとそれを見抜いたのですね。
結果として、双方ともに、不幸な事態は避けられたというわけです。

面接は、「優秀な学生」を選抜するための行為ではありません。「会社に合う学生」を探すためにやっている行為なのです。
「面接に通る」ことだけを目的にして無理矢理エピソードをつくっても、後で本人が後悔するだけです。
冒頭のようなアドバイスは、「就職アドバイス」ではあるかも知れないけれど、キャリアサポートではありません。マイスターが違和感を覚えるのは、おそらくその辺のギャップを感じてしまうからです。

ただ……こういった理屈は、「最終的に、どこか自分にあった職場を見つけられる」という前提に立った意見であることも、重々承知しています。学生本人からすれば、苦労するとわかっていても、どうにかして内定を「勝ち取り」たいと思うのは無理のないことです。合理的な方法をとって何が悪い、と言われたら、言葉を返せません。
それに手段はどうあれ、学生が何らかの体験を通して成長し自信を身につけられるのであれば、多少強引にでも(上述した100kmハイクのような)行動を起こすことにだって意味がないとは言えません。
例えば、「大学の知名度や偏差値レベルがさほど高くない」というコンプレックスを持っていて、戦う前から自信を喪失してしまっているような学生が、こういった「体験」をきっかけにして堂々と自らの体験を語れるようになるのなら、それはそれで評価できます。
それに、別にこの団体は、「大学の授業をさぼって自己PR用のエピソードをつくろう」とまで言っているわけではないようでしたから、その点では高校の履修逃れ校問題とも違いますし……。

だからマイスターは違和感を覚えつつも、果たして冒頭のようなアドバイスを一概に否定していいものかどうか……と、複雑な気分になったのです。
そもそも今は、大学に入学すると同時に大学当局が「早いうちに計画的に資格をとっておきなさい!」といった指導をする時代です。大学がやっていることと、冒頭のような就職サポート団体と何が違うのかと言われたら……微妙ですよね。

そんなことを考え、もやもやするマイスターなのでした。

10 件のコメント

  • 私は地方の短大の教員をやっている者です。多くの短大でそうであるよう高校訪問やら、進学説明会やら営業活動に力をいれて(奪われて)おります。
    そんな場では、正直なところ、「そんな資格は役に立たないよ」とは営業上いえません。
    資格とは言っても別に国家資格でなければ大してい見ないですしね。
    高校生は高校生で、努力しなくても取れる資格にとっても魅力を感じてるらしく、そんな意味のない資格が増殖してしまう昨今です。

  • 2008年度卒業予定の就活学生です。
    しかも大学事務志望です(笑)
    私としましては、何年もの苦労(就職後のミスマッチ)より数ヶ月間の苦労(就活)のほうがいいや、と思うので、面接で「会社と合わない」という判断が出来ることは歓迎です。
    そして、大学にとって学生が顧客であり、学生にとっては自分自身が社会に対する商品である、と考えているので、大学時代に社会で通用するスキルを身につけることは大学の役割と学生の入学目的からして否定はしません。(大学の目的は、と考えると「教授が好きなこと研究する場」にもみえますが><)

  • 続きです。
    ただ、就活生として、企業側から「合わない」という判断を下されたときに何の根拠でそのような判断にいたったかを知りたいです。
    その根拠ですが、何人もの社会人に聞いた話をまとめると、「話す内容がきちんとしていることは当たり前、話す雰囲気が大切」だそうです。
    「学生が話すことはみんな同じだけど、話しているときの雰囲気でその人がどういう人か分かる」ということです。

  • まだまだ続きます(汗)
    うーん。
    にこにこ笑えば良いのねー!
    元気に挨拶すれば良いのねー!
    と、多くの就活生は考えています。
    雰囲気なんて不確かなものに就職を左右されてはかないませんから。
    わたしは、学生が「企業が求める人材像」に自分を合わせることよりも、採用基準と方法において透明性が低い企業側の問題点が気になります。
    それ以上に相次ぐ不祥事が気になります・・。
    以上、就活生でした☆
    PS・大学職員になるためにアドバイスいただけたらうれしいです><;

  • >しゅう様
     某国立大学法人事務職員です。
     残念ながら、これから大学職員になる方への適切なアドバイスを持ち合わせておりません。
     当方の採用時は法人化前であり、国家公務員試験に内包されておりました。現在の各地区の統一試験と似ているところは多々ありますが…
     なってからのことならかなりアドバイスできるのですが…
     とはいえ、国立大学法人についてわかる範囲で…
     東京大学の独自試験を除けば、面接の際に突出する方はどちらかといえば疎まれる可能性は高いです。
     これは面接をする部長、課長さんの頭が公務員時代のまま進歩がないからです。もちろん全員ではありませんが…
     先日、東京大学の上杉理事にお会いした際にもこの点(面接のことでなく、部課長の頭が古いままだということ)は強くおっしゃっていました。

  •  当方は、うちの大学の人事課任用係長を現職、前職の二人とも知っています(同じ部屋で働いたことがある)が、頭がともかく古いです。
     特に前係長は…「最近は中途で申し込んでくる奴ばっかりでつまらない」と公然と言い切りましたから…
     いまだに大学に現役で入って4年で卒業した22歳の人が最良だという浅はかな発想ですね。
     現係長には「新人さんがなるべく辞めないように優しくしてあげてね」とか言われました。
     上意下達の仕様もない組織体系を残しておいて何を言っているのか。自分よりも明らかに能力の劣る上司がふんぞり返っていれば多少なりとも神経がおかしくなるってもんです。
     上に口を出す人や個人プレーが好きな方は一般的にいって採用担当者からは嫌われます。この点は時代遅れ地方自治体と同じですが…(東京23区のように中途採用でも最短39歳で課長になれるように改革しはじめた、覚醒した自治体もありますが…)

  •  若干話は変わりますが、2010年3月の第一期中期目標・中期計画完了を期に国立大学の大部分が苦境に立つのは間違いありません
     よって、あと3年、悪くても5年以内に現在学部(私立大学の方の考えでいうところの「大学」)が抱えている仕事の8割は外注化される…というかしないともちません。
     そして、本部事務局(おなじく私立大学的に言えば「法人本部」)への業務集約化を同時に行い、事務局と学部の二重事務を解消する必要があります。
     これをもって、「大学」は非定型的な日常業務とそれをヒントにした企画立案、計画実行する組織へと鞍替えする必要があります。
     つまり、教員、学生を第一ステークホルダー(第二、第三のステークホルダーは受験生や父兄、卒業生、地域住民、共同研究相手先企業、地元自治体、他の研究教育機関など各大学の方針によって変わると思いますが…)とする組織へ名実とも転換するべきです。

  •  現在、国立大学法人では、職員が職員のために仕事をしてお金をもらっている(年末調整、出勤・欠勤管理、給与、手当認定、出張など)部分がかなり多くあります。
     が、管理部門に人、モノ、金をこんなにも多く回し過ぎている組織は潰れます。
     ですが、多くの職員は、この単純なルーティンワークに慣れている。この程度の仕事をして給与も地位も保証され、定期昇給もし、そこそも昇任もしますから…
     この状態から脱却するには人材が必要です。
     その点からすれば、東京大学が独自試験を行っていることは脅威です。個人的にはそう思います。
     頭の悪い人事担当者は笑いながら傍観して、「統一試験合格者から採用すれば十分」などと寝言を吐きますが…
     しかし、今後優秀な人材の奪い合いになっていくのは目に見えてます。

  •  長くなりましたので、しゅう様のためにまとめます。
     やる気がある。つまりルーティンワークなんて糞食らえだと思っている方だという前提で書きますが…
    1.採用段階では「突出した奴」だと思われないほうが身のためでしょう。
    2.ただし、採用後は、ここ数年で実力主義に移行するのは確実ですから、周りにいるルーティンワークバカはほっておいて自己研鑽に励みましょう。
    3.大学という劇団(舞台や映画、ドラマと言い換えてもいいですが)の俳優は教員と学生です。ですが、衣装、大道具、小道具、メイク、音声、照明などの役割の担う事務職員「も」プロです。技術力に応じて「今後は」差が付きます。

  • それでは、採用後に…
    国立大学マネジメント研究会
    大学行政管理学会(研究会には参加、入会は検討中)
    大学評価学会(現在推薦者探索中)
    ブログ 大学職員network(推薦者が見つかったので近日参加予定)
    などでお会いしましょう。
    ご健闘をお祈りします。