大学がいっぱいある街、横浜で暮らしているマイスターです。
教育、研究と並ぶ大学の役割の一つとして、「地域貢献」を挙げる人は少なくないと思います。もちろん、学生や教職員が通うことによって商店街が得る「経済効果」のことだけではありません。今では、大学と地域とは、様々な形で連携することができます。
地物住民を対象にした教育プログラムはその一例です。学生や教職員が地域の中に入って何らかの活動をするということもあるでしょうし、逆に大学キャンパスで地域対象のイベントが開かれることもあるでしょう。地域の若者を教育する、あるいは卒業生が地元に定着して、地域社会を支える人材になるということももちろん、重要な地域貢献です。

↑最近では、こんな本が話題になったりもしていますね。
大学は、所在する地域のコミュニティと無縁ではいられません。今後、大学と地域との関係は、より密接に、より多様になっていくのかなと思います。
ただ、そのことが、時にやっかいな問題を生むこともあるようです。
【教育関連ニュース】—————————————–
■「大学争奪戦が過熱 南九州大キャンパス移転問題」(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/20060911/20060911_004.shtml
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宮崎県にある「南九州大学」のキャンパス移転を巡って、大学と、現所在地の「高鍋町」、そして移転予定地の「都城市」との関係が、こじれているようなのです。
始まりは8月の盆明け、高鍋町の小沢浩一町長に届いた匿名の手紙だった。たった一文「南九州大学都城移転近し」とあった。
「何だ、こりゃ」。仰天した小沢町長は南九大を経営する南九州学園(宮崎市)の渋谷義夫理事長に面会を求めたが、時既に遅し。渋谷理事長は8月29日、都城市の長峯誠市長を訪ね、2009年春に高鍋キャンパスを移転することで基本合意した。長年の関係ほご
翌日、ようやく面会に応じた渋谷理事長は、今春の入学者が園芸学部で定員の81%、環境造園学部で85%と、67年の開学以来初めて定員割れした事情を説明。「少子化の影響は避け難く、地理的に南九州一円から学生を募りやすい都城市に移ることを決めた」と理解を求めた。
だが、小沢町長は納得できない。7月初めから水面下の移転交渉を続けていたと聞かされ「わが町を蚊帳の外に置いて、40年近い関係をほごにするのか。都城市のやり方も許せない」。
学生、教職員ら大学関係者約900人が、下宿や買い物などで町にもたらす経済波及効果は年間約15億円。人口約2万2000人の町の大きな収入源だけに、移転を簡単に認めるわけにはいかない。「悲願かなった」
一方、怒りの矛先を向けられた都城市の長峯市長にとって、大学誘致は最重要公約だった。
南九大高鍋キャンパスの移転予定先は宮崎産業経営大(宮崎市)の都城キャンパス跡地。04年春、定員割れを理由に開設から14年目で閉鎖された場所だ。
長峯市長は同年暮れに初当選した直後から、跡地への大学誘致に奔走。県内外の大学や専門学校十数校と交渉したが、いずれも不成立。頭を抱えていたところに飛び込んできたのが、南九大からの移転打診だった。
しかし、手放しでは喜べない事情もある。移転基本合意の記者会見で、「また定員割れで閉鎖にならないか」「高鍋町との関係悪化はないのか」と矢継ぎ早に質問を受けた長峯市長は終始、硬い表情だった。
都城市は宮崎産経大都城キャンパス開設時に、用地取得費など約28億5000万円の市費をつぎ込んだが、閉鎖で露と消えた過去がある。南九大は建物改修費など移転に約44億円かかると見込んでいるが、市長は財政支援額については口を閉ざす。市民の間では「巨額の支援をするような余裕が市にあるのか」との声が聞かれる。
(「大学争奪戦が過熱 南九州大キャンパス移転問題」(西日本新聞)より)
この通り、三者の思惑が錯綜し、そう簡単には全員を納得させられないような状況が生まれてしまっています。
上記記事の他にも、この問題を報じる記事はたくさんありました。すべてをここでご紹介することはできませんので、リンクだけ掲載させていただきます。関心のある方はぜひ、読んでみてください。
■「都城で反対署名活動 南九州大キャンパス移転問題 高鍋町民や学生ら30人」(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/miyazaki/20060905/20060905_001.shtml
■「南九州大:高鍋町住民、存続求め署名活動--都城移転問題で /宮崎」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/09/20060905ddlk45040635000c.html
■「南九州大キャンパス移転問題 『存続へ地域一丸に』 住民ら1000人が総決起集会」(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/miyazaki/20060902/20060902_002.shtml
■「南九州大:都城移転問題 「調整しない」知事が強調 /宮崎」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/09/20060907ddlk45040687000c.html
■「南九州大移転 都城市、30億円支援検討」(Asahi.com)
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000000609050003
記事にある情報だけで判断すると、ことの発端は↓ここです。
…渋谷理事長は、今春の入学者が園芸学部で定員の81%、環境造園学部で85%と、67年の開学以来初めて定員割れした事情を説明。「少子化の影響は避け難く、地理的に南九州一円から学生を募りやすい都城市に移ることを決めた」と理解を求めた。(「大学争奪戦が過熱 南九州大キャンパス移転問題」(西日本新聞)より)
現在の場所では学生を募集することが困難である、と大学側は判断したのですね。確かに定員を20%近くも割っているのでは、心配になるのもわかります。もしかしたら他にも移転の理由が隠されているのかも知れませんが、この定員割れが理由の一つであることは確かでしょう。
また南九州大学は、学部学科の新設を計画しているようです。この新学部新学科だけを別のキャンパスに作るという選択肢もないわけではなかったでしょうが、大学経営陣は、最終的に「全学移転が望ましい」という結論に達したのですね。
これは確かに、様々な問題を孕んでいるケースです。
大学の関係者、特に経営陣にとっては、定員割れというのは死活問題です。
彼等には、新学部増設とキャンパス移転を核にした大学改革を推し進め、安定した経営状況を確保できるようにするという使命があります。
しかし一方で、大学を他の自治体に「取られて」しまう高鍋町の悩みもまた、無視できるものではありません。彼等にしてみれば、街の一部として根付いていた大きな存在が、突然ごっそりと抜け落ちてしまうようなものです。経済効果を始め、様々な点で不都合が出てくるでしょう。
冒頭でご紹介した『大学地域論』には、↓こんな記述があります。
大学にとっての地域は、本来はたんなる土地、あるいは場所や空間ではない。いろいろの意味が込められている。(略)要は、その地域に居住し生活する住民との関係であり、またその住民が組織する行政や民間の諸団体との関係であり、さらにはそのまちの持つ伝統、文化、産業などとの関係なのである。(「大学地域論―大学まちづくりの理論と実践」より)
マイスターも、上記の内容に同意です。大学にとって、キャンパスがある街というのは、単なる「敷地」ではないのです。しかも南九州大学の場合、40年の間に積み上げてきた信頼関係があります。
大学は、存在しているだけで、多くの団体や人々と関わるものですから、自分の都合だけで簡単に引っ越されては困る、という高鍋町の訴えは、よくわかります。
さて、どうすればいいでしょうか。
個人的に気になるのは、大学、都城市、高鍋町の三者とも、「あるべき大学と都市の連携のあり方とはこういうものだ」というビジョンをまったく語っていないという点です。
大学は、経営上の問題で移転せざるを得ないということを説明しています。ですが、では移転先の都城市で、どのように経営を改善させ、どのように地域と大学との連携をとっていくのでしょうか。単に「受験生がいないから都市部に引っ越した」というだけでは、移転先の地域と良い関係は構築できないように思います。
そもそも、移転先は「宮崎産業経営大学」の跡地。この宮崎産業経営大学がこの場所でなぜうまくいかなかったのか、そして自分たちはどのようにその問題を乗り越えるのかということを、少なくとも大学のステークホルダーや都城市の市民達には、ビジョンをもって説明しなければならないと思います。
移転計画が具体的に進められている割には、あんまりそういう話が見えてこないのが気がかりです。
都城市はどうでしょうか。報道されている記事だけを読んでいると、単に宮崎産業経営大学の跡地という「負債」に決着をつけたいだけではないか、とマイスターには思えてしまうのです。
また、宮崎産業経営大学が開学する際には、「用地取得費など約28億5000万円の市費をつぎ込んだが、閉鎖で露と消えた」とあります。次にやってくる大学が、同じことにならない保証はありません。今回も30億円の支援を検討しているそうですが、ちゃんと市として、都市マスタープランなどとも連携した計画が立っているのでしょうか。誘致するメリットが、他にもあるのでしょうか。ただメンツのためだけに大学を誘致するというのでは、市民も納得しないでしょう。
ただ大学に来てもらうだけではなく、市として大学に(お金以外の)何かを提供し、一体となってまち作りをやっていこうというくらいの認識でないと、また同じことを繰り返す可能性があります。
高鍋町は、もし移転に反対するのであれば、大学がなぜ移転を計画したのか、どうすれば移転されずに済むかということを、もっと建設的に検討した方が良いのではないでしょうか。
現在、高鍋町のwebサイトには、「南九州大学高鍋キャンパスの存続を求める活動について」という特設ページが設けられています。
■「南九州大学高鍋キャンパスの存続を求める活動について 高鍋藩「名門秋月」の精神文化に培われた『正義の行動』」(高鍋町役場 企画商工課)
http://www.town.takanabe.miyazaki.jp/minamikyushu-u/index.html
南九州大学の高鍋町に何の連絡もない状態での今回の突然の移転発表は、大学との40年間にも及ぶ信頼関係や学生との絆を無視したものに思えてなりません。また、移転先の都城市とは、島津・秋月の関係で1586年に盟約を結び、明治時代の初めまでその関係は続いておりました。人口17万人の都城市には他の大学を誘致するという選択肢がありますが、人口2万2千人の高鍋町にはそのような余裕はありません。なぜ高鍋の大学を選択されたのか、残念でなりません。
高鍋町は今回の「南九州大学高鍋キャンパスの存続を求める活動」を、高鍋藩「名門秋月」の精神文化に培われた「正義の行動」と位置づけ強力に展開してまいりますので、皆様方のご理解と暖かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
(上記リンクより)
およそ行政機関の公式webサイトとは思えないような、感情的な記述です。「怨嗟の声」という表現がしっくり来るかも知れません。大学移転に反対するのは、「正義の行動」だとまで言っています。
もちろん長年培ってきた信頼関係は大事です……が、しかし当然ながら、それだけで大学経営が成り立つわけではないのです。大学からすれば、「高鍋町と心中するか、別の場所で生き残るか」という状態なのですから、精神論を持ち出しても何の解決にもなりません。経営者はいろいろな意味で、合理的な判断を重視するものです。
署名集めもいいのですが、ここは1万の署名よりも、1つの具体的な改善案が求められている状況であるように思われます。署名で経営は立ち直りません。
市は、恨みつらみをアピールしている場合ではありません。そんなに大学に出て行って欲しくないのであれば、行政として、新しい大学との具体的な連携案などを提案し、一般に公開してみてはいかがでしょうか。それが都城市への移転よりも魅力的な内容であれば、大学は移転しないと思います。
ひょっとすると上記の三者とも、「いや、メディアで取り上げられていないだけで、ちゃんとウチとしては構想やビジョンを持っている」とおっしゃるかも知れません。
もしそうなのであれば、その情報は、もっと発信すべきです。
なにしろ事態は、現時点で数百人、数千人の住民を巻き込んだ大規模な運動に発展しつつあります。ちゃんと自分たちの構想を、マスメディアや自分たちのwebサイトなどを通じて、丁寧に説明しないと、メディアが報じている情報が一人歩きし、互いの利害関係ばかりが強調されていくような気がします。タイミングを計って、それぞれの地元で住民を集めて意見交換会や説明集会(「反対集会」ではなく)を開くのもいいかと思います。
あれこれ書きましたが、きっと本来なら、南九州大学が高鍋町でずっと存続している状態がいいのでしょう。ただ、大学が「高鍋町ではもう経営が成り立たない」という状況に追い込まれたために、こんなに複雑な問題になってしまったのですね。
いずれにしろ、もう南九州大学が都城市に移転するのはほぼ確実だと思いますが、その過程でどのような問題が起きるのか、どのように三者がそれを解決していくのか、注視していきたいところです。
最後に、この記事を書いていて思ったことを。
今後は、少子化がますます進行します。大学が統合・再編したり、廃校になったりといったケースは、増えると思われます。となると、その裏では今回の高鍋町のように、「大学キャンパスが街からなくなる」という事態に直面する自治体も少なからず出てくるはずですよね。
大学を誘致(もしくは新設)したがっている自治体は、今なお全国に少なからず存在すると思うのですが、そうやって誘致した大学がつぶれる、という事態のことまで想定している自治体はあまり多くないのではないでしょうか。
「大学冬の時代」は、大学関係者だけではなく、その大学に関わるすべての人々にとっても大変な時代なんだということを、今回、再認識したマイスターでした。
大学と自治体のかかわりは、微妙なことが多いですね。(1)県立大や市立大などを作って直接的にメリットを作り出す場合、(2)既存の私立大を誘致する場合、(3)新設の私立大を誘致する場合。(1)は自治体の経済・運営力が直接的に試されます。(2)は今回のような問題が出てくることもあります。(3)は日本医療薬科大学(設置断念)のようなケースがあります。
お互いの幸せのために、慎重かつ、確実に進めていきたいものです。
こんにちは。この問題のなかにいる者です。素晴らしい見解でした。ありがとうございます。以下、私のウェブログの中からです。
・・・(略)やみくもに反対することには賛成できません。逆に、やみくもに受け入れることも賛成しません。しっかりと考えた上で、高鍋とか都城とか狭い世界で考えるのではなく、宮崎として広い世界で考えていきたいものです。・・・(略)・・・そういう大学が宮崎県にあるというだけで、誇りに思えることはできないのでしょうか。旭化成が延岡市にあるように、照葉樹林が綾町にあるように、プロ野球キャンプが宮崎県内に来るように、南九州大学が宮崎県にある、それじゃダメなんでしょうか。
地元にいると、どうしてもリアルに目先のことにこだわる傾向にあるようです。一歩離れた地域では、途端によその県の話のように捉えられていますしね。
こういったご意見をお出し頂き、ありがたいことです。