「4行教授」という言葉から思うこと

経歴を他人に説明することが多いマイスターです。

履歴書を書いたら、

 A大学付属高校
→B大学
→C大学院
→会社員
→D大学職員
(&現在、E大学科目等履修生)

…と言う感じになります。

実際には転職を一回やっただけで、昨今では別に珍しくもない経歴です……が、なんだか大学の名前がごちゃごちゃたくさん入っているため、実態以上にややこしく見えるのですよ。学歴と職歴が溶け合っているみたいに見えちゃうのですね。

でもこの経歴は、大学業界の方に自己紹介をする時には、とっても便利。なぜなら話のネタにできるからです。研究者なら大学を渡り歩く方もおられるでしょうが、事務職員でこういう経歴は珍しいので、面白がってもらえるのです。

もちろん、ただ面白いというだけではありません。
「いくつもの大学を、実際に顧客として見てきた」ということは、大学のサービスを担う上で、ウリになるはず……だとマイスターは思っています。ですから、マイスターが業界の先輩方に対して持っている、数少ないアドバンテージとして、大切にしているのです。

民間ベンチャー企業での、プロデューサーという職歴も同様です。
幅とか多様性とかをアピールするのに役立っています。

あと、自分の専門が何か、ということを考えると、これまた

建築学科
→ 政策・メディア研究科
→ web広報
→ 大学教務

と、なんだか節操のないことになっていて、これもマイスターの特徴です。

こんな経験を通じて得られたすべての知識やスキルを総動員して、このブログを書いているというわけです、はい。

ところで、マイスターのような学歴・職歴の人間は、日本の会社組織では

「専門性がない」
「組織に仕える気がない」

といったマイナス評価を受けることが多いみたいです。
特に深刻なのは、後者です。

マイスターの友人には、マイスターと同じような経歴を持っている、ベンチャー志向の人間が多いです。彼らの話を聞いていると、周囲からそういう否定的な見方をされて、悩んでいる人が結構います。ベンチャー志向なんだけど伝統産業の大企業に入っちゃった人、なんてのは、もう毎日悩みまくりです。

彼らは、実際には、働かせていただいている以上、全力で組織のために貢献しているつもりなのです。仕事ぶりも、おそらく平均以上のパフォーマンスを発揮しているはず。ただ、周りよりもちょっと多様なキャリア観を持っていて、いつか自分はこの組織から他のところに行くかもなぁ、なんて考えているだけです。

でも、そういう考えを持っているということが周囲に伝わってしまうと、それが大きなマイナス評価になるのですね。

「あぁ、こいつは一生ここにいるわけじゃないな」

ということが、周囲の皆さんにとっては、とても重大なこととして受け止められるのです。ヘタすると、同僚と見なしてもらえなくなるそうでして……。

大学職員のような、人材流動性が限りなくゼロに近い業種で働いているマイスターとしては、こういう話を聞くたび、もう気が気じゃありません。

うーん、大丈夫か自分。

なんてことを考えていたら、興味深い言葉を見つけました。

【教育関連(?)ニュース】————————————-

■「4行教授」(理系白書ブログ)
http://rikei.spaces.msn.com/blog/cns!B2DB7723CECCAA05!6814.entry
————————————————————

大学関係者はもちろん、世の中の多くの方々に読まれていると思われる有名ブログ、「理系白書ブログ」から。

休憩スペースで読書。日本学術会議の黒川会長と石倉副会長の共著「世界級キャリアのつくり方」である。
題名からすると、お休みモードではない。読んでみると「20代までに留学せよ」「30代までに組織の長になれ」と、いまさら遅いじゃん!というようなアドバイスが満載で、少々落ち込んだ。
励まされたのは「語学力より表現したい中身である」という一項目であった。

印象に残ったのは、「他流試合」を推奨する黒川会長の「日本では4行教授がもっとも偉いとされる」という記述。
たとえば「東大卒、東大助手、東大助教授、東大教授」の4行で履歴書が終わる人は、日本ではエリートコースを歩んできたと受け止められるが、本当にそうか?という問題提起だった。

私はこの言葉を初めて聞いた。たしかに今までの日本は教授に限らず、浪人より現役、寄り道よりストレートの方が「順調」と受け止められる社会ではあった。
でも、これからは4行では済まない人が多数を占める社会になっていくかもしれない。そうなると、4行教授の「神通力」も変わっていくか。
「理系白書ブログ」記事より)

世界級キャリアのつくり方―20代、30代からの“国際派”プロフェッショナルのすすめ

「4行教授」という言葉、初めて知りました。
もしかしたら、黒川会長の造語なのかも知れません。

でも、マイスターも

「(教授に限らず)寄り道よりストレートの方が『順調』と受け止められる社会」

だったというのは、事実だと思います。
マイスターは、残念ながらまだこの本を入手できていないのですが、理系白書ブログで紹介されているここのくだりには共感できます。

変化が少ない人ほど信頼される、というのは、研究者の世界だけでなく、一般の社会人にも当てはまることだと思います。

「自分のキャリアのことを考えるといつか転職する可能性もある、と言っている同僚」と、「何があってもいつまでも転職するつもりはない、と言い切る同僚」のどっちが信頼できますか、と質問したら、後者と答える方は、今でもやっぱり、少なくないのではないでしょうか。

組織を「絶対に裏切らない」から信頼されているのか、
組織内を支配する論理を熟知し、それに沿って行動できる点が信頼されているのか、
「辞めることで自分に迷惑をかけるおそれがない」から好意的に見られるのか、
そのへんの理由はよくわかりません。ケースバイケースなんだと思います。

でも、上記の問いに後者と答える人が多いのなら、「4行○○」(いや、学部卒なら「2行○○」か)はいつまでも主流であり続けるのでしょう、きっと。
民間企業では、かなり様子が変わってきているものの、それでもまだまだ日本社会の大多数は「転職未経験者」ですしね。

でも、変化の多い社会では、それではいけないんだろうとマイスターは思います。

さて、ではマイスターがいる、大学職員の世界はどうなのでしょうか。

大学職員の方には、「今いる組織に一生尽くそう!」という考えを持っておられる方が、世の中の平均よりさらに多いような印象があります。

そして、実際に、一生同じところで勤め上げる方が、非常に多いです。
新卒採用で大学に入り、定年までそこにいる、「2行職員」です。

大学職員の方が書かれた文章などを拝見していると、「一生尽くそう」と言っている方、しばしば見かけます。
そこにはときに、「そうでなければ、顧客や同僚に対して失礼だ」という感情論が、かいま見えます。

常日頃から「俺、辞めるから」なんて言ってまわっているような人は、確かに信頼されないのもわかります。しかしながら、「一生辞めない」ということが、組織や同僚に対して礼を尽くしたことになるのかというと、それもまた違うような気もします。

常に、自分ができる最大のパフォーマンスを発揮して仕事をすることが、組織にとっても、顧客にとっても、そして社会にとっても、最良のことなのではないかと個人的には考えています。
なので、「他のところに行けば、社会に対してより良い仕事ができるかもしれない」という可能性を考えず、ただ「ここに居続けることが重要」だと考えてしまうようになったら、それは危険だとマイスターは思うのです。
転職しないことが悪いのではなくて、プロの社会人である以上は、社会に対して最善の仕事をできる環境であるかどうか常に検証し続けることが大切なのではないか、というのがマイスターの意見です。

また、大学職員には、「一生いると思えばこそ、ローテーション人事の中で、専門性を磨けないまま過ごすことも我慢できるのだ」という、口には出さないホンネもあるかも知れません。

これも、合理的な発想ではありますが、やっぱり危険です。
みんながみんな、こんな発想で働いていたら、大学職員はいつまで経ってもプロとして社会から認めてもらえません。

ところで。

今後、大学が発展するためには、職員の中から特定分野のスペシャリストを育成していかなければならない、という意見をよく聞きます。マイスターもそう思います。既に、スペシャリストへの道を歩み始めておられる方も、実際にいらっしゃることでしょう。

でも一方で、「大学職員=ゼネラリストを目指すべき」という意見も、まだまだ根強いです。個人的に、「自分はスペシャリストになりたい!」と思っていても、組織がそれを許してくれないということだってあるでしょう。

さらに大学職員には、「一生今の職場で勤め上げることが大事」と考えている人が、(おそらく)まだとても多いです。

こんな状況の中で、スペシャリストを目指すのは、容易なことではありません。
勤め先の大学が、スペシャリスト育成に力を入れているような組織であればいいのですが、おおかたは、そうじゃないわけです。
ですから、スペシャリストを目指そうと真剣に考えている人は、ローテーションの時期に、

「ゼネラリストとして他部署に異動する」
or
「スペシャリストであることにこだわる」

という二択を迫られることになることだって、あり得ます。後者だと場合によっては、「他大学に転職」という選択肢を取らざるを得ないかも知れません。

2行職員であることをやめるか否か、というこの選択。
もしあなたなら、どうしますか?

「いや、大切なのは働く部署ではなく、学生さんに尽くしたいという気持ちだ。自分の専門性よりも、今の職場にいて、各部署でできることをすることが大切だ」

と、お答えの職員の方、いらっしゃるかと思います。

そうです。
要は、それが、「4行教授」「2行会社員」が、日本に多い理由なのです。
みんな、そう答えて、ずっと定年までいるのですよ。

でもそれじゃ、変化の多い現代においては、社会が満足する仕事はできないし、生き残れないんじゃないかと、世の中では言われているのです。

ほら、結構、ジレンマがありますでしょう?
「4行教授」って言葉、考えれば考えるほど、奥の深い問題だとわかりますよね。

願わくば自分は、行をいくつ増やしてでも、社会に対して一番貢献できる道を探り続けたいと思っています。これは、言うのは簡単ですが、実現はとても難しい道ですし、実際には、そんなに行数を増やすのは現実出来ではありません。
でも、気持ちとしては、それくらいの覚悟を持ち続けたいと思っています。それが、何かのプロで有り続けるということなんじゃないかと思うのです。

以上、マイスターでした。

2 件のコメント

  • はじめまして。
    私も転職で大学職員をやっています。
    今までいた部署名が事業開発室だのITソリューションだのついていたため、今の同僚には理解されにくいキャリアです(転職組は理解してくれるのですが)。
    今の職場では「一生いるから仕事への忠誠心がある」どころか「日が東から昇るように朝職場行って目の前にある頼まれたことしてれば給料もらえる」レベルの人が多いのが事実です。スペシャリストかゼネラリストか、などといった議論以前の問題です。
    そんな中で前職(前々職)の経験をもとに話をしたり、提案をしていたりすると忠誠心?のような訳の分からない価値判断でよく私も見られています。
    残念ながらそういった意識の人をSDと唱えて変えられるか、といえばほとんど悲観的なのですが、自分がそういった風潮に飲まれないよう、科目等履修や他大学との意見交換会等を通じて自己研鑽を図っているところです。

  • 私は脱出(希望)派です。
    組織への忠誠心は、その組織がそれに値する場合にだけ発現すればよいものです。