マイスターです。
・大学が導入に消極的な「飛び級」制度 年齢制限は何のため?
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50250534.html
きちんとGPA制度が機能し、厳格に学習状況を管理できる大学なら、上記のようなことは可能だと思います。
ちゃんとしたGPAというのは、例えば○学期中のGPAが2.0を下回ったら、次学期は数科目しか履修を許可しない
(逆に、3.5を上回ったら、次学期は通常より多い科目の履修を許可)
○連続でGPAが一定ラインを下回ったら、退学……といったルールを備えているGPAのことです。
(本来のGPAはこういったシステムであると思うのですが、日本では成績をポイント化する試み、くらいにしか思われていないようです)こういうシステムがしっかり機能していれば、18歳だろうと25歳だろうと、15歳だろうとシニアだろうと、誰が来ても怖くない……はずなんですよね。
15歳でもGPAの数値を高い状態で維持しばりばり単位を取っていく学生であれば、何も問題はありません。人より早く卒業していただいても良いくらいです。
逆に20歳以上でも、GPAの数値が低迷し、しょっちゅう履修制限がかかるような学生は問題です。5、6年かけて学ばせる必要があるかも知れません。現在の多くの日本の大学はこういったシステムを持たないから、「18歳に満たない学生は、学力の上で不安が残るが、大丈夫か」といった結論の出ない議論に終始し、結局何も変えられずにきているのではないでしょうか。
昨日の記事で、↑このようなことを書かせていただきました。
ついでですので、これに関連することとして、普段から疑問に思っていることを述べさせていただこうと思います。
それは、「卒業判定会議」。
これ、一体何のためにやっているのでしょうか?
卒業判定会議というのは、その名の通り、卒業できるか否かを教員達が審議する会議です。マイスターの勤める大学では、学部4年生の2~3月に行われます。
学生は、卒業に必要とされる単位をすべて集めていたとしても、形式上はまだ卒業が確定したわけではないのです。この卒業判定会議が終わった後で、はじめて「卒業確定」となるのです。
ただ、もちろん実質的には、卒業論文を含め必要な単位をすべて習得している学生であれば間違いなく卒業はできます。
では、一体、何のためにこんな会議を開いているのか?
それは、ごく簡単にご説明すれば、例外を作り出すためです。
具体的に言うと、「卒業があやうい学生」を救済するためです。
卒業判定会議では、単位が足りずこのままだと卒業ができない学生のことが審議されます。
指導担当教員が
「彼は、実家のおばあちゃんの介護に追われてしまって、今年は勉学に集中できなかったみたいです。でも、論文は非常にまじめに書いていたし、学業に対する姿勢も良好です。ひとつ、先生方の温情措置をいただければと思うのですが、いかがでしょうか」
……みたいな発言をしたりするわけです。
で、周囲の教員達が「それは気の毒だ。教育的配慮が必要だ」と賛同し、結果的には再試験や、レポートの追加提出などを行うことで、なんとかその学生が卒業にこぎつけられるようにするのですね。
自分が学生だった頃は、こんな会議が行われているということすら、実は知りませんでした。
大学職員になって、はじめて「そんな議論がされていたの?」と驚きました。よくよく話を聞いてみると、他の大学でも、こういった会議が行われているところが多いようです。(もちろん、やっていない大学もあると思います)
しかし、この制度も、なんだか不思議だと思いませんか。
だって通常、学生には、学則その他で「卒業要件」というものが具体的に示されているわけです。
「この分野から○単位、この分野から○単位、専門科目を○単位、合計○単位を修得することが卒業の条件である」と、これ以上ないくらいに具体的な形で、示されていますよね。
だったら、
この条件を満たしたら卒業可能、
この条件を満たせなかったら卒業不可能、
でいいのではないかとマイスターなどは思うのですが、それではダメなのでしょうか?
ちゃんとルールが運用されているなら、会議など開かなくても、単位の状況次第で、卒業できるかどうかは自動的に決まってしまうと思うのですが。
こう書くと、
「たった2単位かそこらがないために、もう1年分の高い学費を支払うのは、本人やご家庭の負担を考えると気の毒だ。」
「2単位をとるためだけに、1年という時間を過ごすのは、本人にとって本当にいいことだと言えるのだろうか?」
といった疑問を呈する方も出てくるでしょう(半期卒業が認められている大学では「1年」のところが「半年」に置き換えられます)。
マイスターも、以前はなんとなくそう思っておりました。
でもこれ、考えてみたら、発想の順番が逆ですよね。
「卒業要件を満たせていない学生は卒業させない」というのは、教育機関が絶対に死守するべき、コアの部分のルールであるはずです。
これに関して例外を作ることは、社会に対する背任行為だとすら、マイスターは思います。ですから、ここは、何があろうと守らなければならないのです。学費などが、例外を作る理由になってはいけません。
もし、たった2単位のために1年間ないし半年分の学費を納めさせることで、学生の負担が大きくなると言うのなら、はじめから単位従量制の学費システムにすればいいことです。それに、各種の奨学金もありますから、大学が運営する奨学金を優先的に配分するなどしてもいいでしょう。
また、「2単位のために学生に無為な時間を過ごさせるのは気の毒…」と言っている人の大学に限って、半期卒業を認めていなかったりします。休暇期間中の短期集中講義なども含めて、「必要な単位をそろえた時点で卒業」でいいのではないでしょうか。
(っていうか、たった2単位なら、就職先によっては「2単位だけ足りないので、半年間、この曜日のこの時間だけ、大学に通わせてください。あとの時間はまじめに働きます。」といった交渉に乗ってくれるところもあるような気がするのですが、どうなのでしょうか。実際、マイスターの以前の職場には、そういう方がいたのですが。
日本では、企業もお決まりの新卒一斉採用・一斉入社しか、人材獲得の方法を知らなかったりしますから、聞いてくれないところがほとんどなのかな?)
「正しい学業のあり方、理想的な学びのあり方」というものが最初にあって、それにあったシステムを作るというのが、発想の順番としては正しいはずです。
にもかかわらず、「単位は足りないけれど、1年(半年)間の学費を払わせるのは忍びないから、温情措置を」といった判断がなされていることについて、マイスターはどうも違和感を覚えるのです。順番、逆でしょうと言いたくなるのです。
また、そのわりに、「学費や学期の扱いを変えよう、議論しなおそう」という動きが日本であまり活発でないのも、不思議なのです。どの大学も相変わらず、基本的に学費は半年ないし1年単位で、横並びなままです。どうして、誰も変えようとしないのでしょうか。
ついでに言うと、「学生がいつでも卒業していく」というシステムが日本の大学で広まっていけば、企業の側の採用活動もそれにあわせて変わってくると思います。新卒一斉採用試験を批判する大学人は少なくありませんが、まず大学から変わってみるというのも手ではないでしょうか。
以上、「卒業判定会議」って変じゃない?というお話しでした。
世の中には、「よく考えるとおかしいんだけど、あまりに長い間、当たり前のこととして実行されてきたので、もう誰も疑問に思わなくなってしまった」というものがいくつもあります。卒業判定会議の存在も、そんなものの一つではないかと思います。
「卒業判定会議」ひとつとっても、よくよく考えてみると、日本の大学が抱える制度的な問題が見えてくるのではないかと思います。
以上、マイスターでした。
うちの大学にも卒業判定会議がありますが、ニュアンスが少し違います(実質は同じかも知れません)。うちの場合は、個人的事情は一切出ず、あと数単位であることと、現在指導中(補講、レポートなど)で、3月までに単位取得が確実であるということを、学科主任が述べ、実際に3月中に単位が認定された場合だけ、3月31日付けで卒業となります。
少なくともうちの学部ではないですね。
マンモス大学だからでしょうか?
単純に取得単位数の積み上げで、
卒業用件に満たないという理由での
追試制度もありません。個人的にOB職員から
先生に依頼という名の圧力はたまにあるようです。
と言うのも内の大学の職員、管理職以上の
年齢の方々は、ほぼ全員運動部出身なんです。
その意味では腐ってますね。
大学というのは日本社会の保育器ですからねえ。
学生の年齢に幅出てくれば、大学の在り方も必然的に
変わるでしょう。しかしその時は、労働者の流動性が
非常に高まっていると言うことでもあります。
日本人はそんな社会を望んでいるのでしょうか?
私の前にいた大学でも「会議」ではありませんでしたが、裏側での秘密調整はありました。学科長もしくは指導教員が動いて、成績訂正や再試験などの救済措置を得られるようにするわけです。事務職員の私は成績処理上の期限と留年決定者のリストを教員に渡して、あとはその結果を待つだけです。
卒業要件単位の取得ができなくて留年し、残り半年を大学で過ごさないといけなくなる実態について、親らがいう「学費」の問題よりも、その学生が半年出遅れることで、今後の人生にどれだけのデメリットを受けることになるのかを考えたほうが良いのではないでしょうか?
わずか2単位で、その学生の将来を変えて良いのでしょうか。それこそ当初の問題で、すべての成績がそれほど厳密に付けられているかどうかを考えるべきです。この点をクリアできているなら、会議で調整なんてことはあってはならないことと私は考えます。
不正な単位献上に思えます。
明確な成績判定(採点)基準がなく、且つ採点済み答案の返却が行われないから可能なのでは。採点基準の公表も必要です。