マイスターです。
韓国で、「人文学の危機」が宣言されました。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「全国人文大学長、『人文学の危機』を宣言」(innolife.net)
http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=2&ai_id=63550
■「危機の人文学、全国学部長らが振興基金設置など提言」(東亜日報)
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2006092703848
————————————————————
高麗大文科大教授たちが、人文学危機打開を促す「人文学宣言」を発表する中で、全国80の人文大学長たちも、人文学に対する長期的な投資を促す声明を発表した。ソウル大と高麗大、延世大、梨花女大など全国80の人文大学長たちは、今日午前梨花女大国際教育館で開かれた人文週刊開幕式で「人文学の危機」を宣言した。学長団は、政府が人文学に対する一時的な政策より、長期的で持続的な支援が可能な「人文学振興基金」など、早急に関連法案を用意することを求めた。
(innolife.net記事より)
低迷している人文学の振興のため、ソウル大学や延世(ヨンセ)大学、高麗(コリョ)大学などの人文学部長は28日午前、ソウル梨花(イファ)女子大国際教育館で開かれた「人文週間」(25~30日)の開会式で、人文学振興基金や人文韓国委員会の設置などを提案した。
尹坪鉉(ユン・ピョンヒョン)全南大学人文学部長が代表で読み上げた「今日の人文学のための私たちの提言」と題した声明で、学部長らは「これまで、厳しい自己反省や積極的な現実への参加による代案的価値を創出せず、防御的な人文学危機の談論の陰に身をひそめてきた人文学会内部の状況に対して深く反省する」と述べた。
学部長らは、「しかし問題の根源は、人文学的な精神や価値を軽んじる社会構造の変化にあり、これを主導してきた政府当局と、その変化に順応してきた大学に責任がある」と主張した。
学部長らは、人文学の振興のための対応策として、△政府主導の「人文学振興基金」の設置、△中長期的な人文学発展のため、教育副首相傘下に人文韓国委員会(Humanities Korea・仮称)の設置、△国の主要政策委員会への人文学者の参加保障、△人文学部長や教育人的資源部、学界、関係機関が参加する「人文学発展推進委員会」の構成などを求めた。
(東亜日報記事より)
韓国の記事ですが、もしかしたら日本の人文学系教員の皆様にとっても、他人事ではないのかもしれません。
広く「人文学」「人文科学」というと、文学の他に、哲学、美術史や音楽史、歴史学、考古学なども含むのでしょう。
そういったものもひっくるめて、これらの学問は、日本では「文学部」で教育研究されていることが多いです。
で、日本でも伝統的な「文学部」は以前に比べると、厳しい位置に立たされてきているように思うのです。
実用的な学問を標榜する学科が人気を集める中で、哲学科や国文学科、歴史学科のような学問は、受験生を集めにくくなっているような印象があります。
また英文学科は、英文学に興味がある人だけでなく、「英語を学びたい人」が選択する学科でもありました。しかし今は、あらゆる大学のあらゆる学部が英語教育に力を入れている時代です。受験生に魅力をアピールしづらくなっているのは確かでしょう。
心理学科や教育学科は、資格人気と結びついて、学部として独立させた大学が人気を集めていたりします。
文芸学科などは、映像やデジタルコンテンツなどのメディアを扱う学部が増加する中で、クリエイターのタマゴの進路としての地位を低下させているのではないかと心配です。
そもそも、活字離れが進み、あらゆる本が売れなくなってきている時代です。
書籍も雑誌も、10年前と比べて、売り上げを大きく減らしています。
本来、文学部の教育ミッションは、10年前と比べて少し変わっていなければおかしいのかも知れません。
例えば早稲田大学の「第一文学部」と「第二文学部」は、多くの作家を輩出してきた機関ですが、少し前に、従来型の文学研究をミッションとする「文学部」と、クリエイター養成の「文化構想学部」とに再編されました。
これは、文学教育のあり方を再考した一つの例だろうと思います。
このように何らかの手を打たない限り、文学部に代表される人文科学教育は、高等教育の中で衰退していく可能性があります。
さて、もう一本、韓国メディアから記事をご紹介します。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「理念過剰で生産性喪失…人文・社会学、『不妊学問』に 」(東亜日報)
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2006091974968
————————————————————
人文・社会学が枯渇しかけている。いつからか人文・社会学は「競争の時代」に淘汰された「落伍者」で、生産性が担保されない「不妊の学問」として認識されている。人文学の教授は不満を提起し、父兄は子供の進学を引き止め、在校生は生存のために「転向」を模索する。
危機の近因は何か。世界化時代の市場論理(外因論)か、学問の自己改革の失敗(内因論)か。人文・社会学教育の責任を負った教授らに原因と方向について聞いた。
●人文学の当面問題と対策
東亜(トンア)日報は8月中旬から全国の人文・社会科学教授を対象に人文・社会学の危機を診断する電子メールでのアンケート調査を実施した。
(略)
彼らは韓国人文社会学界が直面した最大の問題点として「国内の優秀学者を育成できない教育システム」(21.5%)を挙げた。△海外理論の取り入れと盗作など学問的後進性(18.1%)、△短期的な研究成果を強調する評価システム(16.5%)、△市場論理の学問共同体の支配現象(9.1%)、△理念を前面に掲げるか、寄り合い文化によって発生する学問共同体の分裂(8.3%)などの順だった。また、現在の危機状況を打開するために、最も至急な措置として「大学院生に対する国家支援の拡大および研究人件費支給の透明化」(16.9%)が挙げられた。その次は、△自生的理論の開発(16.0%)、△国内学生たちが海外留学生と比較優位に立つことができる教育制度の改革(10.6%)、△学振登載誌の等級化を通じ、学者たちに対する評価の質的差別化(10.6%)、△翻訳と注釈を学位論文に認める論文改革(9.8%)などの順となった。
●研究、教育、評価の「3拍子」危機
今回の調査で関心を引くのは、研究、教育、評価という韓国学界の3つの中心役割について、あまねく批判が出たという点だ。学問の後進性と閉鎖性を指摘した項目を「研究の問題点」(26.4%)、優秀頭脳の海外流出と教育システムの問題を「教育の問題点」(21.5%)、公正な評価システムの不備と短期成果主義を批判した項目を「評価の問題点」(22.3%)に分類した時、その割合に大きな差がなかった。人文・社会学界の危機が一部分の問題ではなく総体的という事実を示す部分だ。
特に、「項目選定の理由を記述してほしい」という主観式の質問項目で、研究分野の問題点を指摘する回答が多かった。ここには「学問の植民地化」に対する批判が目立った。ある学者は「現在、人文社会科学の危機は、光復(クァンボク=日本植民地支配からの独立)後の外国、特に米国理論への偏向と民主化欲求による急進的な社会科学の導入で過剰理念化されたため」と指摘した。
●慢性的な寄り合い文化の害悪
韓国学界の慢性的な寄り合い文化に対する叱咤も強かった。△理念と寄り合い文化による学問共同体の分裂と、△出身学校と師匠による学内政治の過剰など寄り合い文化を最大の問題点に指摘した割合が15.9%にのぼる。
ある教授は「寄り合い文化の断面である引用が引用を生む現象は、ある論題についてひとまず懐疑と否定から始めなければならない人文社会研究の基本属性を破壊する」と指摘した。また、他の教授は「井の中の蛙のような閉鎖的な学問文化が韓国的特殊性のみを強調することで世界的普遍性を持つ理論創出を難しくしている」と批判した。
つまり、寄り合い文化が生んだ排他性が、一方で西欧理論を追従する後進性として、他方では韓国的特殊性を強調する閉鎖性として相互に働き、人文学の危機を増幅させたという指摘だ。これは特にソウル大出身の学問共同体の支配現象に対する批判につながり、ソウル大を含む国・公立大学の廃止(7.9%)を最優先の危機打開案に提示する回答者も多かった。
●人文学の危機、外生変数と内生変数
最近、高麗大学の文科大教授らは「人文学宣言」を発表し、その原因を大きく二つ指摘した。第一は、市場論理と効率性に対する無差別的な盲信、これによる大学の商業化という外生的要素であり、第二は、人文学者らがこれに対応し、人文学の体質改善に積極的でなかったという自己反省だった。
しかし、今回のアンケート調査では「市場論理の支配現象」と「短期研究成果の優先評価」という外部的要素を批判する声(21.4%)は相対的に少なかった。一方、研究力量の不足と寄り合い文化など内部的な問題点(42.3%)を指摘する声がもっと目立った。
(上記記事より)
こちらの記事は、主に研究分野においての問題を指摘したものですが、いずれも人文学教育の衰退に関わる問題だと思います。なんと言うか……日本の私たちにとっても、耳が痛い内容が多いのではないでしょうか。
この調査結果の中に、日本の人文科学教育を復興させるヒントが隠されているような気がします。
以上、色々と書いてきましたが、マイスター自身は、人文科学は、人が人であるために学ばなければならない必須の学問だと思っておりますので、高等教育レベルにおいても、衰退して欲しくはありません。多くの学生に、人文科学系統の学問を大学で学んで欲しいと考えています。(ちなみに「建築学」も、国によっては人文科学に分類されています)
なんとか、人文科学系統の教員には、がんばって欲しいところです。
ところで、人文科学を教育する場は、文学部だけではありませんよね。
例えば最近では、「国際教養学部」など、リベラルアーツを標榜する学部が注目を集め始めていますよね。
こういった学部の取り組みが、現代における人文科学教育の意義を、社会に示してくれるのではないかとマイスターは密かに期待しております。
また、工学部や医学部、教育学部といった職業教育系学部でも、全人教育や、職業倫理教育に関する取り組みが盛んに導入されているようです。このような学部では、「工学部向けの人文科学教育」といったものが定義されてもいいように思います。
(現在のところ、残念ながら必ずしもそうはなっていません。例えば工学部で教養教育を担当する教員が、工学の専門教育と連動したシラバスで授業を行っているかというと、そうでもないのです。専門は専門で、教養は教養で、それぞれの教員が勝手に授業を行っているケースが少なくないのですね)
また、シニアや高校生などを大学に呼び込む試みが最近注目されていますが、そういった場でも人文科学の教員は活躍できるように思います。関西大学文学部の「カレッジリンク型シニア住宅」のように、文学部による新たな試みも出てきていますよね。
■生涯現役学生主義! 日本初、カレッジリンク型シニア住宅が誕生
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50222030.html
人文科学とは、文字通り「人間を知る」ことを目的とする学問だと思います。
社会全体として、大切にしていくべきではないかと個人的には思うのですが、いかがでしょうか。
以上、マイスターでした。